32 関わりたくないタイプの変人だけども
研究室内は、思っていた以上に整理整頓された場所だった。
なんとなく、研究者ってそれ以外に無頓着なイメージがあるというか、部屋が荒れているのかなって勝手に思っていたから。
そりゃあ人によるよね。偏見、失礼しました。
「あっ、ドゥニ! まぁた床で寝てやがる!」
え、床で寝てる? ジュンの声を頼りに視線を彷徨わせていると、大きな実験机の下から足が覗いているのが見えた。
たしかに横たわっているようだ。そうか、寝てるのか。
「寝るなら仮眠室に行けって言ってるのに! せめてソファーとかさぁ。なんでいっつも床なんだよ。体壊すぞ!!」
ジュンが母親みたい。きっと、もともと世話焼きなんだろうなぁ。一生懸命ドゥニを起こそうと声や手を出している。
「んー……ああ、朝か。おはよう、ジュン」
「ほら、シャンとしろよ。重いんだから自分で立て!」
「はいはい……」
緩慢な動きで起き上がったドゥニは俯いていて、肩口まで伸びた白髪をカーテンのように垂らしているからよく顔が見えない。
くあっ、と大きなあくびを一つした後、ドゥニは気だるそうに髪を掻き上げた。ようやく顔が見えた。それと、特徴的な尖った耳も。
あ、エルフだ。この人、エルフだ……!
いや、別にエルフが珍しいわけじゃない。冒険者ギルドで何人か見かけたこともあったし。今生では初めて見たけどね。
そっか、魔塔にもいるんだ。いや、よく考えてみれば魔法の最高峰とも言われる魔塔に、魔法のプロフェッショナルとも言うべきエルフがいないわけがない。
他にも何人かいるのかも。今度ベル先生に聞いてみよ。
いやー、それにしてもエルフっていうのは誰であっても顔が整っているよね。イケメンとか男前とか美女とか、そういう次元を超えているというか。美術品のような高貴な美しさが漂っているというか。
ドゥニは目が細く、いわゆる糸目というやつだけど、それさえも美しい。
「寝起きからジュンの顔が見られて嬉しい。今日もかわいいな? 好きだ、付き合って」
「ばっ……! おっ、前……っ!!」
しかし、発せられた言葉は軟派なものだった。
……今、真顔でジュンのこと口説いたね? え、そういう関係? ジュンの片思いじゃなかったとか?
「ボクは! お前なんか! 好きじゃない!!」
「そうだったか?」
でも、真っ赤になって地団駄を踏みながら怒るジュンを見ていたら、どうもそういう関係でもなさそう。
ドゥニが一方的にからかっている? それにしては真顔すぎる。読めない人だ。
ジュンって、本当に色んな人からからかわれているのかも。
ただ、ドゥニがそれをやっちゃダメだよねー。恋する乙女に対してなんてことを。もしかしたらこういう部分が積み重なって、ジュンも落ちてしまったのかもね。まんまと。
「ん、他にもかわいいお客さんが来ているな」
「そういや、ドゥニは朝いなかったもんな。ベルナールの娘で、魔塔の後継者候補だよ」
お、ようやく私の存在に気付いてくれたらしい。こちらに顔を向けたドゥニに対し、私は軽くカーテシーを披露しながら挨拶をしてみせた。
「初めまして。ルージュです。どうも」
なんだか照れ臭くなって、言葉使いはいつも通りになっちゃったけど。たぶん気にする人じゃないからいいよね。たぶん。
「へぇ、かわいいな。オレと付き合おう」
……本当に気にしなくて良かったね。なんだ、この人。
「ドゥニ! 見境なしやめろっ!! まだ子どもだぞ、ルージュはっ!!」
「そうなのか? オレからみたらみんな子どもだし、基準がわからない」
「だーっ! 成人前の子どもは絶対にダメだ!」
「そうか、ルージュは成人前なのか。把握した」
どうやらエルフには人間の年齢がいまいちわからないらしい。
いや、でも私はどう見ても子どもでしょ。背も小さいし、顔だってもちっとしているし。おいしいご飯のおかげで。
「じゃあ、ルージュ。大人になったらオレと付き合おうか」
表情を一切変えず、ドゥニはしれっとそう言った。これはまったく悪いと思ってないやつだ……。
次の瞬間、ゴスッという鈍い音が響く。見れば、ドゥニのお腹にジュンの拳がめり込んでいた。痛そう。
「い、たたた……酷いじゃないか、ジュン」
「女とみれば誰彼構わず口説くお前が悪い」
「あ、もしかして嫉妬? 痛っ」
「いい加減、黙れ」
二度目の拳でドゥニはついに撃沈した。結構容赦なかったけど、大丈夫だろうか。蹲ったまま動かなくなっちゃった。
「いつまでそうしてんだよ。自分で治療できるだろ。ドゥニは回復の魔法使いなんだから」
回復の魔法使い。つまり、元々の魔法の素養が回復魔法ってことか。
魔法使いたちはそれぞれを得意な魔法で呼ぶことが多いんだったね。
なるほど、それなら心配は無用だ。
ドゥニは自ら回復の魔法を発動させると、何ごともなかったかのように立ち上がった。
おぉ、ずっと座り込んでいたからわかんなかったけど、結構背が高いんだなぁ。ベル先生とどっちが大きいだろう?
