前編
あるところに、おじいさんとおばあさんがいた。
おじいさんとおばあさんは、山でその日に食べる食べ物を採ってきて、川で着るものを洗濯して日々を過ごしていた。
ある日、そんなおじいさんたちのところに、おじいさんたちの娘がやって来た。
「おとうさん、おかあさん、今日は頼みがあって来ました。この子を預かってほしいのです」
娘は、手に小さな女の子をつれていた。
「この子は...?」
おばあさんが、娘に訊いた。
「私の娘です。訳あって、私は今、この子を育てられません。おとうさんとおかあさんに、この子の面倒を見てほしいのです」
娘は必死で、頭を床にすり付けて二人に懇願した。
「顔をおあげ」
優しい声に娘が頭をあげてみると、おじいさんが、にこにこしながら娘を見つめていた。
「娘を助けるのが親の務めじゃ」
「ほんにおじいさんのいうとおりじゃ...」
おばあさんも、にこにことしていた。そしておばあさんは、子供に体を向けてかがみこみ、視線をあわせて、話しかけた。
「お名前は?」
その子は、小さなくりくりの目で、おじいさんとおばあさんを交互に見て、そしてにこっと笑った。
「あかはねぇ、あかこってゆうのー!」
「そうかぁ、あかこちゃんかぁ」
この日から、二人の生活に、一人の小さな家族が増えることになった。
それから長いこと、何事もなく月日は流れていった。
あかこは、純粋な、素敵な子だった。
ご飯をたくさん食べ、そしてよく遊び、うちに帰ったらしっかりと寝た。
動物や草木が大好きで、山にいる動物、植物、虫、み~んなとお友だちになった。
そしてあかこは、その日にあった出来事を、ご飯を食べながら、おじいさんとおばあさんに教えてあげるのが日課だった。
その日も、三人は、囲炉裏の火を囲んで、雑炊を食べながらおしゃべりをしていた。
「きょうねー、お友だちができたのー!」
「そうかいそうかい、よかったねぇあかこ」
おじいさんが、ほほえみながらあかこに応えた。
そしておばあさんが、にこにこしながらあかこに尋ねる。
「どこの子だぇ?」
「うーん、わかんない!」
「ほっほっほ、わからんか」
「仲良くしなさいねぇ」
「はーい!」
おじいさんとおばあさんはいつものように、あかこの無邪気さに、自分達の心が、温かいモノに満たされていくのを感じていた。
「しかしほんにどこの子じゃろうのぅ」
「お友だちの子ですか? ...ここらへんにはうちもありませんしねぇ」
「しかし山の動物が追い返さないということは、わるい子ではないのじゃろう」
「そうですねぇ」
二人は、山の獣が邪な者に敏感なことをよく知っていた。なので、それ以上深くは考えなかった。
そして、楽しい夕食を終えて、三人は川の字になって布団に潜り込んだ。
......おじいさんとおばあさんがふと目を醒ますと、そこは、あたり一面が金色に光る、不思議な場所であった。
空も、地面も、泉も、木々も、すべてが金の光を放っている。
「ここはどこなんでしょう......」
「不思議なこともあったものじゃあ...」
おじいさんとおばあさんは、顔を見合わせて、そう、話し合っていた。
と......
