五節
お爺の足はだいぶようなって、畑仕事ぐらいやったらワシの手伝いがなくても出来るようになった。ヤブまで行くのはまだしんどいみたいやから、ヤブのことはワシが全部やることになっとる。全部やることにはなっとるが、ほんまはヤブに行ってるだけでヤブの世話なんかひとっつもしとらん。ワシがやることはひとつ。
ここんとこはずっとタケナラシの竹の前で話をしとる。朝から晩まで。タケナラシの周りをぐるぐると廻ってみたり、タケナラシにもたれて口笛を吹いてみたり。
「タケナラシが助けてくれてからワシは人気もんになったんやぞ。もうこの村で除けもんにされとる子どもはおらん。みな仲良う遊んどる。お前のお陰やぞ。」
と、言うてみるが、何の返事も無い。ざわざわと葉っぱが揺れることもない。
「なんやお前、怒っとるんか?」
と、言うてみるが、何の返事も無い。わさわさと葉っぱが揺れることもない。
「どないしたんや!タケナラシ!」
言うてみるが何の返事も無いし、すうと葉っぱが揺れることもない。そんなことを何日も繰り返してる。なんでタケナラシは何も言わんのやろう。
一旦はなんでやろうと考えるが、いつもすぐに同じことを思いつく。
いいや、それは考えたらあかんのや。タケナラシは疲れて寝てるだけなんや。間違いない。
ここまでヤブを放ったらかしにしとったもんやから、さすがにお爺も気がついたみたいや。前みたいに、ため息やら舌打ちやらをしょっちゅうするようになった。ワシの腰も前みたいに曲がってきた。ワシのことを褒めるもんは誰もおらんようになった。それでもワシは毎日毎日ヤブへ出かけた。
だいぶと寒くなってきた頃のある朝、ワシはタケナラシの竹に稲のようなもんがぶら下がっているのを見つけた。これは一体なんやろうかと頭を捻った。
どこかで聞いた覚えがある。
そう言えばお爺が言うとった。。竹は百年にいっぺんぐらい花をつけて、その花が終わったら枯れてしまうんや。と。
ちゅうことは、
もうじきこの竹も枯れて、枯れてしまうんか。
そうか・・・。
枯れてしまうんか。そうか・・・。
そう思たら腹わたを鷲掴みにされたみたいに苦しくなった。血の気がさあと引いてふらふらとなったかと思うと、そのままワシはへたりこんで、終いに横になった。空を見上げれば、竹の先が雲に届きそうやった。もしかしたらもう刺さってるんかも知れんなあ。と、わけのわからんことを考えて、沢山雲が流れていくのをぼけっと見とった。
夕暮れの朱くて黄色い色が竹を染めている。ゆっくりかぶさってきた大きな黒い雲が、それを塗りつぶそうとしている。ワシは立ち上がって、ヤブの湿った匂いを思いっきり吸うた。そんで両手を目一杯横に広げて、息を思いっきり吐きながら、勢いをつけて手を打ち鳴らした。
「ぺんっ。」
情けない音がした。
なんでか涙が出てきた。
タケナラシと初めて会ったあの晩、目の前で手を打ち鳴らした姿が思い浮かんだ。けたけたけたと笑うあの顔が思い浮かんだ。ワシを助ける為に小さくなって消えてしもたタケナラシは、曲がった竹になってしもて、今にも枯れようとしている。
ワシは、なんべんもなんべんも手を打ち鳴らした。なんぼでも流れてくる涙も拭かんと、ぺんぺんと情けない音を鳴らして歩き回る。曲がった竹の周りをいつまでも廻る。脚は虫に咬まれて血だらけで、手は腫れあがってびりびりする。眼は開けてもつむっても痛い。きっとタケナラシみたいに赤くなってるんやろう。
空が真っ暗になった頃、打ち合わせた掌に氷の粒が挟まった。さっきの黒くて大きい雲がぎょうさん雪を降らしてきよった。
足の裏から頭の先まで氷の冷たさが凍みて、そのせいで胸が苦しいのも全部わからんようになってくるような気になる。ワシは枯れそうなタケナラシをそこに置いて、家へ帰ることにした。また雪がやんでから来たらええんや。ワシの涙はもうやんだぞ。
こけながら、こけながら、ぐわんぐわんと下って帰る。だんだん雪が積もってきて動けんようになりそうやったけども、曲がったからだを揺らしながらやっとこさ家の前に着いた。やっとあったかい晩飯を食うて床につける。そないに思たら腰が抜けて戸口の前で倒れてしもた。
お爺を呼ぼうと思て口を開いたけども声が出ん。なんぼ搾り出そう思ても出ん。ワシは痺れた手にいっぱい力をこめて古ぼけた戸を叩いた。
足を引きずって歩くような足音が近づいてきて「ロクか。」とお爺の声がした。返事が出来んかったから、もういっぺん戸を叩いた。ようやく戸が開いた。
