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御用商人

同じ様な話を三話前でやってます。

繰り返しになって申し訳ありません。

 その日、江戸城には御用商人達が集まっていた。

 御用商人とは封建領主によって特権を与えられる代わりに、領主の求める資材の調達などを請け負った存在である。

 

 「一体何事でしょうな?」

 「大奥が燃えてしまった事を考えると、その再建費用に関する事では?」

 「ですかな……。全く、我らを打ち出の小槌か何かと勘違いされておるのでしょうか。」

 「言葉が過ぎませんか?」

 「おっと、いかん、いかん。」


 大奥が火災で消失した事件の顛末は、世間でも大きな話題となっている。

 そのいきさつは兎も角として、燃えてしまえば立て直さねばなるまい。

 財政的に余裕のない幕府であれば、御用商人である自分達に、ある程度の用立てを求めるであろう事は容易に想像出来た。 

何かにつけ理由が付けられ、御用金を求められるのも、世間的には特権を得ていると思われている、自分達の立場である。

 御用金とは聞こえが良いが、要は上納金だ。


 「しかし家定様も、よくぞ中奥を取り壊す決断をしてくれたものです。」

 「全くですな。そうでなければ、表まで燃えていたかもしれない。」

 「もしそうなっていたら、再建に必要な額なんて考えたくもないですよ!」 

 

 この度の火災では大奥が焼失したものの、他は中奥の一部が取り壊されただけで済んでいる。

 もしも延焼を食い止める決断がなされなかったら、本丸の全てが灰となっていたかもしれない。

 そうなれば、再建には莫大な費用を必要とし、無心される額も巨大となりえた。 


 大きな火災が出た後には材木などの需要が高まり、商人にとっては稼ぎ時といえる。

 けれども、燃えたのが江戸城ともなれば、御用商人の立場としては喜んでいるだけではいられない。

 御用金によって儲けが消し飛ぶ事にもなりかねないからだ。 

 商人達は、火事を大奥だけに留めてくれた家定に感謝した。




 暫くし、老中筆頭に就任した土井利位が現れる。

 何やら機嫌でも悪いのか、眉の間には皺が寄っていた。

 商人達はやや緊張し、うやうやしく彼を迎えた。


 「土井様、この度の老中筆頭へのご就任、誠におめでとうございます。」


 まずは頭を下げる。


 「忙しい中ご苦労であったな。堅苦しい挨拶は抜きにして、早速本題に入らせてもらうぞ。」


 しかし利位はしかめっ面のまま、挨拶もそこそこに用件を切り出した。

 余程急ぐ理由でもあるのかとの問いが、商人達の心に浮かぶ。

 金の無心であれば散々勿体ぶるか、そそくさと用件だけ言うか、であろう。

 苦虫を噛み潰した様な顔をしている所を見ると、どうやら後者の様だ。

 知らずに身構えてしまう。 

 

