Envy is more irreconcilable than hatred.
一度眠って、目覚めたら、やっぱり気分は悪かった。
昨日、ヴィクターは熱があるのではないかと言っていたが、そうではないと信じたいところだ。
青い空には太陽が輝いている。雲ひとつ見当たらない。今日は絶好の魔法芸術日和だといえるだろう。私は歩きながら、自分の作り上げるべき作品をイメージしなおした。
少しふらつく気はするが、魔力の流れ自体は問題がない。今の状態で魔法を使えば、疲労で具合は悪くなるかもしれない。ただ、魔法芸術の授業くらいは乗り切れるはずだ。それさえ終われば今日は座学が二つあるだけ。そして明日から二日間はお休みだ。
私は無心で魔法芸術のクラスがある広場へと向かった。
それは昨日、ヴィクターと私が夜中に練習をした場所でもある。
その場所にたどり着くより前に、後ろから声をかけられて私は振り返った。
「シフォン、おは……大丈夫?」
「おはよう、ステラ。大丈夫よ、心配しないで」
会った瞬間にばれてしまうとはよほど酷い顔をしているのかもしれない。私はできるだけ体の不調を表に出さないように気合を入れなおす。
「おはよう」
女子生徒に囲まれたミゲルとヴィクターがそこへやってきた。ミゲルの周りには、私に幻覚を見せたあの上級生もいる。ヴィクターは私の顔を見たあと、さっと私に近づくと小さな声で囁いた。
「大丈夫なのか?」
「……一応は。ありがと」
私がそう返事をすると、ミゲルが私を見て、小さく首を傾げた。どうやら彼もまた、私の顔色が悪いと思ったらしい。こんなに会う人会う人に心配されるようでは、先が思いやられる。明日が学校が休みの日で本当によかった。
「大丈夫?」
「大丈夫。三人とも、心配しすぎ」
「……そっか。分かった」
ミゲルはそういうと、取り巻きの女の子たちにすっと微笑みを向けた。彼女たちはそんな様子にきゃあきゃあと騒いでいる。しかし次の瞬間、ミゲルの放った言葉によって、彼女たちは黙り込んだ。
「ちょっと、静かにしてくれるかな。具合が悪い子がいるみたいだから。それに、今日はこうやって僕の周りに集まるのも禁止」
彼女たちは黙り、そして次の瞬間には一斉に私を睨んだ。
そうなるとは思ったが、まったく勘弁してほしい。それにミゲルがそんなことを言うのは、彼女たちが私に嫉妬すると分かっていて、それを楽しんでいるからだろう。
まったくもって性格が悪いどうしようもない奴だ。
でも今日は、そんな彼女たちの相手をしてあげられる余裕が自分にない。
「ちょっと、シフォン!」
「……どいて」
詰め寄られそうになった瞬間、私は低い声を出して、ミゲルとヴィクターから離れるべく歩き始めた。彼女たちはそれを止めようとしたが、私は無詠唱で強い風を呼んだ。風は彼女たちの髪を乱し、私に詰め寄ろうとするその歩みを止める。
「悪いんですけど、今日は気分が悪いので。相手してられません」
後になったら、これはその場しのぎの悪手だったと反省するのだが、このときの私にはそんな余裕はなかったのだ。
心配そうにこちらを見つめるステラとヴィクター、それから悪びれないミゲルに囲まれて、授業が始まった。
私は教授に頼んで一番最初に発表させてもらうことにした。
昨日練習したとおりに、歌で私の持っているその世界を表現する。魔法芸術の授業としては、かなり完成度は高かったはずだ。さきほどミゲルを取り巻いていた女子たちでさえ、拍手するくらいには。
私は非常に集中していたので、歌の最中のことはあまり思い出せなかった。ただ気が付いたら終わっていて、教授が満足げに私を見て、満点だと言った。
そのあと続いて何人かが発表した。私はそれをあまり集中してみることはできなかった。なんだか気持ち悪い。立っているのでやっとだった。
ステラやミゲルが発表している時でさえ、私はそれをぼんやりと見つめることしかできなかった。ステラは相も変わらず、芸術の才能がないようだった。魔法構築事態はうまくいっているのだが、なんというかセンスがない。
造形には繊細なイメージが必要なのに、おそらくそれがうまくいっていないのだろう。
かたやミゲルは、ぼんやりとみていてもわかるぐらいには上手だった。ただその世界観は柔らかい彼の雰囲気に反して、すべてを拒絶するような暗いものだった。
彼の発表が終わった後は割れんばかりの拍手がその場を満たした。