出てきたお爺の顔を見たらワシはなんや嬉しくなって笑ってしもた。
けたけたけたっ
お爺は眼をひんむいて「ひいぃっ」と声を上げたかと思うと、ばけもんにでも出くわしたような顔をして尻もちをついた。奥から顔を出したお母も、ワシを見るなり「ひいっ」と言ってぶっ倒れた。
お爺は身を震わせながら土間にあったつっかえ棒を掴み、ワシの腹をめいっぱいに突いた。今まで感じたことがない痛さがからだの中を走った。
ワシはごろごろと後ろに転がって、戸がばしんと閉まる音を聞いた。
「ば、ばけもんが!出て行け!ヤブ・・・ヤブへ帰れ!」
お爺が怒鳴った。
ワシはまたお爺にどやされた。
ワシはもう、どこも行くところが無くなってしもた。雪の冷たいのなんか、もう、何も感じんかった。
またタケナラシの所に来た。
真っ暗な竹ヤブの中、いつものようにタケナラシにもたれとる。
降りてくる雪のひとつひとつがぴかぴかと光ってるみたいで美しかった。
時々吹く強い風が、竹の枝に乗っていた雪をさらっていった。
深く積もった雪の中、ワシは手を打ち合わせる。もうひとっつも鳴らん。
タケナラシの花がそっと揺れて、
とびきり大きな風が吹いた。
ざわざわっ、ざわざわっとヤブ中の竹がひとしきり大騒ぎして、静まり返った。
ワシは立ち上がって、全部の全部を振り絞って、手を打ち鳴らした。
かあぁぁん
またタケナラシの花が揺れた。
聴こえる。
タケナラシの竹が笑っている。
ワシも一緒になって笑う。
けたけたっ
けたけたけたっ
最期まで読んでくださって有り難う御座います。
竹薮に囲まれた地域に住んでいる僕は、竹や筍に親しんで育ちました。
竹薮の中で、あの乾いた「かこおん」という竹の音を聞く度、不思議な存在を想像せずにはいられませんでした。
僕の原点である「竹」を描いたこの物語は、初めて書き上げた作品としてふさわしいものであったと思っております。ご意見、ご感想など頂きたいと思っておりますので、宜しければお願いします。
さて、実はこの話には続きがあります。エピローグみたいなものです。
本編に含まれるとスッキリし過ぎるのではないかと、そんな気がしたので、後書きとして紹介させて頂きます。
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また春が来た。
村も竹の子の季節を迎えた。
「村はずれのとこのロクが竹の子の妖怪に食われた。」という噂は、村じゅうに広まっていた。竹に花が咲くと、その年は凶作になると言われている。しかし、今年はどこのヤブも竹の子がよく出ているから、祟りだの何だのと言って村の者は気味悪がっていた。それでも質の良い竹の子がぽんぽんと出てくるものだから、いつの間にか皆「神さんの恵みや。」と言って喜んで掘るようになった。
少し時が経ち、竹の子の季節が終わる頃。子どもたちが妙なことを口にするようになった。
子供同士で喧嘩をしたり、ひとりの子を除け者にしたりしていると、「あかぁん、あかぁん。」と、奇妙な竹の音がどこからともなく聞こえて来た、と言ったり。仲間に入れてもらえずひとりで遊んでいると、顔と腰が歪んだ竹の子の妖怪が遊んでくれた、と言ったり。
無論、村の大人は誰も相手にしなかったが・・・。
村はずれのロクのお爺とお母は、そんな話をきく度、雪が降ったあの日に居なくなってしまったロクのことを思い出した。
出来損ないだと罵っていた小さな子どもは、本当は心の優しい良い子であったのだ。と、今になって思うようになっていた。ただ身体が不自由であっただけで、使い物にならないなどと思っていた自分を恥ずかしく思っていた。ロクの父親の代わりにしてやろうと思っていたことを情けなく思っていた。
「またロクやんに遊んでもろた。」と、村の子どもから聞かされたある日、ロクのお爺とお母は竹ヤブへ出かけた。
誰も手入れをしなくなったヤブで、お爺が叫んだ。
「おうい。ロクう。聞こえるかあ。」
繁ったヤブからは何の返事も返ってこない。
「ワシらが悪かった。戻って来おい。もういっぺん皆で暮らそうやあ。」
しばらくしいんとして、すぐそばで竹の音が鳴った。
あかぁん、あかぁん
涙混じりにお母が言った。「そうかあ、戻ってこんのかあ。」
こぉん、こぉん
もう何を言おうが、それ以上竹の音は鳴らなかった。二人は泣く泣くヤブを下りた。
この村には妖怪が出る。
とても優しい、竹の子の妖怪。
何十年、何百年経っても、子どもたちから妖怪の話が絶えることは無かったそうな。
完




