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第八話

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 ほんの少し歩いただけで息が切れ、無理して進めば崩れ落ちる。ただの階段であるのに、どれだけ標高の高い山に登っているつもりなんだときっちり問い質したくなるくらい、私の運動能力は壊滅的だった。

「ああ、あれか? これはおれに運べっつうことか…?」

 自分が大人だと自覚している身で抱き上げられる、ということがどんな精神状態を生みだすのか、私は初めて知った。さっきよりぐんと高くなった視線のせいで天井が近くて怖い。自分の体を他人に委ねているという状態が、心許なくて不安定で逃げ出したくて、意味も無く叫びそうになる。その上、まともに服を着ていない。それを思い出した途端、私は身じろぎも出来ないくらい固まって、話す余裕も消えた。

「お前も何とか言えよ…って、おま、何て顔してんだ」

「うう…。そんなの自覚してる…」

 顔が熱いので多分、首から上は真っ赤になっている。それに強張った表情も加わって、動揺していることは丸分かりだろう。

 隠れて見えない筈のアルドの視線が、私の顔に刺さっているのを感じる。私はくるまっていた布から手だけを出して、アルドの頭を押さえた。

「アルドさま、ほんと頼みますから、何か着る服を私に与えてください…‼︎」

「ニト、態度と口調が合ってねえ。とりあえず、手をどけろ」


 狼狽えていたせいでこの後のことはあまり記憶に無い。気が付いたら私はサイズの合わない緩いシャツと膝丈のこれまたサイズの合わないズボンを借りて、さっきと同じようにアルドに運ばれていた。いつの間にか足には包帯まで巻かれている。

「ええと、これからどこに行くんだっけ?」

「とりあえずニトが着るものを用意して何とか見られるようになったら、バア様のところを訪ねる。その後はシャイフィーク様が王都をニトに案内してやれって言ってたからそうする。何か他にやりたいことはあるか?」

「そんなに私の格好酷いの…?」

「ま、ある意味そうだな。うるさいのが喜びそうだ」

 アルドの口が悪いのはこれまでで充分理解したが、主であるシャイフィークに対してもあまりそれは変わらない。シャイフィークが怒らないからアルドが助長している、という風には思えないので、少し気になっていた。この機会に聞いたら答えてくれるだろうか。口を開こうとしたが、洞窟の出口に着いたらしいので後回しにした。


 海中から続いた洞窟を抜けると、一気に明るくなった視界に目が眩む。思わず閉じた目を少しずつ慣らしながら開けていくと、海の中だということを忘れてしまいそうになるほど、不思議な光景が広がっていた。

 街道は淡い色の石畳で舗装され、腰の高さまでタイルで飾られた家の壁は華やかで、まるで色とりどりの花を咲かせているように見える。ギュッと隙間なく並んだ建物。その間を縫うように細い路地が伸びて、小さな冒険心を誘った。

 乾いた空気が感じられても、ここはやはり海の中なのだろうか。空と同じくらいの高い位置にはたっぷりとした水が揺らめいていて、何だか水槽の中にいるような気分になる。

「アルド、なんであの水落ちてこないの?」

 私はさっきまで感じていた気恥ずかしさも忘れてアルドに聞いた。

 太陽の日差しと言うほどには強くなく、何枚もの紗を重ねたような柔らかい光は、おそらく人間の感覚からすれば薄暗いのではないだろうか。しかし夜目の利く者であれば、これくらいの光でも充分に明るい。

 見れば見るほど不思議に感じて、アルドに質問している間も、ずっと目が離せずにいた。

「簡単に言うと、ここが海であって海でないところに存在するから、だな」

「…海であって海でないところ?」

「王国の創世記には神々が地上を真似て造った箱庭だ、みたいなことが書いてあるけどな。実際のところはどうなんだろうな」

「ええと、じゃあ、上から見ても王国は見えないってこと?」

「というより、同じ空間に存在しねえ」

 私が空想だと思っていた異次元や異世界の概念が、ここでは現実として捉えられているらしい。クラゲになってからあまりにもあり得ないことが続きすぎて、もう何に驚いたらいいのか分からなくなってしまった。

「王都の入り口は正しく使わねえと、そこを通り抜けるだけで辿り着かねえんだ。そもそも入り口をくぐるにも条件があるしな」

「はあ、条件…」

「大雑把だが魚人であるか、案内役がいることが条件だ。さっき通った入り口は特別製で、シャイフィーク様の一族の血を引いたものが案内役にいないと、他の者は使えないからな。一応覚えとけよ」

「だからフィーが限られた者しか使わないって言ってたのか。なるほど。でも、あれ? アルド先にあの入り口使ってたよね?」

 先に洞窟に入り、そこでシャイフィークと私を迎えたのはアルドだった。それとも、入ることは出来なくても王都側からなら出られるということだろうか。

「いや、おれにも一族の血は流れてるからな。シャイフィーク様とは従兄にあたる関係だ」

「え、えええ⁉︎ 従兄? 「だから声がでけえよ! 耳がイカれるだろうが‼︎」スミマセン…こわっ」

「チッ」

「あのう、従兄なのに従者なの?」

 私は恐る恐る質問しながらも、そうか、だからアルドはシャイフィークに対して気安い(偉そう)なのか、と心の中で大いに納得していた。

「ニトお前、心の中が透けて見えるぞ…。ま、いい。あんまりシャイフィーク様が仕事ばっかしててつがいを見つける気配が無いからって、ジイ様とバア様連中に王都を追い出されたんだよ。で、あの通り方向音痴なもんだから誰か就けるかってなった時に、わりと仲の良かったおれが選ばれたんだ。本当なら兄貴が従者になる筈だったんだが、シャイフィーク様はおれの兄貴にトラウマがあるからな…」

「ん? フィーは嫁探しの旅をしてて? 追い出されてた王都に戻ってきた……ということは?」

「おお、それくらいは分かる頭だったか」

 アルドがニヤリと口角を上げた様子を見て確信した。やはりシャイフィークについてきたのは間違いだったんだ、と落ち込んだが、今から後悔しても始まらない。こちらの許可も無く、強制的に決められる結婚なんてまっぴらである。

「じゃ、今日までお世話になりました! もう二度と会うことも無いでしょうがお元気で‼︎」

 抱えられていた体を無理矢理に振りほどいてアルドから飛び降りた私は、そのまま全力ダッシュで走り去ったーーつもりだった。

「いや、無理だろ」

「ぐえっ!」

 私が一歩足を前に踏み出して二歩目をと思った瞬間、後ろからシャツの襟元をあっさり捕まれた。当然ながら首が締まる。少し乱暴に元通り抱えられて、あえなく御用だ。

「ニト、この場から逃げてどうするつもりだったんだ? お前金持ってないだろ」

「…それは、どこかで働ける場所を探して…」

「自由に歩けもしないのに? サイズの合わない服を着た歩けない女なんて、怪しまれて警邏隊に連絡されんだろ。それで済みゃまだいい方だぞ。年頃の女が仕事を探してふらふらしてたら、いらん奴らが寄ってくることもある。シャイフィーク様の方がずっとマシだ」

 機嫌が悪そうに続けるアルドの言葉は、最後以外は正論だ。

「分かってる。つい衝動的に体が動いちゃっただけだよ。けど、フィーの方がマシかどうかは私が決めることであって、周りが口出しすることじゃないでしょ。私、結婚する相手が下僕的な何かとか嫌だ」

「…ニト。お前自分で躾だとか何とか言ってたくせに…おれに後始末を押し付けるつもりか?」

 うっかり聞こえたアルドの本音もスルーして、私はもう一度揺らめく水を見上げた。


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