そして次はヴィクターだ。
彼は広場の真ん中に進み出て、そして私を見た。
彼はすっとオカリナを構えると、吹き始めた。昨日と同じ曲だ。
「これ……」
しかし、地面から生まれたは光の玉ではなかった。
無数のつぼみが地面からあふれ出てきた。観客全員を包み込むように。しかし、私を中心として。
彼は目を伏せてオカリナを吹き続ける。昨日は曲調が変わるとともに、光の花が開いたが、今日は本物のつぼみが開いてその場には色とりどりの花々が咲き乱れた。
構成は全く同じ。しかし、物質が光が花になっている。
私は唐突に、彼の昨日の言葉の意味に気づいた。
『これは、今この場が最も良い出来だった』
ヴィクターは昨日、私を楽しませるためだけにオカリナを吹いたのだ。
そして、花ではなく光を使うことを選んだ。
それはあの瞬間が太陽の輝く昼ではなく、頼りない月がうっすらと光る夜だったから。
あの幻想的な世界は、あの瞬間、私のためだけに作られたのだ。
「……っく……」
ふいに意識がふっと遠のいた。しかしここで倒れては、ヴィクターの発表を中断させてしまう。私はぐっと奥歯をかみしめて、ゆっくりと歩き出した。
教授の傍により、具合が悪いので抜けたいことを伝える。
音色が変化するにつれて、地面に咲き乱れた花が浮いた。風の魔法を使ったのだろう。それはふんわりと、ゆっくりと浮き上がって、そしてまた、宙を切り裂くような耳障りな音がその場に響き渡る。
それと同時に花はすべてばらばらに分解され、ひらひらと地面に落ちてゆく。
誰もがその美しさに目を奪われていて、私がその場から離れて寮のほうへと歩いていくのには気づいていなかった。
ステラには一言言っておけばよかったかと後から思ったが、すでに私の体力は限界だった。
座学があと二つ残っているが、それを受けることはできなそうだ。さきほどの授業で魔法を使ったことで、どうやら体調が悪化してしまったらしい。
胸が苦しい。
うまく思考ができない。
足が鉛のように重い。半ば引きずるようにして歩いているのに、それでもすぐに息が切れてしまう。体全身が熱くて苦しい。これは本格的にまずい状況に陥っている。
せめて寮までたどり着けば、寮母さんがなんとかしてくれるだろう。
「ちょっと待ちなさい。シフォン・アンソニー」
そう思った矢先、今この場で最も聞きたくなかった声が聞こえてきた。
先ほどあしらった女子生徒の集団だ。そして真ん中にはやはり、彼女がいる。私に幻覚を見せた彼女が。彼女たちは殺気立っていた。
ミゲルの対応もだが、私が彼女たちをバカにしたように思えたのだろう。
喧嘩なら後で買ってあげるから……後にして。
私はそう思ったが、祈りは通じない。
「あなた、まだ懲りてなかったの?」
彼女がそう私に尋ねた。後ろに控えている女子生徒たちがずらりと並んだせいで行く手をふさがれたが、彼女たちは私に歩み寄っては来ない。
「私は……ミゲルには何もしてません」
「ヴィクター君にはしたんでしょう?」
違う、そう反論したかったが、声にはならなかった。視界がかすんでいる。体に力が入らない。彼女たちがどうして近寄ってこないのか、考えなければと思いながらも、思考がうまくまとまらない。立っているので精一杯だ。
「ねえ、勝負しましょう。あなたが勝ったら諦めてあげる」
彼女が赤い口紅で縁取られた唇の端を釣り上げた。その瞬間に、私は上からまっすぐに私に落ちてくる無数の氷の塊に目をやった。
とてもではないが、魔法なしでは避けきれない。
魔法を使えばどうなるか、考えている暇は、なかった。
「Ignire omnes」
渾身の力で炎を呼び出し、私の頭上に赤い透明の壁が広がった。彼女が出した氷の塊が炎の壁に当たって溶けてゆくのを見えた。その炎を維持しようとすればするほど、体が熱くなる。
「や……ば……」
赤に揺らぐ世界が見えなくなってきた。私の視界は徐々に狭まってゆき、かすんでいく。
膝をついた私を見て、詠唱した女子生徒が目を丸くして、魔法を取りやめた。
本当に、ちゃんと勝負する気だったらしい。
「シフォン! Dissipare!」
風がふっと吹き抜けて、私の目の前にいた女子生徒たちに襲い掛かる。聞き覚えのある声に、私は安堵して、体の力が抜けた。
視界は傾いて、地面が一気に近づいた。
「シフォン!」
その声が聞こえたのを境に、目の前の世界は一瞬にして闇へとすり替わった。
11/20改稿