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死んでしまえば良い、斉彬

 「何だその舟は? 燃えておるぞ?」


 斉昭が蒸気船に気づき、言った。

 初めて蒸気船を見る者は、舟が火事でも起こしているのかと錯覚するかもしれない。

 松陰が説明する。


 「これは西洋の、新しい動力“蒸気機関”で動く、蒸気船なるモノにございます。」

 「これが、蒸気船……。その方が清国で見て来たという、例の代物か……」 

 「そうでございます。詳しくはこれをご覧下さい。」


 そして、他の者には繰り返しになるが、斉昭に蒸気機関の原理と蒸気船の構造、銃身の内部に溝を切った新型銃の事を話した。


 「ふむふむ。あの湯気がこの様な事を為せるとは、誠、驚きじゃ。しかし、現にあの舟は、誰も漕がなくても動いておるしのぅ……」


 斉昭は、湖面を進む舟に目をやった。

 直亮が操縦し、諸侯を連れて池の上を走っている。 

 全員は乗れないので、何度かに分けて運行中だ。

 誰もが舵を触りたがり、安全な池の真ん中で操舵を代わってもらい、蒸気船を堪能していた。

 

 柔らかな日差しが湖面に反射し、斉昭は目を細めて舟を見やる。

 光の中、ゆっくりと舟は進んでいる。

 誰が上げたのか、良い年をした大人の、少年の様な歓声が響く。

 思わず、斉昭の頬も緩んだ。

 長閑のどかな昼下がりの、平和な一幕であった。


 そして遂に、斉昭の番となる。

 東湖らが炉に入れる水を補給し、石炭を積み込む。

 斉昭は意気揚々と舟に乗り込み、そこでふと思い出した様に、舟の底を覗く素振りを見せた。


 「斉昭様、水の中には誰も隠れておりませんよ?」

 「じょ、冗談じゃ! その方を疑った訳ではない!」


 慌ててかぶりを振る斉昭であった。




 「蒸気船と新型の銃、か。これで西洋に対抗するというのか? 大砲くらいはないと、ちと、苦しいのではないか?」


 斉昭が大喜びで蒸気船を操縦しているのを横目に、斉彬が松陰に尋ねた。 


 「そうでございますね。まるで足りません。」


 松陰があっさりと言った。

 続ける。

 

 「こんな大きさの舟では足りません。西洋の蒸気船は、我が国の千石船の十倍はあろうかという大きさです。」

 「何? 十倍?!」

 「そうでございます。大砲も多数備え付け、大海を渡る西洋の蒸気船は、それはもう、桁違いにございます。」


 松陰の言葉に、諸侯は考え込んだ。

 その様な大きさの船など、容易に想像出来るモノではない。

 そんな船が開国を迫りに来たらと思うと、肝が冷えてしまいそうであった。

 重ねて言う。


 「それに、この銃も、西洋では時代遅れの代物にございます。」

 「時代遅れだと?」

 「はい。西洋では、先込めではなく後込めで、しかも雷管を用いた発火装置を備えた銃を開発中でございます。」

 「らいかん、とは何だ?」


 松陰は用意していた絵を用い、説明していく。


 「雷管とは、衝撃によって発火する物質を使ったカラクリにございます。火縄は雨に弱く、湿気ると使えません。火打ち石を使えば雨に強いですが、確実に発火させようとすると、押し込むバネの力を強くしないといけないので、狙いが逸れてしまいがちです。それに、火縄ほど発火が確実ではありません。」

 「なる程……」

 「そして開発されたのが、雷管でございます。」


 雷管に使われる物質は、雷酸と呼ばれる、衝撃によって爆発を起こす性質を持った化合物である。

 雷酸は1824年には発見されており、あらゆる条件の下でも確実な射撃を可能とする目的で、目下研究されていた。


 「この雷管を用いた方式ですと、薬莢を金属にする事によって雨の中の射撃は勿論の事、弾が水に濡れても火薬が湿気る事がありません。また、空薬莢の排出も滞りなく行え、驚く程の速さで次弾を発射する事も可能となります。」


