松陰、耀蔵を説得す
耀蔵は松陰の言葉に激昂し、「おのれぇ!」と、あやうく叫びそうであったが、どうにか自重した。
当時、武士が感情のままに振舞っていては、出世など覚束ない。
それどころか、下手をしたら切腹となる。
百姓や町人を、怒りのままに無礼討ちにするなど時代劇の中だけのモノであり、実際にしてしまえば厳重な処罰が待っていた。
それに、町奉行には死罪を申し渡す権限も無い。
その場で処刑など、許される所業ではないのだ。
それに、軽々しい行いを自制する理性がなければ、この地位にまでは登れない。
今は取調べの最中であるし、部下の手前もある。
町奉行にあるまじき行いが部下の口から漏れても、そこには身の破滅が待っているだろう。
何より、指1本触れるなという、忠邦の指示を破るわけにはいかない。
気を静め、努めて平静を装い、言った。
「その方、関係無い事を述べるでないぞ。お主の意見を聞いておる訳ではないのだ。起こった事を言えば良い。お主等も、要らぬ口を差し挟むでないぞ。」
高揚している松陰は気づかなかったが、部下達は耀蔵の隠した怒りを悟り、黙り込んだ。
これ以上は、何が待っているかわからない。
一人気づいていない松陰が、話を続ける。
「申し訳ありません。では……」
そして松陰は、イギリスに開かれていた広東に渡り、かの国について調べてきた事を話す。
まずもって、彼らの使う英語を必死に勉強した事。
その為に、彼らの家に使用人として潜り込んだ事。
英語をモノにするのに1年かかった事。
それから、手に入る書物を片っ端から読破し、翻訳していった事。
併せて、清国の者らから、イギリスのやり口を聞いてきた事。
また、傭兵として派遣されていたインド兵に接触し、イギリスの東インド会社が貿易の名の下に、いかにしてインドを支配していったのかを聞き出した事。
そして、広東に3年近く滞在し、ようやく帰国出来た旨を話していった。
「どうにか船に潜り込み、萩へと辿り着き、偶々その場に居合わせた岩瀬様らに捕縛され、こうして江戸まで参った次第でございます。」
波乱万丈な松陰の冒険譚、堂々の終結である。
全てを書き記していた者は、ふぅと大きな安堵の溜息を漏らす。
周りで聞いていた者達も、どよめきと共に互いの顔を見やった。
しかし下手に声を出す訳にはいかない。
耀蔵に目を付けられるのは避けたいからである。
その耀蔵の内心は、舌舐めずりせんばかりに喜びに満ちていた。
開国すべしという松陰の発言に、怒りと共に歓喜の念を抱いていた。
その言葉は、幕政への明確な意思表示であり、祖法の堅持を目指す者への、明白な反旗の表明であろう。
小笠原への渡航を計画した渡辺崋山らとは、比べようもない程に重い罪に問えるに違いない。
今は断念しても、儂が必ずこやつの首を上げてやる、そう心に誓っていた。
寧ろ、ここでその罪を断ぜず、泳がせる状況に、喜びさえ感じていた。
耀蔵は考える。
松陰の話に民が興奮する事は必至だ。
実際に、江戸に来るまでは大盛況だったと聞いた。
今の部下達の様子を見ても、それは一目瞭然だろう。
そしてこの松陰は、釈放された後に、謹慎して口をつぐむという賢さはない。
黙っていられない性分だと見て取れるし、そもそも周りが放っておかないだろう。
この取調べの事も、問われるままに喋り倒す事は確実である。
そして、自分の考えを述べてゆき、興奮した聴衆の熱気に当てられ、調子に乗る様になるだろう。
人という生き物はそういうモノだからだ。
松陰の考えに反応する者が増えれば増える程、話は過激になっていく筈だ。
そうなれば、幕政への批判も混じる事になろう。
民はそれに拍手喝采を送るだろう。
その時こそ、この者の逮捕には相応しい。
