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軍艦、カステラ、いねかり ★

 オランダの軍艦パレンバン号の見学会は、和やかな空気の中で始まった。

 佐賀藩主自らが乗船を希望したとあって、艦長であるコープが先頭に立って艦内を案内した。

 藩主が西洋の船に乗船するなど、日本に長く滞在するオランダ商館員も聞いた事がない。

 どうなるのかと心配する気持ちを抱えながらも、初めて見る西洋の軍艦に目を輝かせているチョンマゲ達に親しみを覚えつつ、目の前の事態を見守った。


 直正、茂義、正睦らは、興味津々な表情でコープの説明に耳を傾けた。

 見る物みな珍しく、好奇心は尽きない。

 あれは何だ、これは何をする物だと質問攻めにした。 


 『ここで操舵します。』

 「ほう!」


 コープが操舵を実演し、直正に体験を勧めた。


 「これは有難い。では、好意に甘えるとしよう。」


 上機嫌な表情で舵を操作する。

 その後には順番待ちの列が出来ていた。

 そのようにして時間が過ぎていく。

 中でも一同が盛り上がったのは、艦砲の試射時であろう。

 

 「これが西洋の大砲か!」

 「飛距離が段違いだな!」

 「見ろ、この精巧な作り!」


 砲撃を鑑賞し、賞賛を口にした。

 しかし、陸で見守っていた群衆には堪ったモノではない。

 突然の砲撃に肝を潰し、すわ侵略かと慌てるのだった。

 けれどもそれ以上、船に動きは無い。

 ただの試射だと気づき、ようやく落ち着きを取り戻した。


 そんな群衆の中に、周りの目を惹く姿の者が一人いた。

 黒髪ばかりの中、やや赤みがかった髪を結上げ、整った目鼻立ちをした女が立っている。

 意志の強そうな目でしっかりと見据えるその先には、沖に佇むオランダ船があった。

 固く結んだその口から言葉が発せられる事はない。

 ただ黙って船を見つめるばかりである。

 そんな彼女を遠巻きにし、ヒソヒソとした声が漏れた。


 「ほら、あれが異人との間に出来た娘だよ。」

 「父無し子かい?」

 「船を見つめて何を考えてるんだろうねぇ。」

 「大方、あの船に乗り込む方法だろうさ!」

 「船の異人をたぶらかすつもりじゃないのかい?」

 「おお、怖い!」


 自分に対する中傷が聞こえていない筈はない。

 けれども、彼女の表情には何の変化も無かった。

 黙ったまま踵を返し、スタスタとその場を後にした。 


 「図星だったのかねぇ?」

 「そうだろうさ! 何て言っても、御禁制の地図を持ち出そうとして追放された異人の娘だよ?」

 「親子揃ってとんでもないねぇ!」


 本人がいなくなってからも噂話は続く。




 「思いもかけず、大変有意義な時を過ごせた。何か礼をせねばならんな……」


 直正が呟いた。


 「儂はもう少し話を聞きたい所だ。のう、秋帆?」

 「はい。大砲について伺いたいですね。」


 茂義や秋帆にとっては、大砲についてまだまだ聞きたい事が多い。

 その意を受け、松陰が提案する。 


 「彼らは長い船旅の筈でございます。温泉にでも招待し、疲れを癒して頂いてはどうでしょう?」

 「それは良いな!」

 「うむ。もっとじっくりと話を聞ける!」


 という事で、反対意見も出ずに決定した。




 「これがカステラ?!」  


 松陰は驚いていた。

 前世で記憶するカステラとは違っていたのだ。

 オランダ人を招いての慰労会には時間がある。

 その間を縫い、長崎と言えばカステラだと、有名なカステラのお店、福砂屋を訪れていた。 

 

 「美味しいですね、先生!」

 「初めて食べました!」

 「美味しい!」


 驚いている松陰を他所に、店の横の茶屋で味をみた帯刀らは絶賛した。

 正直、甘味はそこまで強くはなく、どちらかというと物足りない。

 けれども、甘味に飢えがちな当時であるので、松陰には物足りないカステラも立派な贅沢品であった。

 喜んでいる子供達を前にし、ケチをつける訳にもいかない。

 

 「そうですね、美味しいですね。ただ、もっとこう、しっとりふんわりだと嬉しいんですけどねぇ……」

  

 前世のカステラをふんわりモチモチの食パンだとすれば、このカステラはどっしりずっしりなドイツの黒パンを思わせる。

 これはこれで美味しいのだが、やはりふんわりしっとりな美味しさが頭からは離れない。

 この時代に贅沢な注文である事は分かっていたが、それでもなお求めてしまうのは、知っているが故の不幸であろう。


 「しっとり感は確か水飴だった筈。ふんわりはちょっと想像がつかない……。どうしよう? あ、そうか。家定様に作ってもらえばいいのか……」


 我ながらナイスアイデアだと考えた。

 妄想でニヤニヤしている松陰を訝しんだ訳ではないだろうが、新平が尋ねる。 


 「あの、先生の野望って何なのですか?」


 次貫斎と松陰の会話を聞いていたのだろう。

 野望と聞いて、穏やかでない雰囲気を感じたのかもしれない。

 松陰の身を案ずる気持ちで、その言葉の意味する所を確かめたかったのだ。

 新平の心配げな顔に、弾んだ妄想もたちまち萎む。

 真面目な顔つきに戻り、答える。


 「私の野望は、簡単に言えばこのカステラですね。」

 「えっと?」


 新平は面食らった。

 カステラが野望?

