東インド艦隊司令、マシュー・ペリー
四隻の船が洋上を静かに進んでいた。
船体は黒く塗られ、遠目には小山が動いている様である。
二隻は普通の帆船であり、残りはその倍はあろうかという大きさの、外輪式の蒸気船であった。
船体の中央部、左右それぞれに水車の様な推進器が付いている。
今は蒸気機関を使わず、帆に風を受けていた。
滑る様に海上を往く船団の旗艦であるサスケハナ号では、一人の船員が船室の一室の扉をノックし、入室許可を待っていた。
『入れ!』
『失礼します! 司令、もう間もなく琉球へと到着します!』
『そうか、ご苦労。』
伝令を伝え、船員は部屋を去る。
東インド艦隊司令、マシュー・カルブレイス・ペリーは、部屋に備えつけの椅子に座り、ふっと息を漏らした。
机の上にはさっきまで目を通していた、日本に滞在しているシーボルトの、日本での活動報告記が置いてある。
ようやく目的地に着く喜びとこれまでの苦労、そして待ち受けるこれからに思いを馳せた。
これまで頑なに国を閉ざしてきた日本が、十年後には開国するという驚きの宣言を、西洋国家として唯一付き合いのあったオランダ政府に伝えたのは8年前だ。
アメリカ政府は、初めはその宣言を律儀に待つつもりでいた。
しかし、石炭の補給基地と、緊急時の避難港を必要としていた捕鯨業界は、そんな政府の決定を悠長に待っていられない。
豊富な資金を用いてロビー活動を行い、日本が早期に開国する様、アメリカ政府が働きかける事を求めたのだった。
海軍の主力船を蒸気船にすべく取り組んでいたペリーにとっても、日本の開国開港は重要な問題であった。
当時、アメリカから清国、インドへ至る航路は、東海岸から大西洋を南下し、アフリカ大陸南端のケープタウンを越えていくルートである。
日数にして5か月近くもかかるこのルートは、清国、インドとの貿易を増やしたかったアメリカ政府にとって頭の痛い問題であった。
1846年、メキシコとの戦争に勝ち、西海岸であるカリフォルニアを得たアメリカ政府は、西海岸から太平洋を横断し、最短でアジアへ渡るルートを確保する計画を立てる。
西海岸を出発し北上、ベーリング海峡を横断して千島列島沿いに進み、津軽海峡を抜けて日本海へ出るルートである。
その計画を遂行するのは海軍であり、海軍司令のペリーにとっては、ルート上の重要な石炭補給基地として、日本の港の開港が是非とも必要であった。
捕鯨団体のロビー活動という追い風を受け、ペリーは日本を早期に開国させる計画を時の上司に献策する。
それはまた、ロシアが日本に開国を迫るという噂を耳にしたせいでもある。
日本の開国に一番乗りするという名誉を、ロシアに奪われてはならないと考えた。
1852年11月24日、ペリーは蒸気船ミシシッピ号に乗り込み、単艦でバージニア州のノーフォークを出港した。
マデイラ島、ナポレオンが流されたセントヘレナ島で物資を補給し、ケープタウンに着いたのは1月24日であった。
船員共々体を休め、2月3日に出港する。
インド洋のモーリシャス、セイロンを経て、マカオに着いたのは4月7日である。
マカオと香港は近い。
香港はイギリスと清国との戦争で、イギリスが勝ち取った領地である。
以前はただの鄙びた漁村でしかなかった香港は、今まさに都市へと変貌しようとしている。
急ピッチで町が造成されているのを遠目から確認したペリーは、グズグズしていては清国におけるアメリカの権益が損なわれると確信した。
そして同時に、この自分の働き次第で、アジアにおけるイギリスの優位性をひっくり返せるとほくそ笑んだ。
イギリスからケープタウンを越えアジアに行くルートよりも、アメリカ西海岸からアジアへ行く方が圧倒的に早いからだ。
イギリスとの戦争にも従軍した事のあるペリーは、高慢ちきなイギリス人の鼻を明かせる可能性に、密かに喜びを感じていた。
日本を必ず開国させる事を改めて誓う。
合流した他の船と併せ、物資の補給は部下に任せてペリーは船を降り、清国より独立した太平天国の首領洪秀全を尋ねた。
太平天国の独立は、既にアメリカ国内でも有名な話である。
清国の圧政に耐えかね、自由を求めて決起した彼らに対し、同じ様にイギリスから独立したアメリカ人として親近感を覚えた。
太平天国に肩入れし、清国で勢力を伸ばしつつあるイギリスに対抗しようという意見もある程だった。
しかし、清国との貿易を望んでいたアメリカ政府にとって、清国政府の面子を潰す訳にはいかない。
