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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
幕末の始まり編
165/239

未来の日米同盟構想その二

 『オランダは友好国では無いのか?』


 ペリーが問うた。

 バタビア(今のインドネシア)を植民地とするオランダとは、幕府が開かれてからの付き合いが続く国の筈である。

 開国に向け、シーボルトを筆頭として多くの学者の派遣もお願いした筈だ。

 そんな付き合いのある国と、事を構えると言うのだろうか。

 

 『あくまで、オランダが動く気があればでございますよ?』

 『まあ、そうだな。どれだけ付き合いがあった所で、最後の所は食うか食われるかだからな。』


 松陰の答えに頷く。

 権謀術数渦巻く国際社会では、裏切られる前提で考えていないと痛い目を見るだけだろう。

 どの国も、自らの国益を最大にするべく動いている。

 いくら日本がオランダと友好関係を築いていた所で、油断していたら足元を掬われるのが今の社会だ。

 それを考慮している様子に、ペリーは賛辞を送りたくなった。 

 そんな彼に地図を差し出し、松陰は説明を続ける。


 『閣下、これを御覧下さい。』

 『地図がどうした?』

 『まずここに日本があります。そして琉球、台湾、フィリピン、バタビアと線を繋ぎます。』

 『ふうむ。どれもこれも島国だな。』


 松陰が地図に朱色の線を引く。

 ユーラシア大陸の東側に、長い一本の線が出来た。

 さらに続ける。


 『バタビアを越えたらタイと繋がり、遂にはインドへ至ります。』

 『で? これはどういう意味だ?』


 日本から引かれた線はインドまで到達した。

 しかしそれが何を意味しているのかは分からない。

 松陰が答える。


 『これは国を繋ぎ、物資を運ぶ海の回廊です。』

 『回廊?』

 『そうです。我が国は島国です。生憎、豊かな地下資源には恵まれておりません。必要な物資は海外に頼らざるを得ないのです。』

 『成る程。』


 アメリカには豊富な地下資源が眠っているが、それは余りに特殊な例だろう。


 『その時、この回廊は我が国の生命線となります。そしてこの回廊には、唯一とも言える急所がございます。』

 『それは分かるぞ。“ここ”だな?』


 ペリーがニヤリと笑い、地図の一点を指さした。

 松陰もにこやかに応える。


 『まさにそうです。“ここ”こそ、我が国の急所です。』


 ペリーが指さしたのは、海上交通の要衝として名高いマラッカ海峡であった。


 『この急所を、オランダに抑えられていたら堪らないと言う訳だな。』

 『その通りです。我が国は西洋列強から見れば極東の小国でしょう。いつ何時どんな圧力を掛けられるか分かりません。』

 『その時は、マラッカ海峡を封鎖するだけに済むのだな。』

 『閣下の御推察通りです。この海峡を封鎖されるだけで、我が国へ入る物資はたちまち滞ります。生活に必要不可欠な物であった場合、死活問題です。』


 今現在その様な物資は無い。

 将来の、中東からの石油の事を念頭に置いていた。


 『反対側は問題無いのか?』

 『両側を抑えるのは流石にまずいでしょう?』

 『まあ、な。』


 マレー半島側はイギリスが押さえている。

 もしも両側を一国が押さえたとなれば、西洋諸国の猛烈な反対に遭うだろう。

 ヨーロッパと清国を結ぶ海上交通は、その国に左右されかね無いからだ。

 それを考慮に入れている様子に安心した。

 感心しきりなぺりーに松陰が言葉を重ねる。 


 『この回廊の、もう一方の果ては一体どこの国でしょう?』

 

 松陰が上目遣いでペリーを眺めた。

 そんな彼の様子に途切れた朱色の線の先の国を探す。

 ペリーはアッと気が付いた。


 『まさか?! 我がアメリカなのか?!』

 『そのまさかでございますよ。この回廊はいずれ日本を抜け、閣下の母国アメリカまで至るのです。』

 『それで我が国との同盟なのか!』


 思わず興奮し、椅子から立ち上がってしまう。

 本国政府は清国との貿易の利便性を考え、彼を日本に遣わせた。

 そこにインドの事までは考えが及んでいない。

 けれどもこの松陰の構想が実現するなら、アメリカの得られる利益は更に増大するだろう。 

 西海岸と日本を結ぶ航路が出来るだけで、それはそのまま清国はおろかインドまでも続く航路となるのだ。

 

