長州藩改革の旗手村田清風
年の頃50代の男が一人、自身の屋敷の縁側に座っていた。
考え事をしているのか庭の一角を見据え、両腕を組み、時々思い出したかの様に頭をもたげ、大きく息を吐き出している。
その顔には隠せぬ疲労が滲んでいた。
男の名前は村田清風。
長州藩士村田光賢の長男として天明三年(1783年)に生まれた。
藩校明倫館では学業優秀であり、9代藩主斉房の小姓として文化5年(1808年)より仕えた。
以後長州藩の要職を歴任し、天保8年(1836年)に13代藩主として敬親が就任すると藩政の重役に登用され、藩政の実権を掌握した。
藩政の実権を掌握したのは改革を推し進める為であったが、その前途を思うと胸中は不安にあふれていた。
なんせ藩の借金が多すぎるのだ。
藩主敬親が家督を継ぐ頃には藩の借銀は9万貫に達していたのである。
一言で言えば無茶苦茶な額である。
そうなった理由としてはいくつかある。
大殿である10代藩主斉熙の江戸での浪費、開藩以来の問題である数の多い家臣団への俸禄、歴代藩政における経済政策の失敗と、その失敗を検証しない事から同じ事の繰り返しを犯してしまった事であろう。
そんな中で藩政改革を藩主敬親に期待された清風は、まずもって倹約を徹底し、支出を抑える事から始めるのだった。
しかし、清風の不安は藩の借金経営だけではない。
江戸にて兵法や海防策、経世論などを学んだのだが、諸外国からの脅威が増している現状を憂えてもいたのだ。
長州藩沖の海には外国船が出没し、近頃は城下でも騒ぎとなっていた。
海防の軍備を強化すべきなのだが、その為にはお金が必要なのだ。
藩の借銀の前にはそれもままならない。
清風の抱える悩みは尽きない。
「御前様、あまり根をつめていてはお体に障りますよ? お茶でもいかかです?」
妻お美代がお盆を持って声をかけた。
お美代は長年連れ添った女房である。
藩と江戸とを行き来する忙しい夫清風を支え、これまで共に歩んできた。
元気の盛りはとうに過ぎた夫の身を案じるものの、その肩にかかった責務の大きさもまた理解している。
「ああ、すまんな。頂こう。」
お美代は清風の斜め後ろにすっと腰を下ろし、手早く準備する。
その様子を見るとも無く見ていた清風は、お茶請けとして出された見慣れぬ食べ物らしき物に興味を覚えた。
「何だそれは?」
お茶請けにお美代が持ってきたのは見た事も無い物であった。
何やら狐色にこんがり焼けたらしい非常に薄くて丸い代物と、柿の種にも似た物が皿に載せられている。
「近頃城下で評判となっているポテチなるお菓子と、柿の種という名のおかきでございますよ。」
笑ってお美代がまずはポテチという怪しげな物を一枚手に取り、清風に手渡した。
清風は手に取り、持ち上げ、香りを嗅いだり、近くで観察したり遠くから眺めたりした後、意を決して口に放り込んでみた。
パリッとした食感が印象的であり、薄く塩が効いてあるだけの、何ともあっさりした風味であったが、そのあっさりした風味が幸いしてか、ついつい次へと手を伸ばしたくなる美味さであった。
その次には柿の種を食べてみる。
なるほど、見れば柿の種に見た姿形をしており、非常にうまい名づけだと感じた。
味は唐辛子がピリリと効いた醤油風味であり、清風の好む所であった。
その中に混じって南京豆も入っている。
柿の種と南京豆の風味がそれぞれを活かし、これまた後引く美味しさであった。
「ふむ、悪くないな。このポテチなる物は焼いておるのかと思えば油で揚げておるのじゃな。しかし、一体何を揚げておるのやら。この柿の種なる物もまた見事じゃ。ピリリと効いた唐辛子が実に美味い。」
ポテチなる物が油で揚げている事はすぐに分かった清風。
手についた油を見れば一目瞭然である。
しかし、それが何なのかまではわからない。
丸い所をみると薄い煎餅とも考えられるが、煎餅を揚げてもこのような味にはならない気がする。
柿の種の方は、餅を焼いたものである事はすぐに分かった。
食感もそれであったのだ。
