進む選考会
「よく来たな。」
「無理やり連れて来られたのですが?」
「まあ、そう言うな。」
老中である阿部正弘が口にした。
「それより、上様がお呼びだと伺いましたが?」
「それは後で良いのだ。今、用があるのは私だ。」
「そうなのでございますか? 何でございましょう?」
「遣米使節に付いていくつもりなのか?」
「え? そのつもりですが……」
松陰は眉を顰めた。
遣米使節は松陰の発案である。
同行するのは当然であると思っていたし、正弘の発言は意図が掴めない。
怪訝そうな顔の松陰に言う。
「それは大きな誤解である。その方が行くのは決まった事ではないぞ?」
「ええぇ?!」
思わず声を上げた。
「他の者には選考会に参加させているのに、その方だけ何もやらずに行くつもりなのか?」
「それは……」
予想外の正弘の言葉に二の句が継げない。
参加出来て当たり前と思い込んでいた。
「今も選考会は行われている。不公平を無くす為にも、その方にも試験を受けてもらおうと思うのだ。」
「な、成る程……」
そう言われれば仕方ないだろう。
使節団は幕府が派遣するのであり、正弘がそう言うなら逆らう事も出来ない。
「それでは、試験とはどの様なモノでございましょう?」
「何、簡単な事だ。今、別室に控えてる者を論破して欲しい。」
「論破でございますか?」
「そうである。」
正弘の説明によれば、尊皇倒幕の思想を諸国に説いて回る僧がいるらしい。
放置する訳にもいかず、さりとて僧籍ともなれば無闇に扱えず、困ってしまっているそうだ。
そこで呼ばれたのが松陰である。
どうにかしろという事らしい。
アメリカ行と引き換えにすれば、本気になってやると思ったのだろう。
「そういう事ならば致し方ありません。やってみます。」
「世間に余計な混乱を与えない為の処置である。頼む。」
「分かりました。」
「因みに、その者は聾唖なので、筆談だ。」
「承知致しました。」
『拙僧は黙霖です。』
『吉田松陰です。』
聾唖、つまりは耳が聞こえず喋る事が出来ない、僧侶の身なりをした男が、松陰の前で見事な筆さばきを披露した。
筆談は台湾でも経験しているので困る事は無い。
漢文に比べれば造作も無かった。
『黙霖様の尊皇倒幕のご意見、拝読させて頂きました。』
『ありがとうございます。』
読んだのは黙霖が著した『王覇の弁』である。
『いくつか質問がありますので、お聞きしても宜しいですか?』
『勿論です。』
『では、早速。尊皇の下に心を一つとし、幕府を倒すとあります。その理由は、徳川家は天皇に征夷大将軍の位を与えられただけなのに、あろう事か実権を簒奪し、我が物顔でこの国を支配しているから、でございますね?』
『その通りです。』
淀みなく筆談が交わされていく。
分からない事の一つ一つに質問をし、意味を確認していった。
あれやこれやと尋ね、書かれている事を理解していく。
暫く問答を続け、ついに聞きたかった事を口にした。
『では、倒した後でこの国をどうされるのですか?』
『勿論、古の我が国本来の姿である、天皇による御親政を復活させるのです。』
黙霖は力強く記した。
迷いの無い、流れる様な筆遣いである。
何度となく己に問いかけてきた結果なのだろう。
『我が国古来の、天皇による御親政という事は、朝廷が政を担うという事を意味していますか?』
『それに関しては、未だ答えは見えておりません。』
一転し、躊躇う様に書く。
『天皇による御親政という国の形は見えているものの、その実際の所は、未だ結論が出ていないという訳でございますか?』
『生憎私は僧の身にありますれば、政の実際が分からないのでございます。』
『御尤もです。』
心苦しそうな顔であった。
根が正直なのであろう。
悩む黙霖に松陰が書く。
『それでは私の意見を述べても宜しいですか?』
『勿論、お願い致します。』
『尊皇倒幕は時期尚早でございます。』
『しかし』
異議を唱えそうになった黙霖の筆を止めて続ける。
『幕府の非正当性はご指摘の通りでございます。我が国の国体を、天皇による御親政に戻すというのも納得出来ます。ですが、だからといって今すぐ幕府を壊してしまえとはなりません。』
松陰は前世で経験した政権交代の事を思い返していた。
与党にお灸を据えようとして野党を勝たせてしまい、日本が大変な目に遭った記憶である。
成る程、徳川幕府の統治には問題だらけだろう。
諸制度の矛盾は多く、国内に溜まっている不満は大きい。
史実では、幕府が西洋列強に対して譲歩を重ねた結果として諸藩の反発を招き、ついには幕府が倒れる結果となった。