「それでも好きな女の子に介抱してもらいたいってのが男心だ」
「言ってろ!!」
冗談なんだか本気なんだかわかんないな、この人。一つだけ確かなのは、どっちにしろタチが悪いってことだね。
ふむ。わずかなやり取りだけで、ドゥニももれなく変人だとういうことがよぉくわかった。
大人になりたいって切実に願ってはいるけど、今ばかりは子どもで良かったって思う。
ドゥニは、息をするように真顔で女の子を口説く軟派な男エルフなのだ。
女性に恨まれまくっていることが予想される。回復の魔法使いで良かったね……?
「さて、オレの研究室に来たってことは、オレに用があるってことだな? 叩き起こした価値はあるよな?」
「お前、嫌な言い方するよな……」
女性を口説くわりに、言うことは優しくないんだなぁ。まぁいいけど。
「価値があるかどうかは主観なので、わかんない」
淡々とそう答えると、ドゥニもジュンも驚いたような反応を見せた。
「へぇ、君はとても頭が良いみたいだ。ベルナールが認めただけある」
「意外と根性もあんだな、ルージュ」
どうやらお気に召したらしい。印象が上方修正された感覚があった。
やっぱり、魔塔では素を出した方が良いね。この人たちには、子どもっぽく振舞った途端に興味を失いそうだ。
情報を得るためには好印象を持ってもらった方が助かる。ドゥニとは魔力的相性がいいわけではないけど、なんとかなりそう。……なんとかなってほしい。
「私もベル先生に言われて来ただけで、まだ何も知らないんだよ。私にとっても、貴方が価値ある存在かわかんないからお互い様」
「言うじゃないか。気に入ったよ。質問には答えてやる」
腕を組んで少し口角を上げたドゥニは、本当に楽しそうに見えた。おぉ、笑うこともあるんだね。
どことなく、ベル先生と同系統の変人だなぁ。
「じゃあ早速。ドゥニは魔塔でなんの研究をしているの?」
「ん、そんなことでいいのか? 好みのタイプとか好きなプレイとか聞か」
「余計なこと言ってねぇで質問に答えろっ! さっきも言っただろーが! ルージュはまだ子、ど、も、な、ん、だ!!」
あー、加えて変態だ。つくづく子どもで良かった。
「そう怒るなよ。ジュンは本当にかわいいなぁ」
からかい甲斐があって、と続きそうなその言葉は、ジュンが軽く振り上げた拳を見た瞬間に止まった。その判断は正しい。
本当にこの人のところに来るのが正しかったのか、疑い始めた頃。
「さて、研究内容だな。別に難しいことはしてないぞ。オレが研究しているのは、人為的に魔力を増やしたり減らしたりする魔法についてだ」
そ、れは。
実に有意義。ベル先生がちゃんと私のことを考えて選んだ人だということがすぐにわかった。
「その話、詳しくっ」
「おっ、食い付くなぁ? いいぜ、話してやる」
ガシッとドゥニの服の裾を掴みながら勢いよく告げると、ドゥニもまた嬉しそうにそう答えた。