25 どうせ私は子どもだけど
「お昼にはこれを食べてね。重たいからベルナールが持って。食後のおやつとお茶も入っているから。魔法があればそのまま保存できるのだから、便利ね」
魔塔へ行く当日、カミーユママがあれこれと準備をしてくれた。主に服装と食べ物を。
特に食べ物に関しては豪華なお弁当とおやつまで入った大きなバスケットが用意されていた。まるで遊びにでも行く前のようだ。魔塔の扱いはこれでいいのだろうか。
「魔塔へ行くのにこんなに豪華なのを用意したのは初めてだね、カミーユ?」
「ルージュのためだもの。ママ、張り切っちゃった」
うふ、と小首を傾げて笑うママがかわいい。ベル先生もキュンとしたのだろう、玄関先でいつものようにママにちゅーしている。相変わらずのラブラブっぷりだ。
なお、ママは本当に自分であれこれ準備してくれている。
服装は使用人たちと一緒に頭を悩ませて選んだというし、お弁当のおかずとおやつはママの手作りだそう。
料理が趣味のママはよく厨房に顔を出すのだ。実際、どれもとても美味しいからお弁当はとてもありがたい。お昼が楽しみだ。
「今日は髪型も綺麗にまとまっていて、いつも以上に理知的に見えるね。とても似合っているよ、ルージュ」
息をするように褒められるのにもだいぶ慣れてきた。ただ、髪はポニーテールにしているだけなんだけどな。いつもながら本当に大げさだ。……悪い気はしない。
私は教わったマナーを思い出しながら全力で「お嬢様」してみた。
「お褒め頂きありがとうございます」
「お、素晴らしい所作だね。美しいよ」
どうやら合格点をいただけたようで、ママやメイドさん、執事さんたちも揃ってうんうんと頷いている。涙ぐんでいるのはなぜ。
なんだか気恥ずかしくなって、いつも通りの口調に戻す。
「ほ、本当は下ろしていくはずだったんだけど、どうしてもはねちゃうから」
前髪をちょいちょいといじりながら、口を尖らせて言い訳みたいなことを口走ってしまった。褒められるのには慣れたはずなんだけどな。やっぱり胸の奥がくすぐったくて仕方ないや。
「ああ、ルージュの髪は癖があるからね。それがまたチャーミングでかわいいのだけど」
「も、もう褒め言葉はいいよっ」
このままではいつまでたっても出発できない。抗議の声を上げるとベル先生はママと微笑み合ってわかったよ、と告げる。
「では、行ってくるよ」
「いってらっしゃい。くれぐれも、ルージュをよろしく頼むわね」
「パパに任せておくれ」
完全に新婚が醸し出す雰囲気だ。オリドとリビオの二人がもう十三歳だから、すでに結婚してからそれ以上の年数が経っているというのに。
そんな温かな雰囲気で見送られながら、私はようやくベル先生と馬車に乗り込んだ。
エルファレス家のお屋敷から魔塔までは、そこそこの距離があるという。
王都に近いエルファレス家は国の中央部やや南よりにあるのに対し、魔塔は北の端にあるらしいから。
馬車で行くとしたら、休憩も挟んで十日くらい。けれど私たちは魔法使いなので当然、そんなにのんびり行くつもりはない。日帰り予定である。
「どうしたんだい、ルージュ。もしかして、転送陣に緊張しているのかな?」
そう。使うのは転送陣。今、私たちが馬車で向かっているのは最寄りの転送陣があるステーションなのだ。
国中のあちこちに設置してあって、使うには魔法使いが必要だ。だから一般的には転送陣を使うのに、それなりにお金がかかる。
当然、私は庶民だったので使ったことはない。
「緊張というより……ちょっとワクワクしてる」
一瞬で別の場所に移動するだなんて、一体どんな感覚なんだろ? 景色はどうなるのかな? 浮遊感とかがあるのかな?
昔から興味だけはずっとあったのだ。高級移動手段すぎて自分には縁がないと思っていたから、楽しみもひとしおだ。
「さすがはルージュ。せっかくだし、魔力を込めるのはルージュに頼もうかな」
「私にできるかな?」
「君にできなかったら、大陸中の魔法使いの誰も転送陣を起動させられないさ」
目を丸くして大きく手を動かしながらベル先生が答える。
リアクションがいちいち大げさだなぁ。そんなわけないでしょ。ちょっと人より魔力が多いだけなんだから、私は。
ちなみに、転送陣がお高くつくのは必要な魔力量のせいである。距離に応じて必要な魔力も変わってくるし、そうなると必然的に値段も上がるのだ。
ここから魔塔までは遠いので、かなりの魔力が必要になってくる。ただ、ベル先生からすれば大したものではないらしい。これが強者の言葉か。
「最初は気持ち悪くなるかもしれないな。あ、でもルージュは浮遊魔法が使えるからマシかな」
「空を飛ぶのと感覚が似ているの?」
そうだなぁ、と顎に手を当てたベル先生は、にこやかに笑みを浮かべながら続ける。
「浮遊した状態で目を瞑りながらその場で回転し、宙がえりするような感覚、かな」
「……やったことないからわかんないよ」
ただ、今の発言で結構な負荷がかかりそうだというのはわかった。っていうか、お貴族様も使う転送陣がそんなんで大丈夫なの?
そんな心配が顔に出ていたのか、ベル先生は一拍を置いて声を上げて笑い出した。
「冗談だよ。ほんの少しだけ身体が浮く感覚があるだけさ」
「ベル先生、嘘吐き」
「ごめんって。たったそれだけでも酔ってしまって体調を崩す人も多いのは本当だよ」
ぷくっと頬を膨らませてそっぽ向くと、ベル先生は慌てて謝り倒してくる。
子どもだと思ってすぐからかうんだから。私は間違いなく子どもだけど。一生大人になれない子どもだけどっ!
「ああ、許しておくれ。君を今日、魔塔に連れて行く本当の理由を教えてあげるから」
その言葉に、ぴくりと反応する。本当の、理由?
「魔法が上達したからじゃないの?」
「もちろんそれもある。というか、魔法の上達が条件なら、君が七歳の時には達成していたんだよね」
そんな! それなのに、その後三年ほど先送りにされていたってことぉ?
ずるい。酷い。下から睨み上げるようにベル先生を見てしまうのも仕方ないと思う。
「だから、本当の理由があるんだ。君を、今日まで魔塔に連れて行こうとしなかった本当の理由」
あ、そういうことか。魔塔に連れて行けるようになった理由じゃなくて、今日まで待っていた理由ってことね。資格は十分あった、と。
「ルージュ、君は世界を知らない。だから、理解できるような年齢になるまで待っていたんだ。今の君なら、わかってくれるだろう」
どういうこと? 世界は……まぁ知らないのは事実だと思う。何度も繰り返し人生を送ってはいるけど、行動範囲も経験も決まりきったものだったから。
年齢については異議あり、だけどね。でもこれも仕方ない。私が何度もループしているなんて、ベル先生が知っているわけないんだもん。
「魔塔に行けば、世界がわかるの?」
私が問い返すと、ベル先生は明るい水色の瞳を愉快そうに細めた。悪巧みでもしてるんじゃなかろうか、という笑みである。
「この世界において、君がどれほどの可能性を持ち合わせているか、それがわかるんだよ」