のんだくれ
「おい女将、酒だ!」
「飲み過ぎだよ?」
「うるせぇ! つべこべ言わずに持って来い!」
「……はいよ……」
「けっ! 俺を誰だと思ってやがんだ!」
男が一人、酒に呑まれていた。
女将の咎める様な視線を無視し、持ってきた徳利を奪い取る様につかみ、乱暴にお猪口に注ぎ、一気にあおった。
「くそ! 後一回だけやらせてくれたら、成功したんだ!」
悔しさを滲ませ、口にする。
「今のままじゃあ、たたらに未来は無いんだ!」
焦燥感さえ漂う、激しい口調であった。
「あの時失敗さえしなかったら……」
それは、何度後悔してもしきれない、一生の不覚。
「畜生! 鉄を焼きてぇなぁ……」
そして必ず、その思いに至るのだった。
「御免下さい!」
松陰らは横田村を訪れていた。
飯屋の主人に聞いた話を頼りに、その男を捜した。
奥出雲の小さな村であるので、男の事はすぐに分かった。
名を黒田庄吉といった。
期待に反し、庄吉への人々の話しぶりは芳しくないモノだった。
何でも、周囲の忠告を聞き入れず、何度も失敗を繰り返したらしい。
村下を外されてからは酒に溺れ、嫁を泣かせていると言う事であった。
暗くなる思いを抱え、一行は庄吉の家を訪ねた。
家は荒れていた。
手入れがされておらず、伸び放題の雑草の中、古い家屋が建っている。
代々村下を任されてきた家の末子と聞く庄吉は、乞われて横田村に移ってきたらしい。
初めのうちは立派な鉄を焼き、流石は黒田の者だと持ち上げられていた様だ。
それもあって増長したのか、段々と周囲の声を聞き入れなくなったらしい。
そんな中、庄吉の人生を決定付ける報せが入る。
アヘン戦争の勃発とその結果だ。
清国惨敗の噂を聞きつけ、一人気色ばみ、たたらの里の未来を憂いたそうだ。
西洋の鉄甲船と大砲の力を聞き、このままではまずいと一人息を荒げたらしい。
今のままのやり方では量が取れないと、西洋には対抗出来ないと、新しい鉄の焼き方に挑戦する様になったという。
「話を聞くに、悪いのは全部松陰殿でござるな。」
「なっ!?」
村人達の語る話に、どことなく居心地の悪い思いを抱いていた松陰に、亦介が遠慮する事なく言いのけた。
「余もそう思うぞ。」
「麟洲様まで?!」
「麟洲様の言う事は絶対ばい!」
「何ぞ文句があるのか?」
「いえ……」
亦介に追随する形で麟洲が頷き、お供もそれに続く。
「かの戦の話、特に西洋の力を内外に広めたのは、他ならぬ松陰、お前だな。」
「弥九郎先生もですか?!」
「ここは長州のお隣ですしね。」
「秋帆先生……」
弥九郎が冷静に指摘し、秋帆が事実を述べた。
救いを求める様に才太らに顔を向けるが、そこには渋い顔と喜色満面の顔しか待っていない。
「松陰君のせいでええやん! これからそれを救うんやろうし!」
「諦めろ。」
「諦めろと言われましても……」
すっかり聞き分けの良くなってしまった才太に松陰は落胆した。
「……」
何やら気配を感じ、恐る恐る後ろを振り返る。
「わっちは、主さんを信じてござんす!」
キラキラと瞳を輝かせ、松陰を見つめる吉乃がいた。
里の将来を憂いて行動した者を、松陰ならば必ず救い出すと思っているのだろう。
「まあ、私もこの人しかいないと、思いますけどね……」
何となく釈然としない思いを抱きながらも、庄吉の家の前に立ち、誰かいないか声を出した。
「あ、あばら家ではございますが、な、中へどうぞ……」
赤ん坊を背負った庄吉の妻が、オドオドしながら口にした。
立派な身なりをした侍達が家を取り囲んでいるので、彼女の不安も当然であろう。
栄養状態が良くないのか、やつれた感じの女であった。
嫁を泣かせているという、村人の言葉が甦ってくる。
「いえ、本当にお構いなく。こんなに大人数で押しかけるなんて、我々が浅はかでした! 誠に申し訳ありません!」
「い、いえ、あの、その……」
開口一番松陰が謝った。
旅気分が抜けていなかったと言えば、その通りかもしれない。
「かあちゃん、この人たち、だぁれ?」
背負った赤ん坊とは別に、家の中には幼い兄と妹が二人いた。
「お客様だから、お前達はお外に行ってな!」
「いえ、構いませんから。ほら、お団子があるよ?」
「お団子?! やったぁ!」
松陰が手土産に持ってきた団子に、兄妹達は目を輝かせて喜んだ。
差し出された団子を、奪う様に手に取る。
「これ!」
止めようとする母親の手をすり抜け、外へと走っていった。
「ご家族の数が分からなかったので、多めに買ってありますよ。」
「あ、ありがとうございます!」
勢い込んで頭を下げるものだから、背負われた赤ん坊が驚いたのか、泣き出してしまった。
「あぁ、ごめんねぇ。よしよし、泣かないで……」
母親があやすものの、一向に泣き止む気配がない。
「お腹でも空いているのではないですか?」
妹の千代の世話をしてきた松陰であるので、多少の事は推察出来た。
しかし、松陰の言葉にバツが悪い顔をする。
「どうされました?」
「いえ、お恥ずかしい事に、お乳の出が悪くて……」
「こ、これは失礼しました!」
「い、いえ、こちらこそ……」
