異世界から何も持たずに帰還した俺が、現代日本で勇者と呼ばれるその日まで
レベルもスキルもレアアイテムも、全部異世界に置いてきた。
異世界で十年を過ごし、なんとか魔王を討伐した俺は、ようやく現代日本に帰ってきた。
時間は巻き戻り、何もかもが無かったことになった。
俺は、モブ高校生の姿に若返って平穏な日常を取り戻した。
だが、異世界の脅威は過ぎ去っていなかった。
これは、異世界から何も持たずに帰還した俺が、現代日本で『勇者』と呼ばれるまでの物語。
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異世界召喚されたときの日付と時刻を、俺ははっきりと記憶している。
ある日突然、俺は勇者として異世界に召喚された。
国王直々に『魔王を倒せ』と無理難題を言い付けられた。
あれから十年。
艱難辛苦を乗り越えて、なんとか魔王を討伐した。
『送還の秘法』を復活させて、ようやく現代日本に帰還した。
スマートフォンに表示された日時は、まさに異世界に召喚されたその日その時。
どのような力が働いたのか、まったく同じ日時に時間が巻き戻っていた。
肉体は若返ったが、異世界で鍛えに鍛えた筋肉と各種スキルも無かったことにされ、どこにでもいるモブ男子高校生の姿に戻っていた。
バッキバッキに割れていたあの腹筋は、ちょっと勿体ないような気がするが、それ以上に『失われた十年間』を取り戻すことができた喜びの方が大きかった。
破壊と殺戮が日常だった異世界の記憶などもういらない。
今日から俺は、平和な現代日本でまったりと平穏な日常を過ごすのだ。
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ここは、現代日本によくある、ごくごく普通の高等学校の教室である。
その事件は、昼休みに発生した。
誰かがぽつりと呟いた。
「あれGじゃね?」
声の方向をみると、床に全長五センチ程のぬらぬらと黒光りする物体が落ちていた。
(全年齢対象のため、倫理規定に合わせたモザイク処理をしています)
良く見ると、細長くびくびくと素早く動く触覚が周囲の様子を油断なく探っていた。
「こ、こいつ動くぞ」
ある男子生徒が叫んだ。
「Gだ! でかいぞ」
一瞬の静寂の後、Gの近くにいた女生徒が甲高い悲鳴をあげた。
その声を合図に、クラスの全員が立ち上がって壁際に退避した。
「ひぃ、こっちに来ないでぇ!」
悲鳴をあげ、逃げ惑う生徒達。
その黒光りする生物は、生徒達の声や周囲の振動を感知するたびに小刻みな動きを繰り返し、生徒達を恐怖のどん底に突き落とした。
それにしてもお前たち。
たかが虫一匹に対して、必死の形相で騒ぎ過ぎではないだろうか?
俺も周囲の生徒達の動きに合わせて壁際に退避しているが、そこまで恐ろしい生物とは思わなかった。
俺は、異世界で数えきれない程の魔物を討伐した。
Gよりキモい生物などいくらでも居た。
異世界で長く過ごしたせいで、俺は『恐怖』という感覚が麻痺していた。
俺は、冷静な思考でその黒光りする生物を観察した。
そういえば、その油ぎったような光沢は、異世界に生息する『ギガゴブキラー』の背面によく似ているような気がしないでもない。
ははっ。 まさか気のせいだよな。
現代日本に、異世界固有種の凶悪で獰猛な殺人昆虫がいるはずもない。
ちなみに『ギガゴブキラー』は、最弱だが異世界で最もゴブリンを殺戮している魔物である。
ダンジョンや熱帯性の密林に生息し、ゴブリンに集団で襲い掛かり体内に侵入して産卵する性質がある。
体内に大量に産卵されたゴブリンがその後どうなるのか。
俺はこれ以上考えたくもない。
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嫌な記憶を思い出していたせいだろうか。
いつの間にか、俺は教室の隅に追い詰められていた。
そして、俺の右腕にはクラスカーストの最上位にいる『山田かのん』が切羽詰まった表情で抱き着いていた。
おや? どうしてこうなった?
