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松陰の講師デビュー?

「と言うのが、集成館の目的でございます。」


 二日酔いに痛む頭を押さえ、松陰が説明した。

 昨日の宴会では記憶を失う程に飲まされた。

 無礼討ちされていない所を見ると、粗相はしていないらしい。

 

 正面に座り、目を閉じて考え込んでいるらしい茂義を見る。

 自分とは比較にならない程飲んでいる筈なのに、まるで普通な様子の茂義である。

 化け物め、という言葉が心に浮かんだ。


 清風と広郷は互いの顔を見やり、何やら言いたげである。

 麟州は一人涼しげな表情であった。

 江戸から萩までの道中、集成館の意味は何度となく話している。

 深く理解しているのだろう。

 すると、突如として茂義の豪快な笑い声が上がった。


 「がっはっは! 小僧、貴様はでかい事を考える奴だな! 気に入った!」

 「あ、ありがとうございます……」 


 褒められたが、その声が頭に響き、顔が引きつる。


 「よし、小僧!」

 「なんでございましょう?」

 「今の話を皆の前でするのだ!」

 「は? 皆と申しますと?」


 言葉の意味が分からず、松陰は問い返した。

 茂義が答える。


 「佐賀藩士全てに決まっておろう!」

 「え?」


 驚いて茂義を見つめる。

 他藩の、しかも年端もいかぬ自分が、そんな事をして許されるのかと思った。

 松陰の心情を察したのか、茂義が言う。 


 「心配するな。儂が御膳立てはしておこう。」

 「しかし」

 「しかしも案山子かかしもない!」

 「そもそも、どうしてでございますか?」

 「なぁに、今の話は儂らだけで取っておく物ではないと感じたまでだ。村田殿、調所殿、そうは思わぬか?」


 茂義は清風、広郷を見やる。

 

 「儂もそう思う。」

 「同じく。」


 両名に異論はなかった。

 寧ろ、自分達の所でもやって欲しいと思ったくらいだ。

 二人の同意を得、茂義は今度は命令する。 


 「と言う事だ。貴様は、佐賀藩士の前で集成館の意義を説明せよ!」


 そう言われれば、松陰もこれ以上の異議は差し挟めない。


 「畏まりました。ですが、大勢の前で説明するには、用意に時間が必要ですよ?」

 「それは分かっておる。儂も手伝ってやる!」

 「え? 茂義様が、ですか?」


 茂義の申し出に再び驚いた。

 

