開国勧告パレンバン号
前話を一部修正し、薬莢の排出の描写を入れました。
時間の都合で自動排出までは実装出来ず、道具を使って薬莢を出します。
それと、模型を作るに当たり、スプリングなどを開発した事にも言及しました。
長崎出島は長崎半島の、東シナ海に面した位置にある。
1635年に完成し、以後西洋人との接触はこの地に限定されてきた。
ポルトガル人が日本から追放され、イギリス人がオランダ人との競争に敗れてからは、西洋人としてはオランダ人のみが出入りを許可された。
その出島を管轄する長崎奉行所は、いつになく緊迫した空気に包まれていた。
長崎港の沖合に、オランダの軍艦パレンバン号が突如として現れたからである。
商船とは違い、明らかな軍装のその船は、三本マストの帆船であった。
オランダの国旗を掲げ、悠然と鎮座するその姿は、かつて長崎で起きた事件の再来を思わせる。
長崎奉行の伊沢美作守政義は、顔が強張るのを感じながらも、注意して事態の推移を見守った。
頭をよぎるのは、35年前のフェートン号事件である。
イギリス軍所属のフェートン号が、オランダ船と偽って長崎港に侵入し、出迎えたオランダ商館の人員を人質に取った事件だ。
当時のオランダはフランスの支配下にあり、フランスと仲の悪かったイギリスが、世界各地でオランダ船を拿捕して回っていたのだ。
事件自体は日本側には何の損害もなかったが、自国で外国人に狼藉を働かれ、しかも守備の不備が露呈したこの事件は、当時の長崎奉行が責任を取って切腹する結果となった。
長崎の防備を担当していた佐賀藩も家老数人が切腹し、現藩主直正の父斉直は謹慎処分となっている。
経費節減の為、勝手に守備兵を減らしていた事が判明したからだ。
直正の軍備への思いは、この失態と不名誉を恥じての事であった。
政義はそれらを思い出し、顔を青くしてオランダ船の動きを見守った。
「佐賀は佐賀で、大変な事が起きているでござるなぁ。」
亦介の呑気な声が聞こえてきた。
準備を整え、いざ長崎へという段になって飛び込んできた、もう一つの報せ。
「才太が彦根藩主になったでござるよ!」
と、亦介が萩より伝えに来たのだった。
直正を筆頭に長崎へと向かう中、事の詳細を次貫斎に問うた所、既に彦根とは縁が無いと言うばかり。
重ねて尋ねて初めて、昨年に藩主の座を譲った年の離れた弟が、就任したばかりで病に斃れたと言う。
冬の間に彦根の者が相談に訪れ、才太の次期当主就任を勧めたそうだ。
「悲壮な雰囲気のお客さんが多いなと思ってましたが、そういう事でしたか……」
「すまんな。内密にせねばならぬ故、黙っておった。」
「それは構いませんよ。でも、そうですか。才太さんは直弼様に戻られましたか……」
「あやつは、あの娘との暮らしを気に入っていた様だがな。今更戻りたくはなかったかも知れぬ。」
妻お菊と愛息子藤太に囲まれ、満足げであった弟の表情を思い出し、次貫斎はフフッと笑った。
「そこは責任感のある方ですから、藩の事を第一に考えるでしょう。」
「藩を第一に、か……。案外、藩を無くす為かもしれぬな。」
「え?!」
「その方が散々言っておった事だろう? あやつは、最も身近でそれを聞いていたのではないのか?」
「それはまあ、そうかもしれません……」
次貫斎の指摘は正しい様に思われた。
「井伊家は大老に選ばれうる家柄。直弼がもしもそうなれば、その方の野望も叶い易かろう?」
「そうですね……」
史実では大老に就任し、安政の大獄を引き起こす井伊直弼。
吉田松陰もそれに巻き込まれて命を落とすのだが、その事もあって直弼に影響力を、という考えがあった。
その思惑は見事に的中し、今ではすっかり松陰の良き理解者である。
「しかし松陰殿は初めから知っていたのでござるか? 人が悪いでござるよ!」
亦介が咎める様に言う。
弟分として接していた才太が、譜代である彦根藩井伊家に連なる者だったと聞かされたのだから、亦介でなくても驚くだろう。
京では博打場へ連れて行き、遊女まであてがったのだから尚更だ。
今となっては冷や汗が流れる心境である。
「才太さん、いえ、今は直弼様ですか。その直弼様直々に、正体を隠して普通に接して欲しいと頼まれましたからね。」
「それにしてもでござる!」
「今となっては良い思い出ではないですか。何といっても、将来の大老様かもしれない相手に、兄貴呼ばわりされていたのですから。」
「それを言わないで欲しいでござる……」
穴があったら入りたいとは、この様な時に使う言葉だろう。
「亦介さんはまだ良いにしても、大変なのはお菊さんではないのですか? お菊さんはどうされましたか?」
才太が彦根藩主に就任したとなれば、お菊の立場はどうなるのか?
