松陰の計画
噂の長州藩士吉田松陰が駕籠に揺られ、西よりやって来た。
勝五郎も歳三も、人々の中からそれを迎える。
聞いていた通り、駕籠の中には、自分達と変わらない歳の少年がちょこんと座っていた。
己に待ち受ける運命を受け入れているのか、動揺も悲壮感も見られず、平常心を保っている様に見えた。
街道に集まっていた人々は、こんな少年が異国に渡り、阿片戦争を見てきたのかと驚嘆した。
噂では、台湾での住民の蜂起に仁義を感じ、一緒に遭難した薩摩の者と共に、敵の白刃の下にその身を晒したらしい。
火事と喧嘩は江戸の華。
それが、圧政に苦しむ民の為ともなれば、江戸の民衆ならずとも粋に感じるであろう。
そして、食うや食わずの遭難を共に生き延び、戦まで潜り抜けた仲間を全て失い、生きて一人、無事に故郷に帰ってきたという。
それなのに、こうして罪人を運ぶ駕籠に押し込められ、江戸まで連れて来られるという処遇に落とされている。
街道に集まった人々は吉田松陰の経歴に驚き、心意気に感じ入り、今の境遇に憐憫を覚えた。
そして、噂通りに松陰の講談が始まった。
天下の往来では邪魔になると言い、街道沿いの広場で行われた。
松陰の言葉に合わせて、何故か幕府の役人達がその場面を再現していく。
嵐に遭って遭難する一幕。
命からがら流れ着いた台湾の地で現地の民に助けられ、どうにか命を繋いだ場面。
その民の窮状を目撃し、力を貸して欲しいと懇願された場面。
悩んだ末に、その力を振るう事を決意する場面。
腰に差した刀だけを頼りに、清の大軍に斬りこむ一幕。
集まった民衆は、斬ったはったの芝居を繰り広げる彼らを、時にどよめき、時に涙し時に笑い、大興奮をもって見守った。
講談が終わり、集まった民衆は皆大満足で、それぞれの家路についていく。
そして、松陰と直接話をしようと思う者達がその場に残り、人ごみが去るのを待っていた。
暫くし、意を決して勝五郎が声をかけた。
その横には歳三が立っている。
「お侍様!」
「何ですか?」
少年の声がし、松陰はその声の主に向き合い、応えた。
「俺は百姓の倅です。でも、お侍様の様なでっかい事をやりたいんです!」
「俺もだ!」
「百姓では無理な話ですか?」
悲痛な面持ちでその少年が言った。
松陰は、目の前の少年二人の顔に見覚えがある様な気がして、まずは名前を尋ねた。
「お二人の名は何ですか?」
「あ! 失礼しました。俺は宮川勝五郎です。」
「俺は土方歳三だ!」
「ぶっ!」
松陰は思わずむせた。
宮川勝五郎という名に聞き覚えは無かったが、土方歳三の名前を忘れるはずが無い。
土方と名乗った少年は、写真で見た土方歳三の、若かりし頃と言えば言えなくも無い。
“これ”が“あれ”になるのは納得出来る。
本人で間違いないだろう。
だとするなら、隣にいる少年は近藤勇と推察出来た。
こちらはしっかりと、写真で見た近藤勇を若くした顔だと分かった。
宮川勝五郎という名前は、養子や改名で変わったのだろう。
幕末の、超がつく程の有名人に会え、松陰は俄然興奮した。
「お二人はもしかして、武士になりたいと思ってますか?」
知ってはいたが、確認の為に聞く。
「はい!」
「へっ! 当たりめぇだ!」
予想通りの答えに満足する。
「素晴らしい! では、そんなアナタ達に、良いモノを差し上げましょう。武士の本気の一撃でございますよ!」
松陰はそう告げ、後ろを振り返り、言葉を掛けた。
「東湖殿!」
「応!」
松陰の呼びかけに東湖が立ち上がる。
勝五郎と歳三は、東湖から発せられる気配に呑まれ、身動き一つ出来なかった。
芝居の時とは打って変わり、触れば切れる様な張り詰めた空気を漂わせ、東湖は二人の前に立つ。
