90 たった一つの望み
「……どっと疲れた……」
「ふふ、お疲れ様、ルージュ」
あの後どうにかママが場を収めてくれて、今ようやくエルファレス家へと戻ってきたところだ。
ソファーに半ば横になるようにぐったりとしているお行儀の悪い私を責めることなく、ママは膝枕をしてくれている。良い匂い。
「ママはすごいね。王様と王妃様相手にずっと普段通りで」
「レティだけでなく、陛下とも昔からの付き合いだから慣れているだけよ。ルージュもわかっていると思うけれど、あの二人に悪気はないのよ」
「それはわかってるよ……。ただ善意であんな提案されるのも困るよぉ」
「それもそうね。ふふっ」
つまり、ママとレティ様と王様は幼馴染ってことか。だから慣れた様子だし気安い雰囲気だったんだね。
しかし、そこに私は含まれないのだ。大人たちからすれば私も同じように、と思うのかもしれないけど、無駄に記憶がある分、とてもじゃないけど王族の方々と親しげに接するなんてできない。
畏れ多すぎるわ!!
「それに、褒美を考えておいてと言われても……」
「そうねぇ。たしかに改めて言われると困ってしまうかもしれないわね」
「ママだったらどんなものを頼む?」
「あら。あまり参考にならないわよ?」
いやいや、何一つ思いつかないからきっと参考になるはず。そう思ってママに続きを促した。
「休暇ね。年単位の」
「それはー……」
「無理よねぇ。わかっているわ。だからこれは老後の楽しみにとっておくの」
本当に参考にならないことってあるんだ……。くっ、子どもの身である私には休みがたくさんあるからわけてあげたいよ!
一人ぐぬぬと拳を作って唸っていると、ママはクスクス笑いながら頭を撫でてくれた。
「でもね、ママもルージュの頼みごとが気になるわ。なにも考えずにほしいものってないかしら」
ママが無理だとわかっていて休暇って答えたように、ってことね。
うーん……ほしいもの、かぁ。ものはないんだよね、本当に。
ただ、お願いしたって無駄だとわかっていても、もしも一つだけなんでも叶うというのなら。
「……大人に、なりたい」
自分でも驚くほど切ない声が出た。
私の頭を撫でるママの手の動きがピタリと止まって、私は慌てて言い訳のように言葉を連ねる。
「ほ、ほら。成人のお祝いってお祭りがあるでしょ? リビオとオリドが成人する年はまだ祭りがあったんだけど、その次の年から魔王の影響がどんどん増えてきて、お祭りどころじゃなくなっちゃうの」
しかし、話せば話すほどどんよりした空気になってしまう。くっ、もっと明るい話題にできたらよかったのに、馬鹿正直に過去のことなんて話してしまったばっかりに!
……でも、この憧れは事実で。
私の胸の中にずーっとしまい続けていた願望で。
考えてみれば、これは私だけの願いじゃないよね。
今の私と同年代の子たちは、ループの記憶がないだけで私と同じように大人になれない。お祭りだってできない。
世界の命運を握る戦いが控えているせいで、喜ぶような雰囲気じゃなくて、きっと複雑な気持ちを抱えていたはずなんだ。
「だから、魔王を倒したら……その数年間で成人のお祭りができなかった人たちみんなでお祝いしたいな」
数年くらい過ぎちゃっていても、一緒にお祝いすればいいんだ。
辛かった日々を吹き飛ばすくらい、明るくて、楽しくて、幸せなお祝いを。
「貴女は本当に優しい子ね」
ママの手が再び動いて、さっきよりも優しく私の頭を撫でる。指で髪を梳いてくれるのが心地好くて、思わず目を閉じてしまう。
「絶対に叶えましょう。その時は我が家でもお祝いするから。ルージュの大好きなご馳走やスイーツをたくさん用意して、家族で過ごすの。どうかしら?」
ベル先生と、ママと、オリドと、リビオ。みんなで集まってご馳走を囲んで、お腹いっぱい食べて、途中で踊ったりなんかして。
たくさん喋って、みんなずっと笑顔で……。
「……いいね。すごく、楽しみ」
なんの心配もなく、幸せだけを噛みしめることができる未来か。
そんな日がくるといいな。ううん、きっとくる。
ママの膝に寝ころんだまま、私は幸せな気持ちで睡魔に身を委ねた。
◇
「結局、ご褒美がなにも思いつかなかった」
翌朝、知らない間にベッドの上で目を覚ました私は、昨日はあのまま眠りこけてしまったのだと気づいてガックリと肩を落とした。
いや、すごく幸せだったからいいんだけど。でも危険だ、あの幸せを知ってしまったら堕落してしまいそう! 何か嫌なことがあったらすぐにママの膝が恋しくなっちゃう!
ぺしぺしと自分の頬を軽く叩き、気合いを入れ直す。
あの幸せタイムと、妄想の実現のためには今がんばらなくてはならないのだ。誘惑に負けるな、私。
……ひとまず、ご褒美の件は保留にしておこう。今ずっと考えていてもなにも思いつかないだろうからね。
「あ、ルージュ! おはよー!」
「おはよう、ルージュ。よく眠れた?」
身支度を終えて食堂に向かうと、リビオとオリドが挨拶をしてきた。朝、この二人が揃ってるなんて最近では珍しいな。
「おはよう、リビオ、オリド。二人とも珍しいね」
思っていたことをそのまま口に出すと、二人ともまぁねと笑った。
「俺は明日からまた遠征についていくからさ、今日は準備だけだからのんびりなんだよ」
「僕もたまたま、今日は午後からしか用がないから。久しぶりにゆっくりさせてもらってる」
「そうだったんだ。私はいつも通り、お昼前から魔塔に行く予定だけど……朝は一緒に食べられるね」
双子と一緒の朝食なんて本当に久しぶりだから嬉しいな。
昨日、幸せな夢を見たばかりだから余計に。
「よーし、隣においでよ、ルージュ!」
「いや、リビオなんかより僕の隣においで。僕の分のフルーツあげる」
「ずるい! じゃあ俺は、俺は、パン一個!」
「そんなに食べられないよ。二人の間に座る、でいいでしょ?」
甘やかされてるなー、私。この家にいたら気を引き締めるなんて無理じゃない?
……ま、いっか。切り替えが大事ってことで、甘やかされる時は思う存分甘えちゃおう。そうしよう!




