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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
幕末の始まり編
170/239

遣米使節団随行員選考会

 大老井伊直弼が諸国の藩主らを前に演説していた。


 「この度、我が国は国を開き、諸国と広く交流を持つ決意をするに至った。国を開けば異国の者が多数来航しよう。異国の者に恐れや不安を持つ者もいる事は承知している。西洋の者らの振る舞いは、数多くの事例を聞き及んでいるからだ。」


 直弼の言葉に諸侯は思う。

 イギリスは清国にアヘンを売りつけ、不当な戦を仕掛けて国土の一部を奪い取った。 

 そのイギリスの支配から自由を求め、独立したアメリカも実は似た者同士で、メキシコに戦争を吹っ掛け、領土を得ている。

 ヨーロッパの他の国も同じ穴の狢であり、日本の外の世界は弱肉強食の理論がまかり通る、覇道の世界であった。


 「しかし、国を閉ざしたままではいられない事は、諸卿らも十分認識しているであろう。国を閉ざした所で、海を閉じる訳にはいかないからだ。覇道の世界へと漕ぎ出して、我が国は大丈夫なのかと心配している者もいよう。その懸念は尤もだ。長らく天下泰平であった我が国と、常に戦を繰り広げていた西洋諸国との力の差は大きい。」


 努めて冷静に続ける。


 「しかし、こうも言えるだろう。敵を知り、己を知らば百戦危うからずと。先日我が国へと訪れたアメリカの使節。そして今も滞在しているロシアの使節は我が国を知った。今こそ我らも他国へと出かけ、見聞を広めるべきだ。彼らが我らを知っているのに、我らは彼らを知らない現状は宜しくない。」


 納得できる言葉であった。


 「その為、西洋の国々を見聞する使節を派遣する事に決めた。使節の代表は堀田相模守正睦である。」


 集成館お目付け役の正睦に白羽の矢が立った。


 「その際、随行する者を広く天下から求める事にした。天下から集めた俊英達に西洋の事情を学ばせ、我が国の今後の選択を決める際に役立てるのだ。その為、随行員を決める選考会を開きたいと思う。」


 既に通達は出されており、志のある者は江戸に集結している。


 「選考基準であるが、古より文武両道と言う事もあり、文と武に秀でた者を選ぶとしたい。しかし、その両立の困難さは皆も承知しているだろう。今回はそのどちらかで良い物とする。文を誇る者は増上寺に集まれ。武芸を誇る者は寛永寺に集え。それぞれで選考会を執り行い、入念な選定によって人材を揃え、来たるべき開国に備えるのだ。」


 こうして、使節団の随行員を決める選考会が開催された。

  