元々大きな体躯の東湖であったが、間近にいる二人にとっては仰ぎ見るまでの巨大さを感じていた。
「東湖殿、分かってはいるかと思いますが……」
「心配無用。抜きはせんっぺ。」
松陰の心配を軽く背中で受け流し、東湖は二人に対峙した。
「小僧共、動くと死ぬっぺよ?」
そう言い捨て、腰の刀を抜く。
目の前の二人には、東湖が抜いた様に見えた。
いや、天下の往来で白昼堂々刀を抜くなど有り得ない。
頭では分かっていたが、勝五郎も歳三も、東湖が確かに抜刀したのだと感じたのだ。
そう錯覚する程に、東湖から発せられる気配に押しつぶされそうであった。
周りにいた者達も、息を呑んで東湖の挙手を見守った。
無刀のまま、東湖は上段に構える。
そして正中線より横に外れ、右肩の前で静止した。
「今も、かの地を駆けているであろう忠蔵殿に敬意を表して、蜻蛉で参るっぺ。」
そう呟き、この世の物とは思えない絶叫を発し、その手を振り下ろした。
斬られる。
東湖から浴びせられる殺気に、居合わせた者達は皆己の死を覚悟した。
蜻蛉から繰り出される東湖の無刀の一撃に、勝五郎と歳三は息を飲みつつも、カッと目を見開き、その動きを必死で追った。
静寂が辺りを包み込む。
東湖は静かに一礼し、下がる。
茫然自失の者達を残し、松陰は言った。
「これが、戦場を潜り抜けてきた武士の、渾身の一刀でございます。二人が目指すのは、この様な者達が鎬を削り、命のやり取りをする場ですよ。」
松陰の言葉を勝五郎と歳三は噛み締めた。
「これが、戦を潜り抜けた、武士……」
「クソっ! 何だよ!!」
放心状態の周囲の者達の中、二人だけが松陰の言葉に反応し、声を上げた。
多少は声が震えていたが、それは仕方あるまい。
「ほう?」
そんな二人の様子に、東湖もピクリと眉を動かす。
二人が、己の一撃に目を瞑らずにいた事には気づいていた。
しかも、殺気に呑まれる事無く、直ぐに言葉を発している。
肝が据わっていなければ不可能な事だ。
どれだけ厳しい稽古を積もうが、こればかりは持って生まれたモノと言うしかないだろう。
東湖は、松陰がこの二人を気に掛けた理由を理解した。
その松陰は、知らずににっこりと微笑んでいた。
流石は近藤勇と土方歳三だと感激していたのだ。
感激ついでに、二人を己の計画に巻き込もうと思いついた。
二人が史実通りに新撰組を結成し、長州藩士を斬りまくっても困る。
丁度良い機会だと思った。
「お二人共、武士を目指す事に変わりはありませんか?」
「と、当然だ!」
「俺もだ!」
松陰の言葉に勝五郎と歳三が答える。
「宜しい。では、そんな二人に目標を差し上げましょう。」
「目標?」
「偉そうに、何だよ?」
訝しがる二人に松陰は言う。
「今から約10年の後、私はアメリカに渡ります。」
二人は、思ってもみなかった松陰の言葉に唖然とした。
「は?」
「あめ、りか?」
出島で交易のある筈の清国に渡っただけでも、こうして江戸に送られているというのに、今度はあろうことか、アメリカに渡ろうと言う、駕籠の中の少年。
二人には、常軌を逸しているとしか思えなかった。
「頭がおかしいんじゃねえの?」
「幕府が許すはずがねぇ……」
「許可を取りますから大丈夫ですよ。」
あっけらかんと松陰は言う。
「許可って……」
「出る訳がねえ!」
「許可が出る出ないではなく、出させます。許す許さないではなく、押し通します。出来る出来ないではなく、やるのです!」
尚も不可能だと言い募る二人を、松陰がピシャリと黙らせた。
その言い切り様に、二人も言葉が続かない。
