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隠すから現れる。嘘をつくからばれてしまう。

「でさ、大次。父上にはどう説明するつもりなの?」


 総出で見送りにきた穢多の集落からの帰り道、梅太郎は気になっていた事を大次郎に尋ねた。

 父の性格を考えれば穢多の集落へ通う事は到底許してもらえるとは思えない。

 肉を食べた事だけでもどんな罰が待っているのかわからないのだ。

 梅太郎がそう思うのも無理はなかった。

 父百合之助は、武士の気風が失われていくのを嘆き、己だけでもと勤倹力行に努める性格である。

 つまりは生真面目なのだ。

 生真面目さはえてして頑迷にも通じる事がある。

 父百合之助の場合、定期的に神社に詣でる事があるのだが、誰とも会わない為早朝に出掛け、その途中に人と出会う事を穢れと考え、人と出会えば家まで戻ってやり直すのである。

 生真面目というよりは神経質であろう。

 どうやったらそんな父を説得できるのだろうか?

 梅太郎の心配は尽きない。


 「兄上は本当にお優しいですね。兄上まで彼らの集落に連れて行ってしまったのに、私の心配をなさってくれるとは。」

 「そ、そんなんじゃないよ! それに肉を食べたのは大次だけだし!」

 

 梅太郎は必死で否定した。

 肉を食べたのではないから、一緒に怒られるのは勘弁だろう。


 「きっちりとご自分の無実は確保される所、真に兄上らしいですな。まあ、ご心配には及びませんよ。隠すから自ずと現れてくるのです。嘘をつくからばれてしまうのです。嘘偽り無く真摯に私の胸中を訴えれば、父上も必ず許して下さるはずです。」

 「大次がそこまで言い切る自信が知りたいよ……」

 「何、香霊様への信心あればこそですとも!」

 「また、それだ。この際だから聞いておくけど、この前のお告げ騒ぎだって、あれって大次の悪戯でしょ? かれい様は食べ物だって大次言ったよね? どんな食べ物か知らないけど、食べ物がお告げなんかするわけないじゃん! そのお告げを父上と叔父上は何でか信じちゃったみたいだけど、どうすんの? これで清国とイギリスが戦を始めなかったらどうなるのさ? 大次はわかってるの?」


 穢多の集落で大次が言い切った、「香霊様とは食べ物である!」発言で、先のお告げがやはり大次の悪戯であったと思った梅太郎である。

 こんな事まで始めて大丈夫なのかと心配する、真に弟思いな心配性な兄であった。


 「流石兄上、ご慧眼をお持ちですな。左様、あのお告げは私の芝居です。ですが安心して下され。お告げの内容自体は本当の事ですから。清国とイギリスは今現在も貿易をしております。イギリスは既にアヘンを密売しております。清国の治安は悪化し続けておりますので、間違いなく戦が始まります。安心してお待ち下さい。」

