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吉原にて ★

 「吉原でござる!」

 「頑張って肉を運んだ甲斐があったねぇ!」


 亦介と海舟が、吉原の大門おおもん前で感激している。

 宣言通りにすぐに期日を決め、慰労会へとこぎつけた亦介であった。

 忠震、忠寛、儀衛門も満更ではない様で、どことなく楽しげに見えた。

 東湖は、火急の用事があると言って参加を見合わせている。

 一方、


 「こ、これが、吉原?」

 「お、オラ達まで、こんなとこに入って、ええんだか?」


 挙動不審気味なのは熊吉と嘉蔵。

 黒塗りの立派な構えの門を前に、怖気づいたのであろうか。

 松陰と関わりを持ってからというモノ、異国へ行ったり江戸へ出たり、大名の下屋敷に泊まったりと、およそ想像もしなかった事ばかりに遭遇してきた。

 幾分は慣れてきていたとはいえ、今回は“あの”吉原なのだ。


 吉原の事は、田舎に住んでいても噂として聞き及んでいた。

 曰く、ありんす国という、全く別の国であると。

 そこには、花魁おいらんという天女の様な遊女が住むと。

 格の高い花魁になると、大名であっても相手にされない事があると。

 そういう風に聞いていた。 


 男であれば、一体どんな所なのだろうと、一度は夢想する場所であった。

 その吉原の門の前に今、こうして自分達が立っている。

 門の向こうを想像すると、抱いてきた好奇心と、そんな所に入る恐怖心が混ざり、落ち着かないのだ。

 そんな二人を亦介らが励ます。


 「何を言っているでござる! 熊吉殿も嘉蔵殿も、仲間ではござらんか!」

 「そうだぜ! あの苦楽を共にした仲じゃあねぇか! それによ!」

 

 そう言って海舟と亦介は松陰を見、互いに小さく呟いた。


 「あの二人がここで帰ったら、折角の吉原が取り止めでござる。」

 「ああ、間違いねぇ。では、お二人が入りやすい場所で開きましょう、となるのは目に見えてるぜ。松陰さんはそういう所、頑固だからねぇ。」


 そんな呟きが聞こえる筈もなく、亦介と海舟に仲間と言われ、熊吉と嘉蔵も安心した。

 安心すれば、次にはやはり、門の向こうには何が待っているのか、という期待であった。

 やれやれとした顔の亦介と海舟とは別に、浮かない顔の者も数名混じっている。

 彼らの心中を思い、松陰が尋ねた。


 「才太さん、お菊さんは大丈夫ですか?」

 「……酒を飲むだけなら、問題はない、はず。それ以上は、下手をすると今後一切、籐丸に触らせてもらえなくなるやも知れん……」

 「それは……あり得そうですね……。亦介さんに勧められても、くれぐれも飲みすぎない様にして下さいね?」

 「わかっている。」


 そしてもう一人。


 「すみません、兄上。吉原の様子は、是非とも一度、兄上に目にしておいて貰いたいので……」


 心ここにあらずと言った風情の梅太郎は、半ば無理やり同行させられていた。

 遊郭は、やはり一度は目にしておかないと、と松陰に説得されたのだ。

 将来、絵にする機会は必ずあるだろう。

 しかし、梅太郎の心配事は才太以上であった。


 「ファンリンって、凄いやきもち焼きだよねぇ。それに、あんなに気が強いなんて、思ってもみなかった……」


 放心した様に梅太郎が口にする。

 頭にあったのは吉原行きが決まった日の事だ。

 千代の入れ知恵か遊郭吉原の事を知り、ファンリンの髪は天を衝いた。

 怒りの余りに日本語を忘れ、『私という者がありながら!』と叫び、手当たり次第に梅太郎に向かって物を投げつけるといった惨状を惹き起こしたのだ。

 初めて見るファンリンの癇癪かんしゃくに梅太郎も驚き、慌てて吉原行きを諦めた。

 しかし、後学の為に行かねばならぬと松陰がファンリンを説得し、彼女も不承不承受け入れ、今に至る。

 

 それを思い出して梅太郎は頭が痛い。

 吉原は、梅太郎であっても、やはり憧れがあった。

 どんな所なのだろうと想像し、ウキウキする気持ちは隠せない。

 けれども、帰ったら待ち受けているであろう事態を考えると、素直には喜べないのだ。


 「ここまで来たら、後の事は後で考えましょう! 才太さんと一緒に今日のうちに帰れば大丈夫ですよ! 私も一緒に頭を下げます! ですから、今日は吉原の様子を、しっかりと目に焼き付けて下さいね!」

