【其の八.】新島 奏
昨夜のカレーのスパイスが、まだ鼻の奥に残っている気がした。
雲一つない冬の朝。
痛いほど透き通った青空の下、俺は千歳先輩の三歩後ろを歩いていた。
「……あの、千歳先輩」
「ん?」
「……やっぱり、カバン、俺が持ちます」
「いいっつの。お前、まだ目が赤いぞ。寝不足か?それに若干顔も赤い気が……」
「っ……! それは、その……。〜〜〜〜っ!先輩のせいです……!」
「お、俺……?」
昨夜の記憶が、ハイパーサイメシアの機能によって、望んでいないのに4K画質の映像で脳内再生され、あられもない声が零れかけた。
『ずっと、可愛いお前のまま』
『幼馴染として、ずっと好きだよ、綴の事』
その声の質感、吐息の温度、髪を撫でたタオルの感触。
全てが「現在進行系」の鮮明さで蘇って、俺は思わずマフラーに顔を埋めた。
ふと、前を歩いている千歳先輩を見上げると、昨日の事は何も気にしていないかのように、街行く人に挨拶をしていた。
そう、思えたのに、千歳先輩の耳が少し赤く染まっている事に俺は気付いてしまった。
見なければよかった何て思いはすれど、先輩も昨日の夜の事を引き摺っているのだと言う人間性に、俺はまた惹かれた。
家の近くの公園で出会ったときから、何度惹かれて来ただろうか。
何度も何度も、同じように千歳先輩に救われ、そのたびに恋とも友情ともつかない深い情愛を積み重ねてきた。
百では足りそうにない。
そんな事を考えていると、途中である女の子とぶつかってしまった。
俺も俺で、昨日の余韻が残っているのか、すぐに反応できずにいた。
一昨日の時よりも、今のほうが震えが激しい。
彼女は俺を怖がっている以上に、何か別のものに怯えている。
彼女の指先が震えているリズムが、1話で見た『本に挟まれたSOS』の歪な文字の筆跡と重なる。
水色のマフラーに白いモコモコの上着。
そして、何処か消え失せそうな声。
「いっ……」
「す、すす、すみません……!大丈夫ですか……!?」
「新島……奏……」
「え……?」
「一昨日の十三時二十一分に第二図書室で京極夏彦の「姑獲鳥の夏」を借りてた……」
「っ……!?何でそれっ……!?し、失礼しました……!さような―――らっ!?」
「千歳先輩!」
「新島さん、灰原が突然引き留めちゃってごめんね。これから少し、第二図書室でお話し聞かせてもらえる?」
「……ひゃい……」