 松陰の説明に、皆言葉を無くす。

 今回披露された銃ですら、全く新しく感じていたのに、西洋ではそれを遥かに凌駕する技術が、既に開発されているというのだ。


 「どうしてそれを作らなかったのだ?」


 やや批難めいた口調で直正が尋ねた。

 それもそうであろうか。

 西洋に対抗すると言い、雷管までも知っていれば、当然追及すべきは、その雷管を用いた銃であろう。

 周りの諸侯も、それはそうだと頷いた。 


 「申し訳ありません。雷管には、化学(当時は舎密とも)の知識が必要でございまして、私には無理なのでございます。」


 残念そうに松陰が言う。

 一方、尋ねた直正が驚いた。

 化学の知識に明るい人物に心当たりがあったからだ。


 「それなら、私の義兄が詳しいぞ!」

 「本当でございますか?!」

 「ああ、間違いない。義兄は、オランダより書籍や薬品、ガラス器具を多数購入し、何やら実験を行っておると聞いた。」

 「素晴らしい! それで、そのお方の名は、何と申されるのでしょう?」

 「武雄の元領主、鍋島茂義候だ。」




 鍋島茂義の半生は、過激の一言であろうか。

 直正の父である、佐賀藩前藩主斉直なりなおの浪費癖に意見する事幾たびか。

 江戸の佐賀藩邸の運営にも口を挟み、浪費の元であった斉直の別邸を破却し、斉直の怒りを買って切腹を命じられるなど、その胆力には計り知れないモノがあろう。

 財政改革に果敢に挑戦したが、その過激な行動故に結果を出せなかった、とも言えるだろう。

 しかし、オランダから輸入した本を研究し、大砲の鋳造を行うなど、西洋の力にいち早く着目し、その技術を取り入れようとした人物でもある。

 直正の姉と結婚し、直正の教育にも携わったらしく、直正の開明性は、茂義の影響もあったのかもしれない。




 「私の計画をお話ししたいと思います。」


 新たな人材を紹介され、松陰は意気軒昂となった。

 再び、用意していた絵を使って説明する。


 「まず、佐賀に学問所を作りたいと思います。」

 「なぬ? 佐賀に? 何故なのだ?」


 真っ先に直正が口を開いた。

 長州ではなく、佐賀にと言われれば、不思議に思うだろう。


 「実はこの計画は、薩摩藩にも資金を出して頂く事になっておりまして、薩摩藩家老の調所様の同意も得ております。長州と薩摩の真ん中で、佐賀が丁度良いのでございます。」

 「何? 薩摩も資金を出す?」


 今度は斉彬が驚き、尋ねた。

 そんな事は寝耳に水だったからだ。

 あの調所が同意したというのが、俄かには信じられないでいた。


 「佐賀に民営の学問所を作って西洋の知識を学び、我が国に活用する筋道を付ける計画です。長州、薩摩、佐賀はもとより、福岡からでも、福山からでも、西洋の知識に興味のある者を広く募集します。そこでは実学を学んでもらい、長崎に造船所を作り、蒸気船など、外海を航行出来る大型船を建造します。」


 松陰の発表に皆聞き入った。

 学問を奨励し、有能な藩士を登用する為、学問所の設置を行っていた藩は多い。

 幕府でも、他藩の者でも入れる学問所を作ってはいた。

 しかし、民営の、しかも実学を学ぶ所とは聞いた事がなかった。


 「蒸気船や大砲、鉄砲の製作には製鉄技術の改良が不可欠です。高炉、反射炉を作って鉄を大量生産しなければなりません。」

 「ヒューゲニンの著作だな? それは儂も考えておったぞ!」


 直正が叫んだ。

 ヒューゲニンとはベルギーの技術者で、製鉄技術の著作がある。

 その中で、反射炉について記述している。

 史実で、直正や斉彬は、このヒューゲニンの本を頼りに反射炉を建造し、試行錯誤の末、大砲の鋳造に成功している。


 「武器を作るだけでは国の発展は望めません。民の中に、技術が根付かねばならないのです。そうすれば、新しい産業も生まれましょう。働き口も増えましょう。民の生活は、もっと豊かになる事でしょう!」

