表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/239

取調べ

ご指摘を受け、奉行職に対して一部表現を修正しています(2月3日修正)。

 南町奉行鳥居耀蔵による、吉田松陰への取調べが始まった。

 本来であれば奉行本人が取り調べをする事はないのだが、今回は国禁を犯した容疑である為、耀蔵が直々に取り調べをする事にしたのだ。

 耀蔵は、拷問蔵にて取調べを行う事を決めた。

 伝馬町牢屋敷の長官、石出帯刀いしでたてわきは、老中の許可も無しに拷問蔵を使う事に反対したが、拷問自体は行わないとの耀蔵の説得に負け、自らの立会いの下、拷問蔵での取調べを認めた。

 



 因みに、石出帯刀とは世襲で、代々牢屋敷の長官を務めてきた石出家の者が名乗った名である。

 歴史上最も有名な石手帯刀は、吉深よしふかであろうか。

 明暦の大火(1657年)によって牢屋敷にも火の手が迫り、罪人とはいえみすみす焼け死ぬのを哀れんだ吉深が、火事が鎮火した後に必ず帰ってくるよう約束をさせ、「切り放ち」と呼ばれる、囚人達を一時的に牢から解き放つ選択をしたのだ。

 その数は、数百人に上ったという。

 吉深の行動に涙を流して感謝した囚人達は、鎮火後、約束通り全員が戻ってきた。

 囚人とはいえ、その義理堅さに感動した吉深は、幕府に彼らの罪を一等減刑する事を訴え出た。

 幕府もそれに応じ、その囚人全員の罪を減刑した。

 以降、これは前例となり、「切り放ち」の後に帰って来た者は罪を一等減刑、戻らなかった者は減刑無しとなったらしい。




 その様な先祖を持つ石手帯刀にとって、幕府の許可なく拷問をするなど、許せる事ではなかった。

 耀蔵としても、石手家の事は理解していたし、忠邦の命に背いてまで拷問を科す気もない。

 それに、今は泳がせておくとも決まっている。

 耀蔵としては、見るもおどろおどろしい拷問器具の数々に、松陰が震え上がって包み隠さず語る事を期待したのだ。

 語らねばどうなるかわかっておろうな、という事だ。

 間抜けに見えた松陰には、拷問を科せないこちらの事情など、気づきもしないだろうと見積もったのだ。


 揚屋から役人が松陰を連れて来て、拷問蔵に移す。

 と、見知った耀蔵を見つけ、松陰は泣いて訴えた。


 「御奉行様ぁぁ! お願いですぅ! 早くここから出して下さいぃぃ!」


 耀蔵は少々呆気に取られた。

 まさか、ここまで根性の無いヤツとは思わなかったのだ。

 そんな耀蔵の内心を知らず、松陰は更に叫ぶ。

 

 「臭い、汚い、食い物はまずい、蚤に噛まれる、こんな所には耐えられないんですぅぅ!!」


 そんな松陰の様子に、耀蔵は知らずに頬が緩んでいた。

 牢獄に入れられただけで余りに情けない、そう思っていた。

 危険視したのは買い被り過ぎか、とまで考えた。

 異国の事を民に話していたのは、頭が緩いから、聞かれるままに答えただけなのでは、と推測した。

 若干拍子抜けした思いもあったが、一罰百戒の為にも、自分に圧力をかけてきた者達への復讐の為にも、ここは厳しく取り調べねばなるまい、そう思い直し、口を開いた。


 「お主が遭難して異国に渡った事は承知しておる。難儀であったな。しかし、国禁を犯した事には変わりは無い。何もせずに釈放してしまっては、民に示しがつかぬ。ここで素直に全て白状すれば、我々も鬼ではない、寛大な処置が待っておろう。であるから、包み隠さず話すのだぞ?」


 当時の裁判は、物証も重要ではあったが、それにもまして自白が必須であった。

 どうやっても自白がなされなければ拷問も科されたが、拷問で口を割らせるのは、役人の力量不足として下に見られる行為である。

 どうにか自白を引き出すには、時に激昂した振りをし、時に情に訴え、時に親身になった振りが必要である。

 耀蔵も、目付から出世してきたのだ。

 いかにも同情している素振りで、猫なで声を出すくらいは朝飯前であった。

 そんな耀蔵に松陰も感動したのか、


 「うぅぅ、わかりましたぁぁ。何でも話しますぅぅぅ。」


 と涙声で応えた。

 耀蔵は内心ニヤリと、表面はニッコリとして、松陰に言った。 


 「では、名前、生まれ、簡単な経歴と、遭難に遭ってからの事を 詳しく話せ。」

 「は、はい。わ、私は、吉田松陰と申します。う、生まれは長州藩の萩で、父杉百合之助と母滝の次男として、ぶ、文政13年8月4日に生まれました……」


 こうして、松陰の長い独演が始まった。

 それを書き記す、書記役こそいい迷惑であろうか……


 「そして嵐に遭遇したのです! 真っ黒い雲が水平線からニョキニョキと湧き出て、瞬く間に空を覆っていきます! やがて大風が吹き始め、船は大揺れ、捕まっていても立っていられません! あれ程偉そうだった薩摩の人も、顔を青くしています! 私は覚悟しました! 身はたとえ、海の藻屑になろうとも、留めおかまし大和魂と!」


