【其の六.】水中に響く詩
ここに来て、一歳の時の記憶を思い出してしまった。
大きな大きな一軒家で母に抱かれた時の記憶。
手を伸ばして、母の低く結われた髪に触れていた。
〝綴はとても人に優しいね。そんな綴が、お母さんは大好きだよ〟
畳のうえで、そんな事を母は口にしていた。
忘れもしない、十五年前の夏の日だ。
母の髪の匂い、あの日の畳のい草の匂い……全部、消えてくれない。
大好きと言ってもらえたのは、これで最初で最後。
大好きは、言う事は簡単。
だけれど、人の心を豊かに、温かくする力がある魔法の言葉。
大嫌いは、簡単に言えて、人の心も身体も最も傷つける刃物の言葉。
何度も何度も呟かれた嫌な言葉が、俺の脳に鮮明に蘇ると同時に、母の温かい言葉も浮かび上がる。
視界が霞んで、歪む。
汗が頬を伝り、水面に音を立てて落ちる。
「ヒッ……うっ……うぅっ……うぅぅぅ……」
子供が母親に縋るように、声を水中に潜めて俺は涙をこぼした。
世間のおとなが俺を悪い子だと言うのなら、それでも良い。
でも、灰原綴も一人の人間だと言うことを、千歳先輩以外にもわかって欲しかった。
胸の奥から湧き上がってくる熱いナニカや速くなる鼓動を留められず、思わず声を上げてしまう。
水中に潜めては見たが、声は大きくなるばかりで、涙は止まってはくれない。
爪が皮膚に食い込んで痛いとか、千歳先輩に聞かれていたらとか、そんな事は考えられなかった―――。




