表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/239

長州藩の経済的な力

説明回です。

 村田清風が登場したついでに、長州藩が幕末において維新を牽引できた理由を、経済的な面から確認しておきたい。


 まず、江戸時代に日本全国を襲った冷害、虫害で飢饉が発生したのだが、西日本はその程度が低かった事がある。

 東日本は人口が減少し、西日本は逆に増加していたのだ。

 維新を担う人数の問題。

 これが一つである。


 次に、長州藩の地理的な位置関係である。

 長州藩の周防と長門は本州の西の端に位置し、瀬戸内海と日本海に面している。

 瀬戸内海は内海であるので波が穏やかであり、古くから海上交通が盛んで、多くの船が行き来していた。

 日本海もまた多くの船が行き交う海の道であり、二つの海が交わる赤間関(現在の下関市)は多くの荷物が集まっていた。

 また赤間関は九州との玄関口でもあり、九州産の物品もまた集まる地であった。

 従って長州藩はこの地の発展に力を注ぎ、船宿の整備、蔵の拡充、積荷を売捌きたい者には蔵を貸し、商談が成立するまで保管料を徴収して商売の振興を支援した。

 その甲斐もあって赤間関は発展し、藩の財政を支えたのだ。


 そして、撫育方ぶいくかたと呼ばれる投資資銀を確保した事である。

 検地を断行し、新たに増えた藩直轄地5万石を別途に管理運営する事とし、撫育方を設置した。

 撫育方の収入には基本的に手を付けず、未来への投資として貯蓄し続けた。

 そこから塩田・石炭の開発、港の整備に資銀を投入したのだ。

 幕末時、この撫育方の資銀は相当な額であったとされている。


 三番目として産物の育成である。

 米、紙、塩は長州藩にとって重要な産品で、全て白い事から「防長三白」と呼ばれた。

 それに蝋燭の原料となるハゼの木を大量に栽培し、その実を絞った蝋を合わせ「防長四白」という。

 これらは大阪市場でも高値で取引され、長州藩の財政を潤した。


 これらの事と、清風とその後の者達の改革のおかげで経済的に余裕ができ、西洋の武器、教育にも資金を回せたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