16 なぜか目が離せなくて
それからは、魔法の授業でやるべきことはわかりやすいものだった。
まず授業では今使える魔法、つまり私の場合は時戻しの魔法をひたすら使ってみることに専念すること。
時戻し以外にも、止めたり進めたりという時魔法があるけど、まずは戻す魔法に慣れることから始めるのだそう。
そこから少しずつ時止めや時進めを覚えて使ってみるらしい。
ベル先生の見立てでは、ほんの数日でここまでできるだろうとのこと。期待の眼差しで見つめられたのでそれに応えたい気持ちはある。がんばろ。
次に宿題だ。これがちょっとしんどいんだよね。
やるのはあの時に渡された本に書かれている魔法陣の書き取りだ。
一日一ページずつなのはいい。ただ、一つの魔法陣につき十回は書いてね、と笑顔で言われたのだ。
ただでさえ複雑な図なのに。手が疲れそう……。ほかの授業の宿題もあるのに。やるけど!
ちなみに、一般教養の授業は書き取りや計算からのスタートだった。これは何度も人生を繰り返しているうちにできるようになっていたので簡単なのが救い。
とはいえ、五歳のスペックはまだまだ低い。理解はできてもスピードは遅いんだよね。
それでも、一般的な五歳児にしては相当優秀だそうで先生は感激しっぱなしだった。
「ルージュ様は、本当に聡明なお嬢様ですな! 教え甲斐があるというものです!」
いやぁ、あはは。ズルをしているみたいで申し訳ない。
それにこの天才ぶりは今だけだ。いずれ身体が知能に追いついて凡人になる。 期間限定の天才なので、あまり期待しすぎないでもらいたい。
最大の難関はマナーかも。まず言葉使いから躓いている。敬語はどうにか使えても、本当に簡単なことしか知らないから……!
ただ知れば知るほど、私がこれまでずいぶん雑な話し方や所作をしていたんだなってわかる。姿勢一つとっても細かい。
厳しい。難しい動きをしているわけではないはずなのに、筋肉痛になりそう。
「はい、本日はここまで。まずは一日中、背筋を伸ばして過ごせるように一つずつこなしてまいりましょう。最初からできる者などおりませんから、そう気落ちなさらず」
「はい。ありがとうございました、マダム」
早速教わった言葉遣いと姿勢を意識して応えると、マナー講師は満足そうに頷いてくれる。
まだまだ及第点にも満たない所作だったろうに、授業を終えた後はとても優しい。
授業中は鬼のように厳しいけど。飴と鞭の使い方がお上手ぅ。
そんなわけで、暇で甘やかされるだけだった私の日常は、一気に忙しくハードな日々となった。
特に宿題が厳しいんだよね……! 毎日地味に響いてくる。少しでもさぼろうものなら、後で大変になるというか。
くっ、リビオと同じ道を歩んでいる気がする……! 悔しい。負けないぞ。
でも、体感で百年近く生きてきた私にとって、未だに新しいことが学べるというのは喜びだ。
特に使えると思っていなかった魔法の勉強ができるのは嬉しい。そして楽しい。魔法陣の書き取りは地獄だけど。
「経験は、無駄にはならないし」
あらゆることがリセットされて、一時は何をしたって無駄だとやさぐれたこともあったけど……経験だけは残る。
そして今は、魔力も残ることを知った。
「まだまだ、人生が楽しめそう」
人生に張り合いがなくなると、生きる意味がわからなくなるからね。
そして今の私の生きる意味は……。
パンッ、とベル先生が手を打つ音でハッとした。
目の前には一度割れて、戻って、割れた瞬間に止まって、進み、そして戻ったコップが置かれている。
要するに、コップが割れるという現象を起こして時を戻したり止めたり進めたりする訓練をしていたのだ。変化する様子が面白くて、ついつい集中しちゃった。
「よーし、今日はここまで。本当に、教え甲斐があるね。あっという間に時魔法を使いこなせるようになったなぁ」
これが私の生きる意味。一つでも多くの魔法を使えるようになること!
魔法にはたくさんの種類がある。人によっては応用させて、独自の魔法を発動させることもあるとか。
つまり、際限がない! 訓練してもしても終わりがないのだ。何度も繰り返してしまう終わりのない人生を楽しむにはうってつけ!
「へへ、だって楽しいから」
褒められるのは、素直に嬉しい。でもちょっぴり照れ臭いや。
頭を掻きながらそう答えると、ベル先生は優しく微笑んでくれた。
「楽しめるというのはとても大事なことだね。苦手なことって、頑張っても成果が出にくかったりするから」
「それはわかる。マナーの授業はいつまでたっても慣れる気がしない」
口を尖らせながら告げると、ベル先生は声を出して笑った。
「僕も苦手だったなぁ。リビオもね。ルージュもこっち側の人間ということさ」
それは……ちょっと嫌だな。でも、わかってしまう自分もいる。
ママやオリドは難なくこなせていそうだもんね。羨ましい。
「楽しいことの方が伸びるのが早いのは当たり前だよ。ただ、苦手なことも少しずつできるようになろうね」
「はぁい……」
渋々返事をしているのを、相変わらずクスクス笑うベル先生。
はぁ、いつかは習得できるのかな? そんな未来が想像できないや。
「そうだ。今日はこの後少しだけ時間があるんだよ。たまにはパパと二人でお茶でもどう?」
「……いただきます」
「そうこなくちゃ」
自分のことをパパという時はご機嫌な時だ。だが私がそう呼ぶことはない。だって今更、恥ずかしいし。
「じゃあちょっと待っていてね。僕が淹れてくるから」
「えっ、ベル先生が?」
「なかなかうまいんだよ? ルージュにも飲んでもらいたいのさ。こういう細かいところで、パパとしての株を上げないとね」
ベル先生はそう言うと、ルンルンと足取り軽く部屋を出て行った。いいのかそれで。
しかも自分の部屋に私を一人置いてもいいのか。悪戯でもされたらどうする気なのか。しないけど。
……しないけど、せっかくだ。あちこち見させてもーらお。幼児を一人置いておく方が悪い。
そうは言っても、執務机の上の書類の束はさすがに見ないよ。どうせ見たところでよくわからないだろうし、仕事の邪魔をしてしまうようなことはしない。気持ちだけは大人なので。
大人になったことがないから、大人の気持ちが本当の意味でわかっているかは不明だけど。ははっ、ループジョークだ。
ただ、この部屋は机の上以外はとても綺麗に片付いているから見る場所も少ない。
魔法関係の本がたくさん並んでいる本棚と、その上に飾られた精巧な絵画たち。
確か映し絵っていうんだよね。
でも、私が見たことのある映し絵よりもずっと精巧な絵だ。良い魔道具が使われているのだろう。まるで、見たものをそのまま切り取ったかのよう。
並べられているのは主に家族の映し絵だね。どれも笑顔で、本当にエルファレス家は家族仲が良いんだなってことがわかる。
「……ん? これは、誰だろう」
そんな家族の映し絵が並ぶ中、一枚だけ見知らぬ人物が描かれているのを発見。しかも、ベル先生とのツーショットだ。
ベル先生は今よりも若いな。隣に立つ青年はさらに若く見える。実際の年齢はわからないけど、十七、八歳といったところだろうか。
黒い髪に、黄色の……いや、金色の瞳かな。これが一般的な映し絵だったら黄色にしか見えなかったかもしれない。
不思議な目の色だ。なんだか目が離せないや。
私はベル先生が戻って来るまで、金の目の青年が描かれた絵をジーっと見つめてしまった。