学校一の猫系美少女が俺にだけ距離感バグらせてくると思ったらほんとに猫だったとは聞いてない
「おはよ、星街くん!」
朝の教室。
登校するなり、クラスの、いや学校の絶対的マドンナである結司椛が、一直線に俺の席へとやってきた。
白磁のような肌に、サラサラとした純白に近いプラチナブロンドの髪。
モデル顔負けのスタイルを制服に包んだ彼女は、男子生徒全員の憧れの的だ。
そんな彼女が、なぜか地味で目立たないモブキャラである俺、御影星街の机に身を乗り出している。
「……あ、うん。おはよう、結司さん」
「もー、また『結司さん』? 椛って呼んでって言ってるのに」
不満げに頬を膨らませる椛。
その瞬間、教室中の男子から突き刺さるような嫉妬の視線が俺の背中に集まった。痛い。視線だけで人が殺せそうなレベルだ。
俺は周囲の目を気にしながら、声を潜める。
「いや、学校だしさ。みんな見てるか
ら……」
「関係ないよ。私は星街くんとお話しに来たんだもん」
椛はフフッと嬉しそうに笑うと、信じられない行動に出た。
俺の椅子のすぐ横、パーソナルスペースを完全に無視した距離まで顔を近づけてきたのだ。
あまりの近さに、彼女から甘い、どこか懐かしいおひさまのような香りが漂ってくる。
さらに、椛は俺の制服の袖をきゅっと掴み、小刻みに左右に揺らし始めた。
その姿は、まるで大好きな飼い主にじゃれつく猫そのものだった。
「ねえ、今日の購買のパン、一緒に食べよ?」
「え、あ、うん。いいけど……」
断る理由もないので頷くと、椛はパッと表情を輝かせた。
その時、彼女の身体がさらに一歩近づき、俺の腕に彼女の柔らかい身体が完全に密着する。
「っ……!? 結司さん、近い、近いって!」
慌てて身を引こうとする俺。
だが、椛は不思議そうに小首をかしげるだけで、離れようとしない。それどころか、俺の首元に鼻を近づけて、くんくんと小さく息を吸い込んだ。
「あ、やっぱり星街くんの匂い……世界で一番落ち着く……」
耳まで真っ赤にした椛が、うっとりとした表情でそう呟いた。
学校一の美少女からの無自覚な超至近距離アプローチに、俺の心臓は爆発寸前だった。
(いや、落ち着くって何!? ていうか、なんで俺なんだ……?)
自分のような平凡な男が、彼女のような美少女に好かれるはずがない。きっと何かの罰ゲームか、あるいはただの気まぐれだ。
俺はそう自分に言い聞かせ、激しく鳴る鼓動を必死にごまかすことしかできなかった。
昼休みの購買パンデート(という名の、周囲からの公開処刑)を終え、放課後。
これ以上、教室で男子たちの嫉妬の炎に焼かれるわけにはいかない。
俺は意を決して、放課後の図書室裏、ほとんど人が来ない中庭の隅に椛を呼び出した。
「星街くん、どうしたの? 改まって二人きりなんて……もしかして、告白?」
「ち、違うから! 心臓に悪い冗談はやめてくれ」
期待に満ちた目で上目遣いに見つめてくる椛に、俺はタジタジになりながら本題を切り出す。
「あのさ、結司さん。朝も昼も、ちょっと距離が近すぎるというか……ほら、俺みたいな地味な奴と一緒にいると、結司さんの変な噂が立つかもしれないし。もっと他の、格好いい男子とかと仲良くした方がいいんじゃないかって」
我ながら情けないセリフだとは思う。
だが、これがモブとしての正しい分相応の対応のはずだ。
しかし、俺の言葉を聞いた瞬間、椛の表情からさっと色が消えた。
プラチナブロンドの隙間から覗く瞳が、今にも泣き出しそうなほど潤んでいく。
「……なんで、そんなこと言うの?」
「え?」
「私は、星街くんじゃなきゃダメなの。他の男の人なんて、みんな私の顔しか見てない。私のこと、本当に見てくれたのは星街くんだよ……?」
椛は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。その気迫に押され、俺の背中が図書室の壁に当たった。いわゆる壁ドン、いや、逆壁ドンだ。
「結司、さん……?」
「行かないで。私を置いていかないで、星街くん……」
小さな手が、俺のブレザーの胸元をぎゅっと掴む。その手はかすかに震えていた。
