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『風はあの子を選んだ』~役立たずと婚約破棄された田舎令嬢ですが、麦畑を守る風の精霊は私だけと契約していました。聖女気取りの義妹が豊穣を枯らした頃、私はもう別の国で笑っていますわ~

作者: uta
掲載日:2026/08/17

「セリア・ウィンドフィール。君との婚約を破棄する」


豊穣祭の壇上。国中の貴族が見守るなか、第三王子アランの声が高らかに響いた。


「真の聖女はミレイユだ。麦を枯らす陰気な君に、この国の食を任せられない」


——ああ、やっぱり。


私は静かに、その言葉を受け止めた。


喚くつもりも、泣くつもりもない。だって、心のどこかでずっと予感していたから。


(それにしても、麦の受粉期にわざわざ社交界に呼び出されて、告げられるのがこれですか。せめて収穫が終わってからにしてほしかったですわ)


前世——日本の農学部を卒業した私からすれば、麦畑ほど嘘をつかないものはない。土は、かけた手間の分だけ返してくれる。


だからこそ、この宣告の滑稽さがよくわかる。


私の隣で、義妹ミレイユが勝ち誇った笑みを浮かべていた。金の髪をきらめかせ、白いドレスを揺らして。


「お姉様、ごめんなさい。でも、国のためなのです。麦を実らせる本当の聖女は、わたくしですもの」


麦を実らせる。


その言葉に、私の肩でだけ見える小さな風が、ぷくりと頬を膨らませた気配がした。


人には見えない。ただ私だけに姿を見せる、風の精霊シルフィ。


『……セリア、こいつら本気で言ってるの?』


耳元で舌足らずな声がささやく。私は微笑を返さないよう、必死に表情を殺した。


そう。今年、国中の麦が原因不明の不作に陥っている。その責任を、地味で目立たない私に押し付けての追放。


でも——私は知っている。


この国の麦を実らせてきたのは、聖女の祈りなんかじゃない。


幼い頃から陰で風を操り、害虫を吹き飛ばし、受粉を助けてきた、この私と——シルフィだったということを。


「わかりました」


私は、たった一言だけ答えた。


貴族たちがざわめく。反論しない令嬢に、拍子抜けしたように。


「……なに? 反論はないのか」


アランが訝しげに眉をひそめる。私は静かに首を振った。


「では、麦畑のことは——もう、あなた方でどうぞ」


そう言って、私は静かに背を向けた。


(さようなら。この国の、麦畑。……あなたたちを実らせていたのが誰だったか、そのうち嫌でも思い知るでしょう)



王都の門を出る頃には、日が傾いていた。


荷物はわずか。土仕事用のエプロンと、数冊の農書。そして、ただ一人付き従ってくれた侍女のハンナ。


「奥様。よろしかったのですか。何も言い返さずに」


ハンナが灰色の髪を揺らして、静かに問う。


家中の誰もが私を『土まみれの役立たず』と嘲るなか、この人だけは、泥だらけの私の手を尊んでくれた。


「言い返す必要がありますか?」


私は空を見上げた。


「事実は、これから風が証明してくれますから」


その瞬間、私の周りだけ、ふわりと優しい風がそよいだ。


『ねえねえセリア!』


シルフィが人型に凝る。銀髪碧眼、麦穂色のワンピースをまとった十歳ほどの少女が、くるくると宙を舞った。ハンナには見えていない。


『あの国、もう風あげないよ? セリアをいじめるやつには、麦を一粒もあげなーい!』


「……ええ。あなたはそういう子ね」


精霊は、契約者を自ら選ぶ。


気まぐれで、誰にも縛られない。だからシルフィが去れば——この国の風は、二度と麦畑を渡らない。


王家も、アランも、ミレイユも、誰も知らない。


『聖女の祈り』の陰で麦を実らせていたのは私で、その私が去るということが、何を意味するのかを。


「行きましょう、ハンナ。隣国グランウェールへ」


「かしこまりました。奥様のなさることに、間違いはございません」


背後で、王都がゆっくりと遠ざかる。


そのはるか向こう、豊穣祭の会場では、まだ喝采が続いているのだろう。偽物の聖女に。


(せいぜい、祈っていなさいな。祈りで麦が実るなら、農学なんて要りませんもの)