独立を内心では喜びつつも、太平天国の事は見えない存在として扱うのだった。
清国政府としても独立など認められる筈が無い。
太平天国など無い物として振舞った。
それ故、今回のペリーの表敬訪問も、表向きは清国の地方政府に挨拶に行く恰好である。
アメリカ東インド艦隊司令という肩書での面会希望はすぐに聞き届けられ、多数が待つ面会の列を横目に、ペリー一行は別室へと通された。
そんな対応が心地よい。
即断即決はアメリカ人の好む所であるからだ。
それ程待つ事も無く、太平天国の首領洪秀全が現れた。
開口一番、
「ハロー、ミスターペリー、ハウアーユー?」
ペリーが想像だにしない、洪の挨拶であった。
暫くし、ペリーは太平天国の政府庁舎を後にした。
その顔には疲れが滲んでいる。
会談の内容は取り留めて何もなく、今後の友好を謳うモノだったのだが、とにかく洪の人となりが掴めなかった。
英語は得意ではないとすぐに中国語に戻ったが、とにかくよく笑いよく喋る人間で、寡黙なペリーが最も不得手とする相手であった。
マカオで心身を休め、これまた清国から独立したばかりの台湾を訪ねる。
オランダが台湾より借り受け、商売の地としている澎湖(ポンフー)諸島だ。
独立したものの、軍事力の貧弱な台湾がそれを維持する為、外国の武力を頼った結果である。
食料品や日用品は台湾の商人が扱い、宿屋や食堂を経営している。
オランダはここを拠点に、西洋国家として唯一日本への寄港を許されたその立場を利用し、日本の産物を持ち寄り、他の国へと転売しているのだ。
ペリーは島に上陸し、商店に並ぶ物に驚愕する。
ヨーロッパ経由でアメリカに入って来ていた、閉ざされた神秘の国日本の、高価な品々が所狭しと並べられている。
目にも鮮やかな色彩で描かれた、東洋芸術の極致に思える壺や花瓶。
ボヘミアグラスに勝るとも劣らない、幾何学模様が美しいグラス。
大量生産品とは思えない、芸術性の高い浮世絵と呼ばれる版画。
金箔や螺鈿で表面が彩られた、漆でコーティングされた筆箱や化粧箱。
飴色が美しい鼈甲の櫛、繊細な細工が素晴らしい髪飾り、虹色の光沢が美しい真珠など、孫娘に贈ったら大喜びしそうな物が溢れていた。
ペリーは、日本を開国させ、これらの品を直接アメリカに持ち込む事を固く誓った。
オランダに独占させるなど、もっての外である。
そんな彼はふと気づく。
他の国の船員達が、何やら下卑た笑みを浮かべ、裏通りから出てくるのを。
好奇心に駆られ、その通りへと足を踏み入れた。
別段、何の変哲も無い物売りの小屋が並ぶだけであった。
こちらには日本の品は無いのか、見劣りする細々とした日用品などが並べられている。
ペリーは拍子抜けし、船に戻ろうと踵を返す。
と、
『お客さん、良い物あるよ!』
小屋の中から声を掛けられた。
にやけた顔をこちらに向ける、小屋の主人であろう男だった。
『良い物とは何だ?』
振り向き、尋ねる。
しかし男はペリーの質問には答えず、小屋の中へ来いと手招きするばかり。
異国の地なので若干躊躇したが、昼間の事でもあるし、人通りが無い訳でもないので用心しつつ小屋へと足を踏み入れた。
『で? 良い物とは一体何なのだ?』
『これね。』
手渡された物は紙の束である。
色のついた絵柄が見え、浮世絵かと思い目を通した。
『こ、これは?!』
驚愕に目が開く。
『何と卑猥な!』
それは最近の船乗り達の間で評判となっていた、春画と呼ばれる日本のポルノであった。
肌も露わになった女性の下半身に、蛸の化け物が絡みつく絵があったかと思えば、裸の男女が肌を重ね合う物もある。
『何たる事だ! これも、これも、全てがポルノか!』
次々に目を通し、全てがポルノである事を知る。
ギロリと男を睨みつけたが、どこ吹く風とばかりにニヤニヤするばかりであった。
『貴様! この私が不信心者だとでも言いたいのか!』
神を敬わぬ最近の若者と同じに見なされて、信心深いペリーは憤った。
そんな彼にしれっと言う。
『お客さん、勘違い。これ、日本の芸術。』
『どこが芸術なのだ!』
『それ、ただの決めつけ。意識の解放、必要。』
『意識の解放、だと?』
『そう。それにお客さん、軍のお偉いさん? 部下が買わない様に、全部買うといいよ。』
『何、だと?』
ペリーは混乱した。
どうすべきなのか判断がつきかねた。
考えあぐねた結果、
『お客さん、太っ腹! また来てよ!』
『部下を誘惑から守る為だ!』
そう言いつつ、紙の束を荷物の中へと押し込んだ。
そんなこんなで上海である。
