後編
その後、また、何事もない、平穏な日々がやって来た。
しかしそれは、決定的に “あの日” 以前とは違っていて。
憂鬱な思いを抱えながら、おじいさんは、うちの表で薪を割っていた。
ばきっ
ぱきっ
なかなか上手に薪が割れてくれない。
...いままで意識せずともうまく割ることができたのに。
「はぁ......」
ひとつ、ため息をついて、おじいさんは顔をあげた。
そこでは、あかこが、きゃいきゃいとはしゃぎながら駆け回っている。
それをみて『あかこを守れたのだ』ということを漠然と想う。
私のしたことは無駄ではない
そう思っていないと、自分のなかのなにかが壊れてしまいそうだった。
「...お昼ごはんにしましょうか」
おばあさんが、声をかけてきた。
その声に、はっと我に返る。
「......そうじゃなぁ...」
頭をひとつ振り、思考を切り替えてからあかこに向けて叫ぶ。
「おーい、あかこやぁ。ご飯じゃぞ~!」
「は~い!」
あかこは、きゃっきゃと笑いながら走ってきた。
「あー! たのしかったぁ!」
その笑顔を間近で見て、さっきは漠然と思っていただけの『あかこを守れたのだ』という想いが、さらに強くなる。
おじいさんは、あかこのその笑顔に、救われるような思いをしていた。
「ご飯にしましょうねぇ」
にこにこしながら、おばあさんが、あかこを連れてうちの中へ入っていったので、おじいさんも、腰をあげて、うちへとゆっくりと歩き出す。
ふと視線を感じて背中を振り返ると、あかこと同じくらいの女の子が、にこにこ微笑みながらおじいさんの方を見ていた。
「おうちでご飯を食べておいで」
女の子にそう言ってから、おじいさんは、敷居を跨いでうちの中へと入っていった。
「何をしていたんですか?」
おばあさんが、お椀に雑炊を盛りながら、おじいさんに訊く。
「あかこの友達かのぅ。女の子がおったのでな、うちに帰ってご飯を食べて来るように言っておいたのじゃよ」
「そうですか。はい、あかこ、あなたの分ですよ」
おばあさんは、微笑みながらおじいさんの話をききつつ、あかこの分の雑炊を盛って、おじいさんの分を盛って、そして自分の分を盛る。
皆にお椀が行き渡った。
「それではあいさつをしようか。いただきます」
「いただきます」
「いただきまーす!」
お昼ごはんが始まった。
「今日は大きな鱒を釣ってきましたねぇ」
「この前のようにたまたま引っ掛かってのぅ」
「おいしー! このさかなすき!」
「ははは、あかこは鱒が好きか」
「また食べれるかなぁ」
「運が良ければ、じゃなぁ」
美味しいご飯を食べていると、自然に会話も弾んでゆく。
「あかこは今日何をして遊んだのだぇ?」
「鬼ごっこー!」
「あの女の子とか」
「うん!」
「そういえばあの子の名前を聞いたことがありませんでしたねぇ」
「そういわれればそうじゃな、なんという子なのじゃ?」
「名前~?」
名前を聞かれたとたん、あかこが難しそうな顔をしだす。
「なまえー...... 名前~.... う~ん?」
「どうしたの?」
「うーん。名前がわかんないの」
「名前がわからん?」
「そういえばきいたことなかったなぁって」
その時にふと、おじいさんとおばあさんは、目を見合わせた。
最近、うちじゅうから物音がすることを思い出したのである。
二人がふと思い付いたのは『座敷わらし』の怪談であった。
子供が遊んでいるときに、いつのまにか現れ、いつのまにか消えるという妖怪。また、座敷わらしが訪れるうちでは、よく物音がして、ふいに幸運が降ってくるといわれる。逆に座敷わらしがいなくなるとそのうちは絶えるのだとか。
『座敷わらし』とは、そんな怪談話である。
「なんとまぁ。いつのまにやら、座敷わらしがおいでしていたとは」
「ありがたい話じゃあ」
「?」
おじいさんとおばあさんは感謝で手をすりあわせ、あかこはわけがわからず小首をかしげていた。
その日から、一気に幸運が訪れるようになってきた。
釣りをしていると、必ず一匹は大物がかかるようになった。
なかなか見つからない珍しいキノコが、山に入ってすぐ見つかったこともあった。
極めつけは、誤って崖から落ちてしまったあかこが、傷ひとつなく済んだことであろうか。
大なり小なり、おじいさんたちは、幸運に恵まれるようになった。
ある日、おじいさんが、山へ山菜を取りに来ていると、木々の間から、
「..........おとうさん......」
と、か細い声が聞こえてきた。
はっとして声のした方を向くと、娘が木の影に隠れながらこちらを窺っている。
「こちらへおいで」
おじいさんは、近くの切り株に腰を下ろして、そして娘を隣に呼び寄せた。
「あかこが心配じゃったか?」
娘が隣に腰を下ろしたのを確認して、そう、切り出す。
あかこの話をしに来たと思ったのだ。
その声には、怒りや悲しみの色は既になく、すべてを受けとめた者が持つ特有の落ち着きが宿っている。
しかし意外なことに、その問いに対して娘は首を横に振った。
「ちがうのか?」
「もちろん心配でした。けど、それだけじゃないんです......」
娘はためらいがちに下を向きつつ、しかしはっきりとした声で、まずはうちを飛び出したあとのことを話し始めた。
「じつはあのあと、私はあの男のうちを出てきたのです...」
娘の語ることは、おじいさんを驚嘆させるに値するものであった。
あのあと、一気に山を駆け降りた男は、そのまんまうちに帰ってしまった。
娘は必死に男を追いかけ、なんとか男のうちに入ることができた。
娘は必死でいいわけをした。おとうさんたちは田舎にすんでいたから常識をわきまえていなかったのだ。あかこも常識がわからないだけなのだ。私がなんとか教育をするから...