 「いや、戦を安心して待つって意味がわかんないし……」

 「まあまあ、兄上。家に着きましたよ。」

 「って、それだけじゃないよ! この臭いどうすんの?」

 「大丈夫ですよ。この臭いが証明ですから。」

 「意味わかんない!」


 大次郎の言った意味は、「お帰りなさい、大兄様、梅兄様」と出迎えに来た千代を見れば一目瞭然であった。

 うっと怯んで鼻を摘んだかと思うと、その後一切近寄ろうとしないのだ。

 そんなに臭いかな? と凹む梅太郎。

 それに対して大次郎は、それが彼らの日常ですよと、穢多の人々を取り巻く過酷な現状を告げるのだった。

 自分にも思い当たる節があるので何も言えずに俯く梅太郎。

 「ま、お気になさるな兄上。実際、臭いですからな!」と笑う大次郎に開いた口が塞がらない。


 しかし、母滝は流石であった。

 年寄りや病人の下の世話を長年やってきた滝である。

 二人が放つ強烈な臭いに一瞬眉を顰めはしたものの、顔に出す様な事はなく、笑って二人と接するのであった。

 とはいえ二人は知る由もない。

 変わらぬ笑顔でいる滝が、心の中ではまた大変な事になるなと心配している事など。


 そして、滝の心配は現実のものとなる。


 百合之助が帰宅し、家の中に漂う異臭にたじろいだのだ。

 その異臭の原因が梅太郎と大次郎だと気づき、眉間に皺が寄る。

 しかし、声を荒げる様な事はせず、二人に何事かと聞いた。


 梅太郎は目に見えて狼狽しているので、やはり大次郎が何かをしたのだろう。


 「大次郎、一体この臭いは何なのだ?」

 「はい、父上! 穢多の集落を訪ね、牛の肉を馳走になって参りました!」

 「何?! 穢多だと?! 牛を食べた?!」


 これには百合之助はもとより滝も千代も梅太郎も絶句した。

 梅太郎はなんでそんな真っ正直にと、千代に関しては好奇心が多分に勝っていたが、百合之助と滝にとってはそうではない。

 あからさまな差別意識を持っている二人では無かったが、穢れに対する忌避感はある。

 殺生を禁じる仏教の教え、血を穢れとする神道的な感情から、動物の皮を扱う穢多の人々を穢れていると感じるのだ。

 何となく、動物を〆るのは残酷に感じるから、動物を〆るのを職にしている人に偏見を持ったりするのだ。

 何となく、穢れていると感じる。

 穢れの意識はそんなあやふやな説明不可能な感情であり、であるからこそ、人々の意識からは拭い難いものであった。

 何となく感じるものを、論理でもって論破してみた所でどうなるものでもない。

 むしろ逆に、自分の感情を理性で封じたならば、抑圧された感情が思わぬ所で噴出したりするのだ。

 負の感情は抑圧するのではなく別の何かで昇華するか、その感情の起こる原因を自問し続けるしかない、のかもしれない。


 肉食に関してもそうだ。

 何となくそう思うから、そうなのだ。

 明確な理由はない。

 何となくそう感じるだけに、如何ともしがたいものがある。

 何となく穢れていると感じるから、手を洗って安心する。

 長年使った道具には神が宿ると感じるから、毎年供養をする。

 大きな木には、石には神が宿る様な気がするから、社を造り、神聖なものとする。

 始祖も教義もない神道である。

 何となく、そうなのだ。

 明治維新後、西洋人が肉を食べる事を真似、日本全国にすき焼きなどで肉食が普及したが、それとて何となく、であろう。

 何となく格好良いから、真似をしてみたのだろう。

 何となく肉食は忌むべきものだと思っていたけど、進んでいる様に見える西洋人が食べているから、別にいいんじゃねーの? と。

 実際食ったらうめーじゃねーかよ! と。


 しかし、それは良い面もある。

 何となくそう思っていたけれど、誰もしないからやらなかった事が、誰かが始めた途端に一気に変わる事もあるのだ。


 穢多、肉を食べたと聞いて「なぜ?」と激昂しそうな百合之助と、そんな百合之助をおろおろして止めようとしている滝の意識も、何かのきっかけで何となく変わる事もあるのだろうか?

  

 「父上! 私は彼らと約束をしてしまいました。彼らに学問を教える事を。私は今更それを破れません! 彼らの向上心は誠にもって天晴れです! 肉も彼らの食事を相伴しただけです。兄上は体調が悪くて手をつけてはおりませんでしたが、相手の精一杯の好意で出された物を断る事は私には出来ません!」


 大嘘である。

 大次郎が自分から穢多の人々に自分を売り込みに行った事を知っている梅太郎は、内心頭を抱えたくなった。

 しかも、その目的は初めから肉を食べる事であったのだ。

 何だか感動する様な話に仕立て上げているが、大次郎の目的は恒常的に肉を食べる事なのだ。 それは大次郎の知識を教えに行く報酬が、肉をご馳走してもらう事でいいと提案した事で明らかだろう。

 それすらも、大次郎にかかれば貧しい彼らの負担にならない様に、とかいった美しい話にしてしまうのだろうが、梅太郎には笑えない。

 隠すから現れる、嘘をつくからばれると大次郎は言っていたが、嘘は言ってないけど本当の事も話してないじゃん! と思う梅太郎であった。


 しかし、大次郎の訴えに百合之助は動揺する。

 穢多の境遇を知っているからこそであった。

 彼らが悪いわけではない。

 それは良くわかっている百合之助である。

 彼らに対する差別感情の酷さは武士である程強かった。

 潔さ、公明正大さを信条とする武士にとっては、穢れに対する意識は特に強い。

 穢多がいなければ鎧兜に使う皮を得る事も出来ないのに、皮のなめしには悪臭が伴うからと町からは遠ざけ、蔑み、差別してきたのだ。

 百合之助も大次郎の言葉には反論出来ない。


 「しかし、武士は穢れを嫌うもので……」


 百合之助の言葉に力は無い。

 そんな父にも大次郎は容赦が無い。


 「いざ戦になれば敵兵を切るのが武士の勤めであるはず。切って生き残るか切られて死ぬか。武士の本分は武士の嫌う穢れそのものではないのですか?」

 「であるから我々は神仏に詣でて穢れを禊ぐのだ。」

 「ならば私の穢れも禊げばいいわけですね?」

 「まあ、そうなるが……」

 「であれば穢多の集落に学問を教えに行くのも問題ありませんね?」

 「……そう、なのだ、な……」

 「肉を食べるのも問題ないですね?」

 「いや、それは違うのではないか?」


 息子の理屈に押されながらも、百合之助は反論する。

 確かに、武士が人を斬るのは大きな穢れだろう。

 だからこそ神仏を拝むのだ。

 しかし、それと肉を食べるのは違う気がする。


 「かの元就公は各地で転戦し、篭城をした事もあったでしょう。兵糧が尽き、牛馬を食べて凌いだ事もあったでしょう。それでも戦い続け、今の長州藩があるのではないですか? 肉を食べる事の何が穢れなのですか? 穢れは禊げばいいのではないのですか?」

  

 元就公のご威光は絶大で、父のかすかな反論も止まってしまう。


 「……まあ、そうであるな……」

 「つきましては、私一人では手が回らぬ故、兄上と千代にも手伝ってもらおうと思っておりますが?」

 「千代も? それはいかん! それは認められんぞ! 穢多の集落を女が訪れるなど、それだけは認められん!」

 「それでは仕方ありませんね……。では兄上だけでいいです。」

 「……うむ。それは仕方無い。」


 そういう訳で、梅太郎の同行も決まったのであった。

 滝も安心した様で、千代は何だかがっかりしている。

 千代は好奇心が強いから、穢多の集落、肉にも興味があるのだろう。

 それが叶わないので残念そうだ。

 やっぱり皆騙されてる! 