眩しい光が、視界の端から射し込んできた。
すわ何事か、と空を見上げると、仏さまが、空飛ぶ蓮華台のうえに立っていらっしゃった。
金色の後光を放つ仏さまが、じっと二人を見下ろしていらっしゃるのである。
そして仏さまは、二人に向けて、声をおかけになった。
『おじいさんおばあさんよ、あかこともども息災か?』
「はい、それはもう」
「ありがたいことに、毎日を楽しく過ごさせていただいております」
その答えを聞いた仏さまは、満足そうに頷いて、言葉をお続けになられた。
『よいことじゃ。今日の人はみな、生きる喜びを忘れておる』
一転して、悲しそうに目を細められる仏さま。
『自分勝手な尺度でまわりを測り、自分本位に事実を歪め、己に都合の悪いことは一切を無視して生活をしておる。そのようでは本当の幸せなど、知り得ようはずもない...』
仏さまは、さらに独り言をおこぼしになる。
『たしかに幸せと感じることは、人によって異なるものではあろう。しかしその根幹は不変なものなのじゃ。大切なものがそばに在ること、一生懸命になることのできる仕事、この二つさえあれば、元来ならば人間は幸せなはずであった......』
そこまでいうと仏さまは、ふと、二人に視線を戻した。
『愚痴が過ぎてしまったようじゃの。話を戻そう。二人を呼んだのは他でもない、その幸せを脅かす危機が、近々現れるのじゃ』
その仏さまの言葉に、今まで押し黙っていた二人は飛び上がった。
「これから何かが起こるとおっしゃるのですか!?」
「仏さまはこの老体に、未だ試練を与えなさるおつもりですか!」
「この老体では試練など越えられようはずもありません」
「どうかご慈悲を......」
おじいさんとおばあさんは、泣きながら仏さまにすがりついた。そんな二人を、仏さまは抱き止め、優しく、耳許でお答えになった。
『心配することはない...。そなたらは、十分にこの危機を乗り越えられる力がある。そなたらの思う通りに行動すればよい。事は必ずうまく運ぶ。己を信じよ...』
仏さまはそういい残すと、そのまま薄くなっていかれた。
仏さまだけではなかった。
金色に輝いていた世界が、次第に霞んで暗くなり、はっと目を醒ますと、そこはいつもの布団のなかであった。
おじいさんたちは、これから起こるであろう災厄に恐怖した。
しかし、なにもしていなければ、なにも起きないというわけではない。
恐怖を感じながらも、二人は、いつも通りの生活を続けた。
逆に言えば、続けるしか方法がなかった。
......そのあと、いたずらに時間のみが流れていった。
おじいさんたちは、未だに恐れを胸のうちに抱いていた。
何が起こるのかわからない。
だからこそ、怖い。
その怖さゆえに二人は、よりいっそう、この幸せな生活を噛み締めていた。
山に行けば、美味しいものがたくさん獲れる。
うちに帰れば、優しい家族が出迎えてくれる。
そして夜には、温かい布団で寝ることができる。
今以上に幸せな生活がどこにあろうか!
いくらお金を持っていたところで、幸せだとは限らない。
いくら人に囲まれていたところで、楽しいとは限らない。
いくらこの世のすべてを手にいれることができたところで、心が満たされるとは限らない。
そんなことを、二人は、心の底から噛み締めていた。
そんなときだった。
あかこを預けていった娘が、とある男を連れて帰ってきたのは。
男は、自らの事を『神に仕えるもの』だと言った。
「おとうさん、おかあさん、やっとあかこの事を迎えに来ることができました」
娘は、にこにこしながらそう言った。
「あかこ~? この人があなたのお父さんなのよ~?」
そう、あかこに教える娘。
しかしあかこは、予想だにしないことを言いはじめた。
「この人がお父さんなわけないよ。だってこの人、おかあさんのことも、わたしのことも、まったく見てないもん」
その言葉を聞いた瞬間、娘の顔色が変わった。
「何をわけのわからないことを言っているの! この人は正真正銘あなたのお父さんで、私の旦那さんなのよ!?」
しかしあかこは、しっかりとおかあさんの目を見て、反論する。
「この人はわたしやおかあさんの事を見てないもん。もっと遠くのものを見てるんだもん。家族ならきちんとわたしのこと見てくれるはずだもん。この人は家族なんかじゃないよ」
そんな言葉を聞いて、当然、男は激昂した。
「なんて教育をしているんだ! 親を親と呼ばない不幸者など見たことがない! この子は本当に人の子か!?」
娘はあかこと男のあいだでおろおろし、あかこは心底不思議そうな顔をしていた。
それを見ていたおじいさんたちは、とうとう、仏さまのおっしゃっていた “危機” というものがやって来たのだと、緊張しながら、事態の行く先、そして自分達が望む結末を見極めるために、身構えていた。
そんなおじいさんたちに、娘の怒りの矛先が向いた。
「おとうさんたちを信用してあかこを預けたのにあかこがこんな風に育ってしまうなんて! おとうさんたちはどういう教育をして来たんですか! こんなことならおとうさんやおかあさんなんて信用するんじゃなかった!!」
いくら身構えていようとも、それは、家族の温かみを信じていた二人にとって、胸をえぐるような言葉であった。
二人は呆気にとられて、実の娘を見返していた。
さらに悪いことに、男がさらに別なことで騒ぎ始めていた。
「なんと! このうちは悪魔に魅入られているじゃないか!」
「なんですって!?」
「このうちには悪魔が棲みついている! 悪魔に魅入られているんだ!」
何を言っているのだこの男は。
娘の言葉にショックを受けたまま、おじいさんは、ぼんやりとそんなことを考えていた。
同時に、男に対する怒りが、ふつふつと沸き上がってくる。
「悪魔に魅入られているからこのように歪んでいるのだ」
...ここにいる人間に歪んでいるものなどいない。
「安心しろ、私がこれから悪魔払いの法を施そう」
ここには悪魔なんていない!