 意味が分からない。

 そんな新平に松陰が続けた。


 「新平君はこのカステラをどう思いましたか?」

 「美味しかったです!」

 「価格についてはどうですか?」

 「高いです……」


 新平の父親は下級藩士で、おいそれとはカステラを買う事は出来ない。

 だからこそ珍しかったのだし、その甘さを思う存分堪能した。


 「私の野望は、このカステラを日の本全体に行き渡らせる事ですね。」

 「日の本全体、ですか?」

 「そうです。この美味しいカステラを、毎日とは言いませんが、お目出たい日には食べる事が出来る様にする。身分の上下に関わらず、気軽に買える様にするのが、私の願う所です。」

 「そ、そうなのですか!」


 本当の所を言えばカステラでなくカレーである。

 カレー色に日本列島を染め上げるのが、究極的な目標であったりする。

 それこそが本心ではあったが、カレーを知らない新平に説明する訳にもいかず、例えとしてカステラにした。


 「民が気軽にカステラを買える様になるには、主に二つの解決策があります。分かりますか?」

 「一つは、カステラの値段が安くなる事ですか?」

 「そうですね。今は砂糖の価格が高いですから、当然カステラも高くなりますね。砂糖といった原料の費用が下がれば、カステラの値段も下がるでしょう。」

 「はい。」


 当時の砂糖は奄美琉球が主産地で、しかも薩摩藩が専売していたので価格も高かった。

 台湾と繋がりを持った今、産地の分散化が図られる。

 薩摩藩にとっては堪った物ではないかもしれない。

 そしてもう一つ、産地を増やす策があったが、それは未だ手付かずだ。


 「では、もう一つは?」

 「え、えっと……」

 「たとえカステラの値段が同じでも、買う方の……」

 「分かりました! 買う者の持っているお金が増えれば良いのですね!」

 「その通りです!」


 所得が上がれば当然、購入出来る物品は増える。


 「金は天下の回り物と言います。今、我が国は藩で関所を設け、気軽には他藩を行き来出来ません。関所を無くし、道を整備し、人々の往来を活発にすれば、それだけでもお金は天下を回りやすくなるでしょう。」

 「その為のセメントですね!」

 「そうです。」

 「松陰殿は相変わらずでござるなぁ。」


 亦介がため息交じりに呟いた。 

 講義は結構な事だが、相手が幼過ぎる様にも思われる。


 「あれ? 亦介さんがどうしてここに?」


 宴会には時間があるので、不思議に思った松陰が尋ねた。

 

 「拙者、これで萩に帰ろうと思うのでござる。」

 「そうなのですか?」

 「敬親様も萩でござる。集成館の成果を早く持って帰り、ご説明したいのでござるよ。」

 「そうでしたね! どうぞ宜しくお願い致します。」

 「任せるでござる。」


 集成館の事業は、全国規模で活用する事を目的としている。

 出来れば各藩にも広報したい所だ。


 「そこで、先ほどの松陰殿の話にあった、金は天下の回り物でござる!」

 「はい?」

 「拙者が天下の間を回してくるでござるよ!」


 そう言って亦介は手を出した。

 

 「亦介さんも相変わらずですね。」

 「照れるでござる!」

 「いや、褒めてないですよね?」


 ぼやきつつ、懐から銭を取り出し、渡した。


 「父上達にはカステラを宜しくお願いしますね。」

 「分かっているでござる! では、御免!」


 亦介は上機嫌で走り去った。 

 松陰は苦笑して見送り、新平達に言う。


 「あれは亦介さんだからこそ、ですからね。ああ見えて、困った時には力になってくれる頼もしい味方ですから。」


 問われてもいないのに説明する松陰であった。

 

 


 「御免下さい!」


 ようやく探し出したその家は、出島にほど近い一画にあった。

 家計は苦しいのだろう、生活に余裕は無さそうである。 


 「お侍様が一体何の御用でございましょう?」


 そんな家の中から出てきたのは、年の頃同じくらいの女性であった。

 一見して分かる、見た目の違い。

 お目当ての人物に間違いないだろう。


 「こちらは、かの高名なシーボルト先生に所縁ゆかりのあるお方のお宅だと伺いました。」

 「そうですが、何か?」

 「それでは、あなたがシーボルト先生のご息女であられるイネさんですか?」

 「その様です。」

 「良かった! 時間がありませんので単刀直入にお話し致します。イネさん、女医になって頂けませんか?」 

 「はい?」


 イネにとり、寝耳に水な話が始まる。




 「イネ、どうしたんだい?」


 夕餉時、芸事の指導から帰ってきていた母瀧が尋ねた。

 考え事をしているのか返事も上の空で、普段とは違う娘の様子に首を傾げた。

 いつもは四角四面なくらいにきっちりしている娘なのだが、今日はどうにも勝手が違う。

 一体どうしたのだと心配した。


 「母様、父上が戻ってこられたらどうなさいますか?」


 娘の答えは母の予想を超えていた。


 「ど、どうするって、アンタ……」


 思わず言葉が詰まってしまう。 

 過去、何度それを考えた事か分からない。

 けれども、その度に出てくる答えは決まっており、あり得ない、の一言であった。

 御禁制の地図を国外に持ち出そうとしたのだから、金輪際日本に来る事は許可されないだろう。


 「お前の父様はそりゃあ立派な方だったけども、許されない事をやってしまったからねぇ……」


 そう言うのが精一杯である。


 「そうですか……」


 やはり娘の返事はそっけなかった。

 そして、


 「母様、私は医者になろうと思います。」

 「へ?」


 今度こそ、母は間抜けな顔を晒した。

挿絵(By みてみん)

イネの力を借りたい、略して“いねかり”です。

イネさんがどの様な外見をしていたのかは、写真はありましたが白黒だし、詳しくは分からないので適当です。

なお、外見について殊更に言い募る意図はございません。

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