 「実はな、その方らに買ってもらいたい物があるのだ。」

 「と、言いますと?」


 金の要求とばかり思っていた商人達は、風向きの違う話に眉を動かした。

 しかし油断は出来ない。

 大して価値の無いガラクタを、さも素晴らしい逸品であると喧伝され、高値で買わされる事だってある。


 「持って参れ。」


 利位の指示に合わせ、部屋に出てきたのは荷物の載った二つの大八車であった。

 不思議そうな顔の商人達に、それぞれを引かせてみる。


 「何ですか、これは?!」

 「片方は驚くほど軽い!」


 商売では日常的に大八車を使う。

 店の当主となった今、それを自分で引く事はないが、若い頃にはみっちりと汗をかいてきた経験を持つ者がほとんどである。

 二つの大八車の違いは明瞭であった。

 利位が説明する。


 「車が軽い方に使われているからくりを軸受という。これを使うと、車輪などの動きが格段に向上するのは見ての通りだ。」

 「じくうけ、でございますか……」


 利位の言葉に、一同は車輪に見入った。

 軸と本体の接続部分に、鉄製の輪らしき物が嵌め込まれている。

 驚く程の軽さを実現したそれは、宝の様に見えた。

 気の早い者は、頭の中で算盤そろばんを弾く。


 「次に、同じく軸受を使ったからくりである。」


 興奮冷めやらない商人達に、利位は次を紹介していく。

 今度は何やら、隙間の無い梯子はしごの様な物であった。

 肩幅くらいの間隔の二本の柱の間に、麺棒らしき物体がいくつも並べられている。

 そして麺棒の上に板が乗せられ、その上に米俵が置かれていた。

 利位の言うままに板に乗せられた米俵を押せば、まるで氷の上を滑るかの如く、端まで軽やかに動いた。


 「なんと!」

 「凄い!」


 これにも衝撃を受けた様だ。

 道具の効果は一目瞭然、これを導入すれば、恩恵は計り知れないだろう。


 「この軸受の技術をその方らに買ってもらいたいのだ。購入者への特典として向こう5年間は、他の者が軸受を模倣する事に制限を設ける事とする。具体的には、軸受を真似た商品を作り売った場合、いくばくかの使用料を初めの購入者に支払うものとする。なお、共同で購入しても構わぬ事とする。」

 「なる程……」


 いわゆる、特許に関する考え方の導入である。

 当時、西洋では既に特許権が設定されており、発明者の権利として認められていた。 

 軸受であれば儀右衛門が発明者なのだが、松陰の提案で出来た品でもあり、本人も特許権をよくは理解せず、ここでは求めなかった。

 利位も、自身の研究対象である雪の結晶図を本にし、出版しているが、その模様が人々に受け、衣装に取り入れられた経験を持つ。


 趣味で始めた研究が広く世間に知れ渡った事には嬉しさがあったが、若干腑に落ちない意識もあった。

 武士であるので金儲けなど考えた事もなかったが、自分が苦労して研究した雪の結晶であるのに、その成果だけを商人に横取りにされた感じがあった。

 我が子同様に思い入れのある雪の結晶図によって、単に本を買っただけの商人が潤っているのが少々納得しかねた。


 今回の事は商人の儲けを守る形となってしまうが、いずれはと考える。

 これまで、先駆者の苦労は名誉でしか報われない事が多かったが、この事によってそれが変わる事を願った。

 発明者の苦労が金銭として報われるなら、それに越した事はあるまい。


 そしてこの方針には商人達も喜んだ。

 何か新しい物を作り出しても、直ぐに真似されてしまい、儲けが薄くなるのが実情である。

 これ程の素晴らしい製品であれば、誰もが飛びつく事は明らかだ。

 腕に自信のある者は急いで商品を購入し、分解し、模倣し、同じ物を作りだして早速売り出すのである。

 そうなってしまっては、折角お金を出してこの技術を買っても、無駄金となってしまう。

 しかし利位の言う通りであれば、それも抑えられるであろう。

 問題は、そんな事が本当に可能なのか。


 「甚だ恐れ多い事ではございますが、一体どの様になされるのでしょうか?」


 意を決し、一人が問うた。 


 「まずはお触れを出し、新しい発明品があれば奉行所に届けさせよう。奉行所で管理し、模倣の疑いがあった場合には調べ、しかるべき対応を取る事とする。とはいえ初めての試みであるし、当面は問題点も多いだろう。徐々に改善していくつもりだ。」

 「そうですか……」


 効果の方は未知数であるが、ないよりはマシであろう。


 「次に蒸気船である。」

 「じょうきせん……」

 「蒸気船とは、西洋の新しい船だ。しかし、それはここでは見せられん。堀が見える位置まで移動するぞ。」

 

 更に披露する物があるというのか?

 商人達は驚きを隠せないでいた。

 まるで大奥が消失した事などどうでも良いと言う風に、利位は次々と画期的な品を見せてくる。

 言われるがままに一行は場所を移し、堀の見える所に陣取った。

 すると、堀の水面を、一艘の小船が近づいてくるのが見えた。


 「帆も無く、櫂も櫓もないのに進んでいる?!」


 舟が近づいてくるにつれ、驚きに満ちた叫び声が上がる。


 「石炭や木炭で釜の湯を沸かし、出てきた湯気で進むからくりだ。」


 ぶっきら棒に利位が言った。

 手元には火のついた炭、湯の沸いたヤカン、風車とおもちゃがあり、ヤカンから出てきた湯気を風車の羽根に当て、連結されたおもちゃが動いている。


 「その様な仕組みで舟が動くのですか……」

 

