第27話 夏季休暇前の月曜日
月曜日がやってきた。普段なら今日から一週間仕事なのだが、後半からは盆休みである。少し働けば休みなのだから、気合を入れようと布団から起き上がった。
独りだけの部屋が寂しく感じたが、今まではこれが普通だったのだ。すぐに慣れるだろう。俺は、意識してキビキビと身体を動かして身支度を始めた。
オフィスはどことなく弛緩した空気が漂っていた。そろそろ皆が盆休みということで、消化試合モードに入っているようだ。取引先や顧客も、新型コロナウイルスの影響で早めの休暇を取っているところが多いようで、電話も静かである。メールチェックもすぐに終わってしまった。バリバリ働こうと思っていた俺には、肩透かしである。
「主任、何か手伝うことはありませんか」
俺は、真面目な顔で端末に向かう水村主任に声をかけた。
「うん? 俺は問題ないぞ。むしろ、困っていることがあったら、こっちが手伝うぞ」
「正直に言って、やることがないんですよ。主任は何かやっているみたいですが」
「ただのデータ整理だよ。別に今やらなくもいいんだけどな。……この前のシステム改修がうまくいったから、思いのほかヒマになっちまったんだ」
主任はそう言うと、ぐっと伸びをした。いかにも、退屈という感じの動作である。
「まあ、期日に追われるよりいいんじゃないか。こんな機会だし、ゆっくりしようぜ。ただ、業務用端末で遊ぶのはやめとけよ、管理してる人間にはバレバレだからな」
「そんなことはしませんよ。うーん、データ整理でもするか」
端末に向き直った俺は、仕方なくキーボードを叩く。ファイル一覧を眺めるが、まだ整理しなくてはならないほどでもない。
何をすべきか頭を悩ませていると、遠藤課長がオフィスに入ってきた。確か、臨時のミーティングに出席していたはずだ。
「みんな、聞いてくれ」
課長の声に、休み前の弛緩した空気から一変して緊張した雰囲気が満ちた。俺はファイル整理をさっさと中断して耳をかたむける。
「さきほどのミーティングで、夏季休暇に伴う勤務体制について変更することになった。取引先や顧客、本社及び支社の状況を鑑みて、勤務体制を大幅に縮小するとのことだ」
部屋の中がざわつき始める。大幅に縮小? どういうことだろう。
「要は、もっと休んでくれということだ。皆には、夏季休暇の予定を出してもらっているが、追加で休暇をとってもらう。盆の期間は最低限の人員だけいれば良いことになったから、スケジュールを調整しよう。……幹部はこっちに集まってくれ」
オフィスの中で控えめな歓声があがる。休みが増えるのは良いのだが、仕事に集中しようと思ったタイミングとは。
隣の席で水村主任が立ち上がった。
「あっ、俺も呼ばれてる。ようし、遠山は春に転勤で大変だっただろうから、休みがもらえるようにしてやるよ。先輩の手腕にご期待あれ」
俺が何かを言う前に、主任はスタスタと行ってしまったのだった。
俺は帰り支度をしながら、何とも言えない気分になっていた。勢い込んで仕事をするつもりが、休暇が前倒しになってしまったのである。ありがたいのだが今の状態で休みをもらっても、持て余すのが目に見えているのだ。
出口に向けて歩いていると、総務部の速水さんに出会った。
「あら、なんだか元気がないみたいだけど、お盆の待機要員にでも選ばれちゃったの?」
「いえ、反対で休みを多くもらえるようになったんですよ」
速水さんは、涼し気な目を細めて首をかしげた。
「良かったんじゃないの?」
「まあ、そうなんですけれど休みになってもやることがなくて。楽しみだったんですけれど、いざ休暇になると困ってしまうというか」
「ふうん……もしかして、何か悩みがあるのかな。良かったら、このお姉さんがお酒でも飲みながら話を聞く……」
話している途中で、速水さんは気まずそうに口を濁した。