しかしそれらの言葉は、全く意味をなさなかった。
男が、いとも簡単に自分の妻の家族を切り捨てたからだ。
「あんな悪魔のいるうちとは関わらない」
そういって男は、娘に家族を諦めるように迫る。
男が言い放ったこの言葉は、娘の意識を激しく揺さぶった。
そして、おじいさんの言葉が身に染みた。
“家族のことを見なくて、よくも父親を語れたな!”
このとき娘は、自分の犯した過ちの重大さに、やっと気づいた。
自分は親を捨てて、男を選んだのだ。
実の娘が、父母を蔑ろにし、男と駆け落ちしたのだ。
父母の心痛はいかばかりであっただろうか。
さらに悪いことには、自分はあかこをほっぽりだし、男についてきてしまった。
このまんまあかこに会えなくなっても仕方のないことを、自分はしてしまったのだ。
それらを思うと、恐ろしさのあまり体が震えた。
怖くて怖くて、たくさんの涙を流した。
しかしそれを支えてくれるはずの男はうちにはいなくて。
おじいさんたちが正しかったことを、身を以て思い知った。
そうすると今度は、もとに戻れないことに恐怖を感じた。
自分のやった行いを消すことはできない。
親や子供を捨てて駆け落ちしたという事実は、どんなことがあろうとも消えることがない。
取り返しのつかないことをしたと、また、涙が止まらなくなった。
なきのなみだで時間は流れ、とうとういてもたってもいられなくなった娘は、男のうちを出ることを決意した。
おじいさんおばあさんやあかこに許してもらえるとは思えないが、それでもこの男の下にいることでなにかが動くことはないと思ったからだ。
うちを出るときに、二度と敷居を跨がないことを誓わされた。
二度と世話にならないつもりだったのでちょうどよかった。
そうして山に上ってきた。
山のなかで、あかこが遊んでいるのを見かけた。
他の女の子と笑い合って、きゃいきゃいとはしゃぎまわっていた。
自分が無理矢理つれていっていたら、あかこはこんな風に笑っていない。
そう考えると、いまあかこが笑っていることへの安堵と、あかこを守ってくれたおじいさんおばあさんへの感謝の気持ちで、また涙が止まらなくなった。
そして、そのおじいさんおばあさん、あかこへの罪悪感で、目の前が暗くなるような錯覚を覚えた。
おじいさんたちのうちへ向く足が重くなり、うちの前の林で、とうとう足は動かなくなった。
林には、うちの中から、大きな笑い声が響いてきた。
その笑い声に、また涙腺が緩む。
しかし、泣く資格はないと、グッとその涙をこらえた。
そして今日、山へ出掛けたおじいさんに、勇気を出して声をかけたのであった。
話を聞き終わったとき、おじいさんは、涙を流していた。
いくら自業自得とはいえ、実の娘が、そんな辛い思いをしてしたのだ。
親として、娘の苦労を思って涙していた。
「苦労したなぁ。よぅ頑張ったなぁ」
そのおじいさんの言葉は、娘の心の奥深くまで、砂漠に水が染み込むように、じっくりと入り込んでいった。
そしてその言葉によって、とうとう、涙が堰を切ったかのように溢れ出した。
あとからあとから湧いてくる涙はとどまるところを知らず、そんな娘を抱き締めながら、おじいさんもまた、そのシワが刻まれた顔を、涙で濡らしていた。
その後、娘とおじいさんは、二人でセリやタラノメなどの山菜を摘み、日暮れに差し掛かる頃、うちへと足を踏み入れた。
「おかあさん!」
娘を見たとたん、あかこが、いちもくさんに母の胸に飛び付いた。
「あかこ!」
飛び込んできた娘をしっかりと抱き締め、その温かさを感じて、その尊さに、また涙が溢れてくる。
しかし、必死でその涙をぬぐい、あかこに笑いかけ、
「ちょっとごめんね、あかこ。おかあさん、おじいちゃんとおばあちゃんに用事があるから、ちょっとだけ離れてくれるかな」
といってあかこを離し、そして土間に土下座をした。
「おとうさんおかあさん。私はとんでもないことをしてしまいました」
頭を土にすり付けながら、さらにまだ言葉を続ける。
「今回、私の愚かさを、いやというほど、身を以て感じました。こんなことで許してもらえるとは思いません。けど、あかこだけはいままで通りに見てほしいです。愚かな娘の頼み、ひとつだけでも、聞いてください...」
暫しの沈黙。
それは、永遠にも思える時間であった。
「顔をおあげ」
優しいおじいさんの声が、娘の耳朶を打つ。
恐る恐る顔をあげると、そこには、あのときと全く変わらない、おじいさんとおばあさんの笑顔があった。
「子供を助けるのが親の務めじゃ」
「おじいさんの言う通りじゃ」
娘は、自分が許されたことを知り、今度こそ本当に、涙腺が崩壊した。あとからあとから涙は湧いてきて、身体中の水分が全部抜けていってしまうのではないかと思うほどの量の涙を、娘は流していた。
とうとう、いちどバラバラになった家族が、またひとつに戻るときが来た。
このあと、親子三代、なかよく、平和に暮らしましたとさ。めでたしめでたし。