私は前を向いた。


荒れ地でも構わない。土さえあれば、私はどこでだって生きていける。


風が、私の背を押した。



隣国グランウェールの南部は、痩せた荒れ地が広がっていた。


「ここを、数ヶ月で麦畑に?」


仏頂面の男が、低い声で言った。


黒髪に鋭い琥珀の瞳。長身で、騎士のように鍛えられた体躯。この地を治める若き領主、レオンハルト・グランウェールだ。


民からは『氷の領主』と恐れられていると聞く。確かに、表情が全く動かない。


「ええ。土壌を見れば、可能かどうかはわかります」


私は膝をつき、土を手のひらですくった。指先でこすり、匂いを嗅ぐ。


(水はけは悪くない。窒素が足りていないだけ。緑肥をすき込んで、輪作すれば——そして)


私が目配せすると、シルフィがふわりと畑を渡った。


風が吹く。乾いた土の上を、優しく、まっすぐに。


数週間後。


荒れ地は、青い芽で埋め尽くされていた。


さらに数ヶ月。


見渡す限りの、黄金の麦畑。


風が渡るたび、麦穂がさわさわと波打つ。


その光景を、レオンハルトはただ黙って見つめていた。


そして——誰にも聞こえないと思ったのだろう。


「……綺麗だな」


ぽつりと、小声で呟いた。


「何かおっしゃいました?」


「……!」


振り向いた彼の耳が、みるみる赤く染まった。


「い、言っていない。何も」


そっぽを向く氷の領主。私は思わず口元を緩めた。


(あら。氷どころか、けっこう溶けやすい方ですのね)