 商人達は利位の説明にしきりと感心し、蒸気船に目を走らせた。

 そんな彼らに言う。


 「あの蒸気船を買ってもらいたいのだが、今ならもれなく、あの船で江戸城の堀を遊覧する権利を授けよう。」

 「何ですって?!」


 思いもかけない言葉に、知らず語気も荒くなる。

 江戸城の堀を舟で遊覧するなど、前代未聞の事であろう。

 利位は尚も続ける。 


 「とはいえ、外堀だけであるぞ? そうそう、そもそも客がおらねば商売も出来まい。事前に氏名を申告する義務は課すが、町人の乗船を許可しよう。」

 「な、なんと!」 


 商人達は、信じられない思いで利位を眺めた。

 涼しい顔で言葉をつなぐ。


 「あの蒸気船と扱い方の手ほどき、江戸城外堀の遊覧権を買ってもらいたい。代金は舟代と、運賃からの収益に妥当な額の税をかけさせてもらう。」

 「そ、そうでございますか!」


 想像を超える提案に、商人達の思考もまとまらない。

 新し物好きな江戸っ子であれば、まず間違いなく人気を博すであろう。

 しかも、将軍様の住まう江戸城の堀を遊覧出来るとあっては、人が集まらない理由が無い。

 

 「蒸気船は軸受と違い、模倣は構わぬ。寧ろ、広く市井に広めて改良していくのだ。風が無くても進める蒸気船は風待ちの必要がなく、湾の中での活躍も見込めるであろう。」

 「そ、そうでございますね。」

  

 帆に風を受けて進む船は風が無ければ動けないし、小回りが利かない。

 湾の中で停泊する際など、帆で進むのは他の船に接触する可能性があり、危険である。

 いつ突風が吹いて思わぬ挙動を取るか分からないからだ。

 従って櫂や櫓で自ら進むか、小舟が曳くしかない。

 しかし、風がなくても進める蒸気船であれば風待ちの必要がなくなるし、人力に頼っていた曳航なども楽になるであろう。


 「その方らに買ってもらいたい物の紹介はこれで終わりだ。」


 儲けを計算していた商人達に利位が言った。

 しかし、一体これらをいくらで買えばいいのか、それが分からない。

 

 「分かっているとは思うが、大奥の再建費用を捻出せねばならぬのでな。出来るだけ高く買ってもらいたい。つまり、り、であるな。」


 やはりそうかと商人達は得心した。

 一番高い値を付けた者が、それらの権利を得られるという訳だ。

 見込まれる儲けを計算し、必要な費用を考え、他を出し抜ける価格を提示せねばならない。

 思案に暮れる中、一人の者にある疑問が浮かぶ。


 「土井様、お聞きしても宜しいですか?」

 「何だ?」

 「軸受を一つ作るのに、どれ程の時間と費用がかかるのでしょうか? また、どのくらいの時間、使えるのでしょうか?」


 製造コストと耐久性は重要である。

 どれだけ便利な製品であろうが、職人が何日もかけて作る物なら高くつくし、それが数日で壊れてしまう様な物なら誰も買わないだろう。

 他の者も、それはそうだと利位に視線を向ける。

 

 利位は固まっていた。

 ウッと声に詰まり、何やら助けを求める様に、チラチラと別の方向に視線を向けている。

 商人達が不思議に思っていると、「失礼します。」と声が上がり、一人の女中が進み出てきた。

 どういう訳か、顔にはサラシが巻かれている。


 「松と申します。差し支えなければ、私がご質問にお答えしたいのですが、構いませんか?」

 

 質問した商人に松が問いかけた。


 「え? ええ、まあ、どなたでも構いませんが……」

 

 疑問が解ければそれで構わないと了承する。

 見れば利位は、明らかにホッとしていた。

 そんな様子に商人達は違和感を覚えた。

 顔にサラシが巻かれた女中という存在と、利位の安堵した表情である。


 商売でも、手広くやっていれば、自分一人では状況を把握しきれない事もある。

 そんな時は、それを任せている責任者に聞くのが一番だ。

 であれば、軸受の事を一番知っているのが、この女中という事であろう。

 どうして女中が?