右腕を拘束されると、咄嗟の動きが制限されるじゃないですか。
さっさと離れたいのに、熱く柔らかい弾力が押し付けられているせいで、無下に振り払うことができない。
この抱擁感から察するに、その大きさは平均をはるかに超えている。
彼女はかなり着やせするタイプだな(個人の妄想です)。
そうこうしているうちに生理的嫌悪感をもよおすあの独特の動きで、黒い生物が俺たちに向かって飛翔した。
おそらく『山田かのん』が、この教室の中で誰よりも怯え、泣き叫んでいるせいだろう。
どうしてGって、自分を一番苦手とする人間を的確に察知して飛んでくるんだろうな。
そして俺はハッキリと目視した。
地球産のGにはない『ギガゴブキラー』特有の鋭く凶悪な顎の形状を。
まずいぞ。
こいつは本物の『ギガゴブキラー』だ。
異世界の殺人昆虫が、彼女の顔面目掛けて飛んでくる。
彼女を振り払い、突き飛ばすだけの時間は無い。
払いのけられるか?
いや、俺の右腕は彼女にしっかりと拘束されている。
もう、考えている時間は無い。
そこで俺は、左足を跳ね上げて『ギガゴブキラー』を空中に蹴り飛ばした。
『ギガゴブキラー』は、跳ね上げられた勢いでさら加速。
渇いた音を立てて天井に激突した。
そして、重力に引かれ床に落下してピクリとも動かなくなった。
やれやれ。
咄嗟の行動だったが上手くいって良かったぜ。
現代日本に帰還してレベルもスキルも失ったが、十年間鍛え上げた戦闘感覚だけは失われていなかったようだな。
油断なく身構えていると、誰かが「あいつ、勇者だな」と呟いた。
そして、次々に俺を賞賛する声が聞こえてきた。
「田中さんステキ」「あいつすげーな」「Gを蹴り飛ばしたぞ。まさに勇者だ」
おいおい、やめてくれ。
俺のクラスの連中が特別ノリが良いだけかも知れないが、たかが虫けら一匹を退治したくらいで『勇者』と呼ばれるのは恥ずかしい。
『魔物を討伐しました。経験値一を獲得しました』
それよりも、異世界で散々お世話になった、ちょっと真面目そうでボカロめいた女性の声が聞こえた事の方が気になるのだが。
『クラスメイトの好感度が一上昇しました』
やっぱり、システムコールさんの声じゃねーか!
レベルもスキルもレアアイテムも、全部異世界に置いてきたと思っていたが、システムコールさんだけは俺のそばにいてくれたんだな。
「あの、助けてくれてありがとう」
俺の右腕に抱き着いたままの『山田かのん』が潤んだ目で俺を見上げていた。
『山田かのんの好感度が十増加しました』
これが有名な『吊り橋効果』というやつか。
昔の俺だったら女性に好意を持たれた瞬間に『俺の勘違いか?』と訝しむところだが、システムコールさんの計測結果には間違いが無い。
本当にシステムコールさんは頼りになるぜ。
「君が無事でよかった。これからもよろしく頼むな」
システムコールさんに話しかけると嬉しそうな声が返ってきた。
『うふふ。これからもお任せ下さい勇者さま』
これは、異世界から何も持たずに帰還した俺が、現代日本で『勇者』と呼ばれるまでの物語。
『異世界から何も持たずに帰還した俺が、現代日本で勇者と呼ばれるその日まで』 おわり
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おまけ
「君が無事でよかった。これからもよろしく頼むな」
「えっ?」
システムコールさんに話しかけると、可愛らしい声が返ってきた。
気が付くと『山田かのん』が、頬を赤く染めて俺を見上げていた。
あの、今のセリフは君に言ったんじゃないんだが。
『山田かのんの好感度が十増加しました』
ちょっとシステムコールさん!
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
そのように殊勝な態度で頭を下げられてしまっては、今さら勘違いだとは言いづらい。
「田中すげーな」
「あぁ、まさに勇者だ」
お前ら、頼むからそんなことで俺を『勇者』と呼ぶのはやめて下さい。
おわり
以前投稿したことのある、まったく同じテーマでもう一度書いてみました。
『異世界で十年間必死に頑張って魔王を倒した召喚勇者が、現代に帰還にして普通の日常を取り戻す話。』