披露
「武力で制圧出来ないならば、彼らは他の方法を用います。」
「それは何だ?」
「それは……」
松陰はそこで、一呼吸置いた。
やや緊張している風に見える。
諸侯は、これまでと違う彼の様子に、一体何を言うのかと待った。
そして、おもむろに口を開き、言った。
「西洋諸国は、我が国で内戦が起きる様に仕向けるでしょう。たとえば、ある国は長州、薩摩といった外様大名を焚きつけ武器を売り、別の国が幕府に協力するといった形で行われます。」
松陰の言葉に、一同は思わず息を呑んだ。
それは喩えとはいえ、余りにも過激に過ぎる。
関が原で敗れた長州、薩摩といった外様大名と、幕府の間で内戦が起こるなど、その当事者の前で口にして良い事ではない。
「何を根拠にその様な事を言うのだ?!」
気色ばんで堀田正睦が問い質す。
それに対し、松陰は真剣な顔で答えた。
「それが彼らの常套手段でございますから。」
「何?」
史実では、薩長側をイギリスが、幕府側をフランスが支援した。
そもそもとして、ヨーロッパの歴史は戦争の歴史とも言える程に、争いの絶えない地域である。
その争いは、インドの支配を賭けても行われている。
第二次アヘン戦争ともいえるアロー戦争では、イギリスとフランスは共闘したが、基本は自国の利益を最大化する為に、競争者は蹴落とすだけだ。
薩長をイギリスが、幕府をフランスが支援したのも、その延長線上であろう。
勝った方を支援していた国が、日本での利権を優先的に確保出来る、という訳だ。
「彼らは、その国の中に争いの種を見つけ出し、育てます。そして、不満分子に武器を与え、秩序を武力で引っくり返させるのです。そしてその後は、新しい政権を影から支配するのです。」
分断して統治せよ、は西洋の植民地経営のモットーであろう。
インドしかり、ルワンダのツチ族とフツ族しかりである。
身分制度を厳格に守っていた日本も、国内制度として似た様な事を行っていたが、支配する側もされる側も同じ言葉を話し、同じ見た目というのは、大きな違いである。
支配される側の不満は、どうしても目の前の権力者に向かうからだ。
たとえそれが、西洋列強の傀儡政権であろうが、である。
従って、当時の列強は、支配する地域の中で敵を作り出し、内部を分断し、互いに憎ませ、争わせ、双方に武器を売りつけ、その対価として富を、資源を、横から掻っ攫っていったのだ。
「イギリスがインドで行ったやり方はこうです……」
そして松陰は、イギリスのインド支配の歴史を語った。
それは、信じ難い程の長きに渡る、西洋人の飽くなき野望の物語であった。
「恐ろしい……」
「信じられんな……」
「巧妙というのか、狡賢いというのか……」
「その様な輩が我が国に来るというのか!」
諸侯は嘆いた。
絶望に似た思いがあった。
その様な執念深い相手に、果たして国を守れるのか不安になった。
どうすれば良いのか分からず、救いを求めるかの様に天を仰いだ。
そんな諸侯の耳に、松陰の声が響く。
「方法はございます!」
慌てて松陰を見つめる。
そこには、いささかの不安も無いと言うかの様に、自信に満ちた顔をした松陰がいた。
「一体どうするのだ?」
その表情に望みをかけるかの様に、正睦が尋ねた。
「天子様の下に、国を一つに纏めるのです!」
松陰が力強く宣言した。
その発言に呆気に取られた一同であったが、いち早く我に返った斉彬が言葉を発する。
「西洋に付け入る隙を与えぬ為に、藩を解体すると言うのか?」
「そうでございます! 今のこの国の状態は、イギリスの進出を許したインドのムガール帝国と似ています。これでは、西洋の思う壺でございます。藩を解体し、まとめ、日の本を一つの国にしなければなりません!」
更に斉彬が質問する。
「それは隙を見せない事にはなろうが、西洋の野望は止められんのではないか?」