「御前様にもわかりませなんだか。私も初めはわかりませんでした。このポテチなる物はジャガイモを揚げた物でございますよ。」
笑って答えを告げるお美代。
意外な答えに清風も驚いた。
「何? ジャガイモ? あの味の無い、醤油で煮るか蒸すかしか使えないあのジャガイモなのか?」
当時は、ジャガイモは味のしない、煮て味をつけて食べるか、蒸して味噌をつけて食べるしかない物という認識であった。
「私も驚きました。あのジャガイモを薄く切って油で揚げ、塩を振っただけでこんなに美味しくなるのですから。」
「なるほど、それだけなのか。それだけでこうなるのか。これがあのジャガイモとは信じられぬな。」
「驚きでございますね。」
「まさに、驚きであるな。しかし、悪くない。」
「そうでございますね。」
「この柿の種もなかなかじゃぞ。」
「程よい辛さが丁度良いですね。」
「……」
「……」
次々手が伸びていく二人である。
あっという間に完食してしまった。
「なんだ、もう無くなってしまったのか。それに指が油でベトベトではないか。」
不満げな清風である。
指の油を名残惜しむ様に舐めとってしまう。
「お行儀が悪いですよ。」
そういうお美代もつい、その指についた油を口に含み、舐め取るのであった。
薄い塩味のポテチと、程よい辛さの柿の種の後のお茶もすこぶる旨かった。
ほっと息の出る清風を、お美代はにこやかに見守る。
「難しいお顔をされておりましたが、一息つけた様でございますね。」
妻に言われ、気づいた清風も笑みがこぼれる。
「そうだな。さっきまでの憂鬱な気分が嘘の様であるな。」
「それはようございました。遠くまで買いに行った甲斐もあるという物です。」
「うむ。ありがとう。」
「いえいえ、どういたしまして。」
依然として藩の問題は問題のままであるが、一息つけた事で気分も新鮮なモノとなった。
それに、煮るか蒸すかしか無いと思っていたジャガイモが、薄く切って油で揚げるというごく簡単な方法で、こんなに美味しくなると知ったのだ。
柿の種も、煎餅といえばこれまでは醤油味くらいしか知らなかったが、それに唐辛子を入れ、形を変えて商品とするとは。
それに名前も素晴らしいではないか!
清風は感心していた。
双方共に単純な工夫である。
しかし、その単純な変化が大きな違いを生むと知った。
長州藩の問題も、これまで自分が考えてきたのとはまるで違う方向からの視点で、解決への糸口が見つかるのかもしれない。
後から考えればなんだそんな事かと思える様な、簡単な工夫で改善していくのかもしれない。 そんな風に思う清風であった。
藩の前に横たわる様々な問題の解決へ向けて希望が湧いた瞬間である。
「ところで、これを売っているのはどなたか御前様はご存知ですか?」
お美代がおかしな事を聞いてくる。
今日初めて見た食べ物であるのに、これを誰が売っているのかなど知る訳がないではないか。
そう思ったがすぐに考え直す。
お美代がそんな分かりきった事を聞く訳が無いからだ。
それを分かっていながら尚質問するという事は、お美代も自分も知っている人物であるからだろう。
清風は考える。
そうとなると誰だろう?
この様な事を考え付く人物とは一体……。
一番可能性の高いのは屋敷に出入りしている商人達であるが、それならば新商品だと言って真っ先に自分にも一声かけてきそうなものだ。
城下で流行っているという事は、売り出したのは昨日今日という訳ではあるまい。
だから出入りの商人ではない。
では城内の誰かである……事はないな。
その可能性は無い。
自分の知る範囲には、そんな事を思いつく頭の柔らかそうな者は自分を含めていないと思う。
なので城内でもない。
お美代も知っているというのなら、残りは明倫館の師範の誰かであるしかないが、それなら納得もつく。
蘭学を学んでおる者もいるのであるし、この様な食べ方を考え付く者もいるだろう。
そもそもこのポテチなるものは、西洋の食べ物かも知れぬではないか。
「明倫館の師範の誰かではないのか?」
お美代は笑っている。
やはりそうか!
