39 私の名前は
……良い天気だなぁ。空が青くて、真っ白な雲がところどころに浮いていて。風が心地よくて。
眺めもいい。こんなに心が落ち着くなら、前の人生でもヴィヴァンハウスの屋根に上ってみれば良かったな。
ま、浮遊魔法が使えるからこそできることだけど。シスターにバレたらものすごく叱られそう。
北の方に目を向けると、遠くに広がる森が少しだけ見える。それと、魔塔の先端だけがちょっぴり。
ここからでも魔塔が見えたんだ。そう思うと不思議な気持ちだ。
もちろん、エルファレス家も見える。この町で一番大きなお屋敷だからね。当然と言えば当然。
飛んで行けば一瞬で着く距離だ。歩いて行くとそれなりに時間がかかるけど。魔法って便利だよね。
でも、今の私には果てしなく遠い距離。とても近付けるような場所ではないという意味で。
ループした後、大泣きした私はどうにか朝食を終え、今こうして屋根の上でのんびりしている。
理由も言わず、鼻水を垂らしながら食べた固いパンは恐ろしくまずかった。あんなにおいしくなかったかな? 贅沢に慣れ過ぎた自分に驚いたよ。
ここに来て、ぼんやり景色を眺めていたおかげで随分と冷静になれた気がする。
その上で、ループ直前に起きたことを思い返してみたんだけどさ。
罪悪感がすごい。私、本当にポンコツじゃん。
「はぁぁぁ……馬鹿なことしたな」
私のように無傷で元気な魔法使いがいれば、もっとたくさんの人を助けられたはずじゃん。
それなのに、リビオの状態を見てパニックになってさ。
元通りにするためだけに全力を注いで。ベル先生の注意も聞かずに。
でも、後悔はないよ。何度繰り返しても、たぶん私はリビオを助けるために動いていたと思うし。
けどね。あの事件のおかげでようやくわかったんだ。私にとって、何が一番怖かったのかが。
リビオがあんなに傷付いて、ショックで涙も流したのに……私はあの時、少しだけ安心してしまったのだ。
もしここでリビオが死んでしまったとしても、ループすればまた会えるって。
なかったことにはならないけれど、なかった未来にすることができるって。
それでも、リビオを治すためだけに身体が勝手に動いたわけだけど……一瞬でもそう思ってた、って気付いた時に答えが出たんだよ。
私は、ループが終わるのを怖がっていたのだ。
あれだけ、うんざりしていたのに。
このループがいつ終わるのかってずっと思っていたし、早く終われって願っていたのに。
だけど、ループがなくなれば魔王の侵略も始まって、未来がどうなるかわからない。
大切な人たちが傷付いたり、自分だって今度は本当に死んでしまうかもしれない。
そんな未来が来るのが怖かったんだよ、私は。
暗い未来が待っているかもしれないってわかっていたから。
そんな未来が来るくらいなら、繰り返した方がいいってね。
ああ、信じられない。ループが終わらないことを心の奥で願っていたなんて。
「大馬鹿者だ、私は」
後悔したって遅いのに。
大切な人が傷付いて、最悪死んでしまっては……全てが遅いのに。
もしあのままループもせずに未来が続いていたら? 私は自分を許せなかっただろう。多くの人を助けられたのに、そう動かなかった自分を。
私の行動は間違いだったけど、私の中では間違いじゃなかった。けどきっと、リビオが元に戻っても戻らなくても後悔したと思う。
リビオだって言っていたよね。百回、千回、万回ダメでも、次は上手くいくかもって。
それはつまり、百回、千回、万回ループしたとしても、次はループしないかもしれないというのと同じ。
次もどうせループする、だなんて思っていたらダメなんだ。
たとえループするだろうことがわかっていても、私はその都度、後悔しない人生を送るために動かなきゃいけないんだ。
いつループが終わるかわからないんだから。
もう一度エルファレス家の娘になっていいのかとか。
幸せに慣れてしまったらどうしようとか。
贅沢な悩みがどうたらこうたら、とか。
全てがちっぽけだ。ほんと、どうでもいい。
「失ってからじゃ、遅い」
屋根の上で立ち上がる。身体は小さいけど、ほんの少しだけ空に近付いた。
「これが、最後かもしれないと思って生きないと」
北の方に先端だけ見える魔塔を見つめる。
今の時間、ベル先生はあそこにいるかな。仕事中ならそうだよね。少なくとも、前の人生では魔塔にいたはずだ。確か。
「貴方のこと、信じるからね」
空に向けて両手を伸ばす。今生の私は一味違うよ?
