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Spell by spell. I can't see any other way of acquiring magic.

 魔法芸術の授業がある前日、私は深夜に寮の外に出て、魔法基礎演習などで使う広場までやってきていた。

 誰もいない、暗闇と静寂だけが制するこの場で、私はすっと集中した。

 そして小さく息をすい、歌い始める。歌は海に帰りたい人魚の気持ちを歌ったものだ。

 故郷うみのそこへの郷愁、陸への未練。複雑に揺れる気持ちは、高音のメロディーと共に歌い上げる。

 その歌い始めと同時に、私は自分の手や視線の動きに合わせて、水と光とを融合させそれを宙に舞わせる。透明な水で海の底を表現するために、水滴一つ一つに青い光を閉じ込めるようなイメージで魔法を練り上げて行く。歌が詠唱の一部分でもあるため、比較的大きなものが作り出せた。

 おそらく、私は練習しなくても、教授から及第点はもらえる。

 疲れがたまっているし、正直眠たい気もする。でも、ここで止められないのが私という人間だった。

 自分の納得のいくものを作りたい。それができるまで諦めたくない。


 私は一通り終えると、体が燃えるように熱いことに気がついた。

 思っていた以上に体力を使っているらしい。それでも、私はどうにか自分を奮い立たせて、もう一度歌おうと、息を吸った。


「シフォン……」


 誰だろうと思って振り向くと、そこにいたのはヴィクターだった。


「相変わらず、シフォンはストイックだな。そういうとこを、好きになったんだけど」

「そういうあんたも、練習するんでしょう?」


 後半部分をばっさり切り捨ててそう問い返せば、ヴィクターは頷いた。


「ヴィクターはいつもどこで練習してるの?」

「ここらへんの近くだ。お前の歌が、聞こえるところ」


 エメラルドグリーンの瞳はまっすぐと私を見ていた。彼の目を見ても、私はそれが本当なのか、それとも薬のせいでそう思い込んでいるだけなのか分からなかった。

 

「お前の歌を聴くのは好きだけど、今までは、隣で練習する勇気がなかったから」

「勇気?」


 彼はいつのまにか距離を詰めていて、私の髪にそっと手を伸ばした。


「近寄るなって言われたら、俺だって傷つく」


 魔法灯に照らされた彼の顔は、真剣そのものだった。私は何故か彼の手を振り払うのがためらわれて、彼を見つめた。

 何度も近寄るなと言ったこの数日間だが、彼はその度に心を痛めていたのだろうか。偽りの恋心だとしても、その瞬間だけは、彼にとって恋も痛みも本物なのかもしれない。


 それに、薬をぶっかけた初めの頃よりは、ヴィクターがいつものヴィクターに近付いている気はする。

 しかしいつもの彼は決して私に触れようとはしないし、可愛いなんて言わない。私の努力は認めてくれるけど、それだって皮肉な言葉をぶつけてくるだけだ。


「無理するなよ。具合悪いって顔してるぞ」


 私の髪をくしゃっと撫でて、呆れたような声でそう言った。


 これは、いつものヴィクターだ。


 おそらく薬が切れ始めているのだろう。時折見える、本当のヴィクターに、私はなんだか嬉しくなって微笑んだ。


「ありがとね。止めないでくれて」

「止めても止まらないって分かってるからな」


 ヴィクターの言葉に頷くと、私はすっと息を吸った。

 ヴィクターはそれを見て、私が練習を始めると気付いたらしい。数歩下がってこちらを見た。


 さっきよりも気合をいれて繊細なイメージを頭の中に思い描く。

 観客ヴィクターがいるだけで、私の魔法に対する気合の入り方がぐっと変わるのだ。

 さきほどよりも魔力も体力も消耗しているけれど、良い集中が保てている。

 ここは海の底だ。人魚が焦がれる故郷。そして、上から差す太陽の光が人魚を陸へと引き止める。

 歌とイメージが重ねれば、必ず美しいものができる。そしてそのイメージを観客と共有して、初めて芸術は完成する。

 私はそう教わった。

 