身の程を知らず、祖法もわきまえず、どこまで本当かわからない与太話を、さも体験しましたよと説く、目の前の若者。
無知な民はこの者の話に熱狂し、大いに持て囃すであろう。
そして、持ち上げられて有頂天になった末に逮捕となれば、その民に裏切られるのだ。
耀蔵はそれを思い、一人悦に入った。
そして、自分がそれを作り出す光景を想像し、身が震える程の興奮を覚えた。
それに、公衆の面前で、江戸の治安を守る町奉行たる自分に対し、不当な圧力をかけて来た者達もいた事も思い出す。
耀蔵は、目に物見せてくれると、執念にも似た決意をした。
その為には、しっかりと確認しておかねばなるまい。
耀蔵は松陰に話しかけた。
「まっこと、難儀な事であったなぁ。薩摩の者は残念だったが、その方だけでも、よくぞ無事に帰ってきてくれたものだ! お主の父上母上も、さぞや喜んだ事であろうのぅ……」
「はい! ありがとうございます!」
耀蔵の労いの言葉に、松陰は元気良く応える。
「聞き取りはこれで終わりにしよう。その方ら、己の職務に戻るが良いぞ。儂はいくつか、個人的に確認しておく事がある。」
耀蔵にそう言われ、集まっていた者達は職場に戻って行った。
残されたのは、松陰を揚屋に連れて戻る役人と耀蔵、石出帯刀くらいである。
耀蔵は、松陰の話にあった事を、いくつか確認していく。
松陰は、それに淀みなく答えていった。
記憶が曖昧、不正確な所はあったが、全てを事細かに覚えている訳ではないだろう。
耀蔵は、次の事だけを確認出来ればよかったのだ。
「なる程。なる程。それはそうと、先ほど言っておった、開国すべし、というのはどういう意味だ?」
松陰の説明では、幕府によって国を統一し、開国するとあった。
それだけでは幕政に対する批判とは言い難い。
後の確実な逮捕の為にも、そこの所をはっきりとさせておく必要があると思われた。
このお調子者ならば、聞けば素直にベラベラと喋るだろうと思っての事だ。
普通の感覚を持った者ならば、軽々しく幕政への提言など出来る訳が無い。
「はい! 西洋は、それ以外に認めないからです!」
思った通り、打てば響く様に応える。
しかし耀蔵には、その意味が理解出来かねた。
「はて? 認めるも何も、我が国の仕来りであろう?」
「西洋は、強欲にして狡猾でございます。この国の富を知れば、必ず国を開くよう、様々に圧力をかけてくるでしょう! 目の前にある美味しそうな物には、禁止されていても必ず手を伸ばす、辛抱の出来ない子供の様なモノにございます。」
「それは向こうの勝手だろう? 我が方には我が方の都合というモノがある!」
「彼らに、我が国の都合を考慮する理性はございません!」
松陰の言葉に耀蔵は絶句した。
元々、儒家に生まれ、蘭学に苦い思いを抱いてきた耀蔵である。
そんな耀蔵に、異国の者は獣の様だと言い切ったのだ。
日頃からそう考え、異国を敵視していた彼にとっては、混乱してしまう出来事であったのかもしれない。
幕政に対する批判を罪に、さらし首にしてしまおうと見なしていた者が、あろう事か、自分が胸のウチに抱えていた想いを代弁したのだから。
耀蔵は、表立って蘭学を敵視など出来ない。
なんせ、幕府中興の祖として名高い吉宗は、蘭学を奨励し普及に努めたのだから。
将軍自らが蘭学の有用性を認め、蘭書の輸入を一部解禁したりしているのに、旗本の自分が蘭学を批判する事など出来る訳がない。
蘭学を否定する事は、名君として名高い吉宗に対する批判と見なされよう。
従って、耀蔵に出来るのは、蘭学にも有用な知識はあると、自分を誤魔化す事だけであった。
松陰は続ける。