上海はイギリス人が居住する権利を得た土地であったが、アメリカやフランスもそれぞれの租界を置いていた。
そして琉球へと辿り着く。
半ば強引に首里城へと赴き、王国高官に面会して開国を打診する親書を渡した。
次は最終目的地の日本である。
意気揚々と琉球の港を出港し、進路を東北へ取る。
穏やかな風を受け、粛々と進んだ。
シーボルトの地図によれば、もうすぐ奄美諸島に達すると思われた、その時、
『し、司令! 大変です!』
部屋にいたペリーに伝令が駆け付ける。
『どうした?』
『船が一艘迫って来ています!』
『何?!』
見張りからの報告で、後方より船が追いかけてきているとの連絡が入った。
急ぎ操舵室へと入る。
『どこの船だ?』
『そ、それが……』
『何だ? 一体どこの船なのだ?』
『す、すみません! 恐らく日本です!」
『日本だと?』
『白地に昇る太陽なので、間違い無いと思われます!』
望遠鏡で確認すると、成る程、シーボルトの報告にあった日本の旗が掲げられている。
公海上なので何ら問題はないが、これから尋ねる国の船が近付いてくるのであるから、無視してしまうのも気が引けた。
命令を下す。
『全艦へ連絡! 船の前進を停止! 用心の為に大砲の準備をして待機せよ!』
帆で進んでいるので密集隊形は取っていない。
ばらけていた船に合図を送り、停止させた。
日本の船はどんどんと近づいてくる。
ペリーは日本の船を改めて確認し、驚愕の事実を知る。
『あれは蒸気船ではないか!』
『ですがマストも外輪も見当たりません!』
『まさか?! スクリュー推進なのか?!』
蒸気船の設計から建造まで携わっているペリーであるので、日本の船の違いにはすぐに気づいた。
煙突から煙を吐くその姿は蒸気船であったが、自身の乗るサスケハナ号とは違い、外輪は見当たらない。
『シーボルトの報告記には、数年前にオランダから古い蒸気船を購入したとあったが……』
『最新の船を再び購入したのでは?』
『それ以外にはあり得んか……』
驚いている間にも、日本の船は声が届く距離になった。
「ハロー?」
『英語だと?!』
再び驚く事となる。
一方、ペリーらの船を遠くから見つめる集団がいた。
艦隊に近づいたのとは別の船だ。
「あれが黒船か! 船体の大きさの比較で言うと、三倍はあるぞ!」
象山が望遠鏡を覗き、興奮気味に口走る。
「木造なんだろ? 発破を使やぁ木っ端微塵だぜ?」
「冗談言っちゃあいけねぇや! 俺っちの炸裂弾で十分だよなぁ?」
寅吉と海舟が張り合っている。
「そんな事をしては外交問題になるのですが……」
松陰がたしなめた。
「いや、冗談だけどよ……」
「全くだぁねぇ……」
寅吉と海舟は揃ってしゅんとした。
「先生、どうされますか?」
帯刀が尋ねる。
「まさか攻撃される事もないでしょうから、対応は彼らに任せて我々は一足早く帰りましょう!」
「はい!」
「ちょっと待て! 帰りは俺だったよな?」
寅吉が操縦桿を帯刀から奪った。
鼻歌まで歌い始め、すこぶる上機嫌である。
「彼らに手旗をお願いします! 彼らを長崎に。我らは先に帰ると!」
「合点でぇ!」
言うなり海舟は、両手に持った手旗を振り始めた。
右手を挙げたり左手を挙げたり、何やら規則正しく振っている。
「了解だとよ! 流石俺っちの部下達だねぇ!」
こちらも上機嫌であった。
『外国の船は長崎しか入港を認められていません。』
ペリーに対し、日本の警備船の船長を務める、有馬と名乗る男が告げた。
『司令、どうされるのですか?』
『別の船が見ていた手前、ここで問題を起こす訳にもいかん。言う通りにするしかないな……』
オランダの介入を排除する為、ペリーは直接江戸に向かうつもりであった。
けれども、遠くからこちらを伺う別の船の存在に気づき、誤魔化せないと見るや方針を転換した。
気づかれる前に乗り込んでしまえばこちらのモノだが、機先を制された今、それを無理やりしてしまうのはただの暴挙である。
日本人を相手にする時には、毅然とした態度で断固とした意志を示すべきだと考えていたペリーであったが、どうやらその機会を逸してしまったらしい。
幸先の悪いスタートに、胸中には漠然とした不安が漂い始めていた。
色々と取っ散らかっております。
開国宣言から現在までの出来事に触れる予定でしたが、ネタバレになってしまうので止めました。
歴史改変は、整合性を取るのが大変ですね。
不自然過ぎる箇所は是非ともご指摘下さいますよう、お願い申し上げます。




