丸炉と大島高任
一人の男が街道を急いでいた。
十代後半に見えるその男の足取りは軽い。
晩秋の少し肌寒い空気の中を、真剣な表情で黙々と進んでいた。
考え事をして独り言が出ているのか、時折口元が動いている。
「鉄を作らねば……」
思いつめた顔で呟く。
「砂鉄では間に合わぬ……」
悲壮さがにじむ。
「佐賀へ行かねば……」
その為に、こうして道を急いでいるのだ。
「佐賀へ!」
強い決意があった。
「名前は丸炉でいいんじゃないですか?」
「丸いから丸炉って安直過ぎだろ!」
「安直とは失敬な!」
「まあまあ。」
松陰と庄吉の言い合いを種臣が宥める。
蝋石で作った耐火煉瓦の結果が素晴らしく、石灰の添加と併せ次の段階に進む事が決まったのだが、炉の名前で揉めていた。
「だったら庄吉先生はどんな名前が良いのですか?」
文句があるなら別の意見を出せとばかりに聞く。
問われた庄吉は、途端にしどろもどろになった。
「い、いや、たたらっつー恰好いい名前にあやかりたいっつーか、何つーか……」
「で? 肝心の名前は?」
「な、無いけどよ……」
「話になりませんね!」
「くそ……」
庄吉の反対も空しく、炉の名前は丸炉に決まった。
たたらは鞴の事なので炉の名前とは関係無いが、たたら師と呼ばれる事への誇りと愛着があったのだ。
なおもグチグチ文句を呟く庄吉を無視し、松陰は一同に向き合う。
「建設する丸炉は水車の力を使って鞴を動かし、鞴に送る空気は予熱し、長い煙突を備えた物となります。いきなり作っても失敗するでしょうから、まずは練習と研究を兼ねて仮組すべきだと思いますが、如何でしょうか?」
図面と完成予想図を前に意見を求めた。
とはいえ、誰も反対する者はいない。
この場で製鉄炉を作った事がある者は、拗ねてしまった庄吉だけなのだから。
「水力を使った自動鞴は既に開発しておるが、予熱は兎も角も、煙突はどうなるのか想像がつかんぞ。」
茂義が呟いた。
予熱に関しては、炉の熱を取り込むべく丸炉の外壁を二重とし、中を通って温まった空気が鞴に入る仕組みである。
煙突は、煉瓦を積み上げてみない事には分からない。
なんせ煉瓦を作る事自体が初めての経験である。
それで炉を作り、上に煙突を立てるなど、茂義といえども想像を超えていた。
「あくまで練習です。問題点の洗い出しだと思って、気になった事は何でも言って下さいね。」
水力で鞴を動かす製鉄炉なので、川の近くでないと力を発揮出来ない。
田布施川のほとりに建設中の集成館だが、蝋石製の耐火煉瓦の数の確保が間に合わず、今すぐには炉に手を出せないのだ。
蝋石自体、量が流通している訳ではない。
長崎奉行に頼み、一刻も早く採掘する事をお願いした。
併せて、全国に似た石がないか探ってもらう。
そして今は粘土製の煉瓦を使い、本番に向けての修練を重ねる事となった。
作ってみて不具合が出たら、修正と改善には時間がかかる為だ。
「正睦様、煉瓦が水平になってませんよ?」
「なぬ?」
良い方法を探りながら総出で煉瓦を積んでいく中、正睦がやっている所が不均等になっていた。
煉瓦積みで大事なのは、煉瓦を水平に積む事である。
見てくれは勿論の事だが、構造物としての強度を保つ為だ。
人の直感は不思議なモノで、見た目の美しさはそのまま構造物の安定につながっていたりする。
「離れて見ると、成る程水平ではないな……」
松陰に指摘され、正睦はその場を離れた。
己の仕事ぶりを遠くから点検し、その不出来を把握する。
折角積んだ煉瓦を外し、やり直していった。
松陰は不思議な思いでそれを眺める。
「幕閣の中枢、老中ともあろうお方が、煉瓦積みなどされていて宜しいのですか?」
正睦が煉瓦を積む必要は無いのだが、どうしてもと言って皆に混じって参加していた。
嬉々として作業に励んでいる様に見えたので、気になった。
言われた正睦は多少照れた風で、早口に述べる。
「幕閣の仕事など厄介事ばかりでな。どうにも難しい事を、難しい人間関係の中で解決していくのだ。それはもう、面倒な事この上ない。それに比べ、こうやって黙々と作業するのは良いものだな。心が落ち着くぞ。」
「そうでございますか……」
前世は会社勤めの身であった松陰である。
正睦の言う事は理解出来た。
人間関係の中で本領を発揮出来る者と、職人気質な者とがいるという事か。
もしも後者であるならば、幕府の要職を務めあげるのは、並々ならぬ心労を伴うであろう。
「それに、技術という物は良い物だな。」
正睦が更に続ける。
「と申しますと?」
「問題が発生しても対策を立て、その結果がすぐに分かるではないか。」
「そう、でございますね。」
「政ではそうではないぞ?」
「そう、かもしれませんね……」
現実の社会では絡み合う要素が複雑すぎて、行った対策の効果が出たのか偶々なのかは判然としない。
その点、技術は限定された環境下での使用が多いので、対策の効果を判定するのが比較的容易である。
「己の手でやるからこそ、見えてくる物もあるしな。そこで考え付いた案を試し、予想が当たれば瞬く間に問題が解決していく。外れれば理由を考え、別な対策を練る。まっこと心が躍るではないか!」