「慈悲深き神は罪を犯した人間をも救ってくださる」
悪魔のように我らの生活を滅茶苦茶にしようとしているのはお前ではないか!
「自分勝手なことばかりほざくなぁっ!」
無意識のうちに、おじいさんは男に向けて叫んでいた。
「何が気に入らずにわしの家でそのような戯言をほざくかっ」
口からどんどん言葉が飛び出てゆく。
「何が歪んでおるか、何が悪魔に魅入られておるか! 歪んでおるのはそなたであろう、わけのわからぬものに取り憑かれておるのはそなたであろう!!」
おじいさんは、いう。
「家族の事を見ずによく父親を名乗れたものだな、家族を大切にするという意気がなくて、よくぞ家族を語れたものだな! あかこは気づいたのだ、そなたがあかこの事を見ていないと! 父親であるならば、悪魔だなんだとほざく前に、子供が幸せかどうかを考えるべきであろう!」
おじいさんの胸にあったのは、あの金色の世界で、仏さまがおっしゃっていた言葉であった。
“大切なものがそばに在ること、一生懸命になることのできる仕事、この二つさえあれば、元来ならば人間は幸せなはずであった......”
たしかにこの男にとって、神というものは大切なものであるのかもしれない。
たしかにこの男にとって、神に仕えるということは一生懸命になることのできる仕事なのかもしれない。
しかし男は、家庭を持つのである。
神に捧げていたその身を、家族のために使うことを決めたのである。
神を見つめるのではなく、今度は家族を見つめるべきなのだ。
そうでなければ妻はどうなってしまうのか、子供はどうなってしまうのか。
うちに帰ってきても、自分ではない “なにか” しか見ないおとうさん。
それを中心として回る、“個人” が弱い家庭。
そんなの、あまりにも子供が可哀想ではないか。
あかこは、男が、自分ではなく、神を見つめているということに気づいた。気づいてしまった。
だから「おとうさんではない」のである。
おとうさんならば、自分を見てくれているはずだから。
自分の感じる幸せを、一緒に分かち合ってくれるはずだから。
「ふざけるな」
男は吐き捨てた。
「日頃の行いが悪いから悪魔なんかに魅入られるのだ。そんなうちの子供など真っ平ごめんだ。おい、いくぞ」
「あ、まって!」
娘は、キッとおじいさんを睨み、急いで踵を返して男を追ってゆく。
悲しいかな。娘には、父親の気持ちは伝わらなかった。
男と一緒に、そのまま、うちを出ていってしまった。
おじいさんは、あかこを抱えたまま、寂しそうに、娘が消えていった方向を眺めていた。
「......おじいさん」
おじいさんと同じ答えに行き着いたおばあさんが、息を荒げていたままのおじいさんの肩に、そっと服をかけた。
「ありがとうなおばあさんや...」
空はいつのまにか暗くなっていた。
冷たい北風が、びゅうびゅうとおじいさんたちに吹きつけていた。