 増上寺の境内は熱気に包まれていた。

 学問を良く修めた者らが集まっている事もあり、異国の事情、日本の取るべき道などについて活発な意見交換、主義主張がそこかしこで為されている。

 まだ見ぬアメリカという国について、ああでもないこうでもないと逞しく想像を膨らませ、周りと熱心に話し込んでいた。

 誰もが一角の人物なのであろう、その主張には芯が通っており、誰が選ばれてもおかしくはない様に思われた。

 そんな中、心配げな顔をしている者が、その胸中を隣の男に話しかけた。 


 「帯刀君、小五郎君は大丈夫ですかね?」

 「あれだけ頑張っていたからきっと大丈夫さ。でも新平君、我々も気を引き締めないといけないよ。ここに集まっている者は皆、秀才揃いっぽいよ……」

 「分かってる……」


 江藤新平、小松帯刀であった。

 集成館の塾生といえど、優遇措置は無いので選考会に参加している。

 各藩の推薦枠はあるが、薩摩も佐賀も別の人間で埋まっており、自力で勝ち取る以外にアメリカに行く道は無い。

 長年の勉強で英語や西洋の学問には自信があっても、周りを見渡せば皆自分よりも優秀そうであり、つい弱気になりがちな心を懸命に鼓舞するのだった。


 いつも一緒に学び、剣の稽古に汗を流した桂小五郎はいない。

 剣術修行の成果を試したいと、一人寛永寺に向かっていた。

 寛永寺の方こそ条件は厳しいモノと思われる。

 腕に自信がある者は、それこそ各地に無数にいそうだからだ。

 見事随行員に選ばれた暁には、先で新設される国軍で仕官への道が開けるという噂が広がり、参加者は増上寺と比べて一層多いだろう。

 そんな中で小五郎が無事に選ばれるのかと、我が事の様に心配してしまうのであった。

 そんな二人は、群衆の中に良く知った人物を見つける。


 「あれ? あそこにいるのってイネさんでは?」

 「本当だ! それに千代姉様もいる……」


 シーボルトの娘イネと、松陰の妹千代であった。

 どうしてこんな所にと、帯刀が二人に声を掛けようと近寄った矢先に声がした。 


 「帯刀君!」


 その声に振り返れば、人込みを必死に掻き分け、松陰が息せき切ってやって来るのが見えた。


 「先生!」


 思わず声を上げ、駆け寄る。

 どうしてここにという質問をするより早く、松陰は口にした。


 「スズを見かけなかったですか?」

 「スズ姉様ですか?」

 「嫌な予感がするから来てみたんだけど……って千代?! イネさんも?!」


 松陰の声に気づいたのだろう。

 千代とイネが帶刀らの下に集まっていた。


 「これは松兄様、奇遇ですわね。」

 「千代が何故ここに?」

 「勿論、随行員になる為ですわ!」

 「ど、どうして?」

 「え? 私が決めた私の道ですのに、松兄様は反対されるのですか?」

 「い、いや、そうじゃない! そうじゃないんだけど、どうして今回なんだ!」


 松陰は思わず頭を抱える。

 先日、言い捨てる形で別れたスズが、自分に内緒で選考会に参加しているのではと思案した。

 英語の通訳として使節に加わろうとしているだろうと考え、止めさせる為に増上寺にやって来たのだが、思いもかけずに妹と遭遇し、狼狽してしまう。

 日頃から、己の思う道を進む事を口にしてきただけに、千代の言葉に反論は出来ない。

 もう一人はどういう意図なのだと問い掛ける。


 「イネさんもアメリカに行きたいのですか?」

 「いえ、私は父様の故郷を見てみたいと思ったからです。」

 「そ、それは素晴らしいですね。でも、今回じゃなくても……」

 「思い立ったが吉日と申しますから。」

 「そ、そうですか……」


 これも意志は固そうに思われた。


 「こうなったら!」


 何か思いついたのか、松陰は皆に背を向け、駆け出す。

 それを見送る帯刀が千代に尋ねた。 


 「先生は一体どうされたのですか?」

 「私達の安全を心配しているのですよ。危険は承知の上ですのに。」

 「成る程。で、どちらに行かれたのでしょうか?」 

 「多分、選考する人に私達を落とす様、言い含めに行ったのですわ。そんな事をする人が責任者になっている訳が無いのは、松兄様が一番ご存知の筈ですのに。」

 「聞いた話ですと、こちら側の責任者は忠震ただなり様だそうですよ。」

 「そら見た事か!」


 台湾で共に過ごした岩瀬忠震は、その辺りのケジメは非常に厳しい人物であり、松陰の企みなど通じる様には思えない。

 事実、


 「ならぬ。」

 「そこを何とか!」

 「ならぬと言ったらならぬ! くどいぞ!」

 「そこを押してお願いしております!」

 「おい! この部外者をつまみ出せ!」

 「ははっ!」

 「薄情者ぉ!」


 と、あえなく追い出されるのだった。


 「くそ! こうなったら寛永寺だ!」


 そう叫ぶやいなや増上寺の境内を飛び出し、駆けていく。


 「何だったのですか?」

 「知るか!」


 大久保忠寛ただひろが不思議そうな顔で尋ね、忠震は短く吐き捨てた。 




 一方の寛永寺は険悪な雰囲気が漂っていた。

 武芸を誇る者らが集まっている事もあり、一触即発とも言える空気に包まれている。

 

 「あぁ?!」

 「何だぁ? やろうってぇのか?」


 あちこちで似た様な言い争いが起きていた。

 そんな周囲の様子を、ニコニコとした顔で見つめる者が数人いた。


 「全く、元気が有り余った奴らばかりですなぁ。」

 「そう言いつつ、やけに楽しそうだな。」

 「それは否定致しませぬ。」

 「いつもと違い、素直な事だ。」

 「元気が有り余っているくらいでないと、叩きのめすには面白くないですからなぁ。」

 「だろうと思ったぞ……」


 山岡鉄舟、高橋泥舟であった。

  