 「うん、わかってる。この機会をしっかりと活かすよ。」


 力なく梅太郎は笑った。

 そして、おずおずと話を切り出す者がいた。


 「私なんぞがお供しても宜しいのですか?」

 「何を仰います! 長英さんこそ、長い間の牢暮らしがやっと明けたのではありませんか! 今日は、是非ともその辛苦を労いたいと思います!」

 「ありがとうございます……」


 深く頭を下げる長英であった。

 そんな彼らを余所に、ただただ楽しげな亦介が言う。 


 「何をやっているのでござる? 置いていくでござるよ!」



 

 大門を潜り抜けた先は別世界であった。

 目の前には大通りが真っ直ぐに伸び、その左右に建物が並ぶ。

 昼間であるが、人通りは中々に多い。

 吉原の本格的な商いは夜であるが、武士には厳しい門限があり、その武士に合わせて昼の営業が行われていた。 


 「うわぁ……。凄いね……」

 

 梅太郎が感嘆した。

 通りに面した建物の一階には格子がつき、中には艶やかな衣装を纏った遊女が多数座り、道行く男達に愛嬌を振りまいている。

 そんな建物がずらっと並んでいる光景は、一種異様な雰囲気を醸し出していた。

 通りを歩く男達は、皆一様に鼻の下を伸ばし、格子の向こうに座る女達を眺めている。

 女達は、道行く男の気を惹こうとしているのか、思い思いにしなを作り、時には声をかけ、男の煩悩を刺激していた。


 一人の男がふいに立ち止まった。

 ひどく真剣そうな表情で、ある建物の中の一点をじっと見つめている。

 暫く考え込んでいたが、踏ん切りがついた様で、遣手やりてと呼ばれる者と交渉し始めた。

 二言三言、言葉を交わす。

 決断したのだろうか、遣手に連れられ、どこかに消えていった。

 その顔には、期待に満ちた笑みが浮かんでいた。




 「亦介さん、一体どうされるのですか?」


 どうしたものかと思い、松陰が尋ねた。

 そんな松陰に亦介はニヤニヤとし、言う。


 「何でござる? 松陰殿も、早く女子おなごを選びたいのでござるか?」

 「いや、それは亦介さんと海舟さんだけだと思いますが……」

 「折角の吉原でござる! まずは通りを歩いて、雰囲気を楽しむでござるよ!」

 「そうだぜ! 熊吉さんも嘉蔵さんも、まずは慣れねぇとな!」


 松陰は否定したが、聞いてはいない。

 ともあれ、物珍しいのは確かであったので、一行はキョロキョロと、田舎者丸出しで通りを進んだ。

 

 遊郭の光と影は、タイムスリップ脳外科先生の物語で、ある程度は知っていた松陰である。

 明るい顔で見世に座り、愛嬌を振りまいている遊女達は、その多くが親の借金のかたに売られて来た娘達であった。

 見てくれの悪い者や年増は町の片隅に追いやられ、僅かな金銭で身を売る処遇に甘んじている。

 梅毒といった性病に罹る者も多く、栄養失調に陥る事もあり、若くしてその命を散らす事もしばしばであった。

 また、火事が起きても逃亡しない様に監禁され、そのまま炎に巻かれて焼け死ぬなど、悲惨な話は数多い。

 

 そんな事を考えている時だった。 


 「どうしたのでござるか?」


 亦介が声をかけてきた。


 「何でもありませんよ。」


 気にするなと誤魔化す。

 しかしバレバレであったらしい。


 「松陰殿の事。遊女達の身の上でも考えていたのではござらんか?」

 「まあ、そんな所です。」


 胸のうちを正確に言い当てられ、松陰はあっさり認めた。

 

 「同情など止めておくでござるよ。たとえ松陰殿でも、ここにいる遊女全員を救う事など不可能でござるし、憐れみなど、逆に怒らせるでござる。」

 「わかっています。」

 「それに、一人二人救った所で、故郷は貧しいままでござる。家に戻った所で、元の木阿弥が関の山でござる。」

 「でしょうね。」


 貧しい農村から、親に身売りされてやって来た彼女ら。

 たとえ今、自由の身になれたとしても、産業の無い故郷では、女が金を稼ぐ手段は限られている。

 江戸で働こうにも、身寄りの無い彼女らに行く当ては無い。

 となれば、その行く末は容易に想像がつく。

 親の借金のかたに遊郭で働くか、生活費を稼ぐ為に夜鷹として春を売るか、の違いでしかないのかもしれない。 

 

