51 不快だ。極めて不快だ
────ああ、今回の人生はずいぶん短かったな。
順調にベル先生の協力を得られて、ドゥニからも魔法陣を教えてもらえて。
リュドミラちゃんともまた仲良くなれるって喜んだばっかりだったのに。
幸せってなんなんだろう。
どうしてこんなに掴むのが難しいのかな。
はぁ、また一からやり直しか。
目が覚めたらヴィヴァンハウスの部屋の天井が見えて、心臓に悪いシスターの声が聞こえてくるんだ。
いや、プラスに考えよう。
今回は短かったからこそ、やり直すのもきっと簡単だ。
大丈夫。傷ついてなんかいない。
「……ん」
覚悟を決めて薄目を開け、異常に気づく。
目に飛び込んできたのは天井ではなく夜空で、背中から伝わってくる感触は硬いベッドよりもゴツゴツしている。
シスターの良い匂いではなく土の湿った匂いがするし、耳に飛び込んでくるはずの音はシスターの声でも子どもたちの不機嫌な寝起きの声でもなかった。
ここ、ハウスじゃない……!
ガバッと上半身を起こす。
目の前にはぱちぱちと火が爆ぜるたき火があって、それを挟んだ向かい側に……ヤツがいた。
────暗黒騎士。
全身がガタガタと震える。
恐怖が私を支配した。
魔法、魔法を使わなきゃ。
そう思うのにうまく身体が言うことをきいてくれない。それどころか、ちっとも動かせなかった。
どうしてここにいるの?
なんなのこの状況。意味がわかんない。
ループしたんじゃなかったの? でも、たぶんしてない。
意識を失う前に見た暗黒騎士がそこにいるんだから。
私は、殺されたんじゃなかったの……?
「……起きたか」
「っ、喋っ!? ごほっ、げほっ、ごほっ」
あまりにも驚いて、思わず叫んでしまう。
そこでようやく、自分が息を止めていたことに気づいた。
あと少し沈黙が続いていたら酸欠で倒れていたかもしれない。
「質問に答えろ」
暗黒騎士は咳き込む私に顔を向けながら淡々と告げた。
仮面を被っているからどんな顔で言ってるのか、本当にこちらを見ているのかはわからないけど……。
私、幼女なんだが!? たったの五歳!
咳き込んでてそれどころじゃない幼女にする態度じゃなくない!?
いや、あの暗黒騎士がそんな気遣いなんかできたらそれはそれでびっくりするけど。
ただ、今は本当に質問に答えるどころじゃない。せめて呼吸が落ちつくまで待ってほしい。
でも答えなきゃ殺されるかも……。
ループするだけとはいえ、命は惜しいし痛い思いはしたくない。
本当はすぐにでも答えたいよ。
聞きたいことだって山ほどあるし、できるものならぶん殴りたい。返り討ちにあうだろうけど。
「あぅ、けほっ、ぁ……」
だけど、五歳の精神がそれを許してくれなかった。
今の年齢では、身体も精神もこの恐怖に勝てないみたい。
あれこれ思考はできるけど、恐怖が体を支配しちゃってどうにもならない……!
くっ、せめて時止め魔法が出せるまでには落ち着けたらいいんだけど……!
相手は私の恐怖の元凶。五歳に耐えられないのも無理はないってもんよ。
「お前が、見た目通りの年齢じゃないことは知っている」
「!?」
こっちはすでにパニック状態だというのに、暗黒騎士はさらなる爆弾発言をしてくる。
「ループしているな? 同じ人生を何度も、何度も、何度も繰り返しているのだろう?」
「ど……して」
掠れた声でそれだけを伝えると、暗黒騎士はこの答えだけで察したのか一人で納得したように頷いた。
「ループから脱したいか」
ああ、もう。色々と追いつかない。
だけど、今の質問にはなんとか答えられる。
私は力いっぱい何度も頷いた。
「ならば協力しろ。このループから脱するにはお前が必要だ」
「わ、たし……? なんで……」
少しずつ声を出すことに慣れてきた。
落ち着け。大丈夫。最悪、ループするだけだから。
このチャンスを逃したらダメ。
暗黒騎士の言うことを全面的に信じるわけにはいかないけど、手がかりがあるというのなら掴まなくては。
「ぁ、あなたが、死に戻りの呪いを受けた、張本人、なの……?」
さっきこいつはこのループから脱するには、と言った。
つまり。
「そうだ」
暗黒騎士もまた、ループし続けているということに他ならない。
言いようのない怒りがこみ上げてくる。
こいつのせいで、私は……!