「セリア・ウィンドフィール」


彼は咳払いをして、まっすぐ私を見た。


「君を、宮廷付きの農政顧問として迎えたい。……民の腹を満たせる者を、俺は他に知らない」


パフォーマンスではなく、実務を尊ぶ言葉。


私が、故国で一度も言われなかった言葉だった。


「喜んで、お引き受けしますわ」


風が、二人の間を優しく吹き抜けた。



——一方、その頃。故国ヴェスティア王国。


「なぜ……なぜ、麦が枯れるの!?」


ミレイユは、枯れ果てた麦畑の前で悲鳴を上げていた。


白いドレスの裾が、土埃で汚れている。彼女は必死に手を組み、目を閉じて祈った。


「豊穣の女神よ! 真の聖女たるわたくしの祈りを聞き届けたまえ! 麦よ、実れ! 実りなさいよぉぉ!」


風は、そよとも吹かない。


祈りは、ただ虚しく空へ消えていく。


セリアが去ってから、国中の麦が急速に枯れ始めていた。青々としていた穂は茶色く萎れ、やがて害虫が大発生した。


王都の食糧庫は、みるみる空になっていく。


「どういうことだ、ミレイユ! お前は真の聖女なのだろう!?」


第三王子アランが、青ざめた顔で詰め寄る。豊穣祭で勝ち誇っていた面影はどこにもない。


「わ、わたくしのせいではありませんわ! きっと、あの女が! セリアが何か呪いを!」


「呪い……?」


アランは、ふと思い出した。


セリアが去り際に残した、たった一言を。


『では、麦畑のことは——もう、あなた方でどうぞ』


あの淡々とした声。反論も、涙もなかった、あの沈黙。


背筋が、ぞっと凍った。


「……まさか。麦を実らせていたのは」


家臣が、震える声で報告に駆け込んできた。


「殿下! グランウェールが……隣国が、痩せた荒れ地を黄金の麦畑に変えたと! その立役者は、我が国を追われた令嬢——セリア・ウィンドフィール様だと!」


アランの手から、力が抜けた。


「土まみれの、役立たず……だと、俺は……」


遅い。何もかも、遅すぎた。


失ってから、ようやく気づく。


麦を枯らしていたのではない。


彼女こそが、この国の麦を——ずっと、実らせていたのだと。



黄金の麦畑に、みすぼらしい馬車が一台、乗り付けた。


降りてきたのは、やつれ果てた第三王子アラン。かつての華美な装飾は、色褪せてくすんでいる。


「セリア……! 頼む、この通りだ!」


彼は、麦畑の真ん中で——土に膝をつき、頭を垂れた。


王族が、土下座を。


「国が飢えている! 民が死んでいく! どうか、どうか我が国に戻ってきてくれ! お前の力が必要なんだ!」


私は、ゆっくりと振り返った。


手には、収穫したばかりの麦の穂。肩には、風の精霊シルフィ。そして隣には、静かに私を守るように立つレオンハルト。


「あら、アラン殿下」


私は微笑んだ。怒りも、憎しみもなく。ただ、事実だけを風に乗せて。


「『麦を枯らす陰気な君に、この国の食は任せられない』——そう、おっしゃいましたわね」


「そ、それは……!」


「その通りにしましたのよ。私は、あなた方に何も任せていただけませんでしたから。だから——もう、何もしていませんわ」


アランの顔が、絶望に歪む。


私はしゃがみ、彼の目線に合わせて、静かに告げた。


「風は、優しい人のところにしか吹きませんのよ。……あなた方は、風に嫌われたのです」


瞬間、私の周りの麦が、いっせいにさわさわと波打った。


まるで、そこにだけ祝福が満ちているように。


シルフィが、ぷいと顔を背けて言い放つ。


『セリアをいじめるやつには、麦を一粒もあげなーい!』


もちろん、アランには聞こえない。


でも、彼にははっきりと見えたはずだ。私の周りだけを渡る、優しい風の存在が。


「そんな……そんな精霊が、お前に……」


「ええ。ずっと、私だけに。あなた方が『聖女の祈り』とやらに喝采を送っていた、その裏でね」


聖女詐称の真実は、すでに両国に広まりつつあった。


ミレイユの祈りには実効がなく、麦を実らせていたのはすべてセリアだった、と。


王家の権威は、音を立てて崩れていく。


「お帰りください、殿下。ここは、私が選んだ人たちのための畑です」


レオンハルトが、静かに一歩前へ出た。


「客人が、帰るそうだ。見送ってやれ」


氷の領主の一声で、アランは兵に促され、力なく去っていった。


黄金の海のような麦畑に、風だけが優しく残った。



夕暮れ。麦畑が、金からオレンジへと色を変えていく。


「セリア」


レオンハルトが、隣にやってきた。いつもの仏頂面。だが、その手には、麦の穂で編んだ不格好な冠が握られている。


「……これを」


「まあ。手作りですの?」


「悪いか」


そっぽを向く彼の耳は、夕日よりも赤い。


私はくすりと笑って、その冠を受け取った。


「君は、この国に豊穣をもたらした。……いや、それだけじゃない」


彼は、絞り出すように言葉を続けた。


「土に膝をつく、君の背中を見ていた。誰よりも民を思う、その手を。……俺は、それに惚れた」


不器用な、けれどまっすぐな告白。


「政略でも、打算でもない。セリア。俺の、隣にいてくれないか」


私は、麦の冠を胸に抱いた。


前世でも、今世でも、誰かに『必要だ』と、こんなにも実直に求められたことはなかった。


「……喜んで。レオンハルト様」


風が、二人を祝福するように渦を巻いた。


『やったー! セリア、しあわせ?』


シルフィが、私の頭の上でくるくると回る。


「ええ。とても」


私が頷くと、シルフィはにんまりと笑って、東の空を指さした。


はるか彼方、地平線の向こう。


『ねえねえ、次はどうする? レオンの国の隣、砂の国も緑にしちゃう?』


「砂の国……」


乾いた大地。誰もが不毛だと諦めた土地。


前世の農学知識と、風の精霊。この組み合わせなら、あるいは。


(灌漑と、耐乾性の品種と、それから風で水分の蒸発を……ええ、案外いけるかもしれませんわね)


「奥様。また、とんでもないことをお考えの顔ですね」


ハンナが、呆れたように、けれど嬉しそうに微笑む。


「あら、ハンナ。あなたも来てくれるのでしょう?」


「奥様のなさることに、間違いはございませんから」


私は、麦畑の向こうの地平線を見つめた。


故国では今も、偽りの聖女と愚かな王家が、崩れゆく国を前に立ちすくんでいることだろう。


でも、それはもう、私の物語ではない。


私の物語は——これから、新しい大地へと吹いていく。


風は、優しい人のところへ。


そして、豊かさを求めて前へ進む者のところへ。


「行きましょうか。次の、緑の風を吹かせに」


黄金の麦畑を、優しい風がどこまでも渡っていった。


——続く。

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― 新着の感想 ―
侍女が奥様と呼ぶのに違和感。 まだ結婚してないし、お嬢様かセリア様と呼ぶのではないかと思いました。 不作で追放ならセリアもシルフィも麦を実らせられてないのでは??
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