 ヴィクターは私の歌い上げる人魚を、共有しているだろうか。私の作り上げた海の世界を、彼は観ているのだろうか。

 最後の光と水の融合を二人の頭上いっぱいに弾けさせ、私は最後の一小節を歌い切った。


 歌い終えると、ふと体全体の力が抜けて、私の体はその場に崩れ落ちかけた。

 そこをヴィクターがさっと私の体を支えてくれた。


「シフォン、まさか熱があるんじゃ……」

「……明日の授業は出るわ。完成させたものを披露できないのが、一番悔しい」


 私はヴィクターに抱きしめられていても、それを振りほどく気力すらなかった。彼の腕の中にいると、胸元に押し付けている耳から、ヴィクターの鼓動が聞こえてきた。

 心なしか早いその鼓動は、私の鼓動と重なり合って、絶妙なハーモニーを奏でる。


「とりあえず、寝ないと。ほら、捕まって」


 彼は私を寮に送ってくれる気らしい。それは有難いことだが、それでは彼がここにいる意味がない。


「ヴィクターは?」

「え?」

「練習、するんでしょう?」

「馬鹿。お前のが大事に決まってるだろ!」


 ヴィクターは怒った口調でそういうが、私は彼の襟元を掴むと、至近距離からエメラルドグリーンの瞳を見上げた。


「私を置いて戻るか、ここで練習してから送っていくか、選んで」

「シフォン!」

「そろそろ切れてもいいはずよ。そんな馬鹿げた薬のために、元々の目的を忘れないで」


 しばらく私を見ていたが、私に折れる気がないと分かったらしい。彼は一度ぎゅっと強く私を抱きしめた後、私をゆっくりとその場に座らせた。

 そして静かに私から離れる。

 彼は懐からオカリナを取り出すと、すっとそれを構えた。楽器を使うということは、言の葉が使えない。つまり無詠唱で挑むらしい。私は地面に手をついて体勢を維持しながら、ヴィクターを見つめた。


 その場に吹いた一陣の風が彼の黒髪を揺らす。

 そして、それを合図とするかのように、どこからオカリナを彼は吹き始めた。

 オカリナの音は、高く空気を震わせる。揺らいでいるが、割れてはおらず、芯の通った音色と共に、地面から光が生まれ始めた。

 最初は色とりどりの光の点が、地面にむくりと現れただけだった。オカリナが奏でる音色も静かに、何かを誘うように流れてゆく。

 しかし次の瞬間、テンポを上げて、息を細かく吹き込みながら明るい曲調へと移行した。それに合わせて地面に点在していた光の点は一斉に花開いた。どうやら最初のは蕾をイメージしていたらしい。

 曲調と合わせて考えるなら、花の誕生と言ったところだろうか。

 光でできた花に私が思わず触れると、さらさらと花びらが解けて、宙に舞う。

 私が驚いてヴィクターを見ると、彼は優しい眼差しをこちらに向けながら、オカリナを奏でていた。

 そしてまたテンポが変わり、息を長く吹き込んでなめらかなスローなメロディーを奏で始めた。

 それは花の熟成なのか、ふわふわと光の花が地面から離れて浮き始め、ゆっくりと大きな渦を描き始めた。私を渦の中心として、天に昇るように花々が舞い踊る。


 突然、オカリナの音が割れ耳障りな高音を響かせた。

 それと同時に、渦を巻いて回っていた花が一斉に弾けて光の粒子となる。

 静かで高く切ない音色に誘われ、光の粒子が地面へと還ってゆく。

 

 音が止み、光の粒子が全て地面に溶けきっても、私はまだその余韻に浸っていた。

 美しい作品だった。優しく、表現力に富んだ幻想的な世界イメージを私は観た。


「帰るぞ」

「……すごかったわ。とても、素敵だった」


 私が心から称賛すると、ヴィクターは私に近づいてきて、そして私を横抱きにした。

 エメラルドグリーンの瞳が、熱を帯びて私を見つめる。


「これは、今この場が最も良い出来だった」

「……それじゃ困るわよね? 明日、頑張らなくちゃ」

「そうだな」


 この時のヴィクターの言葉を、私は深く考えはしなかった。

 体力は限界に近く、異常なほどの眠気に襲われていたためだ。

 しかし、私は後からこの言葉の、本当の意味を知ることになる。


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