救いを求める様に役人の方へと視線を漂わせる。
幕府の海禁政策への、明らかな反逆であろう。
何とかしてくれとでも言う様に、勝五郎と歳三は東湖らを見つめた。
しかし、幕府の役人であるはずの者らは、互いにニヤリと笑うだけで、松陰を黙らせようともしなかった。
それよりも寧ろ、楽しげにさえ見えた。
何が待っているのか、そんな期待に心躍らせている、そういう風に見えた。
「こいつら、狂ってやがる……」
歳三がやっとの一言を搾り出した。
「歳三君、狂っているくらいでなければ、今の時代、私の夢は果たせないのですよ。逆に尋ねますが、お二人の夢は、適当に頑張って、適当にやっていれば叶うのですか?」
「ぐっ! そ、それは……」
「適当になんぞやっておっては、無理、だ……」
松陰の質問に二人は詰まる。
小金を積めば士分は買える。
しかし、二人が求めるのはそんなモノではない。
「だったら、どうしろってんだよ!」
「そういえば、目標とは?」
勝五郎が当初の事を思い出し、聞いた。
松陰はニッコリと微笑み、答える。
「約10年の後、この国に黒船が現れます。私はそれに合わせ、海を渡ります。その際、有志を募って共に渡航しようと思います。西洋に、我が国の侍の存在を轟かせる為です。お二人共、どうですか? 日の本の侍ここに有り、と世界に見せ付けに行きませんか? 西洋人でなければ人にあらずと驕りきった者達に、一太刀浴びせ、冷や汗をかかせてやろうとは思いませんか?」
それは二人の想像を超える答えであった。
理解が追いつかない。
追いつかなかったが、これだけは分かった。
「ふざけんな! 俺達は百姓だ。武士じゃねぇ!」
「そうだ!」
侍の姿を世界に見せ付ける。
しかし、自分達は武士ではない。
そんな当然過ぎる二人の怒りも、松陰にはまるで届いていなかった。
それどころか、更に驚く事を言う。
「ご心配なく。私が渡航する人の人選をします。私の選び方には武士も百姓もありませんよ。お二人なら大丈夫です。私の目に狂いはありません!」
二人は絶句した。
何なんだコイツは? としか頭に浮かばない。
辛うじて、こう聞くのが精一杯であった。
「何でそうやって言いきれるんだよ?」
淀みなく、松陰は答える。
「天命と思って下さい。天命が私に告げるのです。そうしろと。そうなのだと。」
最早何も言い返す気にもならず、歳三は聞いた。
「どうやって選ぶって言うんだ?」
待ってましたという風に、松陰が上機嫌で話し始めた。
「天下の強者を決める大会を開きましょう! 名前は、そうですね、天下一武道……いえ、天下一武闘会なんてどうでしょう? 武士も百姓も関係なく、腕に自信のある者達に一堂に集ってもらい、白黒つける。強い者だけが日の本の代表というのも礼儀の問題から考え物ですが、一つの指標にはなりますよね?」
陸に上がった金魚の様に、口をパクパクとだけ動かす二人。
そんな二人の様子を気にも留めず、松陰は更に続ける。
「天下御免のつわもの達が、海を渡ってアメリカに殴りこむ。マカロニ・ウエスタンならぬチョンマゲ・ウエスタンでございますね! 夢が広がるなぁ!」
「何を言ってるんだ、このお侍?」
「訳がわかんねえ……」
勝五郎と歳三のぼやきには気づいていない。
「アメリカに行けば、その次はヨーロッパです。そして……」
淀みなく続いていた松陰の言葉が止まった。
どうしたのかと二人は松陰を見る。
すると、全身をプルプルと震わせ、顔は紅潮し、あらぬ方向を見つめる松陰の姿があった。
思わず背筋に冷たい汗が流れる。
すると、
