38 最悪だ、全てが最悪だ
浮遊魔法で町まで向かう。眼下に見える景色はまるで悪夢のようだ。
森にはまだ消しきれていない火が燻っているし、ところどころ酷い斬撃によって木が消え去っている。
魔法も使わずにこんなことができるのは暗黒騎士くらいだろう。町の被害がどれほどのものか、想像に難くない。
でも別に、ショックは受けない。そういう光景は初めてじゃないから。
いや、かなり久しぶりではあるし、トラウマが刺激されはするけど……弱っている場合じゃないもん。
リビオ、やっぱり近くまで来ていたんだ。きっと町を守るために戦ったのだろう。
私は自分が怖いからって隠れて震えているばかりで……助けに行こうなんて考えすらしなかった。
自分の薄情ぶりに嫌気がさす。臆病者だし、卑怯者のようにも思える。
あんなに優しくしてくれたのに、今さら心配するなんて。
リビオだけじゃない、ベル先生は? 怪我をしていないだろうか。きっと実力者でもあるベル先生は、前線で戦っていたはずだ。
心配もせずに、ただ震えていることしかしなかったんだ、私は。
「酷い……」
町に近付くにつれ、被害が大きくなっていくのを目の当たりにする。
斬撃の後が特に酷い。建物も道もめちゃくちゃだ。ところどころに血の跡もたくさんあるから……死傷者も多く出たのだろう。
頭から血を流しながら走り回っている人もいる。それだけ、動ける人員が少ないんだってわかった。
ジュンの言葉を聞いて慌てて飛び出してしまったけど、少し冷静になれたかも。もちろん、すぐにでもリビオの安否を確認しに行きたい。
でも、私は魔塔のローブを身に付けている魔法使いなのだ。身内が心配でも、優先順位を考えなきゃ。
無傷の魔法使いである私の出番はここからなのだ。少しでも多くの人命を救助するために動かなきゃいけない。
そう頭を切り替えて、視野を広く持つ。
あちこち見回るべきかな……いや、回復魔法を使える人は少ないから、救護スペースの方に行った方がいいかも。
生存者の確認や救出は他の人や魔法使いにもできるもんね。
それに、リビオが救護スペースにいるかもしれない。
そんな打算もありつつ、私は怪我人が運び込まれていく場所を特定し、真っ直ぐそちらに向かった。
会いたかった人物には、ビックリするくらいすぐに会えてしまった。
でも、とても無事とは思えない姿だった。
顔の左半分が抉れ、左腕もない。
ドゥニが必死で救命活動を行っていることからも、命を繋ぐので精一杯なんだということがわかった。
リビオの右手はベル先生によって握りしめられていて、そのベル先生は悲痛な面持ちで回復魔法の補佐に努めていた。
あんなベル先生の顔は、初めて……。
「ルー、ジュ……? 無事、だったんだな。よか、っ……」
死にかけているというのに、リビオは右目で私を見つけると、途切れ途切れにそんなことを言う。
人違いなんかじゃない。右目の下の特徴的な二つのホクロは、間違いなくリビオで……。
別人だと思いたかった。でも、本人だ。
ボロボロな状態だというのに、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて私を見てくれている。
「リビオ……」
「はは、情けない、よな。でも、生きてる」
手が震える。足が震える。声が震える。
それなのに、その場から一歩も動けなくて、どうしたらいいのかわからなかった。
私の心配をしている場合じゃ、ないでしょ……。
「俺、諦め、ない。まだ右腕も、足も残ってる……生きてる限り、諦めない」
死にかけている癖に。まだそんなことを言うの。
「ルージュ、こんな俺でも、まだカッコいい、だろ?」
「……馬鹿っ」
ここでようやく、私の身体は動いてくれた。
リビオの近くに膝をつき、渾身の魔力を込めて魔法を発動させる。
「っ!? ルージュ、やめなさいっ!!」
ベル先生の、慌てて止める声が聞こえたけど構うもんか。
時を戻せ。リビオが怪我をした部分の時を。
怪我をする前に。元の身体に。どうか、どうか。
必死で魔法をかけているのに、なかなか傷は塞がってくれない。それどころか、治療をした時間も戻したからか、悪化しているようにも見えた。
問題ない。それよりももっと前に戻せばいいんだから。
「ぅ、ぐっ……!」
「もう少し、我慢して」
戻れ。もっともっと戻れ。
目の前がチカチカしてきた。頭がフラフラする。
ツゥっと鼻から何かが垂れてきて、それが血だとわかったのは地面にぼたりと落ちてからだった。
「ルージュ!!」