二人で謝りあう。
「えーと、二人共、話が進まへんで。お乳はうちに任せときぃ。籐丸ちゃんだけじゃ余るくらいやから、その子も面倒みたるわ!」
見かねたお菊が割って入った。
「い、いえ、そんな! お客様に……」
「困った時はお互い様やろ? それより、話を進めてやぁ。」
「すみません、お菊さん。」
「松陰君もええから。ほな、その子、名前は何て言うん?」
「正次郎です……」
「ほな、正次郎君を寄越しぃ。籐丸ちゃんは、旦那様、宜しくやでぇ。」
「任せろ。」
才太が頼もしげに応え、息子を受け取った。
子を抱える姿が、すっかり様になっている。
「ほな、あっちでお乳を上げてるさかい、宜しくなぁ。」
お菊が正次郎を抱え、その場を離れた。
やはりお腹が空いていたのか、正次郎はぴたりと泣き止み、お乳を吸い始めた。
そんな我が子の様子に思う所があるのか、女は悲しげな顔である。
しかし、その心中を慮っていても仕方ないので、松陰は話を進める事にした。
「ご主人はどちらに?」
「あの人は里に出ております……」
当時のたたらでは、必要な砂鉄を取るのに山の土を大量に川に流した。
鉄穴流しと呼ばれる江戸宝暦年間に発明された手法なのだが、これにより砂鉄の採取量が飛躍的に増え、鉄の大量生産が可能となった。
しかし、流れ込む土砂によって農業用の水が取れず、農民との諍いに発展しがちであった為、たたらの操業は農閑期の冬季のみとなっていた。
農繁期の今、直接的なたたらの仕事は無い。
ただ、大量に必要とする木炭の用意や壊した炉の修復、新造といった仕事はある。
しかし、村下をクビになり酒に溺れてしまった庄吉に、その様な仕事が舞い込むことは無かった。
里に下り、日雇いの様な仕事を探していた様だ。
けれども、それが上手くいっていれば、目の前の女の顔が曇る事は無いだろう。
「あの、御用は……」
女がおずおずと口にする。
松陰はどう説明すべきか迷ったが、隠しても仕方ないので正直に答えた。
「ご主人に鉄を焼いてもらいたいのです。」
「え?!」
ひどく驚いた様で、その眼を見開いた。
「ご主人は何でも、たたらの連続操業の可能性を追求されていたとか。」
「は、はぁ。私には詳しい事は分かりませんが、その様です……」
家でも熱っぽく話していたので、庄吉が何を追っていたのかは知っていた。
「私の目標もその連続操業なのです。」
「そうなのですか? でも、あの人は、三度失敗してしまったのですよ?」
躊躇う様に述べた。
「三度くらいの失敗で諦めてもらっては困ります。出来る事は分かっているので、後はその方法を確立するだけなのです。」
「は、はぁ……」
曖昧に頷いた。
と、
「帰ったぞぉ!」
鼻を赤くし、ふらついた足取りで男が家の敷居をくぐる。
中に陣取る無数の者の姿を認め、ギョッとした。
「だ、誰だ、おめぇらは?! お侍なのか?」
「黒田庄吉さんですね? 我々の所で鉄を作って下さいませんか?」
「何だって?!」
こうして、松陰はたたら師である庄吉と出会った。
庄吉が松陰の申し出を断る筈もない。
寧ろ、嬉々として協力を申し出た。
村には未練がないのか、今すぐ同行するとさえ言い出す始末。
その際、嫁子も連れて行く事になった。
嫁も、夫がどこに連れて行かれるのか不安を感じた様で、長州行きを了承した。
持って行く大事な物など多くはない。
次の日には荷物をまとめ、隣近所、村の長に挨拶をし、横田の村を旅立つ。
一行は山陰路を進む。
元より赤ん坊のいる女連れの旅であるので、庄吉の嫁子が加わっても支障は無い。
道中の庄吉は、勢い込んで鉄を作る計画を尋ねた。
松陰も、専門家を迎え入れられた事に喜び、これからの計画について話していった。
熱をもって語っていく。
「これからは化学で鉄を作る時代です!」
「かがく?」
「そうです! 酸化鉄に、酸素を遮断した状態で熱を加え、還元した結果が鉄の生成です。全ては化学反応なのです!」
「へ、へぇ……」
庄吉が気の抜けた声を出す。
一向に気づかない松陰は、尚も続けた。
「西洋の技術は進んでおります。それは、科学という学問の発展に因る、とも言えます。製鉄も、今までの様に経験に頼るだけでは不味いのです! 学問として鉄を作る技術を追求しなければなりません!」
「は、はぁ……」
全く理解出来ない話をする松陰に、庄吉は混乱していた。
「砂鉄と木炭を使うたたら製鉄は、素晴らしい技術です。でも、これからはそれでは間に合わないのです! 連続操業もそうですが、鉄鉱石、石炭を使う方法も探さねばなりません!」
「な、なるほど!」
ようやく理解出来る話となり、庄吉は安心した。
安易について来て失敗したかも、と思い始めていたからだ。
「何気にとんでもない話がされている気がするのだが……」
二人を見守る麟洲が呟いた。
「鉄を作るのも学問として、でございますね。大砲もそうなのでしょうな。思えば、私も勘で作っていた気が致します……」
秋帆が感慨深げに応える。
そんな風にして、一行はようやく萩へと辿り着いた。
やっと萩へと帰ってこれました。