「そしてぇぇぇ! ヨーロッパの次は、次には! とうとう! やっと!! 私の目的地である、あの! 聖地インドです!! インドなのですよぉぉぉ!! 私が今頑張っているのは、全てこの為! 香霊様、今暫しお待ち下され! この松陰、必ずやアナタ様の御許に参ります!! もしも幕府が私の邪魔をするというのなら、いいでしょう! やってみなさい!! 容赦はしませんよ!!」
「しょ、松陰殿!?」
「それ以上はヤバイっぺ!」
それまでは黙って後ろに控えていた幕府の役人達が、慌てて駕籠に殺到し、中の松陰に構い始めた。
しかし、それは黙らせるといった感じではなく、介抱している風であった。
そのうちの一人が、何やら松陰の胸の辺りをまさぐり、お守りらしき物を取り出した。
「おい、これだ! 早く嗅がせろ!」
そしてそれを、松陰の鼻に当てている。
するとあら不思議、まるで狐に憑かれ、気が違った様に興奮していた松陰の、荒く浅い息遣いが、やがて深く大きくなっていき、段々と落ち着きを取り戻し、やがて静かになっていった。
「これ以上はいかんな。先を急ごう……」
「それがいいっぺ……」
「危ない所でしたな……」
役人達はそう言って、スタコラサッサと逃げ出す様に駕籠を出発させた。
残された勝五郎と歳三は、呆けた様に互いを見やる。
そして、どちらからともなく口を開いた。
「何だったんだろうな?」
「さあ?」
さっきまでの事が、まるで現実の事とは思えない気分であった。
「なあ?」
「何だよ?」
「歳三だったよな? お前は、どうする?」
それは、理解の出来ない事を滔々とまくし立て、嵐の様に去っていった、意味の分からない少年の残した、普通では有り得ない筈の言葉について、であった。
「俺か? 俺は、そうだな……」
しかし歳三は、勝五郎の言いたい事が理解出来た。
考え込む様に下を向き、言葉を探す。
けれども、その答えは既に出ていた。
駕籠の中の少年の言葉に、理解は出来なかったが心が動かされていたのだ。
己の心の中、高ぶるモノを感じていたのだ。
そして、決心した様に前を向き、勝五郎に力強く宣言した。
「俺は必ず武士になる!」
そんな歳三の言葉に勝五郎は破顔した。
「なら一緒だな。」
互いに笑みを交わし、不思議な少年の消えた先を見つめた。
ふと、歳三が何かに気づいたのか、ポツリとこぼす。
「でもよ、アイツって、そもそも裁かれに行くんだよな? このまま斬首とかなんじゃねーの?」
「あっ!」
勝五郎もそれには答えが出ない。
先程までの決意はどこへやら、二人は戸惑った様に、東海道の先、江戸の街を見つめて立ち竦むのだった。
そしてこれより、10年後に開かれるという天下一武闘会なる存在の噂は、さざ波の様に日本各地に広がって行き、腕に覚えのある者、海を渡る夢に憧れる者の心に、続々と火を点けていく。
この時代、こんな事をやっていいものなのか?
すぐに役人が殺到し、取り締まりに遭いそうです。
天下一武闘会は許されますかね……
内容は、例のバトル漫画と同じです。
勿論、真剣は使いません。
この参加者と、誰を選ぼうか考えていると、仕事の時間も早く終わります。
でも、ペリーが来た時だと、時代的にちょっと早いのがもどかしい所です。
沖田総司は12歳程度。
天才剣士にしても、流石に無理があるし……
アメリカに渡るとか公言してると、蛮社の獄と同じ目に遭いそうです。
温かい目で見守って下されますと幸いです。
幕末の英雄達を連れての渡米が、この作品で最も書きたかった内容です。
ただ、それに行くまでには、NAISEIをやっての準備が必要です。
艦砲外交を強行したペリーの度肝も抜かないといけませんし。
だれる事無く作品を進めていきたいと思います。