「彼らは言います。自分達だけが文明国だと。経済力と文化を兼ね備えた、世界の一等国だと。二等国にはそれなりの敬意を払うけれども、半人前なので自分達の論理は理解出来ないと。そして未開で野蛮な国は、自分達が教化する義務があると。」
「何を言っておるのだ?」
耀蔵には理解出来ない論理であった。
松陰の話は止まらない。
「未開な国と決め付けられた地域は悲惨です。土地も資源も人でさえも、文明国たる彼らの意志で自由にされるのです。彼らは、自身の未熟さ、自制心の無さには目を瞑り、自分達だけが世界だと、自分達がやり方を決めると、西洋諸国の間で勝手に取り決めたのです!」
「何だと?!」
耀蔵ですら、松陰の話に引き込まれていた。
彼とて、生まれが儒家というだけで、徒に蘭学を嫌っていた訳ではない。
蘭学に流れる、西洋の物の考え方、見方に嫌悪感があったのだ。
危険視していたとも言ってよい。
一つの学問には、その底流に流れる思想というモノが存在する。
漢方では、万物には陰と陽の気があるとする陰陽思想があり、病気はその陰と陽の気が乱れた現象と見なす。
算術であれば、この世の理を数字で解き明かそうとする思想と言えよう。
そんな学問において蘭学に流れるモノは、あくまで客観的に物事を把握し、精神性を排除する、この国の伝統を否定するモノであると思われた。
耀蔵の祖先には、江戸幕府の体制を確立する身分秩序を考え出した、朱子学派儒者の林羅山がいる。
彼は、厳格な身分秩序が国の秩序に繋がり、慎み、嘘をつかない心と、それを表す礼儀が重要だとした。
そして、家康、秀忠、家光、家綱の四代に仕え、幕府のブレーンとして活躍し、以後林家は、朱子学を講ずる家として続く。
そんな林家に生まれた耀蔵は、蘭学に、身分秩序を脅かす思想が含まれていると感じ取ったのだ。
しかし、その蘭学を、己が奉るべき徳川家の将軍自身が認めていたのであるから、耀蔵の自己矛盾は大きかった。
そしてその矛盾は、他の者に向かう。
自己矛盾を解消する行為として、祖法を蔑ろにしたとして、進歩的な人々に対し、容赦の無い取調べを行ったのかもしれない。
そんな耀蔵に、松陰は西洋の蛮行を訴える。
「西洋の南に位置する、アフリカと呼ばれる地域をご存知ですか? 人が奴隷として、物の様に売買されるのです! 生まれた場所から家族と引き離され、恐ろしく狭い船に詰め込まれ、外国に連れて行かれ、鞭で叩かれながら死ぬまで農園で働かされるのです! そしてその農作物は、西洋に高値で売られていく! これが文明国の所業ですか?」
更に続く。
「清国を見て下さい! アヘンは禁制品でございました! それなのに西洋の国は、清国の法を無視し、儲かるからとアヘンを密かに持ち込んだのでございます! そこには貿易の不均衡もあったでしょう! 清国の役人の腐敗もあったでしょう! しかし、彼らは正義を省みず、己の欲望のまま、遂には清国に兵を差し向け、国の一部を強奪したのでございます!」
アヘン戦争については耀蔵も承知していた。
それもあり、異国の文物を更に敵視したのだ。
神州に、異国の者を入れてはならない、そう考えた。
国を開くなどまかりならぬと。
そしてそれは、耀蔵だけの想いではない。
当時は、民に至るまで西洋の蛮行を恐れ、警戒していた。
さりとて、恐怖を与える物にも、人は好奇心を抱くモノである。
その対象が怖ければ怖い程、その正体を知りたくなるのも人情であろう。
松陰の体験は、まさしく世間の人々の好奇心を満たすモノであったのかもしれない。
松陰は続ける。
「そんな野蛮、強欲、狡猾な西洋に対し、国を閉ざしてどうなりますか? 彼らは必ず圧力をかけてきます! 武力をも用いて国を開かせ、彼らの欲しい物を持って行こうとするでしょう! 我らの意思などお構いなしに!」
「我が国には侍がおる!」