学校一の高嶺の花が、今にも消えてしまいそうなほど儚い表情で俺に縋りついている。胸が締め付けられるような罪悪感と、それ以上の愛おしさが込み上げてくる。
「分かった、分かったから! 突き放すようなこと言って悪かったよ」
慌てて謝ると、椛はパッと顔を上げた。まだ目に涙を溜めたまま、小首をかしげる。
「本当? じゃあ、私のこと嫌いになってない?」
「嫌いになるわけないだろ。むしろ、その……嬉しかった、し」
恥ずかしさをこらえて本音をこぼすと、椛の顔が一気に華やいだ。
「よかったあ……! あ、じゃあね、お詫びとして一つだけ、私のお願い聞いてくれる?」
「お願い? 俺にできることなら」
「うん! ――今日、星街くんの家に行ってもいい?」
「……へ?」
あまりに唐突な提案に、俺の思考は完全にフリーズした。
美少女を放課後に自宅へ連れ込む? そんなの、なろう小説の読みすぎだろ。
「い、いや、さすがに親もいるし、男の部屋なんて汚いから――」
「大丈夫、気にしないよ! 決まりね!」
有無を言わさぬ笑顔で、椛は俺の手を恋人繋ぎでがっちりと握りしめた。
――そして数十分後。
本当に俺の後ろをトコトコとついてきてしまった椛と共に、俺は自宅の玄関前に立っていた。
緊張で震える手で鍵を開け、ドアを押し開ける。
「あ、あのさ、本当に散らかってるから――」
言い訳を口にしながら玄関に入った俺の横
を、椛がするりと通り抜けた。
そして、靴を脱ぎながら、まるで昔からずっとそうしてきたかのような自然な口調で、満面の笑みを浮かべた。
「ただいま、星街くん!」
我が物顔で廊下を進んでいく彼女の背中を見ながら、俺は強烈な既視感を覚えていた。
「お邪魔します!」
そう言って俺の部屋に足を踏み入れた椛は、緊張する様子もなく、我が家のようにくつろぎ始めた。
男の一人暮らし(両親は出張中)の部屋に女子を連れ込むなんて、俺の心臓はさっきからドラムのように激しく鳴り響いている。
だが、驚いたのはその後だった。
「あ、星街くん。のど渇いちゃった。麦茶、冷蔵庫の右側のドアポケットにあるよね? もらっていい?」
「え? あ、うん。いいけど……」
なぜ教えられてもいないのに、我が家の冷蔵庫の配置を完璧に把握しているんだ。
それだけではない。
椛はリビングに戻ってくると、部屋の隅にあるクッションに真っ先に目を留めた。
それは俺が高校1年の時から愛用している、少し色あせた円形のクッションだ。
「これこれ、やっぱりこれが一番落ち着くのよね……っ!」
椛は嬉しそうに声を上げると、クッションの上にちょこんと膝を抱えて座り、そのまま身体を丸めた。
その座り方、首の傾げ方、そしてリラックスした時に細められるパチクリとした瞳。
そのすべてに、俺は強烈な見覚えがあった。
(……チャコ、か?)
3年前、俺が雨の日に拾って、数ヶ月だけ一緒に暮らした白い迷い猫。
ある日突然、煙のようにいなくなってしまった俺の家族。
あの白猫も、冷蔵庫の右側から冷気が漏れるのを眺めるのが好きで、そして何より、このクッションの真ん中で丸くなるのが大好きだった。
プラチナブロンドの髪、白磁のような肌。
言われてみれば、椛のその神秘的な白さは、チャコの綺麗な毛並みにそっくりだ。
「……結司さん」
「ん? なあに、星街くん」
クッションに顎を乗せたまま、上目遣いで俺を見上げてくる。その無防備な姿は、完全に野生を忘れた猫のそれだった。
俺はゴクリと唾を飲み込み、胸の中に生じた突拍子もない疑惑を、冗談めかして口にしてみた。
「お前……まるで、昔俺が飼ってた白猫のチャコみたいだな」
本当に、ただの軽い冗談のつもりだった。
人間の女子が猫なわけがないし、そんなのはファンタジーの読みすぎだ。
――だが。
その言葉を聞いた瞬間、椛の身体がビクッと大きく跳ね上がった。
「っ……あ、あはは……な、何言ってるの、星街くん。私が猫なわけ、ないじゃない……!」
椛は目に見えて動揺し、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
長いプラチナブロンドの髪の隙間から覗く耳まで、真っ赤に染まっている。
その手は、クッションの端をきゅっと強く握りしめて震えていた。
(え……? なんでそんなに焦ってるんだ……?)
