第三話
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あれはフラグだったのかと疑ってしまうほどのタイミングで、サメが目覚めた。あんなに和やかに話していた魚達はあっという間に姿を消し、今またサメと対峙するのは私だけである。
「…は、薄情者〜!」
取り残された悲しみに叫び声を上げると、好奇心旺盛にサメの体をつついていた魚二匹が、遠くの方で詫びるようにくるくると回っているのが見えた。サメから目を離すことは出来ないが、あの二匹の姿は覚えておくことにする。
そういえば、初めに何と話しかけられたのだったか。多分「ここはどこだ」とか言っていたような気がする。その記憶が確かなら、私はただ迷っていただけの相手に、話も聞かず問答無用で攻撃したことになるのではないだろうか。
この仕打ち、私がサメならきっとキレている。
「お前…」
「は、はいい‼︎ ごめんなさい! 悪気は無かったんです! あまりにも怖い顔…いやいや驚いてしまって!」
思わず本音が出てしまうところだったが、何とかすみません、ごめんなさいとありったけの謝罪と共に頭を下げる。
そうして十数回謝ったところで相手の反応が無いことに気が付いた。恐る恐る様子を伺うと、サメは独り呟きながら考え込んでいて、こちらの謝罪にも気付いていないようだった。
もう一度確認してみるが、とりあえずは怒っているように見えない。恐ろしい見た目と違って穏やかな性格の種なのだろうか。ただサメの体が細かく震えていて、やはり体調でも悪いのかと申し訳ない気持ちになる。
「仲間が言っていた通りだった…雷に打たれたような衝撃…そうか、これが」
「あの、体は大丈夫ですか?」
「これが恋か‼︎」
「…は?」
サメが言っていることの意味が分からない。
海に医者はいるのだろうか。物知りの長老でも大歓迎だ。誰でもいいから私を助けてほしい。あとさっきまで心配していた私の気持ちはどこへ収めればいいのか。
「ビリビリと痺れるこの体。やはり間違いではない」
「いやいやいや、間違いです。大間違いです」
もう一度繰り返そう。サメが言っていることの意味が分からない。
確かに一目惚れの表現方法として、モノクロの世界でひとりだけカラーに見えたとか、大勢いる中でそのひとだけスローモーションで動いていたとか、雷に打たれたような衝撃だとか昔から色々あるけれども。これらは全部比喩だ。例え話だ。実際に自分に起きたなら、すぐさま病院に直行するレベルの災難だと断言できる。
「そもそも痺れるのはクラゲの毒のせいじゃないですか! 怒るならともかく、恋って! おかしいでしょう⁈」
「そうだな。私もこんな経験は初めてだ」
説得されてくれるかも、と期待し話を続けようとするが、サメは自分のペースを崩さない。私が気付かれないよう少しずつ取っていた距離を、尾のひとかきで詰めてきた。
「私の名はシャイフィークだ。呼びにくいならフィーでもいい。そう呼んでくれるか?」
「…あの」
「呼んでくれ」
このまま勢いに流されると面倒なことに発展しそうな予感がするので、なるべくなら呼びたくはない。だが先程から威圧感が半端なく重く迫ってきていて、そのせいで私の心はもう折れかかっていた。
「呼べ」
「ひっ⁉︎ し、シャイフィークさん?」
「さんは付けない方が私の好みだ。お前の名は?」
「…く、クラゲに名前なんて…」
「……」
「や、教えます、教えますって! だから無言で睨むのはやめてください…。あの、私、丹都って名前です」
お前そんな圧力かけてきて恋とか嘘だろ、と本気で言いたい。何故だろう。一目惚れ(?)されたらしいというのにちっとも嬉しくない。
「ニト。不思議な響きの名だ」
クラゲとサメ、友人ならともかく恋愛なんて絶対無理だ。あまりにも種が違い過ぎる。このシャイフィークだとかいうサメも、きっとすぐに目が覚めるだろう。
「あの…シャイ、シャイフィークさんはどこかへ行こうとしてるんじゃなかったですか?」
「フィーでいい。王都へ戻る予定だったのだが、連れの姿が見えなくなってな。落ち合う場所は決めていたのだが…」
「王都? ということは、海の中に国があるんですか⁉︎」
「ああ、ここも外れではあるが王国の一部だぞ? そうか、ニトはまだ王国の使いに会っていなかったのか」
「王国の使い、ですか?」
王国の使いという言葉の意味は分からない。だが王国というからには、国を治める君主がいてそこに住む国民がいる、そして文明もあると考えていいだろう。それらがどのくらいの規模なのか想像もつかないが、もしかしたら私のこの状況について、助言してくれる者もいるかもしれない。
「…興味があるなら私と一緒に来るか?」
「はい‼︎」
そう力一杯返事をしてから、私は我に返った。今日初めて会って、少しくらい会話しただけの相手にホイホイ付いて行って本当に大丈夫か? と。しかも誘った相手は、クラゲの毒に痺れただけなのに、それを何故か恋だと思い込める輩だ。道中振り回されることが確実に予想出来る。
「ニト、しばらくこの海域を離れることになる。仲間に別れを伝えたいのではないか?」
断ろうかなと思った瞬間のシャイフィークの言葉に、私は戸惑った。ふよふよと遊ぶように体を動かしつつ、仲間について思う。
いつの間にかクラゲになっていた私は、今日まで他の誰かと話すことも無かったし、こうやって会話が出来るなどと考えもしなかった。だからこの場所が何と呼ばれていて、どんな世界なのか興味も持てなかった。
仲間がいれば、暗い闇に慣れるのももっと早かったかもしれないし、長い一日に叫び出しそうなくらいイライラして、不安で、ぼんやりと死んだように流されていくだけの日々を過ごさなくても良かったかもしれない。
シャイフィークは魚達も慌てて逃げ出すほど恐ろしい顔付きをしていて、威圧感を盾に名前を聞き出したり、変な思い込みで恋に落ちたと勘違いするような頭がお花畑なサメではあるけれど、気絶するほどの毒を受けても怒らない優しいサメだ。流石に恋愛感情は持てないが、友人としてなら一緒にいてもいい。私は断るのを止めにして、連れていってもらうことにした。
「お別れじゃなくて帰ってきた時に挨拶をしたいと思ってます。だから、道中よろしくお願いします」