それを受けて成立した薩長土肥による明治新政府は、結局の所は藩閥政治となってしまい、徳川幕府を笑えない汚職と権力の私物化を招いてしまうのだ。
それは幕府を支えた御家人も、明治政府を支えた維新志士達も、つまるところは同じ穴の狢であったからこそ招いた結果であろう。
志の高い高潔な人物は限られており、多くは己の利益の増大を図り、権力欲に駆られた者達なのだ。
寧ろ、何事にも洗練が為されていた徳川幕府の方が、不正は小さかったかもしれない。
諸藩という批判勢力があれば、あからさまな不正義は行えないからだ。
対して、明治新政府には有力な批判勢力が存在せず、やりたい放題とも言える不正が為されがちであった。
『目の前にある物を否定するのは容易い事です。幕府の粗は、探せばいくらでも見つかる事でしょう。ですが、ではその幕府を倒した後に現れる権力機関は、今の幕府よりも真っ当な物となるでしょうか?』
『それは、分かりませんね。』
『寧ろ、権力を奪ったとして、調子に乗るのが人の性ではありませんか?』
『そうかも知れません。』
黙霖は頷いた。
『ですが、黙霖様の御主張は全く正しいのですよ?』
『どういう事ですか?』
『尊皇倒幕は成し遂げなければなりません。問題はその方法とその後です。どちらにも私に考えがございます。』
『そ、それはどの様な?』
身を乗り出して先を促す。
『それについては、御自分の目で確かめませんか?』
『私が確かめる?』
『そうです。西洋諸国を見て回れば、答えが見つかるかと思います。』
『来年派遣されるという、遣米使節でございますか?』
『そういう事です。』
『考えてみましょう。』
尊皇倒幕を諸国に説いて回っていた宇都宮黙霖が説き伏せられた。
ふと、松陰は話題を変える。
『黙霖様は諸国を回られたのですよね?』
『そうです。』
『アメリカに連れて行くのに、面白そうな人を御存知ありませんか? 参加者が武士ばかりですと、得られる知見が偏ってしまうと思うのです。』
『成る程。』
松陰の質問に黙霖は考え込んだ。
筆も止まり、静寂が包む。
やがて思いついたのか、黙霖が再び筆を走らせた。
『一人心当たりがございます。』
『どなたですか?』
『清水に一家を構える、次郎長という任侠の方です。』
「え? それって清水次郎長親分?!」
驚きの余り思わず叫んでしまう。
清水次郎長と言えば大親分として有名であり、前世から知っていた。
そんな松陰の様子に、黙霖は不思議そうな顔をしている。
『失礼しました。清水におられる次郎長さんですね?』
『そうです。しかし、その方は任侠でございますよ?』
『それは構いません。ありがとうございます。』
『どういたしまして。』
松陰の選考会が終わった。
「とりあえず大丈夫だと思いますが……」
「ご苦労。」
正弘に報告する。
「では、合格でございますか?」
「気が早い。残念ながら、まだだ。」
「他にもあるのでございますか?」
うんざりした表情で口にした。
正弘はそれには答えず、言う。
「寛永寺に向かうつもりなのであろう?」
「そのつもりですが……」
思惑が掴めない。
「まだ気づかないか?」
「え?」
「その方が寛永寺に向かう事は叶わないのだ。」
「どういう事ですか?」
訳が分からず、問う。
「任子様の御意向で、手出しは無用という事だ。」
「まさか?!」
正弘の言葉に衝撃を受ける。
家定の正室任子の意向とはつまり、
「スズの邪魔をさせない為に?!」
「そこの所は想像に任せよう。」
正弘が言葉を締めくくる。
当の寛永寺では、
「こりゃ、龍馬! 逃げるな!」
「そりゃないぜよ! 乙女姉が相手なんち、聞いちょらん!」
薙刀を持った乙女が龍馬を追う。
「以蔵?! お前がどうしてここに?」
「武市さん! いや、これは……」
「こら以蔵! 試合は始まっているぞ!」
「慎太郎まで?!」
半平太と相対するのは岡田以蔵。
腰が引けた以蔵を応援しているのは中岡慎太郎である。
「思ったよりも早く叩きのめす機会が来たな。」
「ぬかせ! それはこっちの台詞だ!」
歳三と鴨が睨み合っていた。
「宜しくお願いします。」
「女だと?!」
華麗に礼をするスズを目にし、相手はギョッとした。
試合が始まり、鍔迫り合いとなる。
「きゃっ!」
途中、スズの口から可愛らしい声で悲鳴が漏れた。
「す、すまん!」
「隙あり!」
「しまったぁぁ」
選考会は進む。
正直、試合の描写が難しいのでお茶を濁してます。
これ以上は特に書く事も無いので、サラッと流させて下さい。