あまりの反応の不自然さに、俺の心臓は別の意味で激しく鼓動を刻み始めた。
(いや、あり得ない。人間が猫なわけがないだろ)
あの後、真っ赤になって黙り込んでしまった椛を見て、俺は自分の都合の良い妄想を恥じた。
チャコが突然いなくなって、寂しかったから。だから学校一の美少女である結司さんを、勝手に重ねて見てしまっただけだ。
「……ごめん、変なこと言って。ちょっと疲れてるみたいだ」
「う、うん……! 星街くんが疲れてるなら、私、今日はもう帰るね!」
椛は逃げるように荷物をまとめると、慌ただしく俺の家を後にした。
翌日。
俺は自分の身の程を知るべきだと、強く自分に言い聞かせていた。
あんな美少女が俺を本気で相手にするはずがない。勘違いしてこれ以上踏み込んだら、それこそ取り返しのつかない不審者になってしまう。
だから俺は、朝の教室でいつものように一直線に向かってこようとする椛から、すっと目を逸らした。
話しかけられそうになっても、「ちょっと用事があるから」と冷たく距離を置いた。
それがモブである俺の、正しい選択のはずだった。
だが、それは椛にとって、致命的な絶望だった。
「……どうして?」
放課後の廊下。遠くから俺を見つめる椛の瞳は、光を失い、深い不安に沈んでいた。
星街くんに嫌われた。拒絶された。せっかく人間の姿になって、やっともう一度会えたのに。私の居場所は、あの人の隣だけなのに。
「おいおい、結司ちゃん。そんな暗い顔すんなよ。あんな地味男、ほっとけって」
そこに声をかけてきたのは、クラスの目立つグループのリーダー、染谷だった。
以前から何度も椛をナンパしては撃沈している男だ。染谷は俺と椛の間に距離ができたのを好機と見たのか、勝ち誇ったような顔で椛の肩に手を回そうとする。
「今日の夜、空いてるだろ? 美味い店連れてってやるよ。あいつと違って、俺なら君を満足させてあげられるぜ?」
いつもなら愛想笑いでかわすはずの椛だった。
しかし、星街くんに拒絶された不安と、行き場を失った独占欲が、彼女の中で限界を迎えていた。
ピキ、と何かが切れる音がした。
「触らないで」
椛は染谷の手を、凍りつくような冷徹さで叩き落とした。
その瞳は完全に据わっており、いつもの可憐なマドンナの面影は微塵もなかった。
「……は? 結司、ちゃん……?」
「私の飼い主様は、星街くんだけ。邪魔をするなら、タダで済むと思わないで」
ドスの利いた声で呟くと、椛は引き止める染谷を無視して、強い足取りで歩き出した。
その背中からは、隠しきれない狂気と、歪んだほどの強い執着心が満ち溢れていた。
翌日の昼休み。学食は多くの生徒たちでごった返していた。
俺は一人、隅の席でうどんをすすりながら、昨日からの自分の行動を後悔していた。
距離を置くと決めたものの、遠くから見る椛の表情は明らかに元気がなく、心ここにあらずといった様子だったからだ。
(やっぱり、俺のせいで傷つけちゃったのかな……)
自己嫌悪に陥っていたその時、学食の中央が急に騒がしくなった。
「おい結司、いい加減にしろよ! 昨日からなんなんだよその態度は!」
大声を上げたのは染谷だった。昨日の放課後にプライドをへし折られたのが余程許せなかったのか、取り巻きを連れて椛のテーブルを取り囲んでいる。
「地味男に色目使ってる癖に、俺の誘いは無視か? 学校一の美少女様が聞いて呆れるぜ!」
しつこく腕を掴もうとする染谷に対し、椛は冷たいゴミを見るような目で一瞥をくれただけだった。その態度がさらに染谷の火をつけた。
「おい、無視すんなよ!」
染谷が強引に椛の肩を掴もうと手を伸ばした、その瞬間だった。
遠くから見ていた俺は、身体が勝手に動いていた。
「おい、やめろ染谷!」
人混みをかき分け、俺は椛の前に割って入った。染谷の手を叩き落とし、椛を背中に隠す。周囲の全校生徒の視線が一斉に俺たちに集まるのが分かった。
「……御影? てめえ、モブの癖に調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「調子に乗ってなんかない。結司さんが嫌がってるだろ。手を離せ」
