第六話
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シャイフィークの背びれに捕まって移動している私は、基本的にすることがない。
道中、うっかり伸ばした触手に当たって気絶しそうになったアルドにマジギレされたり、シャイフィークの食事に巻き込まれて、プランクトンと一緒に飲み込まれそうになった私がマジギレしたりと大変だった。
また、鰯の大群に出会って喜んだアルドが体の半分の大きさもある長い尾で、小魚たちを滅多打ちにし気絶させて食べるのを、シャイフィークと共に震えながら見届けたことも忘れられない。
私がシャイフィークはフィー、とさん付けせずに呼んでいるのに、アルドのことはアルドさんと敬称を付けているのは、それを見たからでもある。
王都は暖かい気候の場所にあるらしい。目的地が近付くにつれ、水温も少し上がってきたようだ。
「あの、アルドさんがフィーと合流できたときに話していたことについて聞きたいんですけど、かまいませんか?」
「あー、お前が寝たふりしてたときな」
アルドはツッコミ気質なのか、いつも一言多い。シャイフィークに対してはもう少し控えめなので、たまにイラっとさせられる。
「元々はアルドさんの主が原因なんですよ。フィーはあの時すでに壊れてましたから、この質問はアルドさんに答えて頂きたいんですが」
「そうか、放置プレイなのだな。これはあまり好きではないのだが」
「いつかそれを楽しめる日が来ますよ、多分」
渋々といった様子で少し後ろに下がるシャイフィークに、感謝の気持ちを込めて私の希望を述べる。
「シャイフィーク様が不憫すぎるだろう…。お前いくら毒クラゲだっていっても、毒吐き過ぎじゃないのか?」
「私の戯れ言なんて毒にも薬にもなりませんよ。まあいいじゃないですか。ただの躾ですし」
「お前、自分から日々階段登ってんな」
「…アルドさんはあの時、フィーが私を伴侶だと紹介しても驚いただけで否定はしませんでしたよね? サメとクラゲなんて異種間にも程がある、とは思わなかったんですか?」
「無視してんじゃねえよ…」
アルドがため息を吐くのは、この日何度目だろうか。サメの姿で感情を見せるとは、アルドも中々演技派だと思う。
「いやいや、まさか無視だなんて。で、どうなんですか?」
「……。まさか主がプランクトン選ぶとは思わなかったからな。そこには驚いたが。異種間、異種間ってお前が言うのは何回か聞いたけど、俺からすればなーんでいちいちお前がそこに引っかかってんのか分かんねえよ」
「ぶっちゃけ、子孫繁栄には問題ないと?」
「…お前、少しは恥らえよ。ぼかしたからいいって訳じゃないからな? とりあえずその辺は人型になれば解決すんだろ」
「え、えええ⁉︎ それ何てファンタジスタ‼︎」
「ニトお前、声でけーよ!」
ということは、私も人型になれるのか。だが期待し過ぎてはいけない。もしクラゲの触手がそのままとか、地球外生命体的な仕上がりだったらどうするんだ。いやそれよりも、シャイフィークに対しての切り札である、種族が違い過ぎるという理由を使えなくなる方が問題になりそうで怖い。
「アルド、ここまで来れば大丈夫だ。先に行って準備していてくれ」
「かしこまりました、シャイフィーク様。ニトは色々助言が必要なようですし、バア様にお会いしますか?」
「ああ、繋ぎをつけておいてくれるか?」
少し岩が増えてきた辺りで、シャイフィークがアルドに声を掛けた。アルドと離れ別行動をしても迷わないくらい、行き慣れた場所なのか。ほんの短い間でもう点にしか見えない位遠くにいるアルドを見て、泳ぎが早いというのは本当なんだと感心した。
ゴツゴツした岩の切れ目が見えたと思ったら、もうここが王都への入り口らしい。周囲の景色と馴染んだそれは、知らなければ素通りしてしまいそうなほどさりげない。
「王都への入り口は隠されているんですか?」
「ここは限られた者しか使わないからな。他の入り口ならばもう少し開かれている」
サメの体には少し窮屈だろうと思われる岩の割れ目を抜けると、もうそこはぽっかりと大きく口を開けた洞窟の中だった。
「海の中なのに空気がある!」
洞窟を進むと何故か海面があり、顔を出して確認すると乾いた空気が感じられた。洞窟の壁は通路のようにくり抜かれ、海中から続く階段も作られている。久々にみた人工的な加工の跡に興奮した私は、シャイフィークから触手を離しあちこち見回していた。
「ニト、そのままそっち見てろよ?」
「私は特に気にしないが」
先に行っていた筈のアルドの声と、何かが水から上がるような音に思わず目を向ける。
すると、海中の階段を登った先で見知らぬ背の高い男が濡れた体を拭いていて、その隣にはこちらに向かって声を張りあげる年若い男がいた。
「だから、そっち見てろって言っただろうが!」
「アルドさん⁉︎」
海の中とは違ってはっきり聞こえる声は、確かにアルドのものだ。長い前髪に隠されて表情は分からないが、気が短い話し方も変わらない。ということは、そこで体を拭いているのはシャイフィークなのか。
均整のとれた体に程良く筋肉のついた腕がしなやかに動き、まだ雫が落ちている銀色の髪が無造作に拭われていくのを、不思議な気持ちで見つめる。
「想像より魚っぽく無いんですね…。男性版人魚とかじゃなくて良かったです」
「ニト、こちらの顔も覚えていてくれ。私は王都ではほとんどこの姿で過ごす」
体を拭き終わったシャイフィークがアルドから洋服を受け取るのを見た私は、慌てて後ろを向いて謝った。
「すみません、うっかりしてました。フィーの裸を見ようとしてた訳じゃないんです。これは本当ですから。事実ですからね!」
「ふふ、気にしないと言ったのに」
「ちょっとアルドさん、そのサメなんか喜んでないですか⁉︎」
羞恥とは違う意味で心臓がドキドキする。
「…お前の敬語は相手を全然敬って無いよな」
「アルドさんには言われたくありません」
「ではニト、ここに入ってくれ」
声を掛けられ振り向くと、何故か持ち手の付いた網を片手に掲げるシャイフィークがいた。魚を釣る時に使うようなその網は割と大きめで、赤ん坊くらいなら楽に入ってしまいそうだ。
「いやいやいや、それが何ですって?」
「これでニトを掬うから、ここに入ってくれ」
「いや、丁寧に繰り返されても意味が分かりませんが」
「俺はお前に触って毒の被害を受けたくないし、せっかく着替えたシャイフィーク様が濡れんのも困るだろ。ほら、諦めて入れ」
「何だろう、納得できるだけになんっか屈辱を感じる…」
アルドの言葉を否定することも無く、網を海中に沈めるシャイフィークを見て私は思う。お前恋とかやっぱり嘘だろ⁉︎ と。