 「拙者らに出来る事は、彼女らの客になる事くらいでござるよ。」


 そう言い切る亦介の横顔は、どこか憂いを帯びていた。

 「亦介さんって、そんな事を考えていたのですか」と、松陰が言おうとした時だった。


 「亦介さん! 花魁道中だぜぇ!」


 海舟の叫び声が響いた。

 

 「何でござると?! それは是非とも見物せねばならんでござる!」


 言うが早いか、韋駄天の如く動き出す。

 そして突然後ろを振り返り、松陰に向け言った。


 「何をしているでござる? 花魁道中でござるよ! 松陰殿も、早く見に行くでござる!」

 

 それだけ言い残し、一目散に駆けていく。

 その顔は、憂いなどまるで感じない、とびきりの笑顔が張り付いていた。

 残された松陰は、気が抜けた様に呟いた。


 「やっぱり、これが亦介さんですよね……」




 一目で花魁とわかる女性が、通りを歩いてくる。

 時代劇で見た姿そのままに、なんとも大きな髪に飾りのついたかんざしを何本も刺し、目に鮮やかな派手派手しい衣装を纏い、三枚歯の高下駄で八文字を描き、静々と歩いてくる。

 後ろには幼い遊女見習いを連れ、大勢の見物客の中、圧倒的な存在感を放っていた。

 その場に居合わせた者は、誰もが口をポカンと開け、通りを歩く花魁を眺めている。


 「こんな昼間から花魁を呼ぶなんて、大した御仁でござるな。羨ましいでござる!」

 「全くだ! 一度でいいから、あんな花魁に酒をついでもらいたいねぇ!」


 吉原の中で最上級の遊女である花魁。

 花魁と馴染みになるには、初会には口すらきけず、二度目には少し近寄れ、三度目にようやく、であったらしい。

 その際、花魁が客を気に入らないと断れたとも言われるが、これらの仕来りは客層が豪商、大名であった初期の事であったとも伝えられる。

 とはいえ、花魁と会うには端金はしたがねでは無理な事で、花魁が吉原に通う者の憧れであった事は間違いがないだろう。

 そんな風に、過ぎてゆく花魁を眺めている時だった。 


 「各々(おのおの)方、ご機嫌は如何だっぺ?」


 聞いた事のある声に、皆して声の主を探す。

 一行を見守る形で、東湖が立っていた。


 「東湖殿? どうしてここに?」


 松陰が思わず尋ねた。

 東湖は火急の用事があると言って、急遽参加を取り止めたのだ。 

 その東湖が吉原にいれば、驚くのも無理は無い。


 「誠、火急の用事だっぺ。付いて来るっぺよ。」


 言うなりトコトコと歩き出す。

 有無を言わせないその様子に、一行は不審がりながらも後を付いていった。

 東湖は大通りを曲がり、テクテク歩く。

 吉原は遊女が逃げ出さない様、堀と塀に囲まれた町である。

 塀まで到達し、また曲がり、進んでいく。

 後ろを歩く一行は、ヒソヒソと話し合った。


 「一体どこに行くのでしょう?」

 「おいら達はお店を選ばないといけないのにねぇ。」

 「と言うか、東湖殿の用事って?」

 「まさか、除け者にされた腹いせでござるか?!」


 それぞれが好き勝手な事を口にする。

 聞こえているのか聞こえていないのか、東湖は構うことなく歩いていく。

 やがて一軒の建物の前で立ち止まり、振り向き、告げた。


 「着いたっぺよ。ささ、中に入るっぺ。」


 そして一行を中へ入れようとする。

 しかし、その建物に亦介と海舟が驚いた。


 「ここは?!」

 「あの金閣楼?!」


 二人共衝撃を受けたらしい。

 不思議に思って松陰が聞いた。


 「きんかくろうって、何ですか?」 

 「吉原でも一、二を争うお店でござる!」

 「とてもじゃねぇが、おいら達にゃあ手が出ない様なお店さ!」

 「そんなお店にどうして?」


 一斉に東湖を見つめる。

 東湖はただ笑って、入ればわかるっぺ、とだけ繰り返す。

 一行は、恐る恐る金閣楼へと足を踏み入れた。

挿絵(By みてみん)

原典:De Becker, J.E. The Nightless City: Or the History of the Yoshiwara Yukwaku

花魁道中の様子は、画像を検索して頂いた方が分かりやすいです。

描写力の無さは、如何ともしがたい!


白粉おしろいが映えて、皆さん非常にお綺麗ですね。

その白粉も、タイムスリップ先生に教えてもらっていますので、鉛中毒という余計な知識も得ています。

遊女の身の上もそうですが、どうしようもない事ばかりですね。

白粉で現代知識無双も考えますが……


金閣楼は創作です。

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