 「貴様の話は絵を使い、分かりやすい! 同じ物を儂も描けば、更に理解出来よう!」 

 「まあ、そうでしょうね。」


 今回の説明には図を用い、一目で理解しやすくしてあった。

 その事をすぐに悟る辺り、茂義はただ豪快なだけではないのだろう。


 「ならば儂らも手伝おう!」

 「そうじゃな!」


 茂義に刺激されたのか、清風らも声を上げる。


 「ならば余もしない訳にはいかぬな。」

 「私もお手伝い致します!」


 麟州、帯刀も参加して、佐賀藩士への説明会の準備が始まった。




 翌日の佐賀城、大広間。

 そこは急遽参内を命じられた藩士達でごった返していた。

 手の空いている者は全て参上せよというお達しで、大広間に入りきれなかった者らは別室にて待機している徹底ぶり。

 何事かと訝し気な藩士達がざわめく。 


 「おい、何だろうな?」

 「さあな。しかし見てみろよ、ご家老から俺達に至るまで、勢ぞろいだぜ?」

 「まさか、直正様に何かあったんじゃ?!」

 「おい、滅多な事を言うな!」

 「す、すまん……」


 この様な事は、藩主直正による新年の祝辞くらいしか思い当たらない。

 藩の一大事なのかと心配するのも無理からぬ事だろう。


 「あれ? 茂義様だぞ?」

 「本当だ。」

 「それに、長州藩士の?」

 「確か吉田松陰といったか……」


 ザワザワとして待つ藩士達の中、武雄の元領主茂義が長州藩士の吉田松陰を伴い現れた。

 皆茂義らを注視する。

 流石にこれだけの者に注目された事のない松陰は、ぎこちない足取りで茂義の後に従った。

 大広間、家老達が居並ぶ最前列の中央まで進む。

 そして茂義が口を開いた。


 「皆、突然の参内ご苦労。この度集まってもらったのは他でもない。皆も知っておるとは思うが、我が藩で建設する集成館の件である。」


 威風堂々とはこの時の彼の様子を言うのであろうか。

 聴衆に気後れする事なく、大広間の全員に響く声で話し始めた。


 「この中には、どうして他藩と共に、との疑念を持つ者がいよう。その責任者として現れたこの吉田松陰の若さに、疑問と侮りを感じる者がいよう。そもそも集成館の目的が分からぬ者がいよう。その者らに断言致す、集成館は必要なのだ! 今始めるしかないのだ! その理由は、集成館事業の発案者、長州藩士吉田松陰の説明を聞けば理解出来よう! 皆、心して聞け!」


 茂義の言葉に佐賀藩士達は一層ざわめいた。

 成程、集成館という学問所を作る話は耳にしていた。

 長州藩、薩摩藩、佐賀藩が共同し、費用を出し合って建設する施設らしい。

 しかもそれは、藩から独立している組織だという。

 噂では鉄製の大砲を作り、蒸気船なる新型の船を作るそうだ。

 

 佐賀では、茂義による大砲の研究は広く知られている。

 尊敬する茂義でさえ青銅製の大砲が精一杯であったのに、それを鉄で作るというのだから驚きであった。

何度も挑戦し、遂に成功しないまま終わったのが鉄製大砲の筈だ。

 

 それに、蒸気で動く船など想像の外であった。

 しかも、三つの藩が共同してなど、聞いた事もない。

 そんな大それた計画を立てたのが、茂義の隣に立つ、元服したばかりに見える若者だったとは信じられなかった。

 

 「ほれ、後はお前の仕事だ。」


 未だ藩士達のざわめきが収まらぬ中、茂義が松陰に話を振った。

 振られた松陰は佐賀藩士らに一礼し、喧噪が収まるのを待つ。

 藩士達も茂義の手前、その口を閉じ始めた。

 松陰は全体が静かになった事を確認し、下腹部にしっかりと力を込め、皆に届けとばかりに声を発した。


 「ただ今茂義様のご紹介に預かりました、長州藩士杉百合之介が次男、吉田松陰にございます。本日は、集成館の目的、意義についてご説明させて頂きたいと思います。どうか宜しくお願い致します。」


 口上を述べる。 


 「まずは西洋の歴史をざっと振り返りたいと思います。今から2千年昔、ローマ帝国という巨大な国がございました。」


 こうして松陰による、集成館を作る目的、意義についての説明が始まった。

 それらを広く共有し、目標意識を高める為である。

 何の為にするのか分からないままでは、やらされ感だけが残ってしまう。

 藩士一人一人が目的をしっかりと理解して取り組めば、その成果も違ってくるだろうと考えての事だ。


 「そして遂にイギリスで、産業革命と呼ばれる技術革新が起きます。石炭を燃やして水を沸かせ、出てくる蒸気で機械を動かす技術です。人の手、動物の力では敵わない圧倒的な力、効率を実現しました。石炭を燃やし続ければ、設備を一日中動かす事も出来るのですから、それも当然でしょう。そして蒸気の力を使い、綿織物を生産します。」


 蒸気機関の原理などを絵で描き、分かりやすく表現している。

 といっても松陰に絵心はないので、帯刀らが描いているのだが……。

 

 「売り物には買い手がつかなければ商売は成り立ちません。イギリス国内では賄いきれず、イギリスは買い手を国の外に求めました。植民地であったインドです。インドで綿花を栽培させイギリスに運び、綿織物にしてインドに輸出するのです。綿花が育つのに、布を作る技術も持っているのに、インドは原料供給地兼消費地としてしか生きる事を許されない。」


 綿花だけでなく塩もそうである。


 「綿花を育てても安く買い叩かれ、最終製品を高く買わされるのです。しかも綿花を育てる事を強制される為、自分たちが食べる物さえ育てる事が出来ません。一度気候が崩れれば、それは即ち飢饉の発生です。」

  