「っ、殺して、やる……っ、うぐ」
考えなしに飛びかかったのは、五歳の精神が怒りを抑えきれなかったから。
当然、私の突撃はあっけなく暗黒騎士に止められ、あろうことか首を片手で掴まれてしまった。
きっと、あとわずかに力を入れるだけで暗黒騎士は私の首を折ってしまえるのだろう。
恐怖が再び私を支配し、またしても全身がガタガタと震える。
「死んだところでまた戻るだけだ。お前も、私もな」
「ぅ……」
ボロボロと涙が溢れて止まらない。
わかってるよ、そんなことは。言われなくても十分ね。
でもこの行き場のない怒りや悲しみを、五歳の私にどうしろというのだ。
「二回前。お前はループ直後にすぐ死んだな?」
「……?」
意味がわからす悩んだけれど、すぐに思い出した。
前の人生が始まる前、ループしたばかりの私はついに絶望したんだった。
そして、ハウス裏手にある山に入り、川に身を投げた。
自分で人生を終わりにし、それでも死ねずにループすることがわかってさらに絶望した、あの時のことを。
「私はずっと、自分の死をきっかけにループを繰り返してきた。だが二回前は、何もせずとも急に人生が終わった」
そこまで言われて、私はやってしまったのだと理解した。
私は呪われた本人の死に戻りに巻き込まれ続けている。
つまりそれは、私が死ねばその本人もループするのだということ。
完全に、失念していた。
「痕跡を辿り、すぐ次の人生で魔塔に対象がいるとわかった」
「痕、跡? そんなもの」
「あれ以来、お前の居場所がわかるようになった」
「っ、う、そ」
「お前にも、わかるはずだ。私の居場所がな」
嘘だ。そんなのわからない。
……いや、でも。なんとなく、嫌な予感はした。
まさかあれが? だとしたら精度が低すぎるんだけど? それも五歳だからなの?
ああ、もうわからない。
そして、不快だ。極めて不快。
まるで、私とこいつ繋がっているみたいじゃないか。
「名前は」
「……」
「ああ、先に名乗るべきか? 私は、ノアール」
カッと頭に血がのぼる。
ふざけているの……?
なんだよ、ノアールって。
不快だ。不快だ。不快だ。
「お前の名は」
「っ、ルージュ、だっ!! いい加減、離、せっ、かひゅ……っ」
突如、暗黒騎士が立ち上がった。
首を掴まれたままだから、足が宙に浮いている。
苦、しい……っ!
「ふむ、ルージュ」
心から憎い相手と繋がっていて、運命共同体で、名前まで対みたいで。
怒りにまかせて全力で暴れているのに、余計に首が締まるから苦しいのは私だけ。
暗黒騎士は、ノアールは、びくともせずに突っ立っている。
それが余計に悔しくて、私はさらにボロボロ涙を流した。
「良い名だ」
あんたが言うな。反吐が出る。
死の危機に面していたからか、ここでようやく私は魔法を発動させることができた。
ただ、五歳の制御能力はあまりにも脆弱だったようで。
具体的にどんな魔法を使うかを決められなかったせいで、魔力だけが暴発することとなった。
でも、もういい。
どうせ戻るだけなんだから。
あんたも、私も。