12 天国、ここにあり
勇者が魔王にやられた。
人類が絶望しかねないその事件は、私が生まれる数カ月ほど前に起きたらしい。
勇者の名前はなんていったっけな……えーっと。
と、とにかく、スピードやパワーはもちろん戦闘におけるセンスが抜群だったという。
あまり口数は多くなかったけど、正義感があり、人々から好かれる人物だったそうだ。
彼ならきっと魔王を倒せる。勇者は人類の希望だった。
魔物や魔族による被害が多く出た地域に赴いて討伐を繰り返し、たくさんの町を救った英雄。
彼とその仲間たちならきっと、って。
でも、勇者は負けた。負けてしまったのだ。
人々の絶望を糧に、魔族はさらに力を拡大した。
けれど、このままでは勇者が浮かばれない、と無事に帰って来た彼の仲間たちが立ち上がった。
国や冒険者組合に呼びかけ、魔族の侵攻を食い止めたりとかね。
それでも魔王領は日に日に勢力を拡大し続けていたけれど、最悪は免れたのだ。
実を言うと、今も平和とは言い難い。この町が国の中心部に位置するから比較的平和なだけ。
一歩町の外に出れば魔物が跋扈しているし、三日も馬車で進めば強い魔物や魔族との遭遇率が高くなる。
魔王さえ倒せれば、影響力が減って魔物も魔族も弱体化すると言われているんだけど……それが叶うなら苦労していないよね。
「俺は勇者に憧れているんだ。あの人みたいに強くなって、魔王を……って、あれ? 怖くなっちゃったかな? ごめん、女の子にするような話じゃなかったよな」
リビオの声にハッとなって顔を上げる。つい思考に耽ってしまっていたよ。
「ううん、怖くないよ。リビオはすごいなって、思ってただけ」
本当に。すごいよ、リビオ。
その努力を無駄にするかのように、いつも五歳に戻ってしまうのが申し訳ないくらい。
「えっ、ほんと? 俺かっこいい!?」
「そこまで言ってない」
ま、私のせいじゃないけどね! ちょ、抱き締めてこないで! さっきもハグ祭りしたでしょーっ!
※
リビオの夢を聞いてから数日。私はエルファレス邸でそれはもう、ちやほやと甘やかされていた。
「ルージュ様は本当に着飾らせ甲斐がありますわー!」
「美しい赤髪も、あっという間にツヤツヤになりましたわね! お肌も白くてモチモチで!」
「「世界一かわいいですわーっ!!」」
いつも側にいて身の回りのことをお世話してくれる若いメイドさん二人が、毎日のようにこれである。
リーダー的立場にいるアニエスは、特に口を挟むでもなくニコニコとしているだけだ。なんなら一緒になってキャッキャすることもある。
「ルージュ様が世界一素敵なお嬢様なのは当たり前のことですよ。さぁ、二人とも。奥様とのお茶の時間が迫っています。先に行って準備をしてきてちょうだい」
心の底から当然! と言わんばかりな態度が、こう、むず痒いです。
生まれも育ちも貴族のご令嬢より素敵なわけないでしょ! マナーだってまだ教わっていないのに!
うーむ、これは真剣にご令嬢としての所作や教養を身に付けないとなぁ。彼女たちの言ってくれていることを、少しでも本当にしたい。
「わかりましたぁ!」
「ルージュ様、とても美味しい焼き菓子が出来たとシェフが言っていましたよ。楽しみにしていてくださいませ!」
お、美味しい焼き菓子……?
待て待て、落ち着け五歳の精神。ヨダレを垂らしてちゃ、ご令嬢だなんて程遠い!
「さ、ルージュ様。もう一枚上に羽織って行きましょう。庭は陽射しがあって暖かいですが、風が冷たいと困りますからね」
「う、うん」
とはいえ、五歳だろうが十七歳だろうが百歳だろうが、美味しいお菓子にはどうしても心惹かれてしまうよね。
思いを馳せている間にアニエスによって手際よく羽織を着させてもらうと、私は足取り軽く庭へと向かう。
表情はギリギリ取り繕えたけど、スキップは止められなかった。
アニエス、笑うなら盛大に笑っていいんだよ。美味しいは正義だから仕方ないの!
「今日のドレスもとても似合っているわね、ルージュ」
「あ、ありがとう、ママ」
庭では、すでにママが優雅に座って待っていてくれていた。
白いテーブルに用意されたアフタヌーンティー。椅子の上に置いてあるフカフカのクッションに、温かなブランケット。
咲き誇る低木の花や風にそよぐ木々の葉擦れの音。漂う紅茶と焼き菓子の甘い香り。
天国だ。天国はここにあったんだ。
呆ける私を見て、クスクスと笑うママ。その状態の私を、そっと席まで連れて行ってくれるアニエス。お世話になります、本当に。
「今日はおやつを食べながら、色んなお話をしましょう」
「はわ、ど、どれを食べてもいいの……?」
「もちろん。ただ、食べ過ぎちゃうと夕食が食べられなくなるから気を付けてね」
それは大変だ。食事もとっても美味しいから本当に気をつけなきゃ。
でも色んな種類があるし、かといって全部食べたらお腹いっぱいになっちゃうし……。
うーん、うーん。
いや、迷っていてはもったいない。忘れたのか、クリームたっぷりのケーキを食べる直前でループが発動されたあの悔しさを。
「いただきますっ!」
「はい、どうぞ。召し上がれ」
少し大きめな声でそう言った私は、いつループが起きてもいいように慌てておやつを頬張った。
急がなくてもお菓子は逃げないわよ、とママにもアニエスにも言われてしまったけど、こちらは必死なのである。
おやつは逃げないかもしれないが、私自身は不本意ながら過去に逃げちゃう可能性があるんだから。
おかげでその場にいた大人たち全員に「ルージュはこれまであまり甘いお菓子を食べられなかったようだ」と同情されてしまったのだけど、甘んじてその認識を受け入れようと思う。大きく間違ってはいないしね。
ハウスは子どもたちみんながしっかり食事を摂れる程度に良い環境だったけど、おやつはドライフルーツとか、たまーに蜂蜜のかかったパンが出てくる程度だったから。
ああっ、バターたっぷりのマドレーヌもクリームいっぱいのケーキもなんて美味しいの。幸せ……。