 淡々と語る松陰であったが、それが逆に恐ろしい。


 「そしてイギリスは、清国を次なる巨大市場と見做し、アヘン戦争を仕掛け、清国を開国させました。今後、続々と他の列強も清国に参入するでしょう。」


 それがついこの前に起きた、清国とイギリスとの戦争だったというのか。

 聴衆は恐怖した。

 その後の展開は、聞かなくても想像出来るからだ。


 「その様な西洋の歴史の流れの一方で、我が国の歴史はどうなっているでしょうか。」


 突然話題が変わり、何故だと問いたげに皆は松陰を見つめる。

 そんな事よりも、もっと大事な話があるだろうとその顔に書いてある。

 しかし松陰はそれには取り合わず、話を続けた。


 「およそ2千年前、我が国は女王卑弥呼が邦を治めていた様です。大陸は、魏呉蜀で有名な、三国志の時代です。」


 そして大和朝廷、奈良、平安、鎌倉室町と続き、戦国の世を経て、徳川の時代となった。

 天下泰平の世は長く、誰も戦を知らない社会である。


 「さて皆さん、我が国は今、西洋に対抗する力を持っているでしょうか?」  

 

 西洋の今を知った手前、誰も答えられる筈がない。


 「清国という巨大な市場を得た西洋が、次に向かうのはどの国でしょう?」


 言われなくても明白である。


 「国を守る力が無ければ西洋列強の植民地となり、力があった所で製品を買わされ続け、富を流出させるだけとなるでしょう。」


 当時の決済は金貨や銀貨である。

 輸入するだけでは、貴重な金や銀が出ていくばかりだ。

 それが容易に想像され、皆恐怖に顔色を失う。

 と、松陰が明るい声色で安心させる様に言った。


 「幸いな事に清国は巨大です。西洋諸国と言えど、すぐに他国に目を向ける余裕はないでしょう。」


 それを聞き、ホッと安堵のため息を漏らす。


 「しかし、時間が無い事は変わりません。彼らはすぐに気づくからです。清国から彼らの国に戻るには、東の海を抜けるのが早い事を。」


 松陰が世界地図を指し示した。

 なる程、清国からそのまま東に行けば、そこはアメリカであった。

 となると、その途中に丁度良い中継地が見える。


 「清国とアメリカを結ぶ途上の港として、我が国くらい都合の良い国はございません。蒸気船に供給する石炭、水の補給を求め、我が国に開国を迫るのは火を見るよりも明らかです。その期限は、もって十年でありましょう。」


 まるで決まっているかの様に話すその口ぶりに、誰もが目の前に西洋の船の姿を見た。

 煙を上げて走るという、蒸気船なる巨大な船。

 千石船など比較にならない大きさの船には、こちらが太刀打ち出来ない大砲が多数積まれているという。

 そんな船がいくつも連なり、我が国に押し寄せるというのだ。

 その光景を想像し、誰もが絶望に包まれる。

 どうすれば良いのだと、途方に暮れて視線を彷徨わせる。

 と、そこに、朗らかな声色の言葉が響く。 


 「ご安心下さい!」


 力強く、きっぱりと断言するその声。

 

 「私には、香霊大明神様に授かりし知恵がございます!」


 かれい大明神なる神様の名前は聞いた事が無かったが、聞く者は何故か心が落ち着いた。

 そう言い切る者の顔に、みなぎる自信を感じたからかもしれない。

 それは、地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸の如く、その場の者らの唯一の救いに思えた。


 「香霊大明神様に授かりし知恵を活用し、西洋列強に対抗する為、集成館を作るのでございます!」


 藩士の間にどよめきが起こる。 

 

 「それに周りを見て下さい!」


 松陰の示す先には、藩士達の尊敬する茂義が立っていた。

 豪傑と呼ぶに相応しい、数々の逸話を持つ人物である。

 彼がいるなら、何を恐れる事があろうか。

 そんな気になってくる。


 しかし当の本人は、聞いていた話の展開と違い、その顔には戸惑いが浮かんでいたが、藩士達が気づく筈もない。

 松陰が伝える。


 「皆さんの中にはご存知の方もいるでしょうが、茂義候のお造りになられた鉄砲は、西洋の大砲と同じ仕組みなのでございます!」


 おお、と歓声が上がった。

 その鉄砲の威力は、多くの者が知っている。


 「茂義候がいらっしゃいます! かの名工からくり儀右衛門殿もおります。鉄砲鍛冶で有名な国友一貫斎の弟子、嘉蔵殿もいます。これらの名工が集まり、茂義候をお支えするのです。西洋より優れた物を作り出せない道理がございましょうか!」

 