 途中から松陰も舌が回り始めたのか、絶好調で話し始めた。

 牢屋の悪待遇も忘れ、皆と入念に作り込んだ創作話を、さも体験したかのように話していく。

 萩から江戸の道中、何度となく繰り返してきた話なので、最早これが本当の事とまで錯覚する程であった。

 縛られている事も忘れ、身振りを使って盛り上げていく。

 

 気づけば蔵の周りには、暇な役人達が集まっていた。

 拷問蔵は、牢屋敷の中では孤立した場所に建てられている。

 拷問に遭った囚人の悲鳴を聞いて、他の囚人が動揺しない為であるが、それが逆に、集まるスペースともなっていたのだ。

 皆漏れ出てくる松陰の話に、熱心に耳を傾ける。

 台湾の民の窮状には心を痛め、薩摩の蜻蛉が清の兵士を叩き斬る場面では喝采を上げ、大砲の発射の場面には大興奮して聞き入った。

 基本、江戸時代の役人の職務は暇である。

 こうして集まっても問題は無い。

 

 そして、耀蔵はといえば、そんな彼らを追う払う訳にもいかず、苦りきっていた。

 町奉行は、いわばキャリア官僚の上がりのポストであったが、その激務さ故、就任者が過労死する事も多い、多忙を極める職務であった。

 それに対して奉行所の現場を担うのは、代々その職にある与力や同心といった、いわばノンキャリである。

 そんな職場で彼らの支持を失ってしまえば、たちまち職務は滞り、己の評価が下がってしまう。

 国禁を犯した容疑者の供述とはいえ、ここまで人が集まってしまっているモノを禁止でもしたら、耀蔵に大して大ブーイングが巻き起こるだろう。

 そんな恐ろしい事は、いかな耀蔵でも取れる訳がなかったのである。 

 

 「戦に勝ち、混乱を静め、一時の平穏が訪れます。しかし、それは長くは続きませんでした! 我々は、平和な日々に、忍び寄る病魔に気づくことはなかったのです! 突如、激しい腹痛が我々を襲います。血の混じった便が際限なく出続けました! 一人が倒れ、次の日には二人が倒れていく。そんな風にして、とうとう全員が寝込んでしまったのです! 私も死ぬ思いをいたしました!」


 いい加減にしろとは、耀蔵の正直な所である。

 長すぎると、いつまでかかるのだとウンザリしていた。

 しかし、石手帯刀すらも、かぶりつく様に松陰の話に聞き入り、とてもではないが、中断させる訳にもいかなかった。

 そんな耀蔵の心の声には構わず、松陰の独演は続く。


 「そして、そして……、戦場ではあれ程の強さを誇った薩摩の人達も、この病には勝てず、次々に命を落としてしまったのです……」


 感涙に咽ぶ者続出である。

 帯刀も、溢れる涙を堪える事が出来ず、何度も裾で涙を拭うのであった。

 耀蔵は、一人白けていた。 


 「私は一人生き残りました……」


 松陰の静かな叫びは、耀蔵を別にすれば、誰もが胸を打たれるモノであった。


 「そして私は、せめて彼らの勇姿を彼らの家族に伝えようと、帰国を決意しました。台湾の民が言うには、清国に行けば交易の船に乗れるかもしれない、との事でした。しかし、彼らの持っている船では、海を渡るのは命がけだと言うのです。でも、私は必ず帰ると誓いました!」


 松陰の決意に、皆心打たれた。

 残された家族は、遭難した者の無事をいつまでも祈っているだろう。

 いつまでも、無事に帰って来る事を願い続けているだろう。

 そんな家族には、たとえ病で死んだという訃報であったとしても、伝えてあげるのが優しさなのかもしれない。

 新しい生活を始める為には、過去として区切りをつけないといけない事もあるのだから。


 「そして、ついに、清国に渡る機会を得たのです! 渡った先では、かのアヘン戦争の只中でした!」


 ここでようやく、耀蔵の気になっていたアヘン戦争の話が出てきた。

 出島に限っていたとはいえ、清国とは交易がある。

 歴史は長大、国土も巨大だとは、耀蔵も知識があった。

 孔子、孟子は日本でも良く知られた、かの国の偉人だ。

 そんな大国清に果敢にも戦を仕掛け、勝ってしまったのが西洋の国イギリスと聞く。

 禁制品のアヘンを密かに持ち込み莫大な利益を上げ、それを咎められると難癖をつけ、戦を仕掛け、国土を分捕ったのだ。

 何とも野蛮で強欲な、恐るべき国であろうか。

 その様な国があろうとは、耀蔵には俄かに信じられず、その報を聞いた時には呆然としたのだった。

 

