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開国宣言

 1845年5月。

 江戸はかつてない興奮に包まれていた。

 江戸の三大祭りでもここまでの熱気には届かないだろう。

 街道という街道には人が溢れ、何かを期待する表情で通りを練り歩いている。

 人々は一様に、開国という言葉を口にした。

 

 熱狂の一方の中心地では、赤い髪に白い肌のオランダ人を一目見ようと、何千という民衆が彼らの宿舎となっている増上寺に集まっていた。 

 境内に立ち入る事は幕府により制限されている。

 物見高い者達は、どこで手に入れて来たのか梯子を取り出し、塀に立てかけて中の様子を探る。

 商売上手な者は、お金を取って人を梯子に上がらせた。

 

 「おい、異人達が出てきたぞ!」


 中の様子を伺っていた一人が怒鳴った。

 その声に反応し、人々は我先にと寺の門へ群がる。

 既に大勢の見物人が門を囲んでいた。


 「これ、下がらぬか!」


 役人が見物人に注意する。

 オランダ国王の親書を奉呈する為、使節は江戸城まで向かうのだが、こうも見物人が多いと進むのさえ困難であろう。

 先導する役の者は、ウンザリした顔で門をくぐった。  


 もう一方の中心地である江戸城は、江戸詰めの藩主から始まり、旗本の多くが詰めかけ、これまた身動きできない程の混雑ぶりを呈していた。

 ソワソワとして落ち着かない者、盛んに隣と話し込む者、目を瞑って何かを考え込んでいる者などその様子は様々であったが、興奮の具合は隠せそうもない。

 開国の宣言がなされるとの話に、思う所が大きいのであろうか。

  

 幕府の祖法とも言える鎖国を解く事を事前に告知され、藩主達に混乱がなかった訳ではない。

 上京し、巷に流れる噂を知ってはいたが、噂は噂でしかないと思い、深くは考えなかった。

 それが江戸城にて正式に知らされ、驚天動地の混乱に陥る事となる。

 狼狽え、幕府の独断を批判し、開国を恐怖した。

 そんな中、騒ぐ者らを静止する声が上がる。


 「各々方、落ち着かれよ!」 


 低く、良く通る声が大名詰めの間に響いた。

 周りの者は騒ぎから我に返り、一体誰だと声の主を探す。

 その者は静かに前へと進み出た。

 最近、彦根藩主の座を襲封した井伊直弼であった。

 殺気立つ諸侯を前にし、一切動じていない様に見える。

 まるで戦を潜り抜けてきたかに見える直弼の落ち着きぶりに、諸侯は動転した気持ちが鎮まるのを感じた。

 直弼は場が静かになるのを待ち、静かに語り始めた。


 「余は長年、微睡まどろみの中で過ごしてきた。果たすべき本分を知らず、己の境遇を嘆き、世間を恨み、人を妬んできた。報われぬ思いを抱え、歌を詠って気を紛らわせる日々だ。」


 直弼は自らが名付けた埋木舎うもれぎのやでの生活を思い出した。

 後継者になるとも知れず、さりとて他の道も選べない、鬱屈とした毎日である。

 そんな直弼の告白に、大名の中には己の境遇と重ね合わせる者もいた。

 誰もがすんなりと藩主の座に就いた訳ではなく、飼い殺しに似た時を過ごしてきた者も多い。


 「そんな中、余の前に一人の怪しい者が現れ、外の世界へといざなってくれた。外の世界は広く、興奮に満ちていた。」


 台湾での日々が脳裏をよぎる。


 「民の生活を知り、その思いを聞いた。立場の違う者の事情を理解し、力だけでは問題を解決出来ない事を知った。微睡の中にいては気づかない、知り様が無い経験であった。」


 それはついこの間の事にも、遠い過去の出来事にも思える。

 ふと微笑が漏れる様な、そんな記憶であった。


 「今、余は晴れてこの場に立つ身となったが、もしもあのまま微睡の中に留まっていたらと思うと寒気が走る。果たすべき本分を知らぬままであったなら、得た権力に自惚れていただろう。己の境遇を嘆くままであったなら、舞い上がって己を見失っていただろう。世間を恨んだままであったなら、目にもの見せてくれると勘違いしただろう。人を妬んだままであったなら、情愛を持って人に接する事は出来なかっただろう。」


 それは自戒でもある。


 「我が国は今、重大な決断をせねばならぬ事態を迎えている。開国するのか鎖国を続けるかだ。」


 諸侯の間にどよめきが起きた。


 「諸卿の意見が割れるのも良く理解する。祖法を破るかどうかの瀬戸際なのだから当然だ。」


 頷く者は多かった。


 「以前の余であれば、反対する意見に耳を傾けもせず、強硬に開国を訴えていた事だろう。西洋の力は強大で、我が国だけでは対抗出来ぬのは明らかだからだ。」


 この言葉に頷く者も多い。

 

 「けれども今は違う。反対の理由もよく分かるのだ。徒に国を開けば西洋に我が国の富を奪われると心配し、アヘンを持ち込まれると懸念されているのだろう。その懸念は尤もだ。西洋は強欲で狡猾である。清国の二の舞になってはならぬ!」


 多くの諸侯が賛同した。 


 「しかしここで考えねばならぬ。どうして西洋が、我が国に対して国を開けと求めるのかを。我が国の富を狙っているやもしれぬ。彼らの品物を買わせたいのやもしれぬ。海を超えて行われる商売の、途中の休憩所代わりやもしれぬ。」


 言葉を続ける。


 「はっきりとは分からぬが、西洋には思惑がある。我らが国を閉ざしていたくとも、彼らの思惑が我らの思いを超えていれば、容赦なく国を開けと迫ってくるであろう。我らにその圧力を跳ねのける力が無ければ防ぎ様はない!」