 「殖産興業だな。それは私も考えていた。」


 斉彬が、かみ締める様に頷いた。

 斉彬が主導した薩摩の集成館といえば、薩摩切子が成果の一つとして有名であろう。

 西洋の技術を研究し、それを民間にも広く活用しようとしたが、その途上で斉彬は病に倒れてしまう。


 「新しい製鉄法には、石炭が必要です。蒸気船にも欠かせません。福岡には、石炭が出るのではありませんか?」

 「良く知っておるな。」


 黒田長溥ながひろが、感心した様に言った。

 筑豊の炭田といえば、八幡製鉄所と共に発展した炭鉱として有名である。

 石炭自体は室町時代より利用されていたらしく、江戸時代には製塩業で用いられた様である。


 「私が考えているのは、各港をもっと船でつなぎ、各地の産物を津々浦々に行き渡らせる事でございます。蝦夷の産物を越前に。」

 「え? 越前?」


 春嶽がびっくりしている。

 ここで自分の藩が出てくるとは思わなかったのだ。

 松陰は構わず続ける。


 「越前から京に。また、長州に荷を集め、長州から薩摩に、四国に、大坂に。そして大坂から江戸を結びます。」

 「それが調所が言うておった事か……」

 「また、蝦夷から水戸、江戸へと至る航路を、もっと安全なモノにすべきでしょう。その為には、航海術と海図、船の改良も必要かと思われます。」


 建造コストは低いが、遭難の危険が大きい在来の船では、太平洋を航行するには心許ない。

 日本海であれば、どうにか海岸にたどり着ける可能性はあるが、

太平洋では、アメリカまで流されてしまう危険性あるのだ。


 「今ある船の改良、蒸気船の開発、大型船の建造など、やるべき事は目白押しでございます。」


 と、目下の計画を伝え終わった。 

 その場に居合わせた諸侯は、どこか夢見る様な表情を浮かべている。

 と、そこに、堀田正睦が疑問の声を上げる。


 「ちょっと待て。お主の計画は素晴らしいとは思うが、肝心要の学問所は、誰が取り仕切るのじゃ? お主がやるのか? すまんが、お主は若すぎる。他の者が納得せんと思うぞ?」


 確かに、正睦の言う通りであった。

 

