【其の九.】加害者と、被害者と、部外者と。
扉のノブに手をかけた瞬間、昨夜、先輩が俺の髪を拭いてくれた時の「指先の圧力」が、後頭部の皮膚をチリチリと焼くような鮮明さで蘇った。
……っ、ダメだ、再生を止めろ……!
4K画質どころか、先輩の吐息に含まれていたわずかなコーヒーの香りまで、アーカイブから強制解凍されて鼻腔をくすぐる。
「灰原? どうした、開けないのか?」
すぐ後ろから降ってきた先輩の声。昨夜、耳元で『好きだよ』と囁いたあの声と同じ周波数が鼓膜を揺らし、俺は危うくその場に蹲りそうになった。
「な、なな、なんでもないです……っ!」
爆発しそうな心臓を制服の上から押さえつけ、俺は逃げるように扉を押し開けた。
「一年二組の……新島奏……です。その……」
「何か悩んでることがあるんだよね?聞かせてくれる?」
「っ……、あれは、先月の芸術鑑賞会の時の話です」
そう言って新島が語りだしたのは、十一月十三日に行われた芸術鑑賞会の話だった。
叡明高校では、毎年秋に芸術鑑賞会が開催される。
学年毎やクラス毎に別れて合唱コンクールの様な事をするのだ。
もちろん、俺も参加させられた。
ほぼ強制的に。
クラスや学年一丸となって優勝を目指す合唱コンクール。
確か、今年の優勝者は一年二組だと聞いたが……。
一組は、彼女のリーダーシップによってバラバラだったクラスが一つにまとまり、合唱祭で金賞を取った。
それは「クラスの絆」として学校中の語り草になっている。
だが、実は新島は「和を乱す」とされた特定の生徒を、クラスの「正解」のために無意識に、あるいは強制的に排除してしまった様で。
周囲は「新島さんのおかげで勝てた!」
「最高だったね!」
と称賛するが、排除されたその子・深山瑠璃は不登校になり、新島自身も「自分が守った平和は、誰かの犠牲の上に成り立っている」という罪悪感で、指先が震えるほどの恐怖を感じている……と。
「えっと、つまり第二図書室への依頼は……」
「彼女を、学校に登校させたいです……。その後、ちゃんと謝りたい」
「どうする、灰原」
「……怖い、か。……新島」
「っ……!はい……ッ!」
俺の低く出した声に新島は、ビクリと身体を僅かに震わせた。
わかっている。
俺はただの部外者だ。
第二図書室の副管理官として話を聞くだけで、新島に寄り添うだけでいい。
新島だって、今自分の罪に向き合おうと必死なんだから、と。
自分を止めようとしたが、それは叶わなかった。
どうしても、過去の自分と深山が重なってしまって―――……。
「それ、排除された側の気持ち、考えてんのか?」
「ちょ、灰原……っ」
「……え、」
「ちゃんと考えたのか?深山がどうして来なくなったのかとか、深山の気持ち、考えた事あんのかって聞いたんだよ……!」
「ッ……!それ……は」
「……考えてないんなら、謝るな。深山が今お前に謝られたところで、相手の気持ちを考えてないんなら、謝ったところで無意味だ。
それどころか、深山にもっと深い傷を負わせるかもな。
……周りの圧に押しつぶされて、新島の謝罪を許したくなくても許さなきゃいけなくなっちまう」