「と言いたいところだけど、時期が悪いわよねえ。新型コロナウイルスの感染が広がっている時期に、総務部の人間が飲み会を主催したら怒られちゃう。……また、落ち着いたら若手社員を集めて楽しみましょう」
「そうですね、ありがとうございます。別に悩みってほどのことでもないので、気にしないでください。若手の飲み会を楽しみに、仕事も休日もエンジョイしますよ」
「そうそう、その意気よ。……体調管理には気をつけて、良い休暇を過ごしてね」
さわやかな笑みを浮かべると、速水さんは行ってしまった。なんだか惜しい気がしたが、今は仕方がないだろう。
せっかくだから有意義な盆休暇の過ごし方を考えよう。俺は気分を切り替えて、職場をあとにしたのだった。
アパートに帰った俺は、久々に実家の兄に連絡することにした。しばらく呼び出し音が続いたあと、陽気な声が聞こえてくる。
「うっす、敬介。何かやらかしたのか?」
「何でいきなりそんなことを聞かれなきゃいけないんだよ」
「冗談だよ、冗談。で、どした?」
実家に住む兄は、昔からお気楽な性格であった。物事を深く考えないような人であったので、彼が就職先に地元の市役所を選んだときは家族全員が驚いたものだ。もしかすると、長男として家を継ぐという意識があったのかもしれない。
「今年の盆休みはどうしようかと思って電話したんだよ。新型コロナウイルスで自粛ムードだけど、俺一人だし、車で移動するなら大丈夫かなって思ったんだけど」
「いやー今年は止めといたほうがいいぞ」
兄は、あっさりと否定した。彼のことだから、こっそり帰ってくればいいじゃん、などと言うと思っていたのだが。
「なあ、敬介。家の近くにあった集会所を覚えてるか? 子供会の行事とかやったところ」
「ああ、覚えてるよ。クリスマス会で兄さんが、隠してあったプレゼントを持ち出して大変なことに……」
「その話は忘れてくれ」
「意外と気にしてたんだ。それで、集会所がどうしたの?」
「あそこは普段、近所の爺さんや婆さんのたまり場になってるんだけど、ついこないだ発生したんだ。クラスターが」
スマホの向こうから、ニュースで聞いた単語が飛び出す。
「集団感染ってこと? あの集会所で」
「ああ、囲碁の会か将棋の会をやってて、感染対策はしっかりしてたみたいなんだけどな。おかげで大騒ぎなんだよ」
ニュースで報じられた事柄などより、自分の知っている場所で起こった出来事というのは強いリアリティを感じさせるものだ。今まで、俺の周りでは感染した話がなかっただけに驚いてしまう。
「あらら、それだと帰省するのは止めた方がいいよね」
「そうだな。親父やお袋も含めて近所の人たちが神経質になってるからなあ。……両親に紹介したい人が居るってわけじゃないだろう」
「残念ながら」
「はっはっは、だったら男一人で無理に帰省することもないだろ。年末には状況が落ち着いてるかもしれないし、そっちで将来の嫁さんでも探したらどうだ」
「この状況じゃなあ」
実家はそれほど都会ではないし大丈夫だと思っていたが、甘かったようだ。
「なあ、兄貴、そっちの仕事はどうなの?」
「まあー、大変だな。役所ってのは前例の仕事には弱いんだよ。それに仕事量が増えても、気軽に職員を増やせないしな」
「そっか、大変だよな。こっちは逆に仕事が減ってるよ。会社の経営的にはマズイのだろうけど」
「ふう、お互い大変だな。まっ、帰省を自粛する代わりに何かうまいものでも送ってくれよ。仏壇に供えたあと、仕事に疲れたお兄さんが美味しくいただけるヤツを希望する」
「まあ、善処してみるよ。じゃあ、また今度」
「おうよ、年末に帰れるといいな」
通話を終えたあと、俺はスマホを置いてため息をついた。ふうむ、どうも上手くいかないな。仕事でも人生でもそうだが、何をしても上手くいかない、という状況に遭遇することがある。
俺は、急にやってきた予定のない盆休みに頭を悩ませるのだった。