 「堀田様の仰る通りです。私には、とても荷が重い事でございます。直正様の仰っていた、茂義様は、どうなのでしょう?」


 松陰は直正に尋ねた。

 直正は暫し考え、首を横に振る。


 「義兄は、そういうのは無理だな。自分で研究する分には、向いておろうが……」


 頑固で胆力があっても、白と黒に分けたがる性格では、組織を運営するのは不向きであろう。


 「仕方無い。儂がやってやろうか?」

 「却下です。」


 正睦の、期待に満ちた顔で為された提案を、正弘が即座に否定した。

 正弘に反対され、正睦はションボリうなだれる。


 「堀田様には、老中として幕府を変えて頂かなくてはなりませんから……」

 「製鉄、蒸気船、大砲、銃、化学の研究とは! 儂がやりたいぞ!」

 「ええい、駄々をこねるんじゃありません!」


 ぴしゃり、正弘が黙らせる。


 「藩主では難しいな。参勤交代で留守にせねばならんし。」

 「では、隠居したお方が宜しいか?」

 「誰か心当たりがあれば……」


 そんな風に、ああでもないこうでもないと話している時だった。


 「ほっほっほ。聞いておったぞ、皆の衆。この儂が、とっておきの名案を教えてしんぜよう!」


 と、蒸気船で遊んでいたはずの斉昭が、突如として割り込んできたのだった。

 ややうんざりした様子の諸侯を他所に、松陰は斉昭に聞く。


 「斉昭様は、どなたか適任者をご存知なのですか?」


 その質問に、ニヤリと笑う斉昭。

 一体誰だ、と諸侯も注目する。 

 そして、一言、


 「斉彬殿じゃ!」


 と述べた。

 言われた斉彬は、鳩が豆鉄砲を食った様な表情で、「え?」とだけしか言えない。


 「私は薩摩の世子なのですが……」

 「なあ、斉彬殿? お主も儂も、長い事藩主になれず、思い悩んだ日々を過ごしてきたものよなぁ。」

 「はぁ、まぁ……」


 斉昭が、感慨深げに言った。

 斉彬も、斉昭が藩主になるまで、長い間部屋住み生活だった事は承知している。

 同じ境遇の者同士という事で、親近感ある付き合いをしていた。


 「そこに、降って沸いた様な、この学問所だ。下手に藩主になるより、お主が活躍出来るのではないか?」

 「そ、それは……」


 斉彬も、それには反論出来かねた。

 正睦ではないが、製鉄や蒸気船、民生の為の技術の研究は、長い間自分が温めてきた事でもあったからだ。

 藩主になれなければ叶わぬ計画だとばかり思っていたが、思わぬ所でそれが叶いそうな気配があり、密かに興奮もしていたのだ。

 寧ろ、参勤交代のしがらみや、旧態依然たる家臣達に邪魔されない魅力も感じていた。


 しかし、嫡子として生まれてきた誇りもある。

 側室の子が、自分を差し置いて藩主の座に座るなど、認めがたい屈辱である。

 容易には首肯出来ない。

 すると、そんな斉彬の心情を察したのか、斉昭が不意に叫んだ。


 「薩摩など捨ててしまえ! つまらぬ誇り、拘りなど捨てて、大道に生きよ! 事は、この日の本の未来なるぞ! 藩主など、なってみたら分かったが、誠につまらん! 江戸城内の勤めなど、下らぬ化かしあい、腹の探りあいじゃ!」


 斉昭の言葉に、頷く者多数。

 特に正睦は、何度も大きく首を縦に振っていた。

 

 「やれこれは、古来からの仕来りで、だの、ここはこうと決まっておりますから、だの、誠に煩き風習、因習ばかりじゃ! お主は、こんな所に来なくて良い! それよりも、未来に生きよ!」

 「み、未来……」 

 「そう、未来じゃ! この日の本の、明るい未来を切り開く為に生きるのじゃ!」


 斉昭の断言に、斉彬の心も揺れる。

 

 「私が、切り開く……」

 「それがお主の天命じゃ!」

 「天命……。し、しかし、私は嫡子です。私に期待する者も多いのです! 簡単に投げ捨てる訳にはいきません!」


 自分が藩主の座につけば、能力によって積極的に人材を登用するつもりであった。

 また、薩摩藩の下級藩士は、それに期待をかけていた事もあり、斉彬の襲封を切望していた。

 そんな斉彬に斉昭がダメ押しをする。


 「いっそ死んだら良いではないか。死んで、身軽になれば良い。それに、古臭い藩の中で改革を進めるより、この日の本そのものを変えてしまう方が、早いのではないのか?」

 「か、考えておきます……」


 やや呆けた様に、斉彬は答えた。

 そんな斉彬を見て、斉昭が直亮に目配せする。

 直亮は、微笑を浮かべるのみ。

 斉彬は、まさか自分が肉と引き換えに、斉昭に売られた事など知る由も無い。

 そしてその直亮は、学問所へ関わる事を条件に、斉昭への説得を了承していた。

 全ては、斉彬をヘッド・ハンティングする為の、仕組まれた企みである。

当初は、松陰が「死んでくれ」と言うつもりでした。

話の流れで、斉昭になりました。


斉彬の死は、毒殺という説もありますね。

集成館事業は、今では高く評価されていても、当時の薩摩藩では頭の痛い問題だったと思います。


1つの藩だけでは出来ない事も、協力すれば出来ると思います。

当時にそんな事が可能かはわかりませんが、共同事業という形にしました。

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