マジカルジジババ~エッ?なんて?~
ガタガタした振動と背中にかかる硬さで目が覚めた。土埃の匂いと独特な獣っぽい匂い。視界は青色でいっぱいだった。緩慢に身を起こしてみれば、乗せられているのが簡素な馬車らしきものだと気づく。
「おっ、起ぎだが」
木の板を組んで箱状にしただけの荷台からして荷車のようなものなのだろう。馬を操っていたと思われる見るからに欧州系の小柄な老爺が気のよさそうな笑みを浮かべて振り返った。
「おめ、うぢの畑のすぐそばで倒れであったんだが覚えでらが?」
「わかんないです…」
爺さんの言っていることがぼんやりしかわからない。恐らく津軽弁に相当するのだろうが、あいにく出身地は標準語に指定されたところだ。聞き取れた単語から考えて、返事を試みた。
「えっと、畑…?となぜここにいたか、でしたっけ?」
「んだんだ、きれいな王都弁で喋るなぁ」
王都弁…?ひとまず覚えていないと返答する。老爺はニコニコした顔で同居を持ち掛けてきた。彼曰く子も孫もみんな遠いところに引っ越したから婆さんが寂しがってる、そうだ。警戒心薄すぎないか。こちとら身元のはっきりしない不審な成人女性だぞ。
「あの、ここって…?そもそも、ここ、なんて国ですか?」
老爺がうっすら憐憫の情を表情に載せたのを見て察した。絶対なんか勘違いされてる。
「こったらに若ぇばって記憶ねぐすなんて…」
そぅらやっぱり。多分、記憶喪失だと思われてる。そして多分年齢を誤認されている。西欧系から見ると東洋系は幼く見えるようだから。訂正したいがうまく説明できる気もしないので、記憶喪失の推定未成年で通すことにした。良心がチクチクする。仕方ない生きるためだ。
「おめ、名前は?覚えでらが?」
姓まで言ったら多分面倒なことになるだろう。昔の方は平民に姓が与えられていなかったこともあると記憶している。
「…桐花、です。」
「よろすくなトーカ。ま、何もねぇ村だが見るからに弱ってそうだはんでうぢで休んでいぎな」
訛りがひどくて内容はすぐに理解できなかったが声からは人情の温かみが感じられて、都会の雑踏や冷たさに干からびかけてひび割れていた心に沁みた。ダメだ泣くな我慢しろ。困らせてしまう。
「ありがとう、ございます」
何とか礼だけ言い切って、胸がいっぱいになって溢れそうな感情を制御するために再び寝落ちしたふりをする。カーディガンを深くかぶって顔を隠した。
ガタガタとした悪路で、横たえた体が痛みを訴え始める頃ようやく馬車がその動きを止めた。社畜生活で酷使した腰が特に痛む。こきぽき関節を鳴らしながら身を起こすと小さな村落らしきものが見えた。倉庫のような比較的大きな建物がある以外に縦にも横にも小さい家ばかりだ。
「あの、ここが…?」
「んだ。まぁわとばっちゃすかいねが」
近づいてみてはっとした。小さな小さな村落の家の大多数は派手に傷み、蔦が絡みつき、柱がひずみ、壁や屋根が崩れ自然に還ろうとしていた。朽ちかけた屋根に生え、ずっしりと重たそうな実をつけている雑草。崩れた屋根と壁の隙間から枝葉を見せている樹木。植物だけがいきいきとした活気と生気を見せつけている以外はうら寂しい場所だった。
「なぜ、このような…」
「魔物さ襲ってぎでまってな…だれもいなぐなってまったんだ…」
「魔物…?」
「んだ。畑の作物は食うわ、遊びで家畜殺すわ、えの壁ぶぢ壊すわでひどぇもんだったよ。家財なげででもこったどご出でってけるってふとが多ぐでなぁ。親類頼って出でいってまったんだ」
確かに、住む場所も食料もダメにされてしまえばその場所で暮らそうとは思えないだろう。
「井戸も壊さぃでまってな…」
生命線のひとつがぶち壊されてる。アカンわこれ。現実逃避で思わず心の中の関西人が出てしまった。
「おっといげね。暗ぐなってまったな。わと婆っちゃが住んでらえさ案内するじゃ。ボロ家だがゆっくり休んでいげ」
「ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか…」
「わらすが遠慮するもんでねじゃ。甘えどげ甘えどげ」
多分子供扱いだ。いつぶりだろう。もう二十歳をとうに過ぎた疲弊した女にはなんだかこそばゆいような、寒い季節に冷えきった指先で温かい緑茶の茶碗を持ったときのようにじんわりぴりぴりするような。やんわりと手を繋がれて引かれる。かさついて固いけど、あったかい。
「…そういえば、お名前なんですか?」
「!しゃべってねがったなそういえば。わっきゃトラサブロウずんだ。婆っちゃはオサダ。爺っちゃ婆っちゃとでも呼んでけ」
…やっぱりなに言ってるかよく分からない。断片を拾ってなんとなくのニュアンスは理解できるけど。ただ、ニュアンスだけでも分かる。なにかが強烈な違和感を放っていることだけはよく分かる。
「素敵なお名前ですね!」
そう、西洋風のいかにも好好爺といった優しげな風体のじいさんの名前がトラサブロウ。おそらく漢字表記にして『寅三郎』もしくは『虎三郎』そしておそらく似たような西洋風ばあさんの名前が『お貞』もしくは『お定』である。あまりにも渋いネーミング。時代劇か。文豪の小説か。それとも昭和のドラマか。昭和生まれな懐古趣味の母ちゃんがDVD使って観てるやつでしか観たことねぇぞ。顔面と名前が一致しねぇなじっちゃん!!