 開国に反対する者は力無くうなだれた。

 反対しつつも、彼我の力の差には気づいている。

 暗い空気となった中、直弼は声の調子を変えた。 


 「脅かす様な事ばかりを言ってすまない。国の安寧に心を砕く諸卿らであるから、西洋に脅威を感じる気持ちは良く分かる。だが、こうも言えるのだ。これは我らが飛躍する機会でもあると!」


 直弼の断言にうなだれていた顔を上げる。


 「余はかつて、退屈ではあるが平和な微睡の中で惰眠を貪っていた。切っ掛けはどうあれ、外の世界を知り、己の力を試す機会を得た。外の世界は厳しかったが、その中での生活は充実していたのも事実だ。微睡の中では味わえなかった、満足感があった。」

 

 そう述べる直弼は、心なしか笑みを湛えている。

 聞いている諸侯は、偽らざる彼の本心を感じた。


 「国を開く事に不安を感じている諸卿らに言いたい。諸卿らが不安に感じる西洋の力は、騒乱の賜物でしかないと。戦を重ねる事で得た、不義の物に過ぎないと。対して、我らがこの太平の世で生み出した物は何であろう?」


 問われ、考えたが思い浮かばない。


 「それは国を平和に保つ道だ。為政者である我々が、自身を律する倫理を生み出したのだ。西洋を見ればそれは分かる。己の欲望を律する術を知らず、飽く事無く富を貪り、他国を力で支配する。我が国の為政者である諸卿らの在り様と、何と違う事だろう。」


 言われ、思わず赤面した。


 「争いは民に苦しみを与えるだけであると、神君家康公の元に纏まった我らの先祖は、まごう事無き慧眼の持ち主達であった。西洋を見よ。絶える事の無い戦に明け暮れ、あろう事かそれを他国でも繰り広げている。その地に住まう者らの辛苦は顧みず、戦火に晒して恥じる事はない。」


 その実例がアヘン戦争であろう。


 「西洋が歩いているのは覇道である。我らは王道を進まねばならぬ! 王道を進み、覇道に苦しむ者を救わねばならぬ! そんな我らが負けてはならぬ! 負けぬ為には西洋を知らねばならぬ! 西洋を知るには開国し、この目で西洋の力を確かめねばならぬ! 兵法に曰く、敵を知り、己を知らば百戦危うからずだ!」

 

 力強い断定に諸侯も納得した。


 「開国には不安を感じるであろう。それは否定せぬ。けれども、これより他に道は無いのを理解して欲しい。そして、諸卿らの不安を解消するべく、既に動き出している者らがいる!」


 これには一同驚いた。

 若干、笑いを堪えている様な藩主も見受けられる


 「佐賀の集成館に着目して欲しい。諸卿らの藩にとっても、有益な事業を研究をしている最中である。この集成館の成否如何によって、西洋との力の差は大きく縮まるだろう!」


 諸侯の中からどよめきが起きた。

 こうして、幕府による開国の決定は大した反対もなく了承された。

 それと共に、直弼の大老就任も決まる。

 その決定には、水戸藩主斉昭の口添えの影響も大きかった。




 『…………貴国を取り巻く状況を鑑み、速やかな開国を勧告致します。』


 軍艦パレンバン号のコープ船長により、オランダ国王の親書が読み上げられる。

 

 「長年に渡りよしみを通じてきた貴国の忠告、有難く受け取ろう。」


 諸侯が固唾を呑んで見守る中、将軍家慶がそれを受け取った。

 そして、 


 「この場を借りて宣言致そう。我が国は十年後に開国する。」


 12代将軍家慶により、十年後の開国が宣言された。

 それは直ちに城下に知らされ、瞬く間に全国へと広まっていく。

 その報せは民衆だけでなく、各藩の藩士達にも衝撃を与える事となる。

 以降、西洋への関心は高まり、蘭学は一層注目を浴びていく。 


 なお、幕府は開国を見据え、コープとの間で協議を重ね、以下の点で暫定的な同意を得た。

 コープは正式な外交官ではないのでオランダ政府を代表して決定は出来ない。


 一つ、開国は十年後を目安に実施する事。

 一つ、開国の準備に、意見番としてシーボルトの再派遣を求める事。それに関し、以前の彼の罪は解くものとする。

 一つ、シーボルトの派遣に付随して、各界の専門家の招来も併せて願う事。

 一つ、オランダ商人の、出島への出入りの制限を緩和する事。

 一つ、日本の商人の、出島での商売を緩和する事。

 一つ、各藩の特産品を扱う産物所を、出島に設ける事。 

 一つ、開国の方法に関し、今後も協議を続けていく事。その為の出張所を出島に設置する。


 以上である。




 一方、松陰は長州藩下屋敷にて来客の訪問を受けていた。


 「あなたはまさか、佐久間象山先生?」 

 「ほう? この天才象山を知っているのか?」


 それは顎髭を撫でる写真で見た通りの、佐久間象山その人であった。

 

 「いえ、まあ……。それにしても天才を自称する人だったとは……」

 「天才を天才と呼んで何が悪い? しかし貴様、この象山の事を知っているとは見所のあるヤツだな。江川大明神に紹介されて来たが、良し! 喜べ! 貴様をこの天才の弟子にしてやろう!」

 「え?」


 こうして、押しかけ師匠の象山を得た。

 十年後の開国に向け、準備は進む。

突然ですが次から新章に移り、ペリーがやって来ます。

開国までの道のりを展開しようかと思いましたが、本筋が進むことを優先します。

途中の出来事は何回かに分け、年表形式で説明したいと思います。

細かいエピソードが多いし時間がかかりそうで、ダレてしまいそうなので、思い切ってカットします。

ご了承下さいませ。

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