第3話 私の知らないところで、話が進んでいます
その日の午後、王宮では緊急ではないが妙に重たい会議が開かれていた。
議題は一つ。
「ルーヴェン公爵令嬢、アリシア・フォン・ルーヴェンの処遇について」
「……まず確認しておくが」
重臣の一人が咳払いをして口を開く。
「彼女は、王太子殿下の婚約破棄を拒否せず、
自ら身を引いた――という認識で、間違いないな?」
「はい」
王太子が頷いた。
その表情には、昨日の断罪の場で見せた硬さはない。
代わりにあるのは、
「理解が追いついていない男」の顔だった。
「彼女は、何一つ弁明をしなかった。
責任を追及されても、感情的にならず……
ただ、王太子妃の役割を辞退した」
「ふむ……」
別の貴族が腕を組む。
「普通なら、泣き叫ぶか、逆恨みするか、
少なくとも自分の正当性を主張する場面だ」
「ええ」
王太子は、少しだけ視線を落とした。
「……だが、彼女は違った」
その言葉に、
会議室の空気がわずかに変わる。
「それはつまり」
年配の宰相が、静かに結論を補った。
「自分の評価が下がることを承知で、
王家と聖女候補を守る選択をした――
そう解釈できる」
(できない)
もしその場に私がいたら、
即座にそう否定していただろう。
だが残念ながら、
私は今、学園で昼寝をしている。
「……彼女は、何を望んでいるのだろうな」
王太子が、ぽつりと呟いた。
「権力でも、名誉でもない。
愛情を求めているようにも見えない」
「それが、厄介なのです」
宰相は淡々と言った。
「欲が読めない人間ほど、
周囲は勝手に意味を与えたがる」
数名の貴族が、
「確かに」と頷く。
「では……どうする?」
「放っておく、という選択肢もありますが……」
別の重臣が口を濁した。
「今の彼女は、“象徴”になりつつあります」
「象徴?」
「はい。
責任を背負わず、感情的にもならず、
静かに身を引いた令嬢――
若い世代にとって、あまりにも都合の良い理想像です」
王太子の眉が、わずかに寄る。
「……それは、良いことでは?」
「場合によります」
宰相は、きっぱりと言った。
「人は、理想像を放置すると、
いずれ“役割”を与え始めます」
会議室に、短い沈黙。
「……導く者」
「……改革の象徴」
「……新しい貴族像」
誰かが、冗談めかして呟いた言葉が、
一つずつ拾われていく。
王太子は、はっとしたように顔を上げた。
「……それは、彼女の望むことではない」
「でしょうな」
宰相は、ため息をついた。
「ですが、
望まないからこそ、
押し付けられるのが“象徴”というものです」
王太子は、拳を握った。
「……私は」
彼は、迷いながらも言った。
「彼女を、放っておきたい」
その言葉に、
一部の重臣が驚いた顔をする。
「殿下?」
「彼女は、明らかに“自由”を選んだ。
それを、再び縛る権利は……」
「ありません」
宰相が、静かに続けた。
「しかし」
その一言で、
会議の空気が引き締まる。
「完全に放置すれば、
噂と期待が、勝手に彼女を祭り上げます」
「……では、どうすれば」
宰相は、一拍置いてから答えた。
「彼女に“役割を与えない役割”を与えるしかないでしょう」
王太子が、目を見開く。
「それは……」
「名誉職。
実権なし。
責任も最小限」
(やめて)
どこかで、
私の嫌な予感センサーが全力で鳴り始めた。
「彼女を守るために、
彼女を囲う」
宰相は、穏やかに微笑んだ。
「――それが、大人のやり方です」
(最悪だ)
この時点では、
まだ誰も知らなかった。
この“善意の対策”が、
どれほど私の平穏を破壊するかを。
「――では、その方向で進めましょう」
宰相の一言で、会議は締めに入った。
王太子は、どこか納得しきれない表情のまま、
それでも反論できずに口を閉じている。
「名目としてはどうする?」
「そうですね……」
宰相は手元の書類に目を落とし、
淡々と案を読み上げた。
「王宮特別顧問補佐。
若年層の貴族教育と、聖女制度の精神的支柱として――」
「待ってください」
王太子が、思わず口を挟んだ。
「それは……仕事が多すぎるのでは?」
宰相は、穏やかに微笑んだ。
「ご安心ください。
“補佐”ですから、決定権はありません」
(あるある)
「会議への出席は、原則任意。
意見提出も義務ではない」
(あるあるある)
「責任は、すべて王宮側が負います」
(あるあるあるある)
この三点セットは、
「表向きは軽いが、実質は逃げ場がない役職」
として、歴史的に何度も使われてきた。
だが、会議室の大人たちは、
それを“配慮”と呼ぶ。
「……彼女は、それを望むでしょうか」
王太子が、最後の良心を振り絞るように尋ねた。
宰相は、一瞬だけ考え――
こう答えた。
「断れる立場を用意している時点で、
十分すぎるほどの配慮です」
「……」
「受けるかどうかは、彼女次第。
ですが――」
宰相は、視線を上げる。
「断れば断ったで、
“己の責任を拒否した”という評価が立つ」
王太子は、完全に黙り込んだ。
(それ、実質選択肢ないやつ)
「これで、彼女は守られます」
重臣の一人が、満足そうに頷いた。
「過剰な期待からも、
無責任な称賛からも」
(違う方向に囲ってる)
「では、正式文書を作成します」
宰相の合図で、
書記官が素早くペンを走らせ始めた。
こうして。
本人が知らぬ間に、
私の平穏は、
王宮公認で封印されることになった。
◇
その頃、私は――
「……くしゅん」
学園の図書室で、
盛大なくしゃみをしていた。
「風邪ですか?」
司書の先生が心配そうに声をかけてくる。
「いえ……」
私は首を振った。
この感じは、
風邪ではない。
もっとこう――
人生的に嫌なやつだ。
(今、どこかで面倒なこと決まった気がする)
私は直感を信じるタイプだ。
そしてこの直感は、
これまで外れたことがない。
「……今日は、早く帰ろう」
本能的にそう判断し、
私は本を閉じた。
だが。
その決断が、
すでに遅すぎたことを――
この時の私は、まだ知らない。
◇
その日の夜。
私の部屋に、
王宮印付きの封書が届いた。
嫌な予感しかしない、
重厚な封筒。
「……開けたくない」
心の底からそう思いながらも、
放置すれば後で倍になるのが
この国の悪いところだ。
私は観念して、
封を切った。
『アリシア・フォン・ルーヴェン公爵令嬢殿』
冒頭の一文を読んだ瞬間、
私は悟った。
(あ、詰んだ)
そこに書かれていたのは、
丁寧で、配慮に満ちた、
そして逃げ道のない文章。
――王宮特別顧問補佐就任の打診。
「……」
私は、ゆっくりと手紙を閉じた。
深呼吸を一つ。
そして、例の極秘日記を開く。
『本日の学び』
『大人は「守る」という言葉で囲う』
『やはり、この国は信用してはいけない』
ペンを置き、
天井を見上げた。
「……平穏への道、
また一歩遠のいたなあ」
こうして私は、
全力で避けたはずの“役割”に、
足首だけ突っ込まされることになった。
もちろん。
――まだ、抵抗はするつもりだけど。
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