周囲のざわめきが大きくなる。染谷が俺の胸ぐらを掴もうと拳をあげた。
だが、その拳が届くより早く。
俺の背後から、すべてを圧殺するような、凄まじい叫び声が学食中に響き渡った。
「私の星街くんに、触るなアァァッ!!」
それは、学校一のマドンナである結司椛からは想像もつかない、激しい咆哮だった。
椛は染谷を猛烈な勢いで突き飛ばすと、俺のブレザーの裾を両手でぎゅっと掴み、そのまま俺の胸に全力で飛び込んできた。
「結司、さん……?」
困惑する俺を無視して、椛は俺の胸に顔を埋めたまま、大粒の涙をポロポロと流しながら叫び続ける。その声は、学食にいる全員の耳に突き刺さった。
「もう嫌! 隠さない! 嘘つかない! 私、あの時雨の中で星街くんに助けてもらった白猫のチャコなの! 星街くんにお嫁さんになりたくて、神様にお願いして人間の姿になって会いに来たの! なのに、なんで無視するの!? なんで離れていくの!?」
学食が、水を打ったように静まり返った。
染谷も、取り巻きも、周囲の生徒たちも、あまりの超展開に開いた口が塞がらない。
「他の男の人なんてどうでもいい! 私を見て! 私をもう一度、星街くんの猫にしてよぅ……ッ!!」
全校生徒の面前で、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺への狂おしいほどの愛を爆発させる椛。
その必死な姿を見た瞬間、俺の脳裏に、あの雨の日に震えていた小さな白猫の記憶が、鮮烈に蘇っていた。
静まり返る学食。
全校生徒が呆然とする中で、俺の頭の中だけは、驚くほど急速にすべての線が繋がっていた。
教えられてもいない冷蔵庫の配置。
俺の愛用クッションで見せたあの丸まり方。
そして、世界で一番落ち着くと言ってくれた、俺の匂い。
「……そっか。お前、本当にチャコだったんだな」
「え……?」
俺の胸に顔を埋めていた椛が、涙で濡れた睫
毛を揺らしながらゆっくりと顔を上げた。
俺は卑屈になるのをやめた。モブだとか地味男だとか、そんな周囲の評価はどうでもいい。
目の前にいるのは、ずっと会いたかった、俺の愛おしい家族だ。
俺は椛の細い肩をそっと抱き寄せ、全校生徒が見守る中で、優しく微笑みかけた。
「ごめんな、気づかなくて。――おかえり、チャコ。ずっと寂しかったぞ」
その瞬間、椛の瞳から再び涙が溢れ出た。今度は絶望の涙ではなく、歓喜の涙だ。
「――っ、ただいま……! ずっと、ずっと会いたかった……っ!」
椛は俺の首に腕を回し、これ以上ないほど幸せそうに顔を擦りつけてくる。
周囲からは「猫……?」「神様……?」「いや、公開プロポーズか!?」と大混乱のどよめきが起きていたが、もはや俺たちを邪魔する者はいなかった。染谷たちも、あまりの熱量に圧倒されて完全に戦意を喪失している。こうして、学校一のマドンナが俺の「正妻」であるという既成事実が、全校生徒の前で完全に確立されたのだった。
それから数ヶ月後。
我が家のリビングには、3年前と変わらない光景――いや、少しだけ賑やかになった光景があった。
「ねえ、星街くん。頭撫でて。ここ、ここ」
学校から帰るなり、椛は制服のまま俺の膝の上に頭を乗せてきた。
正体を明かしてからの彼女は、学校でも家でも、周囲の目を一切気にせず全力で甘えてくる。
「結司さん、いや、チャコ。流石に距離が近すぎるって。今、課題やってるから」
「むー……人間になったんだから、椛って呼んで。それに、課題よりも私を優先して。私、星街くんのお嫁さんになるために人間になったんだよ?」
そう言って、プラチナブロンドの髪を揺らしながら、上目遣いでジッと俺を見つめてくる。その瞳には、あの頃と変わらない、俺だけを映す純粋な独占欲が満ちていた。
「分かったよ、椛」
俺が諦めてペンを置き、彼女の柔らかい髪を優しく撫でると、椛は「ふにゃあ……」と、本当に猫のような声を漏らして目を細めた。
「大好き、星街くん。もう絶対に離れないからね」
可愛い猫系彼女の限界突破した溺愛に、俺はこれからも一生、タジタジにされながら幸せな悲鳴を上げ続けるのだろう。