 それから考えた。

 どうしてなのかと。

 答えはすぐに出た。

 西洋が野蛮だからであろう。

 オランダから入ってくる風説書でも、かの地では戦乱が途切れた事がないらしい。

 力が正義という、この地では2百年前に卒業した事を、いまだに続けている輩達なのだ。


 更に考えた。 

 では、我々はどうすべきなのか。

 それも答えは簡単であった。

 国をむやみに開かず、西洋との交易は許さない事だ。

 清国は、西洋との交易を許したからこうなったと考えた。

 西洋では小国の、オランダのみの往来だけは許すものの、それでも自由な商売は許さない。

 つまり、今の制度を断固維持する事が肝要だと考えた。

 そんな耀蔵を前にして、松陰はアヘン戦争の光景を熱弁する。


 「どーん!! 耳をつんざく、イギリス艦の大砲が盛大な白煙を辺りに撒き散らし、吼えます。それをまともに喰らった清国のジャンク船や哀れ! 木っ端微塵となって、海の藻屑と消えてしまいました。なんと一方的な戦いなのでしょう! ジャンク船の大砲はイギリス船にはまるで届かず、いたずらに被害を大きくしていくのです……」


 松陰は俯いて呟いた。

 その顔はどこまでも暗い。

 それに聞き入る役人達の顔色も暗く、知らずに下を向いた。

 アヘン戦争の事は情報では知っていたが、それを直接目にした者の口から聞く話は、臨場感と共に危機感をも引き起こすモノであった。

 隣国清の軍事技術は、自分達と同じくらいだと思われる。

 その清がこうも呆気なく敗れると言う事は、イギリスの矛先がこちらに向けば、抗い様が無いのではないか?

 そんな不安が去来していた。


 と、俯いていた松陰がふっと顔を上げた。

 下を向いた役人達は気づいていない。

 心なしか高揚している様な、そんな表情である。

 

 「そんな恐るべき光景を目にし、私はふいに悟りました。私がここにいるのは、これを皆様にお知らせする事だったのだと!」


 力強く言い放つ。

 その言葉に役人達はハッとし、思わず顔を上げる。

 そこには、悲壮な覚悟を決めた、一人の侍が座っていた。

 決意に満ちた表情で、宣言する。


 「西洋のやり方を知り、学び、それに対する対抗策を考える事だと! 日の本を守る為に、どうすれば良いのかを探る事だと!」

 「ど、どうすれば良いのだ?」


 堪えきれなくなった一人が、思わず尋ねた。


 「これ! 今は取調べ中であるぞ!」


 慌てて耀蔵がたしなめる。


 「す、すみません……」

 

 耀蔵に注意され、その者はうなだれた。

 そんな様子に松陰はニッコリと微笑み、質問した者に向かい、話しかける。


 「ご心配いりません。私には秘策が浮かびました。」

 「そ「これ!」」


 先ほどの者が再び声を出そうとした所を、耀蔵が慌てて遮った。

 松陰は続ける。


 「日の本は、幕府と諸藩に分かれたままではいけません。幕府の下、一つにならねばならないのです。統一された政府の下、統一された軍を創設し、西洋に対抗するのです!」


 それは、居並ぶ者の誰も予想もしない策であった。

 諸藩を統一し、国軍を作る。

 余りに突飛な、現実離れした案に思えた。

 しかもそれが、外様の長州藩毛利家家臣が言うのだから、尚の事であろう。

 長州の毛利家といえば、関が原で徳川に敵対した西軍の総大将を務め、敗戦後は領地を減らされた過去を持つ。

 徳川に恨みはあれど、その様な策を披露するとは思えなかったのだ。


 しかし耀蔵には、それは大変興味を惹く提案であった。

 幕府の権威を何よりも重視する耀蔵にしてみれば、徳川家が日本を統治するというのは、この上もなく甘美な響きをもって聞こえた。 

 けれども、松陰の策は終わっていなかった。

 特大級の爆弾を投下する。


 「そして、準備を整え、日の本を開国します。」 


 その言葉に、耀蔵は激昂した。

当時の町奉行は、午前中は江戸城へ、午後から奉行所へ出勤していた様です。

ですので、お奉行様が取り調べなんてやりません。

そんな時間はなかった様です。

今で言う、判子押しが主な仕事だったみたいですね。

取調べも罪状の決定も部下が既にやっており、お白州で沙汰を言い渡すくらい、とか。


取調べの様子は、すみません、適当です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