松陰は亦介に尋ねた。
お菊の名に、亦介は再び勢いづく。
「そうでござった! お菊殿が一番大変でござる! 二人目を授かったばかりでござるのに、夫が実は彦根藩のお殿様でござったとは!」
「二人目? それはおめでたいですね!」
「そんな事を言っている場合ではござらん! 拙者、お菊殿の松陰殿への伝言を預かっているでござる!」
「え?」
お菊からの伝言という言葉に松陰は戸惑った。
「では言うでござる。お菊殿の言葉を忠実に再現するでござる。」
「は、はい。」
「松陰君、何で言ってくれへんかったん? 才太様が井伊様の弟様やったなんて、うち、恥ずかしいわぁ! 自分とこのお殿様のお顔も知らんかったやなんて、藤丸ちゃんに何て説明するん? 母ちゃんなぁ、井伊様とは知らんと結婚したんやでぇって、うち、よう言わんわぁ!」
「じょ、上手ですね……」
声色までそっくりな亦介の演技である。
物真似を続けた。
「それにじいちゃんもじいちゃんやで! お城まで行ってたじいちゃんが、才太様の正体を知らんかった筈ないやんなぁ! 才太様と夫婦になる言うた時には、えらいニコニコしてるなぁ思うたけど、今思うとこういう事やったんやな! 何がこれから才太様は大変な事になるかもしれへん、や! こうなる事が分かってたんやな! 人を驚かせるのが好きなじいちゃんやったけど、これはちょっと度が過ぎとるでぇ。せやけど今更じいちゃんに文句は言えへんさかい、松陰君に責任を取ってもらうでぇ! 以上でござる。」
「な、成る程……」
「くくくっ」
隣で聞いていた次貫斎は、亦介の物真似が上手であった事もあり、笑いを堪えるのに必死であった。
松陰は弁解する。
「そうは言ってもですね、才太さんとお菊さんがいい仲になったのは、台湾で私が病に臥せっている時でしょう? 知らない間にいい感じになっているから、そっとしておいたんですよ。それに、お菊さんが才太さんのお顔を知らないでいたのは、私の責任ではありませよね? 第一、一番悪いのはお菊さんの言う通り一貫斎殿であって、私ではないですよ!」
「拙者に言われて知らんでござる。」
「くっ!」
松陰はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
「申し開きはお菊さんに会った時に致しましょう。で、お菊さんは今どうされているのですか?」
「お腹も大きくなってきたので、江向でお産の準備でござる。そう言えば、松陰殿のご母堂も、無事に女児を出産されたでござるよ。」
「それは良かった!」
四女文である。
昨年秋の段階で母お滝のお腹は大きく、松陰は大丈夫かと心配していたのだが、無事に産まれたと聞いてホッとした。
「そう言う松陰殿はどうなのでござる? 吉乃殿は、やや子を授かったでござるか?」
亦介がニヤニヤして尋ねた。
江戸からの道中、吉乃が松陰の赤ん坊を欲しいと言っていた事を思い出し、からかうつもりで口にした。
しかし、松陰の顔色は悪い。
「どうしたでござる?」
「すぐには難しいかもしれません……」
思ってもみなかった松陰の返答に亦介はギョッとした。
「どうしてでござる?」
「吉乃さんは長年、白粉を使っていました。白粉には人体に有害な鉛が含まれています。鉛は体内に蓄積しますので、それが悪影響を及ぼすかもしれません……」
「だから松陰殿は、元琰殿に新しい白粉の開発を頼んだのでござったか……」
「はい。」
遊女、大奥女中は白粉を大量に消費した。
肌の白さは七難隠すと言われており、女性達は白い肌への拘りがあった。
鉛を使う事によって使用感の良い、しかも安価な白粉を供給する事が可能となり、増える需要に対応出来たのだ。