魔力をたくさん練って、練って……思い切り放出させた。
ビリビリと腕が震える。油断すると制御できなくなりそうだ。
幼女の身体だってことを考慮しないとね。抑えられるギリギリの範囲で放出しないと。
「ほら、おかしな魔力の反応だよ、ベル先生。気になるでしょ?」
魔塔の先端を見つめながら、私はにやりと口角を上げた。
※
その日の午後、私の目論見通りにベル先生はヴィヴァンハウスにやってきた。というか、意図的に以前と似た状況を作り出したんだけどね。
ただ今回は、シスターたちには何が何だかわからないだろう。
ハウスの内部で暴走させたわけじゃないから、魔法を使わない人には気付けない。あれだけの魔力放出でもね。私も泣いたり寝たりしてないし。
魔法現象が起こらないと、ちょっと強い風が吹いたかな、程度にしか思えないものなのだ。私がそうだったからよくわかる。
「魔力、ですか……? 申し訳ありません。心当たりがなくて……」
「いえ、こちらこそ突然訪問してしまって申し訳ありません、シスター。ただ、間違いなく魔力は感じたので、少しだけ見回らせてもらっても?」
「え、ええ、それは構いませんが……子どもたちが失礼をしてしまうかも……」
「ははは! 問題ありませんよ。子どもは元気が一番ですからね。むしろ、こちらが怖がらせてしまわないように気を付けないと」
……ベル先生だ。
うっかり涙が滲んでしまいそうになるのをグッと堪える。
あーあ、完全に外向けの顔だ。紳士にしか見えない。
でも騙されないからね。あの人は天才で、変人なんだから。
『……ルージュ。もしまたループしてしまったとして。その時はすぐに僕に全てを話すんだ』
『そ、んなの、信じてもらえな……』
『信じるさ。僕の言ったとおりにしてごらん』
魔塔に初めて行った日、ベル先生に全てを打ち明けて大泣きしたっけ。
嬉しかったな。でも、言ってくれた言葉は半信半疑だった。信じたいって思ってはいたけどね。
はぁ、緊張するな。うまくいくかな。
「こんにちは、おじさん」
「お、おじ……!?」
深呼吸をしてから声をかけると、ベル先生は予想通り「おじさん」という単語に反応して振り返る。
そして、私の居場所を確認して息を呑んだ。
私は今、宙に浮かんでいる。ハウスの裏側にある広場で、ゆっくりと屋根から浮遊魔法で下りているところだ。
「貴方が探しているのは、私でしょ?」
意味深なことを言いながら浮遊魔法を操る幼女を見て、ベル先生は今何を思っているだろう。
……信じているからね。
「一つ、提案があるんだけど」
────あの時、ベル先生はこう言った。
『魔力をぶっ放して僕をおびき寄せたら、私を知りたくないか、娘にしないかと聞いてごらん。直球でね。きっと僕は『面白い』と言って君の手助けをするだろう』
『えぇ……? それ、本当に大丈夫なの?』
『もちろん。僕のことは僕が一番知っているんだよ』
ふわりと地面に降り立って、一歩ベル先生に近付く。それから以前習ったマナーを思い出して、淑女の礼を披露した。
『ダメ押しで『パパ』と呼んでくれればもう完璧さ』
『……ふふっ、何それ』
あの日のやり取りを思い出し、泣きそうなのを堪えてニッと歯を見せて笑う。
ベル先生には、強がりだってバレちゃうかもしれないけど。
だってベル先生は、私が笑うと安心したように眉尻を下げるから。無理矢理にでも、笑うんだ。
「私を、娘にするのはどう? ……パパ」
ベル先生は目を見開いて驚いた後、口元を手で覆ってプルプル震え出した。
それからすぐに顔を上げて言う。
「面白いね!」
……本当に言った。前のベル先生が言っていた通りに。
さすが、自分のことをよくわかっているんだね。
今度は強がりなんかじゃない小さな笑みが溢れる。
ベル先生は、パパは、約束を守ってくれた。
それなら私も覚悟を決めなきゃ。
もう逃げない。何度だって諦めないって決めた。
呪われたヤツも、呪ったヤツも見つけ出して、絶対にぶん殴ってやる。
それでいつか呪いを解いて、魔王のいなくなった世界で幸せになってやる。
私の名前は、ルージュ・エルファレス。
平和な世界で大人になって、毎日楽しく過ごすんだ。……大好きな、家族と一緒に。
あと1話、短いエピローグを22時に更新して今章はおしまいになります。