堪らず耀蔵は叫んだ。
旗本として、その命をかけて戦う覚悟は出来ていた。
しかし松陰は、言下にそれを否定する。
「今のままでは、いかな武士とて戦い様がございません! 鳥居様は彼らの武器をご存じでしょうか? こちらの大砲が届かないのに、彼らの大砲はこちらに届くのですよ? 清国とイギリスとの戦が、まさにそうでございました!」
アヘン戦争は一方的だったと聞いた。
しかし、それは清国の兵相手であろう。
松陰も言っていたではないか、薩摩の者が叫ぶだけで、清の兵士は腰を抜かした様に崩れていったと。
耀蔵はそう思い、反論する。
「それは清の兵が惰弱だったからであろう! 大砲に差があろうとも、それを押して戦うのが侍だ!」
断固として戦う。
そんな耀蔵の決意の表明に、松陰はにこやかに応え、却下した。
「彼らを上陸させれば方法はあるでしょう。でも、彼らは船に乗ったまま、降りてくる事はないでしょう。」
「何故だ? それでどうなると言うのだ?」
「彼らの目的は、我が国を開かせる事です。それには、無理に戦わずとも、幕府に圧力をかけるだけで十分なのでございます。」
「幕府が屈する筈が無いではないか!」
「そうでございましょうか? 例えば、江戸湾に艦隊を差し向け、船の行き来を妨害したとしたらどうなるでしょう? 物資の往来を差し止められたら?」
「そ、その為の印旛沼の開削である!」
耀蔵は痛い所を突かれた。
江戸の脆弱性は、かねてより指摘されていた問題である。
物資を海上輸送に依存していた為、海上を封鎖されたら途端に干上がるのだ。
その為の対策として、時の老中水野忠邦は、田沼意次の頃より続きながらも放棄されていた印旛沼の開削を、耀蔵に命じて行わせていた。
江戸湾、印旛沼、利根川を結び、水路とするのだ。
しかし、膨大な工事費が必要な事から進展せず、勘定奉行として責任者となっていた耀蔵には、甚だ頭の痛い工事であった。
印旛沼が開削され、江戸湾と利根川が繋がれば、海上封鎖に妨害されず物資の運送が出来るのだが、言うは易し行うは難しである。
「江戸は、物の流れを船に依存しております。彼らは、海上を押さえるだけで済むのでございますよ。そして我が国に、彼らの船に対抗する戦力はございません!」
「そ、それは……」
耀蔵も、これには反論出来ない。
海上の船に対する備えは、幕府には無いに等しい。
沿岸に大砲はあれども、年代物で、実戦に耐えられるかもわからない。
容赦なく松陰は続ける。
「彼らは蒸気船を持っています。蒸気船は風を必要とせず、自由に動く事ができます。大砲の威力も、届く距離も段違いです。物資を積んだ輸送船も同伴してくるでしょう。江戸が干上がり、民の怨嗟の声が満ちるまで、何ヶ月でも彼らは船を留めるでしょう。隣国である清国の一部がイギリスの物になったのですよ? 物資の補給は容易です。そうなった時に、幕府は耐えられますか? 物資の貧窮は、幕府の政策のせいだと民は声をあげるでしょう。町奉行である鳥居様は、そんな民を捕らえますか? どれ程の民を捕らえるおつもりでしょう?」
「……」
耀蔵は答えられない。
そんな事は出来る訳がないだろう。
そして松陰は沙汰を下した。
「そして、幕府に和睦を提案し、艦隊を撤退するのです。国を開く事と引き換えに。」
「くっ!」
反論したくとも、反論出来ない。
耀蔵にも、それは容易に想像出来た。
苦悶に満ちた表情で、どうにか言葉を搾り出す。
「それでも、それでも我が国には開幕以来の祖法があるのだ!」
耀蔵のそれすら、松陰は否定してゆく。
「祖法でございますか? 神君家康公は、清国に攻め入ったイギリスとは貿易をしておりましたよね? 三浦安針ことウィリアム・アダムスは、そのイギリス人でございますよね?」