 しかも、日本からインドまでの海の道は、アメリカが心配する必要が無い。

 日本の生命線だと言うのなら、日本が必死に守るだろう。

 アメリカは、日本へ至る航路の安全を考えていれば良いだけである。

 加えるなら、太平洋上にそれを脅かす勢力はいない。

 日本と同盟を結ぶだけで、労せずして巨大な果実を手にする事が出来るのだ。

 ペリーが興奮しない訳が無かった。


 『しかし、インドはイギリスに抑えられているぞ? 勝手な真似は出来まい?』


 興奮しきりではあったが、どうしてもそこに考えが及んでしまう。

 タイは独立国ではあるが、インドはそうではない。

 大層心惹かれる提案ではあったが、イギリスがインドを押さえている限り、好きに出来そうには無い。


 そんなペリーの指摘に松陰は微笑みで応える。

 ニコニコと笑い続ける彼に、ペリーは不審を抱いた。

 もしかしてという思いが沸き上がる。

 しかし、それは余りに無謀過ぎるのではと、自分の考えを即座に打ち消した。 

 けれども、尚も微笑を保ったままの表情に、恐る恐る切り出した。 


 『まさかとは思うが、イギリスも追い出す気ではあるまいな?』


 自分で言っておいて信じられない言葉であった。

 いくらそのイギリスから独立を勝ち取ったと言っても、今のアメリカの国力では本国での防衛戦が精一杯だろう。

 インドをその支配下に置いてから、着々と戦力の充実を図っているイギリス軍である。

 一体どれ程の力があれば、彼らをインドから追い出せるのかなど、ペリーには想像も出来なかった。

 それをこの日本人はやると言うのかと、その馬鹿げた発想に唖然としてしまう。

 しかし、相変わらずニコニコとした顔は変わらない。


 『それは余りにクレイジーだ!!』


 能天気な態度に怒り、思わず叫んでしまった。




 『力を以て他国を、他民族を支配する今の世界の理こそ、狂っているのではありませんか?』


 ペリーが落ち着くのを静かに待ち、松陰は言った。

 運ばれて来た茶を勧め、己も口に運ぶ。

 適度に冷めており、乾いた喉に染みていく。 

 勧められるまま、ペリーも喉を潤した。


 『閣下らは、どうしてイギリスより独立したのですか? 代表なくして課税無しと考え、自分達の政府を持つべきだと思ったからではないのですか?』

 『良く知っているな……』

 『人民主権、議会制民主主義など、世界に先駆けて作られたアメリカ合衆国憲法の精神は、アメリカだけでしか価値が無いとお考えですか?』

 『いや、そうは思わん。普遍的な物だと思うぞ。』

 『私もそう思います。各国にはその国の伝統があるとはいえ、アメリカ合衆国憲法の精神は、とても尊い価値があると思います。』

 『そうだな!』


 異国の者にそう言われ、ペリーの顔は綻んだ。

 しかし、それもすぐに萎む。 


 『世界はどうでしょう? 今も西洋の列強は、各地で植民地経営に没頭しております!』

 『それは……』

 『植民地の民に主権は無いのですか? 議会を持つ事も出来ないのですか? 自分達の国の未来を、自分達で決める事が許されないのですか?』

 『力が無ければ、自由は勝ち取れん……』 


 ペリーは絞り出す様に答えた。

 独立戦争を勝ち抜いたからこそ、アメリカは独立出来たのだ。

 それには多大な犠牲を払っている。

 言葉だけでまんまと出来た訳ではない。

 自由は、自らの血を払って得た正当な対価である。


 力で抑圧されているなら、力で抵抗する以外に無いだろう。

 正義を語った所で誰も聞く者はいない。

 植民地として支配されている国の住民は、支配されたままなのにも理由があるのだ。

 嫌なら独立の戦いを起こすしかない。 


 『ですから我が国が助けますよ。フィリピンの民に力を与え、スペインを追い出してやりましょう。バタビアも同じです。オランダには本国にお帰り願います。』

 『そしてインドなのか? スペインとオランダは兎も角、イギリスになど勝てる筈が無かろう!』

 