「彼らの国は、選挙という制度で政治を司る者を決めます。つまり、彼らの国の民を動かせれば、戦わずしてこちらの思惑を通す事も可能です!」
「どういう事だ?」
「それはこういう事でございます……」
そして松陰は、選挙と、ロビー活動の重要性を説明した。
その胸には、日本の、苦い過去の失敗の記憶があった。
相手国の世論に訴えかけ、その国の政治を動かすのは、日本が不得意とする分野である。
その為、中国国民党のアメリカでの宣伝活動を許し、みすみすアメリカから敵国認定されてしまったのだ。
この様な、プロパガンダに似た行為は、公明正大、清廉潔白を旨とする者には、とうてい受け入れ難い事かもしれない。
正しい事を行っていれば、黙っていても認められると考えがちな日本人は、世界の中では少数派なのだ。
特に、この時代の侍には、認め難い行為であろうか。
「その様な小賢しい行いは、武士の振る舞いではない!」
「天は、正しい者を助けて下さるモノだ!」
「口先だけで相手を丸め込もうなど、君子のする事ではない!」
と、案の定の猛反発である。
そんな中にあって、斉彬と正弘だけは沈黙を貫いていた。
「皆様は、根回しをされた事はないのですか?」
やいのやいのの声の中、表情を変えないまま松陰が尋ねた。
聞かれた諸侯は怪訝な顔をして、答える。
「あるに決まっておる。何を言いたい?」
「私が言っているのは、その根回しと同じ事でございます。」
「何?!」
「飽くなき強欲の塊に見える西洋人も、そこは人の子でございます。彼らなりの正義を愛し、不義理を恐れるモノです。そして、正義は我らにあります。この国の危機を前に、黙って待っているのではいけません。相手の下に出向き、言葉を尽くし、懇切丁寧にこちらの立場を説明し、理を述べ、利を説き、情に訴え、より良き未来を提示するのです!」
「な、なんと!」
松陰の言葉に諸侯は絶句した。
彼らは迫り来る危機に対し、どうやって守るのか、どうやったら防げるのかと、そんな事ばかり考えていた。
しかし松陰は、守るのではなく攻める事を提案したのだ。
海禁政策を敷いている今、その様な発想が出来る訳がない。
皆が絶句するのも不思議は無い。
しかし、斉彬は冷静であった。
「その方の言っている事は矛盾しておるぞ。西洋の脅威をあれだけ口にしておきながら、言葉を尽くしただけで、相手がその牙を引っ込める? そんな事は到底信じられん。」
「そ、それはそうじゃ!」
斉彬の言葉に皆も賛同した。
松陰が答える。
「斉彬様の仰る通りです。たとえこちらに正義があろうとも、相手の民を説得出来ようとも、それだけでは不十分です。政策を決めるのは、その国の政府ですから。」
「では、どうするのだ?」
「力です。」
「何?」
「力を備えねばなりません。彼らは、戦う力の無い者を見下し、軽んじ、その発言に重きを置きません。我々がどれだけ正義を訴えても、力の無い者の言う事など歯牙にもかけないでしょう。彼らからすれば、我々は野蛮な未開の国の住民ですから。」
酷い言い様である。
未開な野蛮人呼ばわりされ、諸侯の顔は歪んだ。
しかし、斉彬には別なモノが見えていた。
松陰の顔に浮かぶ、不敵な笑みである。
「何ゆえ笑う? 何か方策でもあると申すか?」
斉彬にそう聞かれ、松陰の笑みは一層大きくなる。
ニタァとでも音がしそうな、邪悪に感じる程の笑みであった。
そして、突然立ち上がり、池を背にして叫ぶ。
「こちらをご覧下さい!」
声につられ、諸侯は松陰の指し示す、池の奥へと視線を向けた。
そこには、何やら煙を吐き出し、進んでくる一艘の舟があった。
誰も櫓を漕ぐ者などいないのに、独りでに進んでくる、その舟。
何事かと、諸侯は目を丸くして見つめる。
やがて、舟は池の端に接岸し、中から一人の男が降り立った。