「何を言っている?」
「大坂城を攻めるのに、イギリス商人より大砲、弾薬を購入しておりますよね?」
「そ、そんな筈がなかろう!」
「あれ? おかしいな……。てっきり皆様ご存知だと思っていたのですが……」
松陰は首を傾げた。
前世、歴史の授業で三浦安針の事を習っていたので、つい口をついたのだ。
しかし、その様な情報は一般には出回っておらず、近世の研究によって明らかにされたモノも多い。
従って、耀蔵が知らないのも無理はない。
しかし、耀蔵には聞き捨てならない松陰の言葉であった。
「おのれ! うぬは神君家康公が、よりにもよって野蛮な異国の者と商売をしていたと申すのか!」
「え? ですが、あの織田信長公も、ポルトガルといった南蛮とは貿易をされていたではありませんか。火縄銃も、そのお陰ですよね?」
「うっ? そ、それはそうであるが、それとこれとは話が別だ! 取り消せ!」
流石に織田信長の事は知っていた様であるが、耀蔵が顔を真っ赤にして叫んだ。
松陰も、耀蔵を怒らせる事が目的ではないので、素直に謝った。
「申し訳ありません。私の思い違いでありました。信長公と、混同していた様にございます。」
「わかれば良い。」
耀蔵は怒りを納めた。
双方、それで終わりと思っていたのだが、この時の耀蔵の発言が後に問題となる事を、二人は知る由も無い。
「では、改めまして、祖法とは何でございましょう? いえ、そもそも、法とは何の為にあるのでしょう?」
「秩序を守る為だ。」
松陰の質問に、耀蔵が答える。
「しかしながら、時が移ろえば、具合の悪くなる部分も出てきますよね?」
「それは修正すればよかろう。」
「そうでございますよね! 大切なのは、秩序を守る為であり、法を守り抜く事ではございませんよね!」
「うぬは、だから祖法も変えよと申すのか?」
ギロッと耀蔵が睨む。
しかし、松陰にも譲れないモノはある。
「一心に国の安定と、民の安寧を願えば、古きを捨てる事も必要だと思います。論語にあります、君子豹変す、と。また、過ちを改めるのに憚る事なかれ、と。鳥居様! 鳥居様は何を大切にされているのでございますか?」
「……この国の秩序だ。」
「そうですか! 秩序がなければ国は治められませんからね! しかし、鳥居様、よくお考え下さい! このまま国を閉ざし、異国の脅威に晒され、国を開くという屈辱に甘んじて、幕府の権威は守られますか? 秩序は保たれますか?」
「……」
耀蔵には答えられない。
そんな耀蔵に松陰は畳み掛ける。
「ですから先に国を開くのです! その為に、幕府によって国を統一するのです! 統一し、意思を一つに纏め、国を開き、西洋諸国と相見えるのです! 西洋は巨大です! 強力な武力を持っています! しかし、我が国が一つになり、事に当たれば、必ずや、彼らの野望を打ち砕けるでしょう!」
思いもかけない松陰の一言に、耀蔵はギョッとした。
蘭学を志す者らは、西洋の学問に憧れていると思っていたからだ。
そして松陰は、懇願する様に耀蔵に言った。
「鳥居様、三方ヶ原の戦いを思い出して下さい。神君家康公は、どうして自らの肖像画を残されたのですか? 激情に駆られ、短慮の結果を重く受け止め、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓われたから、ではございませんか?」
三方ヶ原の戦いの事を言われては、耀蔵も何も言えない。
「今の鳥居様は、冷静に物事を考えておられますか? 敵を知り、己を知らば百戦危うからずと申します。鳥居様は、敵の事をご存知でございますか?」
孫子の兵法の基本は戦だけではないだろう。
