第2話 何もしなかったら、なぜか評価され始めました
翌朝、私はいつも通りの時間に起きた。
婚約破棄の翌日だからといって、
世界が変わるわけではない。
変わるとしたら、たいてい“周囲の態度”のほうだ。
「おはようございます、アリシア様」
侍女のリナが、どこか妙に丁寧な礼をしてくる。
(あ、もう始まってる)
「……おはよう」
私がそう返すと、
彼女は一瞬だけ目を潤ませた。
「アリシア様……お辛い中でも、いつも通り振る舞われるなんて……」
(やめて)
昨日から、こういう空気が漂っている。
私は別に辛くもないし、
強がってもいない。
むしろ、久しぶりに肩の荷が下りて、
少しだけ寝つきが良かったくらいだ。
「いつも通りですよ」
そう言うと、リナは胸に手を当て、
何かを噛み締めるように頷いた。
「……強いお方」
(違う)
朝食を終え、学園へ向かう馬車の中でも、
嫌な予感は確信へと変わった。
門をくぐった瞬間――
視線が、集まる。
露骨に。
そして、ひそひそと。
「……あの方が……」
「王太子殿下の婚約を……」
「身を引いたって……」
(訂正:私は身を引いたつもりはない)
ただ逃げただけだ。
廊下を歩けば、
クラスメイトたちが道を空ける。
誰も声をかけてこない。
だが、全員が“何かを期待している”空気だけは、
はっきりと伝わってくる。
(……嫌な予感しかしない)
教室に入ると、
一瞬で静まり返った。
「……おはようございます」
私は一応、挨拶だけした。
「「「……おはようございます!」」」
返ってきたのは、
やたらと揃った声だった。
(なんで軍隊みたいになってるの)
席に着くと、
隣の席の令嬢が、そっとハンカチを差し出してきた。
「……もし、お辛かったら……」
「大丈夫です」
即答した。
間を与えると、
また何かを深読みされる。
授業が始まっても、
視線は消えない。
教師までもが、
必要以上に優しい。
「……アリシア嬢。無理をしなくても……」
(無理、してないんだけどな)
休み時間。
私は速やかに席を立ち、
人目を避けるため中庭へ向かった。
静かな場所。
平穏。
これ以上の贅沢はない。
――はずだった。
「アリシア様!」
背後から、聞き慣れた声。
(あ、詰んだ)
振り返ると、
そこにはミレイユ嬢が立っていた。
聖女候補として名高い彼女は、
今日も周囲を明るくするような笑顔……ではなく、
少し困ったような顔をしている。
「……お時間、いいですか?」
その一言で分かった。
これは、
“誤解を正しに来た”顔ではない。
むしろ――
“何かを相談しに来た”顔だ。
(平穏への道、まだ遠い)
私は小さく息を吐き、
頷いた。
「……少しなら」
中庭のベンチは、日当たりが良くて静かだった。
本来なら、ここでお茶を飲みながら、
何も考えずに時間を潰す予定だったのに。
「……その、昨日のことなんですが……」
ミレイユ嬢は、言葉を選ぶように視線を泳がせている。
(ああ、この感じ)
相談、決定。
しかも彼女は、
人に頼るのが致命的に下手なタイプだ。
「私のせい、ですよね……?」
(違います)
即座に言いたかった。
声に出す前に、内心で全力否定した。
あなたは何も悪くない。
悪いのはこの国の“役割押し付け文化”だ。
……とは言えない。
なぜなら、そんなことを言った瞬間、
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
と返ってくるのが目に見えているからだ。
それは、責任のバトンだ。
絶対に受け取ってはいけない。
「……そんなことはありません」
私は慎重に、
責任が転がってこない距離感で答えた。
「でも……皆さん、私に“次はあなたよ”って……」
(でしょうね)
彼女は聖女候補。
役割の集合体だ。
昨日の件で、
私はその役割から降りた。
空いた席に、
彼女が座らされるのは、
この国の流れとしては自然すぎる。
「私は、正直……怖いんです」
ミレイユ嬢は小さく笑った。
「期待されるのが。
応えられなかったら、どうなるのか……」
(ああ、だめだ)
これは共感してしまうやつだ。
共感すると、
余計な親切心が芽生える。
親切心は、
後で必ず自分を殺しにくる。
「……そうですね」
私は、あくまで淡々と返した。
「期待は、重いです」
ミレイユ嬢の目が、少し見開かれる。
(しまった)
これは、
“理解者”判定を食らう流れだ。
案の定。
「……アリシア様も、そう思っていたんですね」
(やめて)
その言い方、
“同士を見つけた人”のそれだ。
「ですから……」
彼女は意を決したように言った。
「どうしたらいいか、教えてもらえませんか?」
(来た)
来てしまった。
相談のフルコンボ。
私は内心で、
全力で逃走経路を探した。
しかし、現実の私は、
無表情のまま一つだけ、
“安全な真実”を口にした。
「……逃げればいいと思います」
「え?」
「無理な期待からは、逃げた方がいいです」
それは助言というより、
私自身への確認だった。
ミレイユ嬢は、
しばらく考え込み――
「……でも、逃げたら……」
「責められます」
被せ気味に答えた。
「噂も立ちます。
期待を裏切ったと言われます」
「……」
「それでも、生きてはいけます」
これは、
昨日の私が証明した。
ミレイユ嬢は、
不思議そうに私を見ていた。
「……すごいですね」
(何が)
「そんなふうに、割り切れるなんて……」
(割り切ってない)
私はただ、
面倒から遠ざかりたいだけだ。
「……参考になれば」
そう言って、話を切り上げようとした瞬間。
「アリシア様!」
別の方向から、
聞き覚えのある声。
(いやな予感しかしない)
振り返ると、
数人の生徒と教師が、
こちらに向かってきていた。
その中心で、
誰かが感慨深げに言う。
「聖女候補を導くなんて……
やはり、あなたは器の大きい方だ」
(違う)
「自分が矢面に立つのを避けながら、
他者を守る……見事な判断だ」
(違うってば)
私は、内心で頭を抱えていた。
(なんでこうなるの)
私は逃げたいだけなのに。
責任を負いたくないだけなのに。
それがなぜ、
「高潔な導き」に変換されるのか。
「……では、私はこれで」
これ以上誤解が増える前に、
撤退する。
背中に、
尊敬と感動が混じった視線を感じながら、
私は足早にその場を離れた。
その日の夜。
私は例の極秘日記を開いた。
『本日の学び』
『逃げ方を教えると、導いたことになる』
『この国、やはりおかしい』
ページを閉じて、深く息を吐く。
「……平穏って、なんだっけ」
答えは、
まだ遠い。
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