【其の十三.】千歳 朔からの問いかけ
「―――ん、乾いたぞ」
「ありがとうございます」
「じゃあもう遅いし寝るか」
「……はい」
「枕だけ持ってこいよ。俺、部屋で待ってるから」
「わかりました」
ブォーン、というドライヤーの音が止まっても、特有の焦げ臭い匂いが部屋を満たす。
応える俺の声は、眠たげな声だった。
そう言って千歳先輩は、ドライヤーを片付けに行き、そのまま自分の部屋へと戻っていった。
回らない、どうしようもない眠気に襲われた脳で、やはりこのパジャマは辞めておくべきだった何て考える。
俺が今着ているパジャマは、グレー無地の肌触りはよいが季節にしては少し薄い物。
だが、着替えるのはそれはそれで面倒なので、このまま寝ることにした。
俺も、自室へ向かった。
光のはいらない暗い部屋の中で、手探りに枕を探し、見つけると、そそくさと自分の部屋を後にした。
「ちとせ先輩」
「おう、入れ」
「……おじゃまします」
「綴は奥な。お前寝相悪いから落ちるし」
「……ねぞう、わるくないです」
「はは、眠そうな声」
舌足らずな声で反論しても、千歳先輩は笑うだけだった。
俺をベッドの奥、部屋の窓際へと引き入れて、扉を閉める。そして、扉の横についてある電気をボタンをカチッと消した。
辺りが真っ暗になり、千歳先輩の顔を認識できなくなったが、その瞬間、ギシリ、とベッドが揺れた。
暗闇の中で、隣で横たわる千歳先輩の「少し早い呼吸の音」も「布団が擦れる音」も「暖かい体温」も、全て俺の記憶に刻まれていく。
家族に怪物と呼ばれた暗い記憶を、隣で聞こえる音や気配に上書きされていった。
「……綴」
「はい」
「俺ってさ、お前の何なんだ?」
「……?つきあいのながいおさななじみのせんぱい……です」
「……そっかぁ、幼馴染の先輩かぁ……。……まだ、名前がついてるんだな」
「?だめ……でしたか?」
「いや、だめじゃねぇよ。ねぇけど……それはいつか「卒業」や「就職」や「結婚」したら書き換わっちまうだろ」
「?かきかわることなんてあるんですか……、いや、あるのか……。
かんがえたことなかったです」
「……そっか」
「幼馴染」や「先輩」という言葉は、社会的には「恋人」や「家族」よりも優先順位が低いもの。
千歳先輩は、俺がその脆弱な名前に縋っていることが、いつか二人をバラバラにする未来を予見しているのかもしれないと、回らない脳で必死に考えた。
でも、俺には分からない。
この関係が、永遠に続くと思っているから。
どうして書き換わる事になるのかすら分からない。
俺にとって「名前」は居場所を保証する鎖の様な物だから。
「……ちとせ、せんぱい……さむい……」
「暖房は付けてるけど、お前そんな薄着で俺の部屋なんか来るからだぞ。
ほら、こっち来い」
「ん……やぁ……、」
「ん?」
「ちとせくんは……、ちとせくんだけは……おれのまえからいなくなんないで……」
俺はこれまで、「怪物」という名前を貼られ、家族という「名前のついた関係」から放逐されていた。
だからこそ、俺は必死に「後輩」や「幼馴染」という新しい名前を自分に貼り付けて、何者かになろうとしていた。
でも、先程の先輩の言葉は、そんなレッテルを剥ぎ取った物だった。
名前の付いた関係じゃないといけないのか。
あの時は、その言葉に込められた意味に気づけなかったし、問えなかった。
でも、今ならいけるのではと、そう思って尋ねてみた。
「俺は……お前のこと幼馴染とも後輩とも、思ったことねぇよ。
あ、いや、もちろんいい意味でな!……お前は、灰原綴じゃん。それ以外の何でもねぇだろ。
灰原綴は、千歳朔にとって特別何だ」
「とくべつ……」
「そ。何ものにも代えがたい特別。……な、お前は?」
「……え、」
「ずっと前から、灰原綴と名前のない関係で向き合う覚悟、俺には出来てるんだけど」