 ペリーが悲鳴に似た声を上げた。

 しかし、松陰の顔つきは全く変わらない。 


 『私がやり遂げますよ。』

 『何?』

 『私が必ず、聖地インドを解放させてみせます。』


 そこには静かな決意が見えた。

 鋼鉄に似た、強固な意志である。

 どんな力を用いてもビクともしない、巨大な岩を思わせた。


 『10年20年では無理でしょう。でも、30年40年、もしかしたら私の次の次の世代までの時間がかかっても、インドの独立を成し遂げてみせます。』


 そう告げる松陰に、ペリーは二の句を継げなかった。

 その言葉は冗談とは思えない。

 笑い飛ばす事も出来ず、ただ見つめる事しか出来なかった。

 いつもと変わらぬ佇まいに、逆に恐ろしい狂気を感じる。

 今までの顔が仮面の姿であり、これこそが彼の本質であるかの様に思われた。


 『どうしてインドにそこまで拘る? インドは君にとって何なのだ?』


 思わずそんな問いが口をつく。 

 途端、松陰の目が大きく開かれた。

 大きく開かれた目がペリーに向けられ、その視線に恐怖した。

 一切の感情も見出せなかったからだ。

 まるで人形に見られている様な錯覚を感じ、思わず背筋がブルっと震える。

 そんなモノの口がいきなり開き、堪らずビクッとした。


 『インドこそ、我が聖地にして目的の地也。インドに産まれたカレーこそ、私がこの世界に生れ落ちた理由也。祝福するモノにして、呪うモノ也。魂を解放する存在にして、縛り付けるモノ也。カレーを日本に持ち帰る事こそ、我が天命にして運命也! 宿願であり、悲願也!』

 『い、意味が分からんぞ……』


 ペリーは絶句した。

 何を言っているのか理解出来なかった。

 夢遊病者の様な松陰に、アヘンでもやっているのかと思った。

 しかし、歴戦の将であるペリーは、混乱しつつも理性を失わない。

 松陰の口にした言葉の意味はまるで分からなかったが、単語の中には思い当たる物もある。


 『カレーと言ったか? イギリス海軍が取り入れている、カリィの事なのか?』


 今度は松陰がビクッと反応した。

 ペリーを見つめる視線の中に、今度は動揺が見て取れる。

 そこに手応えを感じ、重ねて言う。


 『ショーインの言っているのは、インド料理のカリィの事であろう?』

 『カリィ! 何と麗しき響き! まるで天使の奏でる、耳に心地よい天上の音楽の様! その響きからは、えも言われぬ良い香りが漂ってくる様!』

 『天上の音楽やら漂う香りは知らんが、そんなにカリィを食べたいのなら、私の船でインドへ連れて行ってやるぞ?』

 『な、なんですと?!』

 『西海岸に行く事と比べれば、実に簡単な事だ。』 


 今度こそ松陰は衝撃を受け、のけぞった。

 体をワナワナと震わせ、立っている事が出来ないのか、両膝をついてしまった。


 「先生?! 大丈夫ですか?!」


 傍に控えていた帯刀が駆け寄る。

 ペリーは目を白黒とさせた。


 「聞きましたか帯刀君? インドですよ!」

 「ええ、聞きましたとも。」

 「20年。20年なのです! やっと! やっと、ここまで来たのです!」

 「分かっております、先生。」

 「長かった! 余りに長かったです! 何度も絶望に苛まれ、その度に涙を堪えて乗り越えてきたのです! それなのに、今更インドへ行ける? 今すぐ何もかも放ってしまえば、明日にでもインドへ向かえると言うのですか!!」