しかし、鉛は人体への悪影響が大きい。
次期将軍家定の脳性麻痺も、乳母が白粉を使った事による鉛中毒という見方がある。
明治になって鉛の害が広く認識される様になっても、女性達は使用するのを止められなかったそうである。
それもあって、鉛を含まず、使用感の良い白粉の開発は必須だ。
闇雲に禁止しても密かに出回るだけである。
「吉乃さんには五穀、野菜、果物を中心に食事をしてもらっています。体内に溜まった鉛を排出出来れば、あるいは……」
「良く分からんでござるが、そうでござるか……」
亦介が頷いた。
一方、長崎奉行である政義は決めかねていた。
オランダ船は沖合から動かない。
出島に駐留するオランダ商館員に頼み、来訪の目的を探っていたが、どうも日本に開国を勧めに来たらしい。
政義は仰天した。
そんな大それた事をしに来た相手への対応は、たとえ出島への出入りを許されているオランダ人であろうと、自分が軽々しく判断する訳にはいかない。
政義は幕府に遣いを出し、その指示を待つ事にした。
その間、パレンバン号にはその場に留まってもらう。
そしてそんな政義の下に、佐賀藩主鍋島直正が兵力を伴って駆け付けた。
それも、老中である堀田正睦を伴って。
政義は歓喜した。
この胃の痛くなる様な状況から解放されるのだ。
全ての判断を正睦に任せれば良いので、大歓迎で彼を迎えた。
『……諸国の情勢を鑑み、貴国の速やかなる開国を提案致します。』
オランダ国王ウィレム2世の親書を、軍艦パレンバン号のコープ艦長が政義に伝える。
それをオランダ語通詞が通訳した。
「この度は、貴国の忠告感謝致す。」
長崎奉行として謝意を述べた。
「ついては、江戸にて貴殿と会談を持ち、親書を受け取りたいとの仰せが御公儀から出ておる。江戸に向かうに、支障はあるか?」
『何ですと?!』
通詞のオランダ語を聞き、コープは驚いた。
まさかそんな展開になるとは思ってもみなかったのだ。
今回の親書は、日本に滞在していたが追放され、オランダ政府に雇われていたシーボルトの提案によるものである。
アヘン戦争の二の舞を避けて欲しいという、彼の日本愛の賜物だろう。
しかし、そのシーボルトでさえも、日本幕府が簡単に動くとは思っていない。
幕府の、前例を踏襲しようとする頑なな態度は知れ渡っていたので、オランダ政府としても形だけの開国勧告であった。
利益を独占していると諸国にみなされるのを防ぐ、一種のポーズである。
そうであるので、コープとしても親書を幕府に手渡せるとは考えていなかった。
長崎奉行所で会見するのが精々だろうと考えていた。
それが、江戸にて親書を渡せるなど、思いもよらない申し出である。
『喜んで江戸まで向かいます!』
通詞を通じ、返答した。
政義は破顔する。
「それは有難い。そしてこれはお願いなのだが、貴殿の乗る船を見学させて欲しいのだ。宜しいか?」
『何ですと?』
「いや、無理にとは言わん。実は佐賀の鍋島公が貴殿の船に興味を抱かれてな。是非ともと申されておるのだ。」
『そうですか。それは光栄です。喜んでご案内します。』
「それは真に有難い。」
コープとしても拒否する理由は無い。
こうして、パレンバン号見学会が開かれた。
パレンバン号は一年遅れ、直弼の藩主就任は五年前倒しです。
子のいなかった直亮(3男)は、弟の直元(11男)を養子にして後継者としましたが、1846年に直元が亡くなってしまいました。
ですので、直弼(14男)を後継者にしました。
直亮は1850年に亡くなり、直弼が藩主に就任です。
物語の中で直亮はいないので、直元が斃れれば直弼の就任となります。
直元には申し訳ないのですが・・・