 と梅太郎だけはその思いを強くする。


 「しかし、文之進のところでの学問はいかがするのだ? あ奴も意気込んでおったぞ?」

 「父上、この大次郎、学問を疎かにするつもりはありません。叔父上にもきちんと了解をとって、穢多の集落には三日に一度くらいの頻度で参りたいと思います。それに、人に教える事は自らの知識を確認する良い機会です。もし彼らが理解できない場合、真っ先に疑うべきは私の力量不足です。今回の事は私が明倫館で講義をする際、大変役に立つ事だと考えております。」

 「そうか、そこまで考えておるのだな。」

 「はい、父上!」

 「大次郎がそこまで考えての事ならばこれ以上は言うまい。しっかりやるのだぞ?」

 「はい! この大次郎、必ずや彼らをしっかりと導き、西洋諸国が日本に来た際の、日本を守る戦力にしたいと思っております!」

 

 最後の最後に大次郎は爆弾を投下した。思わぬ発言に目を剥く百合之助。

 

 「何? それはどういう事だ?」

 「はい! 香霊様のお告げによると、西洋に対抗するには武士だけでは足りないとありました。何故なら、彼ら西洋諸国は平民から兵士を集めているからです。従って、本来戦に赴くべき武士がまつりごとをせねばならない我が国は圧倒的に不利であると。そもそも征夷大将軍とは軍事を司る官職であり、政をなす朝廷と対をなすのが本来の姿です。徳川家がこの国の政を行う現在がおかしいのです。香霊様はそう教えて下さいました。」

 「……なるほど……」

 「神国日本は、この国に住まう者全てが一致団結してこの国難に対処せねばならないのです!」

 「言われてみれば確かにそうだな。しかし大次郎! 今のは幕政批判と捉えられるぞ! 注意いたせ!」

 「申し訳ありません父上。軽率でした。」

 「うむ。」


 これは明らかに幕政批判であった。

 大次郎も反省し、今後の戒めとした。


 「父上、それと共に資金を稼ぎとうございます。」

 「何? 武士が商人の真似事をするというのか?!」

 「その通りでございます。兵法には彼を知り、己を知れば百戦危うからずとあります。私は畑の事も、何かを作る事も多少は知ったつもりでございますが、商売の事を知りません。是非商売の事も知り、己の見識を高めとうございます!」

 「……そうであるか……」


 当時の武士には、「武士は食わねど高楊枝」とある様に気位だけが高く、金儲けを見下す傾向があった。

 賄賂で有名な田沼意次であるが、彼は積極的な財政支出によって経済を活性化させた実績があり、改革と言えば質素倹約に努めるばかりの他の幕臣とは違ったのである。

 不運が重なって失脚してしまったが、海外との貿易を進めようとした意次が老中を続けていれば、日本のその後も変わっていたかもしれない。


 「その一環として、母上と千代の力を借りたいのですが、よろしいですか?」

 

 大次郎に名を呼ばれた滝と千代は驚いて互いの顔を見合わせた。


 「何? 滝と千代の力?」

 「はい、父上!」

 「一体何をするつもりなのだ?」

 「はい! 食べ物を売る事と、物語を売る事を考えております。」

 「食べ物はわかるが、物語とはどういう事だ?」

 「はい。千代には物語を作る才能がございます。それを活かしてもらいたいと思っております。」

 「真なのか、千代?」

 

 話を振られた千代は狼狽した。

 これまで、大次郎の設定を元に話を作ってはきたが、それは所詮子供の遊びだと思っていたからだ。

 大次郎が言う様にそれがお金に繋がるとは考えた事もなかった。

 しかし、真剣な眼差しで千代を見つめる大次郎の姿に、千代も腹を括る。

 大変な事を成そうとしている大次郎に、何か協力できないかと思っていたのだ。

 大次郎が自分に期待してくれているのなら、それに応えるべきだろう。


 「甚だ力不足ではありますが、頑張りたいです。」

 「そうであるか。頑張りなさい。」

 「はい、父上!」

 「そして父上、父上にも手伝って頂きたい事がございます。」

 「何? 私にか?」

 「はい!」


 心なしか百合之助の声は震えていた。


 「それは何だ?」

 「畑の事にございます。」

 「畑だと?」

 「はい! この国の農に携わる者にとって価値ある物を試したいのです。」

 「成程、あい分かった。某の力で良いなら、この国の為、全力を尽くそう。」

 「ありがとうございます。」


 こうして自重を止めた大次郎の計画が動き出す。

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