 「テメェ、もう一遍言ってみろ!」

 「土方さん、僕の事はいいですって!」

 「総司、お前は黙ってろ!」

 「歳、落ち着け!」

 「近藤さんは許せるのか?」


 土方歳三らが揉めていた。

 その原因となったのは、近くにいた男の何気なく発した言葉である。


 「何だ? 耳が悪いだけじゃなく、仲間割れか? では言ってやろう。ここはガキの遊び場じゃないと言ったのだ。」

 「それだけじゃねぇだろうが!」

 「あぁ、そうだったな。こんなガキを入門させるとは、どこまで人気の無い道場なんだと言ったのだったか?」 

 「ふざけた事を言いやがって!」


 本格的な諍いに発展しそうとなった、まさにその時、


 「待ちなさい! ここは選考会の会場ですよ? 争いは双方の不利益にしかなりません! 何の為にここに集まったのですか!」


 桂小五郎が止めに入った。

 反論出来ない正論に、逸る血気も霧消する。 


 「ちっ! 目的を忘れる所だったぜ! 命拾いしたな!」

 「はっ! 言ってろ!」  


 事など容易ではなかった。


 「俺がきっちりと〆てやるから、テメェの名だけ聞いておくぜ。」

 「やれやれ。人の名を尋ねる際は、まず己の名を名乗れという礼儀すら知らん田舎者なのか?」

 「……土方歳三だ!」

 「それならば名乗ろうか。俺は芹沢鴨だ。」

 「鴨だぁ? 来る場所を間違えてんじゃないのか?」

 「どういう意味だ?」

 「テメェのお仲間は不忍池に浮かんでいるだろ!」

 「……どうやら死にたいらしいな。」


 禍根はどこにでも生まれるらしい。

 そんな光景を、舌なめずりせんばかりに眺める者がいた。 


 「くっくっく。馬鹿どもが雁首揃えて並んでやがる。」


 高杉晋作が不敵に笑う。


 「武市さんは増上寺に行かんでえぇがや?」

 「先を見据えたらこちらだな。」


 坂本龍馬の質問に武市半平太が答えた。

 学問に自信の無い龍馬にとってみれば、見識優れる半平太は文官として選考会に臨んだ方が良いと思われた。

 

 当の半平太にしてみれば見方が違う。

 文官として選ばれ西洋を見聞した所で、その後に藩の要職に就けるとは思えない。

 ましてや幕府に取り立てられる当ても無い。

 それよりは噂でしか無いが、武官の方が出世の道が開けそうに思われた。

 そうであるので寛永寺に来たのだが、周りの雰囲気に早まったかもしれないとも思う。

 剣の腕に自信が無い訳ではないが、他はそれ以上に強そうに見えた。

 気づけばキョロキョロと視線を彷徨わせていた。

  

 その人物を見つけたのは半平太が先だった。

 ざわつく周囲を他所に一人悠然と立つその人物は、背丈も体格も立派である上、身に纏う強者の雰囲気が他を圧倒していた。 

 静かに佇むだけなのに、まるで羊の群れに飢えた虎が彷徨い込んでいる様な、一種異様な雰囲気を醸し出している。

 それなりに腕に自信がある者が集まっている筈なのに、その人物の周囲にだけは人がいない。

 半平太が良く知る人物ではあったが、ここにいる事に衝撃を受けて叫ぶ。 


 「お、おい、龍馬! 乙女とめさんがおる!」

 「何を言うちょるぜよ、武市さん。乙女姉がいる筈が無い……って乙女姉?!」

 「だから言ったのに……」

 

 龍馬の姉乙女であった。

 坂本のお仁王様との異名を持つ乙女は、馬術、弓術、薙刀、剣、水泳の奥義を極めたばかりか、経書や和歌、絵画、三味線、舞踏、浄瑠璃まで身につけていたという女丈夫、今で言うスーパーウーマンである。

 性別と時代が違えば英雄間違いなしに思われる乙女ではあるが、時は男尊女卑の

江戸である。

 女がこの場にいるのはあり得ない事に思われた。

 しかし、そのあり得ない事態を喜ぶ者もいる。


 「乙女姉! 来ちょったんかよ!」


 喜色満面の笑みで駆け寄った。

 そんな弟に乙女も相好を崩す。


 「あては腹を括ったぜよ。女じゃ言うて諦めて後で後悔するより、思い切って飛び込んで、それで駄目じゃってもその方がすっきりじゃ!」

 「それでこそ乙女姉じゃ!」


 すっきりとした顔の乙女に龍馬も嬉しくなった。

 そんな姉と弟を前に、半平太が恐る恐る疑問を口にする。


 「乙女さんの強さはよう知っちょうが、女が応募してええがや?」


 尤もな質問に思われた。


 「知らんちや!」

 「いや、知らんて……」 

 「けんど、どこにも女は駄目ばあ、書いちょらんぜよ!」

 「その通りです!」

 「え?」


 別の所から甲高い声がした。

 声のする方を見れば、ちょこんと一人、乙女の後ろに人が立っている。

 すらりとした背格好の、まるで女と見紛う様な容姿の侍であった。

 乙女に向かって言う。


 「女を隠して参加するつもりでしたが、同士がいるのなら話は別です!」

 「え?」

 「私も女です! 共に遣米使節団員の座を掴みましょう!」

 「ええぇ?!」


 男二人がびっくりしている中、女二人はすぐに理解しあえたらしい。


 「おまん、名は何ていうかよ?」

 「私の名ですか? 吉田スズです。」

 「おまん、見かけによらず強いねぇ。」

 「それはどういたしまして。そういう貴女は、見かけ通りに強い方ですね。」

 「よう言われるぜよ。」


 そして二人は互いの顔を見合わせ、忍ぶ様にクククと笑った。


 「集まった様だねぇ。それじゃあ、ボチボチ選考会を始めるとするかねぇ。」


 こちらの責任者である勝海舟が口にした。

 大急ぎで寛永寺に向かっている松陰が、間に合う筈も無い。

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