53 ベルナール・エルファレスの祈り
腕の中で、ルージュが気を失ったのがわかった。
暗黒騎士に対する怒りは収まらないが、今優先すべきはルージュの安全だ。
いくら天才の僕といえど、ルージュを抱えたまま彼を倒すのは難しい。
パッと見ただけでも只者じゃないことがわかる。
噂には聞いていたがここまでとはね。
冷静になれ。怒りで我を忘れてはならない。
僕は魔塔の主で、天才魔法使いなんだからね。
「……ベルナール・エルファレス」
どう立ち去るかを思案し始めた時、僕の放った氷塊を粉々にした暗黒騎士が僕の名を呼んだ。
氷とはいえそう簡単に壊されるような代物じゃなかったんだけどねぇ……。
「へぇ、僕を知っているのか。不愉快だな」
名を知られていることに疑問はない。僕は侯爵だし、それなりに有名人だからね。
ただ彼にとっては僕が侯爵だからというより、魔塔の主だから知っているのだろう。
もしくは、元勇者パーティーの一員として知っている可能性もある。
いずれにせよ、魔王軍に僕が知られていてもおかしくはないってこと。
わかってはいたけど、改めて危険を思い知るね。
「僕が」じゃない。大切な家族がいるから心配なんだ。
暗黒騎士はおもむろにスッと指差した。
その先にいるのは僕……じゃなくて、ルージュだな。
宙に浮かぶ僕が抱えるルージュを見上げ、暗黒騎士は指差した姿勢のまま告げた。
「私はルージュを殺さない」
「……どういうことだ」
ピリッと怒りが漏れ出てしまったが、僕の頭の冷静な部分が彼の言葉を肯定している。
はぁ、まったく。これだから天才なのは困るんだよ。怒りに任せたいのに、やつの話を聞くべきだと思ってしまうんだから。
ずっと気付いてはいた。
彼は最初から今まで、ずっと攻撃してきていない。
僕の攻撃を避け続けるだけで、反撃は一切していないってことに。
だからといってルージュを攫い、首を掴んでいたことを許す気はないが、相手の情報を得られる機会は貴重だ。
僕は黙って続きを待った。
けれど、続く言葉には動揺してしまう。
「殺しても、ループするだけだからな」
「っ!」
なぜそれを知っている、というのは勘の悪い者のする考え。
天才たる僕は一瞬で理解したよ。実に腹立たしい事実だ。
こいつこそが────ルージュを過酷な運命に巻き込んだ元凶。
僕は怒りに震えながら声を振り絞った。
「君のことも、殺せないということか」
「察しが良いな」
はらわたが煮えくり返る。
つまり、彼を殺すのは無駄。
いや、むしろ次のループでこちら側が不利になるだけということだ。
僕は記憶を引き継がないが、彼は引き継ぐ。
もしかしたらすでにどこかの時間軸で僕と邂逅している可能性だってある。
これまでの僕が不用意にこちらの手の内をさらしていないといいけれど。
「で? 殺さないことを僕に伝えてどうする」
「ルージュを渡してくれるのか?」
「……質問に答えもせずクソみたいなことを言うね、君は」
解せないのは、なぜそんなことをわざわざ教えてくれるのかということ。
考えられるのは、こいつもまたループの呪いを解きたいと思っている、ってとこか。
ルージュの話からすると、彼もまた気が遠くなるほど何度も人生を繰り返しているはず。さぞ嫌気がさしていることだろう。
その中で彼はついに解決の糸口をつかみ、ルージュに接触した、と考えると。
……呪いを解くのにルージュが必要ということになってしまうな。
あくまで推測だ。
本当にそうなのか? とも思うし、ルージュはただ巻き込まれただけなんじゃないのかとも思う。
否定してしまうのは、これ以上ルージュに過酷な運命を背負わせたくないという親心かもしれない。
ルージュを抱く力を強める。
ぐったりとした小さな身体は弱々しく、この子の運命を思うと泣いてしまいそうだった。
「渡す気はないのだろう? だから伝えた。そして伝えろ」
「……?」
ルージュを渡さないつもりで暗黒騎士を睨んでいたが、彼はどうもこれ以上ルージュを捕らえようとする気はないようだった。
不可解な言動にただひたすら黙っていると、暗黒騎士はさらによくわからないことを告げてくる。
「私はルージュを殺さないが、俺はルージュを殺すだろう。闇に包まれる日はどうにもならないからな。やり直しは面倒だ。せいぜいルージュを俺から守れ」
まるで暗号のようだな。僕への挑戦か?
いや、言葉通りに受け取るとおそらく……。
つい考え込んでしまった一瞬の隙をついて、暗黒騎士は僕の前から姿を消した。
別に後を追うつもりは最初からなかったけれど、誰かに隙を突かれるなんて久しぶりだ。
僕もまだまだだね。今後のことも考えて鍛え直さなければならないようだ。
「ぅ……」
「ああ、ルージュ。熱が上がってきたな。急いで家に帰るからね」
息が上がってきたルージュを抱え直す。
まずはドゥニに見てもらおう。一刻も早く寝かせてあげなければ。
◇
苦しそうにしながらベッドで眠るルージュを見つめ、今日の出来事を思い返す。
魔塔で最初の報せを聞いた時は心臓が凍り付いたかと思った。
愛する家族が住む町に、襲撃だなどと……。
魔物の襲撃なんて強くても中級程度のものしかないほど平和だったのに、急に暗黒騎士が来るとは。
だが、結果的に町の被害はほとんどない。
暗黒騎士には何か目的があり、それが達成されたからすぐに町を去ったのだろうという話が広まっているが……やつの目的がルージュだっただけになんとも後味が悪い。
もちろん、その事実は今のところ僕しか知らない。情報の扱いは慎重にしないと。
国の上層部が我が身かわいさにルージュを差し出しかねないからね。
腐った連中の考えることなんて手に取るようにわかるよ。はぁ、一掃してやりたい。
……いや、他のせいにする前にまずは反省だな。
これは油断だ。この町は王都に近いから安全だと、勝手にそう思い込んでいた。
魔王が討伐されていない以上、いつ何が起きてもおかしくないのはわかっていたはず。
この町なら大丈夫だから家族も無事だろうと、僕は過信していた。
ルージュの話を聞いて、のんびりしていられないと気を引き締めたはずなのに、心のどこかで甘えがあったのだろう。
冷たいタオルでそっとルージュの汗を拭うと、わずかに表情が和らいだ。
ルージュを見ていれば見ているほど、なんとも言えない感情で胸がいっぱいになる。
ルージュの高熱はドゥニ曰く、魔力の暴発が原因というよりは精神的な疲労からくるものだろうとのことだった。
治療魔法で無理に治すよりも、自然に熱が下がるのを待った方が幼い体に負担がかからないらしいが……苦しんでいる娘に何もしてやれないのが心苦しい。
もし家族に何かあったら、自分で自分が許せないところだった。
結果としてルージュを救い出すことができたが、つらい思いをさせてしまったし、今も苦しんでいるし……。
ああ。僕はダメなパパだな。
「ルージュ。僕は君に何をしてあげられるかな……?」
熱くなったルージュの手を両手で握りしめ、祈るように独り言ちる。
無事でよかったと手放しで喜ぶことができないのは、罪悪感のせいだ。
起きたら笑顔で抱き締めるよ。
だから今だけは、君のために祈らせて。