 「ええ、分かっておりますよ。先生がそんな事を為されない事は。」

 「私がそんな事をしない? どうしてそんな事が言えるのですか! 私の気持ちを知らないのに!!」 


 松陰が帶刀の言葉に嚙み付いた。

 その目は血走っており、普段の落ち着きからは想像もつかない程である。

 しかし帯刀は、慈愛の籠った表情で語り掛けた。


 「全て分かっております、先生。今はこれで我慢して下さい。」


 そう言って懐にあった小さな袋を取り出し、松陰の口元に持っていく。 

 途端に鼻をひくつかせ、苦悶に満ちた顔にパッと笑みが咲いた。


 「これはコリアンダーにクミン?!」

 「そうです。先生の求めるスパイスですよね? 今日の所はこれでご勘弁を。」

 

 帯刀はその袋を松陰に持たせた。

 ひったくる様にそれを受け取ると、鼻にあてがい思いっきり息を吸い込む。

 一心不乱に何度も何度も深呼吸を繰り返す。

 それに合わせ、表情から刺々しさが抜けていった。 


 「先生はお疲れなのです。後は私が引き受けますから、先生はこのままお帰り下さい。」

 「……分かった……」


 帯刀の言葉に素直に従い、松陰は席を立った。

 後に残されたのは、どこか心配げな、居心地の悪そうな顔のペリーである。

 帯刀に尋ねた。

 

 『君は確かワッキーと言ったか?』

 『はい。本名は小松帯刀と申します。そのままワッキーとお呼び下さい。』

 『ショーインはどうしたのだ?』

 『閣下にインド行きを誘われて、突然の事にショックを受けてしまわれたのでしょう。』

 『どうしてだ?』


 理解不能である。


 『ご家族の方に伺いましたが、先生は20年前より、この日を待ち焦がれていたそうです。』

 『20年前から? この日を?』

 『そうです。先生は幼少の頃から、この日、つまりアメリカからの開国を求める使節が来航するのを予見し、今日まで必死で準備されてきたのです。』

 『何だと?!』

 『黒い船に乗ってアメリカ人が日本にやって来るだろうと、周囲に語られたそうですよ。』

 『まさか!』


 予想もしない言葉であった。


 『私が先生に初めてお会いしたのは、イギリスと清国との間に戦争が起きてすぐの頃でした。今から約12年前ですね。その頃から先生は、やがて来る日本の開国を見据え、様々な手を打たれて来たのです。本日閣下が御覧になられた、ボルト・アクション・ライフルもそうですし、ダイナマイトもそうです。』

 『何と言う事だ……』


 信じられない思いである。

 

 『閣下がどう思われるかは分かりません。私ですら、今でも信じられない思いですから。』

 『確かに俄かには信じられないな……』

 『ですが、閣下がこの日本で目にされた事は全て事実です。』

 『確かに銃は素晴らしかったし、ダイナマイトの威力は凄まじかったな。』


 それは否定できない事実である。


 『それに、先生が閣下に語られた事は、既に我が国の進むべき道となっておりますので、それだけは心に置いておいて下さい。』

 『……了解した。しかし、それは茨の道だぞ?』


 帯刀の目にも嘘の色は見えなかった。

 語った言葉は偽り無き真実であると確信したが、だから尚更心配せざるを得ない。

 その道の先には、乗り越えるには高すぎる障害が立ちはだかっているだろう。

 日本で出会った者らの性根に好意を抱いたからこそ、ペリーはそう思わずにはいられなかった。

 そんなペリーに帯刀は静かに告げる。


 『狭き門より入れ。滅びへと至る門は大きく、道は広く、これより入る者は多し。』

 『マタイ福音書か……』


 シーボルトによれば、日本におけるキリスト教の信徒は数える程しかいないらしい。

 それなのに、こうやって聖書のフレーズが出てくる辺り、その教養の高さが見て取れる。

 未開な野蛮人とばかり思い込んでいたが、己の偏見であった事を強く意識した。

 

 『時間が経ってしまいましたね。迎賓館までお送り致します。』

 『ああ。宜しく頼む。』


 馬車の上では、帯刀の知る松陰のエピソードが語られた。

 波乱万丈な松陰の生涯に、ペリーは更に驚く事となる。

 そしてペリーら一行は、次の日の帰国を迎えた。

何だか久しぶりな、松陰のカレーへの慕情でした。

治まるどころか静かに悪化していた様です。

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