うるさい。黙って。心配するくらいなら、私に魔力を供給してよ。
そんな私の無言の主張を理解したのか、少ししてベル先生は私の補助に回り始めた。ドゥニもだ。
少しずつ、少しずつリビオの失われた皮膚が戻っていく。
これは治療なんかではなく、時を戻しているだけなので副作用はないはずだ。
まだまだ、傷口は酷いまま。本当に時が戻ってるのかって疑いたくなるほどゆっくりだった。
それなのに、私には限界が近付いていた。ギュッと目を瞑ってひたすら時戻しの魔法をかけ続ける。
キーンと耳鳴りがしてきた。目を瞑っているはずなのに、目の前が真っ白になる。
口の中は鉄の味がして、耐えきれずに思い切り血を吐いた。
自分の無力を嘆きそうになった時、それは起こった。
ぐにゃり、と視界が歪んだのだ。
「は……嘘、でしょ? 今なの……?」
ずいぶんなタイミングじゃない。
最悪だ。あと二年近くはこの人生を送れると思っていたのに。
「っ!? 魔力が揺れて……まさか、ルー────」
ベル先生が何かに気付いたようにこちらを見たけど、最後まで聞くことはできなかった。
さすがは魔塔の主だな。ループの発動を感じ取ったらしい。もう戻ってしまうから無意味になるけど。
この人生で最後に見るのは、幸せな光景が良かったな。楽しい思い出が本当に多かったから。
ああ、しまった。ベル先生に謝ってない。今回のこともそうだけど、私の気持ちなんてわからない! って言ってしまったことも。
リビオの怪我だって元通りにできなかった。結局、苦しい思いをさせただけで終わってしまう。
あのまま魔法をかけ続けていたら、元に戻ったのかな。それも疑わしい。
しかも、最後に言った言葉が「馬鹿」って。もう何もかも最悪じゃん。
後悔したって遅い。それは嫌ってほど思い知ったのに、馬鹿なのは私だ。
お別れの時は、笑顔が良かった。もう、本当に嫌な終わり方だよ。
怪我したリビオを見る泣きそうなベル先生の顔や、顔の半分と左腕を失って苦しむリビオの顔ばっかり思い浮かぶ。
それどころか、リビオのことを知ってショックを受けるママやオリドの顔も想像してしまう。
やめてよ。私の幸せな思い出を返して。
やっぱり呪いを受けている本人のことも、呪いをかけたヤツのことも大嫌いだ。
絶対に、許さないから。
そう思いながら目を閉じ、次に目を開いた時に私は────
※
いつもの天井。小さな身体。
「朝よー! 子どもたち、起きなさーい! あら、ルージュ。早起きさんね」
「……おはよう、シスター」
慣れたように挨拶を返し、ぼんやりと周囲を見回す。
もはや自分の身体を確認することはない。五歳児の身体なんでしょ? 知ってる。
「……でも、違う。いつもとは」
そう思いかけて、体の中に巡る魔力を感じ取る。間違いなく引き継いでいる。
これまでの私は、どうしてこれほどの魔力に気付かなかったんだろうって不思議になるな。感知の仕方を知らなかったんだから当然ではあるけど。
今の私はそれができる。覚えた魔法だって使える。
正直、魔法陣の書き取りまではできる自信はないけど、一度完璧に覚えた魔法なら発動できるというのは感覚でわかった。
「あぁ。あぁぁぁ……最悪だ……」
でも今はそんなこと、噛みしめるような気分じゃない。
なんの心の準備もできないまま戻ってしまった。直前でベル先生は察したみたいだったけど、それだけ。
今のベル先生は私のことなんて知らないし、リビオとも出会っていない。
私はエルファレス家の人間じゃないし、魔塔の魔法使いでもない。ローブだってなくなった。
ヴィヴァンハウスに住む、ただの幼女だ。
『ルージュ、ママとお茶しましょ』
『聞いてよルージュ。リュドミラから手紙が来たんだ。覚えたての字がすごくかわいいんだよ』
ママやオリドとした、何気ない日常の会話も。
『ルージュ、結婚して!』
『血の繋がりはないから結婚したいなら手続きは任せなさい。ルージュ、我が息子はこう言っているけど、どうかな? 結構おすすめだよ?』
リビオやベル先生とした、いつものやり取りも。
『ルージュ、愛しているよ。僕の大切な娘』
愛情も。
「……っふ、う、うぅ……っ、うぇ……」
全部、なくなった。なくなった未来になった。
私の記憶と、この形容しがたい感情だけを私の中に置き去りにして。
「うぁ、あぁぁぁ……うぁぁぁぁ、うぅっ」
「あら、あらあら……ルージュ、どうしたの? どこか痛いの?」
いつもだったら救われるシスターの温もりは、今の私の悲しみを拭い去ってくれるほどの効果は期待できそうになかった。