 やんややんやの声が響く。


 「西洋が我が国にやって来るには、十年程余裕がございましょう。その間に技術を磨くのです! 鉄を大量に作る術を確立し、大砲を作りましょう! 蒸気船を作り、大海を渡る技を身につけましょう!」


 松陰の言葉に佐賀藩士が呼応する。


 「新しい商品を開発し、西洋の来航に備えましょう! 彼ら自慢の品を態々(わざわざ)ここまで持って来たら、お返しに彼らの度肝を抜く商品を見せつけてやりましょう! 売りに来たら逆に買わせて帰らせるのです! その為の種は既に撒いておりますから!」


 その種はシロバナムシヨケギクであり、真珠の養殖である。


 「西洋の学問を学び、超えるのです! 西洋人は我々を侮っています。未開の蛮族と見做し、考える頭を持っていないと思っています。彼らの学問を消化吸収し、更に先を教えてあげましょう! 戦乱の絶えなかった西洋では、太平の世で我が国が獲得した、平和に過ごす為の知恵など、見当もつかない事でしょう!」


 それは文化の力でもあろうか。


 「西洋列強は覇道を進んでいます。覇道の先には滅びが待つだけです。我々は王道を歩みましょう! いえ、ここは敢えて言いましょうか。武士道を進むのです!」


 観衆は更に熱気に包まれた。

 武士道とはなんぞやを論じた『葉隠』は、ここ佐賀で生まれた。


 「我が国だけで西洋列強には対抗しえません! 誇り高き武士道を歩み、志を同じくする者を増やすのです! 既に台湾、太平天国は清国より独立し、我が国に友好と支援を求めています!」


 それは、前世大日本帝国の間違いを繰り返さない為の布石。

 西洋に対抗する為に選んだ、東洋の中の西洋という国の姿勢を取らない為の一手。

 

 「集成館は自主自立、独立独歩の為の礎にございます。農の充実なくして日々の糧は得られず、工の進歩なくして生活は楽にならず、商の発展なくして物品の豊かさは確保出来ず、軍を備えなければ国の安定は保てません!」


 そして、軍事一辺倒にならない様にする為の策でもある。


 「皆さまのお力をお貸し下さい! 西洋列強の勢いは凄まじく、その強欲さは果てがありません! 今、この猶予でもって、我が国の力を押し上げるしか無いのです!」


 前世の知識があると言っても、一人で出来る事など限られている。

 日本の国力を早急に上げるなど、オールジャパンで取り組んで、初めて為せる事だろう。


 「藩というしがらみを、心の中だけでも乗り越えて下さい。そうでなくては、西洋に対抗する事など叶わないでしょうから。」


 そして松陰は、頭を下げて話を終える。


 「これで集成館の意義の説明を終わります。ありがとうございました。」


 話を終えた松陰を待つのは静寂であった。

 藩の重鎮がいる中、藩を軽んじる言動を取る事は許されない。

 誰も口を開く事はないが、松陰の思いは確かに伝わった様で、佐賀藩士達の瞳に浮かぶのは、重く静かな、けれども力強い決意の色であった。

 

 以降、集成館の事業は佐賀藩士の熱心な協力の元、急ぎ進んでいく。

 そして、国元に帰った清風、広郷らも松陰の話を広め、まずは九州中国一円にその話が広まり、やがて四国、日本全国へと拡散していく。

 全国にいる志のある者が、こぞって佐賀へと集まって来る事となるのは、暫く先の話である。

同じ様な演説内容で申し訳ありません。

省く事も考えましたが、藩主達にしか伝えていないと思いましたので言及しました。

こんな話は今回で御終いです。


次話からはようやく鉄の生産に取り掛かりますが、理科の実験室的な話となります。

退屈かもしれないですが、お付き合い頂けましたら幸いです。


この集成館編では主としてその事業を取り扱いますが、途中で蝦夷の開拓に向かいたいと思います。

ペリーが来る以前からロシアは日本に国交を求めていましたし、千島列島の領有権でアイヌとロシア人が揉めていたからです。

某ゴールデンカムイ(金色の神様?)の様な手に汗握る冒険は展開出来そうもありませんが、北海道の豊かな食べ物にヨダレを垂らす松陰をお楽しみ頂けたらと思います。

あ、でも、あの作品も食べ物の描写が多いですね(汗)

劣化コピーとならない様にしたいですが・・・

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