「よろしくお願いしますね、じっちゃん。」
でも優しいからそこはどうでもいっかぁ。私は疲れていた。混乱してもいた。濃ゆい時間ばかりだから忘れていたが和風な女神様に牛車で引き摺られて異世界に蹴り込まれてからまだ1日も経っていない。よく寝られてもいない。当然といえば当然だった。
じっちゃんに連れられた先は、二階建てかと思いきや平屋建ての天井の高い家だった。やや大きめに作られた窓から光が入る、居心地のよさそうな家。ああ、人が生活しているんだな、と分かる匂いがしていた。じっちゃんは襤褸家だとか謙遜していたけど、とても綺麗に丁寧に補修された跡が散見されて長い間住んでいる愛着の強い家なのだということが分かった。
「天井が高いと広く感じますね~」
「婆っちゃの背がたげはんでなぁ。今までのえであったら天井によぐ頭ぶづげぢゃーはんで、わの両親調整すてけだんだ」
「優しいご両親ですねぇ」
老爺の背丈は腰が曲がっているとは言えど、元からそんなに高くなかったのであろうことが窺える。日本人女性としては胸部装甲がやや貧相なだけでそれ以外は平均的な体格の私の肩辺りまでしかない。そして、その両親もきっと小柄だったのだろう。奥さんはどれくらい大きいのだろうか。
「婆っちゃ、帰ったぞー。あど迷子も一緒だ」
「は~い」
柔らかな高音と一緒にドタドタと音がする。大柄だから比例して体重も重いのかな。そう思っていたら度肝を抜かれた。
「あらあら!若い子ね、おうちが嫌になっちゃったのかしら?」
まず顔があるだろう位置に向けていた視線が捉えたのはしっかりと逞しい胸元。でっかい。想像していた以上にでっかい。私は170cm~180cm辺りを想定していた。オサダさんは2mほどの背丈をしている。そして、ディアンドルらしき服をぱつぱつに張らせている筋肉。野生の熊すら腹を見せて降伏するだろう女帝の気迫がある。そろーりと顔を上げてみれば思いの外優しげな面立ちがあった。やわらかな微笑みのクセが表情筋と皮膚に刻み付けられているのだろう、もし歳を取るならこんな顔になりたいと思わせるような人相だった。なんだか花のようないい匂いもする。
「いや、この子は記憶喪失で畑の近ぐに倒れぢゃーんだ」
「まぁ大変!ずっととは言えないけど、うちに居てくれていいのよ」
「ありがとうございます…あは、は…」
優しくハグをされた。見た目に反してふかふかとやわらかい。そういえば、良質な筋肉は力を入れていないとやわらかいらしい。思わず現実逃避してしまった。お上品な声と語調の優しげな上品な面立ちをしていらっしゃるご婦人が、2メートル近いムキムキでついでにふかふかの筋肉。さすがに情報量が闇鍋過ぎるし、風邪っ引きの胃袋に対するゴテゴテ濃厚豚骨ラーメンのように濃ゆすぎた。情報量の洪水で、ついに脳のキャパシティが限界を迎えて私は意識を失った。