マリーゴールド
ガタン、ゴトンと足元から断続的に響く鈍い音。
あまり効いているとは言い難い空調との相乗効果で、呼んだ覚えのない睡魔が先程から眠れとばかりに纏わりついてくる。
このまま意識を手放したらどんなに心地よいだろう──そう思った矢先に、至近距離から非常に強力な『目覚まし』が発動した。
「パパー!!」
目を開けば、すぐ目の前に興奮を隠せない様子の紅潮した少女の顔。
「誰が『パパ』だ!」
「ねえねえ、見てみて! あれがそう!?」
こちらの否定などお構いなしに、少女は窓の外を指さして尋ねてくる。
視線を向ければ車窓の向こうに青と白。空から降り注ぐ日差しの下、何処か別の世界のように見える。
そういや、ここに来たのは久し振りだ。何となく懐かしい気分でその光景を眺めていると、またしても目覚ましもとい、少女が口を開く。
「パパ?」
「『パパ』はやめろって。誤解を招くだろ!?」
言いながら周囲を見回す。
各駅停車のローカル線は夏休みながらも人は疎らで、どうやらこちらの会話は聞こえていないようだ。
「だってパパはパパだもん」
ほっと安堵していると、ぶうと唇を尖らせて少女が言う。
(オレ、まだ十七なんだぞ!?)
心の内で反論し、彼はため息をついた。
そうでなくても七歳程の少女と十七歳の少年という組み合わせは、年の離れた兄妹であったとしても珍しい。変に目立ちたくない以上、こちらが大人になるしかない。
それに──少女の言葉は、全てが虚言ではないのだ。
目的地に到着する事を知らせる車掌の声を遠くに聞きながら、彼は事の顛末を思い返すのだった。
+ + +
それは数時間前に遡る。盆入りで両親が里帰りし、彼は一人留守番をしていた。
玄関のチャイム音がして出てみると、そこには見覚えのない子供が緊張した顔で分厚い本のようなものを抱えて立っていた。
「……何?」
宅配便か宗教勧誘かセールスだとばかり思っていたので、こういう場合どう対応をすれば良いか思いつけず、それだけを尋ねる。
我ながら素っ気ないと思ったものの、知らない子供相手に愛想良くするほど子供に免疫はない。すると少女はぐっと顔を持ち上げ、一息にこう言った。
「こんにちは! 夏休みの宿題をしに来ました!」
──まるで遠慮するように、騒がしく鳴いていたアブラゼミが沈黙した。
+ + +
少女の言い分を簡潔にまとめると次のようになる。
少女は二十年後からやって来た彼の娘で、その時代には『時間旅行』が可能になっているらしい。
少女も詳しくは知らないそうだが、夏休みの宿題に『昔の生活を調べましょう』という物があり、そのテーマに則ってここにやって来たのだそうだ。
実にありがちな、けれども荒唐無稽な話である。
よく出来た作り話と片付ける所だが、少女は手にしていた本のような物を彼に突き付け、これが証拠だと言い放った。
少し年月を感じさせるそれに彼は見覚えがあった。嫌な予感を感じつつ中を開くと──そこには高校に合格して喜びあう、少し色褪せた彼と友人達の姿があった。
+ + +
「パパは忙しいから、あまり家にいないの」
「へー。……母親は?」
「ママ? ママもお仕事だよ」
鄙びた無人駅で降り、海へと続く道を歩きつつそんな会話をする。
アルバムは高校合格以降の写真が見当たらなかった。正確には貼られてはいたのだが、全部空白になっていたのだ。おそらくこれから未来に起こる事だからだろう。
やがて視界が開けて、水平線が見えてきた。
「わあっ、海だ!」
倉庫から引っ張り出してきたぶかぶかの麦わら帽子を押さえ、少女が歓声を上げる。
海に行きたいと言ったのは少女だ。何でも近くに海がなく、映像でしか見た事がないという。
お盆時期の海はクラゲも出て入れたものじゃないし、男の一人っ子家庭に女児の水着などあるはずもない。
しかし少女に見るだけでもいいとせがまれ、押し問答の末に近場の海水浴場に行く事になって今に至る。大人片道五百八十円、学生には痛い出費だ。
そういやどうやって帰るんだろうと思っていると、少女が不意に顔をこちらに向けた。
「パパ、ありがとう」
「……だから、……」
まだ言うかと言いかけた言葉は途中で消えた。まるで特殊映像のように、少女の姿が透けていたからだ。
「ばいばい。大好きだよ、パパ」
驚きで声の出ない彼に小さく笑い、そう言ったかと思うと少女の姿は幻のようにかき消える。
ぱさりと被っていた麦藁帽子が足元に落ちた。
+ + +
「──そういや、そういう事もあったな」
娘が好きだった橙色の花を手向け、そんな事を思う。そう言えば昔からよく迷子になる子だった。
その出来事を忘れていた訳ではないが、その時まで夢だったと思っていた事は事実だ。
それは小学校に上がって初めての夏休み。『田舎』が残る彼の実家に一人で送り出した先の、思いがけない事故だった。どれほど後悔したかしれない。
時を超えて行くべき場所に行ったあの子が、今度は無事に家に帰って来れるといい。
祈りを胸に、彼は迎え火に火を点けた。
そうじさん主催の企画に今回もお声かけ頂いて参加しました。
今回は夏のお話。2000字縛りは非常に辛かったですが、勉強になりました。
文中では特に触れていませんが、実はタイトルですでにオチています。
この場で作品を語るのはナンセンスですし、わからなくても問題がない部分なので興味のある方はいろいろググってみて下さい。
「ああ」と思って頂けたら、裏テーマは完全補完出来たかな(笑)
最後に今回も企画を立ち上げ、お誘い下さいましたそうじたかひろさまに感謝を。
読者の方々には、良い夏の思い出が出来ますように。
追伸:ドラスティックによろしく、です♪