「そうでございますね。」
それには松陰も頷けた。
「地震が来たら終わりじゃねーか?」
作業が進む中、庄吉がぽつりとこぼした。
機嫌を直し、炉の構築に勤しんでいたのだが、煙突を組み上げている最中で気づいてしまったらしい。
「それは考えておりませんでした! 庄吉先生が仰る様に、危険ですね……」
「武士ならば、危険は承知の上だ!」
「炉を作るくらいで命を賭けないで下さい!」
茂義の言葉に抗議する。
安全意識の低い当時であれば、人の替えなどいくらでも効く、であろうか。
しかし、人命は何物にも代えがたい資産である。
それに、ここ集成館に集まっている者達は、将来の日本を背負うべき者らばかりなのだ。
そんな者達が、煉瓦を積み上げている最中に事故で命を落としてしまうなど、あってはならない事態である。
「事故は必ず起きるモノとして考えなければ!」
「その様な事を考えるから起きるのではないか?」
「それは能天気に過ぎましょう!」
「の、能天気?!」
能天気だと断定された茂義が凹む。
豪傑には些かそのきらいがありがちなので、十分注意が必要だろう。
「安全第一! これを忘れておりました! 看板に書いて立て掛けましょう!」
工場ではお馴染みの標語、安全第一。
その第一号が、ここ集成館に出来た瞬間であった。
「何ですかこれは?!」
突然の声に皆が振り返る。
そこには、口を大きく開けて炉を見つめる男が立っていた。
「これは製鉄炉です。その名も丸炉でございますよ。」
男の近くにいた帯刀が説明してあげた。
「これが製鉄炉?! もしや、これが西洋流の炉ですか?!」
西洋の炉と言う辺り、鉄を扱う者であろうか。
「違いますよ。たたらを改良した炉ですよ。」
「これがたたらを?!」
信じられないという顔をする。
仮組とはいえ煙突を備えた丸炉は、たたらとは一味も二味も趣を違えていた。
一見すれば全くの別物に見えよう。
「製鉄に興味がおありなのですか?」
松陰が男に尋ねる。
問われた男は、当初の用事を思い出したとでも言う風にその場に跪き、頭を下げて口にした。
「手前は盛岡藩から参りました、大島高任と申します。この集成館の、鉄を作るという志にいたく共感し、末席に加えさせて頂きたく、馳せ参じました。」
そう言って顔を上げた。
梃子でも動かぬという風な、決意に満ちた表情である。
「これはご丁寧に。私は吉田松陰と申します。」
「あなたが?!」
巷で噂の吉田松陰は自分よりも年下とは聞いていたが、実際に会ってそれを実感し、驚いたらしい。
そんな高任に尋ねる。
「大島様は鉄を作りたいのですか?」
問われた高任は、待ってましたとばかりに膝を叩き、にじり寄る。
「砂鉄、木炭を使ったたたらでは西洋に及びません! 鉄鉱石、石炭を使った製鉄を始めなければ!」
「鉄鉱石?!」
「はい! 盛岡藩の釜石では磁鉄鉱が採れます! それを使い、西洋に負けぬ鉄を作るべきです!」
「え?」
高任の言葉に驚く。
鉄鉱石と石炭を使った方法は、勿論考えてはいた。
けれども、日本に鉄鉱石が出るとは思っていなかったのだ。
外国より輸入してからと思っていたので、考慮していなかった。
日本に鉄鉱石が出ないとは単純な思い込みであるが、砂鉄を使うたたらにだけ意識が向いていたのかもしれない。
「鉄鉱石が出るって、本当ですか?!」
「採掘は禁止されておりますが、出ます!」
江戸時代中期に磁鉄鉱床が発見されたが、藩によって掘る事は禁止されていた様だ。
そんな時に役に立つ人物がいる。
「堀田様!」
「うむ。早速手配しよう。」
江戸の幕閣に連絡し、盛岡藩に釜石から鉄鉱石を運んでくる様、算段をつけてもらう。
「石炭は福岡藩に出ますよね?」
茂義に尋ねた。
筑豊炭田といえば学校の授業で習った程だ。
「我が藩にもあるぞ?」
「そうなのですか?」
茂義の言葉に驚く。
石炭は日本全国、様々な場所で採掘されていた。
佐賀藩でも掘り出し販売し、財政改善に寄与したそうだ。
「では大島様は、その鉄鉱石で石炭を使った製鉄法を研究する、と。」
「え? 宜しいのですか?!」
「その為にここに来られたのでしょう?」
「は、はい!」
鉄は熱いうちに打てと言う。
鉄を作る意志を持った者が来れば、それを作ってもらうのは当然と言えた。
庄吉にはたたらを改良してもらう。
その技術はきっと、鉄鉱石と石炭による製鉄法にも応用出来よう。
蒸気機関には石炭は欠かせず、次貫斎らによって研究は進むだろう。
時期尚早と思っていた西洋式高炉への道が、思ったよりも早く開けそうであった。
大島高任は西洋式高炉を成功させた人物として有名な方です。
水戸藩の大砲鋳造事業に参加し、鉄鉱石の利用を決意したそうです。
時系列はおかしいですが、物語的にこの時期に決意してた事にしております。
鉄鉱石に関しましては、調べてみるまで作者が知らなかっただけです。
当時でも鉄鉱石を利用した製鉄は小規模ながら行われていた様です。