「鳥居様は真の忠臣とお見受け致します。忠臣とはいかなるモノでございましょう? 仕える君が、一時の激情に身を任せようとしている時に、身を挺してでもお諌めする。そうではありませんか?」
それには耀蔵も、言葉を返さざるを得なかった。
「お前は、自分が忠臣だとでも言いたいのか?」
「それは違います。私は、私の考えを述べているに過ぎません。私は幕臣ではありませぬ故、幕府の忠臣とはなりえません。しかしながら、この国の行く末を案じる身ではございます。民の安寧を願い、日々の職務に励まれている鳥居様と同じだとは、お恐れながらも自負しております。」
耀蔵は言葉を返さない。
「鳥居様、道を誤らないで下さい。西洋の野蛮な輩は、国を閉ざしていた所で防げるモノではないのです。我が国の富を前にした彼らに、武士道の高潔さ、徳の高さは通じないのです!」
更に続ける。
「彼らは傲慢で、強欲で、狡猾で、残虐で、執念深いです。我々が一致団結しても、西洋には武力では直接は勝てないでしょう! 国の大きさが違うからです。もし仮に一度は勝てたとしても、彼らは諦めません! 手を変え品を変え、時間をかけ、彼らの目的を果たそうとするでしょう。イギリスがインドを支配していった過程は、10年20年の話ではなく、100年200年の時間をかけての事なのです!」
「な、なんと!」
唖然とするしかない話であった。
「それに彼らは、利益の為なら互いに手を結ぶでしょう。結託し、様々な手を使って我が国から富を奪い去ろうとするでしょう。そんな彼らを前に、我らが争う事は、彼らの思う壺となるでしょう! 彼らの目的は、我々を相争わせても達成出来るのですから! 双方に武器を売りつけ、戦を長引かせ、疲弊させて金だけ搾り取るのです!」
そう言って、松陰は話を終えた。
それに対し、耀蔵はこう述べるに留まる。
「気分が優れぬ……。取調べは終わりだ……」
そう呟き、ヨロヨロと立ち上がったかと思うと、力なく部屋を後にした。
残された役人達も、その顔色は良くない。
無言で松陰を揚屋に戻す。
房で待っていた者達は、耀蔵に拷問蔵に連れて行かれた松陰の運命を悲観していたが、何事もなく帰って来た事にまずは驚いた。
話を聞きたがった。
そして松陰の、獄中での演説が始まっていく。
松陰の話に、説得力があれば良いのですが……
とはいえ、こんな話くらいでは、耀蔵さんは説得出来ないでしょう。
今更ですが、牢屋敷に入った新入りは、問答無用でキメ板で打たれたらしいです。
キメ板とは、まあ、囚人を殴打する板ですね。
幅45センチ、長さ60センチ、厚さ1センチの、桐製の板切れだった様です。
その後、ツメと呼ばれる賄賂を要求された様です。
ですので、松陰の入牢風景は間違いであると思われます。
まず入牢の儀式が行われる様です。
史実で、ペリーの船に渡航を拒否され、出頭した松陰は同じ牢屋敷に入れられています。
無一文であった為、手酷い目に遭うかと思いきや、アメリカに渡ろうとした時点で死も覚悟していたので好きにしろ、の様な事を言い、牢名主らの度肝を抜いたらしいです。
その後無事に賄賂を用意でき、事なきを得た様です。
私の作り話より、余程面白い人ですね、松陰先生は。
牢名主の下には、上座、中座、下座の牢役がいたそうです。
ツメを持たずに入った者は、小座になり、酷い扱いを受けた様です。
ツメを多く払った松陰は、牢名主の絶対権力で牢役にいけた、のでしょう。
牢名主に気に入られれば、まあ、牢生活は安全だった様です。
役人の不正もあり、賄賂次第で外の物品も手に入ったそうです。
追記(2月6日)
耀蔵さんは、三浦安針がイギリス人という事や、家康は鎖国をしていなかった等を知らなかったはず、とのご指摘を受け、一部加筆修正しました。