 まるで理解出来ない。


 それに、利位の安心しきった顔だ。

 松という女中が出てきた事によって、肩の荷が下りたとでも言いたげに、眉間に寄っていた皺は綺麗さっぱり消え失せていた。

 老中筆頭ともあろう者が、女中に頼りきっている?

 どういう事か、商人達には信じられなかった。


 最後に、目の前の女中その人である。

 顔に巻かれたサラシの意味も分からないが、何よりその堂々とした態度であろう。

 

 「ご質問にありました軸受の製作時間と費用、及び耐久性でありますが、今はまだ不透明でございます。」


 この様な場で物怖じする事無く、質問した商人を真っ直ぐ見つめ、分からないと断言した。


 「え?」


 その言い切り様に、言われた方が言葉を失う。

 

 「その理由をご説明致します。」


 そう言って、絶句した商人達に話を続けた。


 「軸受は鉄の輪と小さな鉄球で構成された物なのでございますが、この試作品は二人の職人の手で作られた物です。鉄を叩いて輪を作り、玉を削り球へと整え、それらを組み合わせるのでございます。」


 スラスラと話していく。


 「当代随一の職人が、腕によりをかけて作った結果生まれたのが、この軸受なのです。腕の未熟な職人が作れるのかは分かりませんし、採算の取れる費用で作れるのかも分かりません。しかも、鉄の品質が悪くても、また、精度が悪くても容易く壊れてしまうでしょう。」

 「それは……」


 前世の東南アジア各国で目にした、市場に大量に出回っていた安い中国製品。

 スコップは硬い土に勝てずに容易く曲がり、金槌かなづちは何度か叩くうちにパカッと金属部分が割れてしまう。

 一輪車の車輪も酷い物で、数日も使えば鉄球が零れ落ち、ベアリングの意味が無くなってしまうのだ。

 素材の品質管理から製品の精度管理までもがいい加減なのだろう。

 途上国への輸出という事で、二級品を送るのかもしれない。


 互いの顔が見える江戸の町で、そんないい加減な仕事は出来ないだろうが、それを保証も出来ない。

 鉄を選び、丹念に鍛え、画一的な工業製品であるかの様な精度を出せないと、ベアリングを付ける意味は無いのだ。

 

 「けれども、ここに実物がございます。誠実な仕事を果たしさえすれば、作れるのでございます。」


 それは日本の職人への確信であった。

 必ず出来るだろうと思う。

 しかし、それと商売的な成功とは直接結びつかない。

 採算が合わなければ、どんな事業も長続きはしない。

 公共事業とて、予算が確保出来なければ中断してしまうのだ。


 これは一種の賭けであり、他人任せな部分があった。

 しかし、事業とはある種のギャンブルであり、成功すれば利益を望めるが、失敗したらそれまでの時間も費用も無駄に終わる。

 松の説明に尻込みし、誰も買わないならそれも仕方ない。

 もしかしたら、安価で高品質の鉄を大量に供給出来て、初めて成功する事かも知れない。

 それが望めない今、事業的には失敗しか無いのかも知れない。

 けれども、それでも尚挑戦するからこそ、技術の発展は進むのである。 


 集まっているのは、利に聡い御用商人達である。

 彼らが儲けにならないと判断すれば、それは正しい評価であろう。

 採算を度外視しがちな自分とは違い、彼らは現実を冷静に見据え、堅実な商いを行ってきたからこそ、御用商人にもなれたのだろうから。


 「良い物だから売れるとは限らないでしょう。人夫を雇う方が安いなら、軸受のついた物を買う意味が薄いです。また、容易く壊れる物であったら、商売で使う訳にもいかないでしょう。それらを考え、御検討されて下さい。」


 松はそう言って、その頭を下げた。

 そんな松に待っていたのは、思いもかけない言葉であった。 


 「つかぬ事をお尋ねいたしますが、貴女あなたはもしかして、火災の現場を取り仕切ったという、家定様お付の女中さんでございますか?」 

考えれば考える程、当時にベアリングが作れるのか疑問に思えてきました。

儀右衛門さんと嘉蔵さんの技術なら、あるいは、でしょうか。


粗悪な中国製品は、私が体験した実話です。

15年前の話なので、今はそうでもないのかもしれません。



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