では、誰だろう?
一番考えられるのが室井、市橋、田中といった面々であるな。
しかし、奴等であれば真っ先に私に持って来そうなものだ。
得意になって見せびらかしに来るだろう。
従って彼等ではない。
とすると、一体誰だ?
考えられそうなのは……。
心当たりはあるものの、決定打に欠ける。
そんな夫の様子に、
「御前様、そんなに迷う様な時は全く逆に、有り得ないと思う人を考えてみるのも手ではないですか?」
「なぬ? 有り得ない?」
「そうでございます。」
お美代が言った。
そう言われ、清風はまた考え込む。
「こんな事をやるはずがない人物といって、一番初めに思い浮かぶのは玉木文之進であるな。あやつがこんな商人の真似事などするはずがない。何せ頑固一徹、金儲けなど武士の沽券に関わると公言して憚らぬ男である。あやつだけは有り得ないな。……ぬ? まさか玉木なのか?」
「御明答。その玉木様でございますよ。」
「何?! 本当か? 本当にあの玉木がか? この前城で顔を合わせた時には何も言わなんだが……。ふーむ、あやつがこの様な物を考えつき、あまつさえ売るとはな。なんぞ心変わりでもしたのかのう。」
驚く清風。
玉木文之進は己に厳しく人にも厳しい性格で、明倫館でもそれは有名であった。
清風の屋敷にも何度か訪ねて来た事があったので、お美代とも面識があったのだ。
そんな玉木文之進の、清風が聞いた中で一番驚いたエピソードは、学問中に甥が額に止まった蚊を叩いた事に激昂し、殴る蹴るの折檻をしたらしい事だ。
文之進に言わせれば公私混同したからだそうだ。
文之進の甥は吉田家を継ぎ、その吉田家は代々明倫館の山鹿流兵学師範を勤めてきた家柄である。
吉田家の当主となる者にとっての学問とは藩への奉仕であり、文之進はそれを公だと言うのだ。
その最中に自分の事を気にした甥は、私事に囚われたとみなしたのである。
そう言われれば確かにそうかもしれないが、文之進の甥は当時6歳かそこらと聞いた。
元服でもした者なら折檻も止むを得ないかもしれないが、6歳児にそれを求めるのはあまりに厳しいと感じる。
それに、清風自身、藩での奉公中は厠に行くのだ。
生理現象を止める事は出来ない。
文之進は厠へ行く事すらも私事だと言うのであろうか?
そんな文之進が自分の屋敷で食べ物を売る?
全く驚きではないか!
「御前様も見に行かれてはいかがです? 面白い物が見れると思いますよ?」
「面白いものじゃと? ふむ、そうか。御前がそう言うなら今度訪ねてみるとしようかのう。」
どんな顔で文之進がこれを売っているのか是非見てみたいものだ。
清風は面白くなった。
余談であるが、村田清風の別宅跡は萩市内に残っているので参考までに。
別宅であって本宅ではないようだが。
村田清風の邸宅は萩の西に位置し、玉木文之進旧宅は東の松本川を越えた場所にある。
吉田松陰生誕地の団子岩は玉木文之進旧宅の更に奥に位置する。
清風宅近辺には高杉晋作や久坂玄瑞の誕生地などなど盛りだくさんである。
玉木文之進旧宅周りには伊藤博文旧宅、松下村塾四天王の一人吉田稔麿旧宅跡などがある。
もちろん、吉田松陰生誕地はその近くだ。
清風が妻と散歩がてら、にしては距離があるのだが、玉木邸のある松本村まで出掛けたのはその数日後だった。
偶々屋敷で寛いでいる際、今日などいかがです? と妻が言うのでそうしたのだが、他の日でもよいはずなのに、わざわざ今日というのが気になった。
とはいえ、妻が何か企んでいる様なので、さて何が待っているのやらと、玉木邸につくのが楽しみになった清風である。