その男に、一同は驚きの声を上げる。
「直亮殿?!」
それは、先日大老の地位を辞し、彦根藩主の座も譲った、井伊直亮その人であった。
軽やかな笑みを浮かべ、驚く面々に向かって言葉をかける。
「皆の衆、ご機嫌如何かな?」
そんな直亮に、一同は言葉も無く、立ち尽くしていた。
「これが蒸気船の原理でございます。こちらで石炭を燃やして水を沸かし、出来た蒸気の力でこの中の羽を回し、舟を進めるスクリューと呼ばれる羽を回転させ、進むのです。」
皆が興味津々に蒸気船を見守る中、松陰が絵を使って内部構造を説明した。
原理は単純ながら、その構造は中々に複雑である。
それに、蒸気エンジンから取り出した回転エネルギーをスクリューに伝えるシャフトは、舟の底に穴を開けて通している。
それを船大工に伝える時には苦労したものだ。
折角作った新品の舟の底に穴を開けろと言われたら、当時の船大工の誰もが目を剥くだろう。
一貫斎の作った蒸気船は、先に直亮に見せていた。
それが遺言でもあったからだが、直亮は蒸気船を引き取る事なく、松陰の好きに使えと言ってくれたのだった。
そして迎えたこの会で、開明派の諸侯に披露しようと相成った。
操縦者は直亮しかいないと満場一致で決まり、この池で密かに練習を重ねていたのだ。
その甲斐あって、集まった諸侯の度肝を抜く事が出来た。
直亮はしてやったりと大満足で、感心しきりな一同の顔を眺めた。
「そしてこれが国友一貫斎のもう一つの遺作、新型銃でございます。」
松陰の言葉で直亮が取り出したのは、一丁の銃であった。
見たところ普通の火縄銃と変わらないが、肝心の火縄は付いていない。
「発火装置に西洋の火打石フリントを使い、銃身の内部に螺旋状の溝を刻み、弾の形状を椎の実型に変え、弾と火薬を紙の薬莢で一体化しました。これにより、普通の火縄銃と比べ、次弾の装填速度、飛距離、命中率の向上が達成出来ました。」
「何? 内部に螺旋の溝だと? 弾の形を変えた? 紙のやっきょう?」
直正が食いついた。
当時、直正は既に西洋の大砲の研究に着手していたので、興味が湧いたのだろう。
そんな直正の食い入る様な視線の中、松陰は直亮に告げた。
「直亮様、お願いします!」
「任せよ。」
松陰に応え、直亮は手に持った銃を構えた。
「皆様、あちらの的をご覧下さい!」
松陰の指し示す先には、確かに的が置いてあった。
鐘が木から釣り下がり、白く色が塗られている。
しかし、
「的はわかるが、遠すぎるのではないか?」
直正が指摘した。
その的は、確かに遠すぎた。
池の向こうの林の中にあり、いくら何でも狙える筈が無いと思われた。
当時の火縄銃は、有効射程が50メートルとも言われており、とても遠くの物を狙える様な代物ではない。
それを、その倍はあろうかという距離を狙うというのだから、皆驚いたのだ。
疑いの眼差しの中、直亮は静かにその引き金を引く。
轟音を発し、銃が火を噴いた。
途端、鐘に金属が当たる音がした。
銃の弾が命中したのだ。
「何と!」
「当たったぞ?!」
「直亮殿! 儂にも撃たせて下され!」
直亮は空の薬莢を取り出し、念のため銃身を掃除し、直正に銃を渡した。
直正は、直亮に教えられつつ弾を装填し、構え、撃つ。
再び轟音がし、鐘に当たる音が響く。
「これは凄い!」
直正が驚いた様に叫んだ。
そして、寝ていた者も起きてくる。
「何じゃ、騒がしい……」
斉昭である。
「あ、忘れてた……」
松陰がボソッと呟く。
諸侯の胸には、余計な御仁を目覚めさせおって、との思いが広がっていた。
池ってそんなに深いのかよ?
江戸の中で銃を撃って、騒ぎになるだろ?
大名自身が銃を撃つモノか?
自分の中でも疑問ですが……
次話は、「死んで下さい、斉彬様!(仮)」です。




