第1話 婚約破棄されましたが、特に言うことはありません
この物語は、
「悪役令嬢がざまぁする話」ではありません。
期待されることを避け、
役割を背負わず、
善意からも逃げ続ける――
そんな主人公が、
なぜか周囲の人生に影響を与えてしまうお話です。
コメディ寄り、
恋愛は控えめ、
主人公は基本的に何もしません。
それでもよろしければ、
静かにお付き合いください。
「――よって、アリシア・フォン・ルーヴェン。
君との婚約を、ここに破棄する」
王宮の大広間で、王太子殿下はそう宣言した。
よく通る声、非の打ちどころのない姿勢。
周囲の貴族たちが一斉にざわめく。
(あ、来た)
私は内心でだけ、静かに頷いた。
ついに来たか、婚約破棄。
噂は三日前から回っていたし、昨日の晩には王妃付き侍女が意味深に溜息をついていた。
この世界でその三点セットが揃ったら、もう確定演出である。
「アリシア。君は聖女候補であるミレイユ嬢を度々侮辱し、
王太子妃の立場を利用して彼女を追い詰めた」
殿下は痛ましそうな顔をしている。
……いや、その表情、完全に“責任感が暴走している男”のそれだ。
(違うんだけどなあ)
私はミレイユ嬢を侮辱した覚えはない。
ただ、彼女が毎回無理をして倒れそうになっていたから
「休んだらどうですか」と言っただけだ。
この国では、それを「悪役令嬢の嫌味」と呼ぶらしい。
「何か、言い分はあるか?」
殿下がこちらを見る。
大広間の視線が一斉に私に突き刺さった。
ここで泣いて、弁明して、必死にすがれば――
きっと「健気な悪役令嬢」として評価されるだろう。
(最悪だ)
私は心の底からそう思った。
評価される。
つまり、また責任が増える。
また期待される。
また“役割”を押し付けられる。
そんな未来は、全力でお断りだ。
「……特にありません」
私は静かに答えた。
一瞬、空気が止まる。
「ありません、とは……?」
殿下が困惑したように眉をひそめる。
周囲の貴族たちもざわめきを強めた。
(ああ、そうだよね)
ここは本来、悪役令嬢が感情的に反論する場面だ。
もしくは泣き崩れるか、逆に高笑いするか。
無表情で「ありません」と言う想定は、
この世界の脚本には書かれていない。
「婚約破棄、受け入れます。
王太子妃の立場も、不要です」
私は淡々と続けた。
「……は?」
誰かが、素でそう呟いた。
殿下は完全に言葉を失っている。
ミレイユ嬢は目を丸くし、
貴族たちは「え?」「今なんて?」という顔をしている。
(よし)
心の中で、私は小さくガッツポーズをした。
これでいい。
これが一番、平穏への近道だ。
――私はまだ、この時は知らなかった。
この「何もしない選択」が、
この国の面倒な人間関係を、
盛大に壊していくことになるということを。
沈黙が、長かった。
王宮の大広間というのは不思議な場所で、
誰も声を発していないのに、
「ざわざわしている」という空気だけが確かに存在する。
「……本当に、いいのか?」
最初に口を開いたのは、王太子殿下だった。
さっきまでの断罪モードはどこへ行ったのか、
今は完全に想定外の事態に放り込まれた顔をしている。
「はい」
私は即答した。
間を与えると、余計な期待を生む。
これはこの世界で生き抜くための、私なりの知恵だ。
「ですが……君はルーヴェン公爵令嬢だ。
王太子妃として多くの役割を――」
(出た)
私は内心でそっと目を伏せた。
この国の人間は、
「役割」という言葉を使えば、
相手が納得すると本気で思っている節がある。
「その役割を、私が果たす必要はありませんよね?」
「……何?」
殿下が言葉に詰まる。
私は淡々と続けた。
「王太子妃が必要なのであって、
“私”が必要なわけではない。
それなら、より適任の方がいらっしゃいます」
視線が、自然とミレイユ嬢に集まった。
「えっ、わ、わたし!?」
完全に予想外だったらしく、
彼女は慌てて両手を振った。
「そ、そんな……私は、そんな器じゃ……」
(うん、その反応が普通だよね)
私は内心で深く頷いた。
この子は悪くない。
むしろ、善良すぎて心配になるレベルだ。
問題は――。
「……アリシア」
殿下が、低い声で私の名前を呼んだ。
「君は、自分が何を言っているか分かっているのか?」
(ああ、来た来た)
この言い方は、
「理解できない相手を諭そうとする大人」のそれだ。
「はい。とてもよく分かっています」
私はにっこりもしなければ、
挑発的な態度を取ることもしなかった。
ただ、事実だけを述べる。
「私は、王太子妃に向いていません。
聖女候補を支える役にも向いていません。
期待される立場に立てば、周囲の足を引っ張るでしょう」
……もちろん、そんなことはない。
私は普通に有能だ。
だが、それを証明する気は一切なかった。
「ですから、ここで降ります」
その瞬間。
「……なんて、自己犠牲的なんだ……」
誰かが、感動したように呟いた。
(え)
「婚約破棄を受け入れるだけでなく、
自ら身を引くなんて……」
(え?)
「ミレイユ嬢を守るために……?」
(ちがう)
空気が、完全におかしな方向に転がり始めていた。
私は何も守っていないし、
自己犠牲のつもりもない。
ただ、面倒を避けたいだけだ。
しかし。
「……アリシア。君は……」
殿下の目が、
「深い誤解をしたまま感動している人間の目」になっていた。
(ああ、まずい)
この目を知っている。
「こいつは高潔だ」と思い込んだ人間は、
決してこちらを放っておいてくれない。
「その覚悟、無駄にはしない」
(やめて)
「君の意志は尊重しよう。
だが、君の評価まで下げるつもりはない」
(やめてってば)
私は心の中で、必死に叫んでいた。
評価を上げないで。
感動しないで。
美談にしないで。
それ、全部――
後で私に返ってくるから。
「……では、話は以上ですか?」
私は、強引に会話を締めにかかった。
「私は、これで失礼します」
そう言って、一礼し、
踵を返した。
背中に突き刺さる視線が、やたらと熱い。
(あー……)
大広間を出た瞬間、
私は小さく息を吐いた。
「……やっぱり、人前で喋るのは疲れる」
平穏への道は、
どうやら思ったより険しいらしい。
その日の夜。
私は自室で、例の極秘日記を開いた。
『本日の学び』
『何もしないと、勝手に美談にされる』
『この国、想像以上に厄介』
ペンを置き、天井を見上げる。
「……まあ、婚約は解消されたし」
一応、目的は達成だ。
この時の私は、
まだ楽観的だった。
まさかこの一件が、
「伝説の悪役令嬢・アリシア誕生の瞬間」
として語られ始めるなど――
夢にも思っていなかったのだから。
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